大聖都の上位にいた何人かの大司祭は、時々愚痴を零していると聞く。
「神官長の独裁が終わったかと思ったら、アルケディウスの孤児達に大神殿が乗っ取られた」
って。
仕事もしない、できない負け犬の遠吠えには興味が無いので放置しているけれど、実際、大神殿の乗っ取りは成功しているな、と思ってはいる。
私が大神殿の大神官に就任してから2年。
私の右に立つ司祭、神官を纏める神官長はフェイ。純白の長衣も板についてきた。
そして神殿騎士団長にはリオンが就いて支えてくれている。
リオンの実力を認め、自分から裏方である護衛師団の団長(大神殿全体を纏める将軍。騎士団は近衛みたいな感じで、儀礼や表面的な場の護衛をする)の団長に退いたレドウニツィエと違ってフェイの神官長就任には異論、反論も多く出た。
でも。
「文句があるのなら、僕以上に聖句を覚え、術を使えるようになってからにして下さい」
と言ってのけ、圧倒的術力を示したフェイに反論できなかったというのが実情だ。
勿論、フェイは敵を作るばかりではなく、ちゃんと仕事ができるのに今まで上級司祭達に冷や飯を食わされがちだった中級司祭達を認め、取り立てて重用した。
「いかに其方が優秀でも、仕事というものは一人では回らぬのだ。人を味方にするのに手間と金を惜しんではならぬ」
「いいですか? 上から目線で命じるばかりでなく、率先して雑用や仕事について理解し、こなしなさい。
そしてそれらの仕事をしてくれる人に感謝をするのです。
人は自分の仕事を認め、評価してくれる人を慕うもの。
彼らは貴方が裏切らない限りは、貴方を支えてくれるでしょう」
というのがフェイの数少ない尊敬する大人。
アルケディウスの文官長タートザッヘ様と宮廷魔術師ソレルティア様のお言葉で、フェイはそれを忠実に守って地盤を固めている。
勿論、外見と天才魔術師&王族という武器もフル活用している。
特にリオンよりも伸びた身長。
華やかな銀の髪。コーンフラワーブルーの瞳は、大聖都の女性陣の人気を集め、前大神官が行う礼拝よりも確実に参拝客は増えたという。
だから神殿全体はむしろ昔より良い形で回っていると評判である。
「リオン。今日のエスコートをお願いします。ダンスはしない予定なので騎士団の正装でかまいません」
「解りました。準備はできております」
一方のリオンは身長に関してはまだそれほど高くない。160cmになってないかな?
最終的完成形の『精霊の獣』でも180cmのお父様より少し小さめだったからそういうものなのかもしれない。
でも細身でありながら鍛え上げられた身体は見惚れるくらいに凛々しく、カッコいい。
二年前はまだ少し残っていた幼さが精悍さに代わり、頬や顔付きなどからも丸みが消えた。シュッとした、という表現になるのかな。凄く引き締まった印象だ。
分厚い鎧は動きの邪魔だからと言って着ないけれど、みっしりと筋肉がついたそれでいて繊細な二の腕とか、優しいけれど、どこか野生の輝きを宿す瞳の煌めきは見る人を魅了せずにはいられない。
この外見で、金髪、碧眼だったらそれだけできっと見る人の魂を虜にしただろう。
いや、黒髪でもリオンはハンサムだけれども。
リオンにエスコートしてもらうと、周囲の女性陣の羨望が痛い。
これも、聖なる乙女の役得と思わせて頂くけれど。
「儀式が無事終わりましたので、私は今夜の市長主催のパーティが終わったら、アルケディウスに戻ります。留守をお願いしますね。フェイ」
「お任せ下さい。滞在期間は一週間ですね」
「ええ。向こうで色々と出歩く予定なので、リオンには同行して貰います。
何かあれば通信鏡で連絡を」
「お任せ下さい」
フェイは神妙に頭を下げて請け負ってくれる。
前だったら、リオンと離れたくない、と色々文句を言っていたところだけれど、私達三人が大神殿のトップになってしまった以上、三人揃って出かけるということは難しくなった。
なので、私が出て、リオンが護衛、フェイが留守番。
今はこういう形が一番多い。
まあ、リオン第一のフェイが素直に従っているのは、いくつか裏技ができたからなんだけどね。
その他、全体に細かい指示を出して、私は自室に戻る。
「お帰りなさいませ。マリカ様」
部屋に戻ると随員達がみんな揃って待っていてくれた。
潔斎に入ると護衛であるカマラと連絡係以外は会えなくなるので久しぶりだ。
「長い間留守を守ってくれてありがとう。
今夜の準備と、明日からの帰国の準備はできていますか?」
「はい。滞りなく」
私が労うと、女官長のミュールズさんが応えてくれる。
「一年で一番大きな例大祭が終わりました。
明日からはアルケディウスですので、久しぶりに故国でゆっくりしましょうね。
少しですが、お休みも出せると思います」
私の声に微かに皆、声が弾んでいる。
でも、ミュールズさんはそんな彼女らに軽く一瞥して黙らせると
「ありがとうございます。
では、マリカ様。夜の準備の為のお召替えを」
「お願いします」
いつもと同じペースで仕事を進めてくれる。
それが、とても頼もしい。私は頷いて着替えを手伝ってもらう為に手を広げた。
ここは元神官長の部屋。家具は殆ど入れ替えて貰ったので前の面影は殆どない。
神官長は神職者だけに、あんまり華美な家具などは使わず地位にしてはシンプルなものばかりだったけれど。
フェイとリオンは大聖都の高級住宅街に家を一軒もってそこに居住している。
ゲシュマック商会から移行してきたアルも一緒。
「エリセ。今日のパーティにはエリセも出るのでしょう?
ドレスの用意はできてますか?」
「はい。マリカ……様。
パーティの為に旦那様が新調して下さったので」
エリセは、兄弟とはいえ、男ばかりの家に女の子一人は可愛そうなので、大神殿の女性随員区画に部屋を用意した。神殿関係への出向扱いで、ゲシュマック商会から借りている形だ。
私と一緒に大聖都に来てくれて二年。
もう立派なゲシュマック商会大聖都支店の魔術師で、大聖都の商業ギルドのアイドルだと聞いている。
「じゃあ、ここで着替えて終わったら一緒に行きましょう」
「いいんですか?」
「最近、強引な男が迫ってくることがあるのでしょう?
アルから聞きました。
香水は? 持ってきてる? 口紅は前にあげたもの、使っていますか?」
この二年で化粧品業界も随分と活気が出てきている。
シュライフェ商会と、フリュッスカイトが合弁事業で作っている口紅とお白粉は退屈していた女性達に大人気だという。
見本を良く貰うので、女性随員達にはその都度分けている。
ただ、口紅はともかく白粉はまだ、つやピカの私やエリセの子ども肌には合わないと思うんだよね。
因みに花の香水は北の方が花の香りが強いみたいで、アーヴェントルクとアルケディウスが得意にしている。だから、エリセの方が質の良い新作を持っていることが多い。
「香水は、もらってきています。でも、口紅はまだ付けたことがなくって。旦那様やアル兄が『下手に色気を感じさせると悪いムシが近寄ってくるからなあ』と」
なるほど。でも、そんな不心得ものの為に可愛いエリセが遠慮する必要は何もない。
「今日は付けて行きましょう。大丈夫。私が一緒ですし、睨みを利かせますから。
私の可愛い妹分に手を出すなって」
「ありがとうございます!」
「セリーナ。私の方は大丈夫ですからノ……、いえエリセの方を手伝って貰ってもいいですか?」
「解りました。エリセさん。こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
私の様子に気付いたのだろう。ミュールズさんが気遣うように囁く。
「マリカ様。もういい加減にお忘れなさいませ。あの恩知らずのことは」
「ううん。忘れない」
「マリカ様……」
「いつか、取り戻したいから。必ず」
「彼女が望んでいなくてもですか? この二年、戻ろうと思えば戻ってくる機会はあったと思うのですが」
「うん。それでも」
私の随員も二年の間に結構入れ替わったり増えたりして、あの当時の事を覚えているのはそんなに多くは無い。
でも、ほんのちょっとした時に、彼女の面影が、後悔と共に過るのを止めることはできそうにないな、と感じている。
大聖都の礼大祭は、各国商人達が旧交を深め、商圏を広げる為に交渉を行う大事な場なのだと、私がガルフに聞いたのは、初めての礼大祭の後だった。
以来欠かさず参加するようにした、と語るガルフはやはり、今年も来ていたようで私達が舞踏会に参加し、落ち着くと真っ先にアルケディウスの商人達と一緒に挨拶をしに来てくれた。
「アルケディウスに輝く宵闇の星。マリカ様にはご機嫌麗しく」
「いつも、遠くから訪れてくれてありがとう。皆さんの応援はとても心強かったです」
一団の代表として最初に挨拶をしてくれたのはガルフだった。
横にアルとエリセを連れている。アルとは潔斎があったことを差し引いても会えたのは本当に久しぶり。小さく手を振ってくれたのが嬉しかった。
こちらから手を振り返すことはできないけれど。
「こちらこそ、いつもながら、夢のような経験を賜り、感謝の念に絶えません。
純白のドレスで舞うマリカ様は、真夏の太陽よりも輝かしく、正しく地上に降りた星、と皆が噂しておりました」
「私達が苦心して作り上げたドレスが、マリカ様が身につける事で輝きを放つさまを見る度、喜びと共に来年はもっと、という思いに駆り立てられるのです。
来年もまた、どうぞシュライフェ商会にご用命を」
「個人的には、舞衣装もう少し青を多めにした方が、マリカ様の清純な輝きが映え、夏の野外でも目を引くと思うのですが……。後は光物をもう少し……」
「アインカウフ。服飾畑から手を引いた男は黙っていて下さいませ」
大聖都に移っても私の衣装を一手に引き受けるシュライフェ商会長ラフィーニがギルド長の嫌味に頬を膨らませている。
ちなみに今日のドレスもシュライフェ商会謹製。白いふんわりとしたドレスに金の飾りベルト。首元は青を基調に金で縁取られた付け襟をつけるので、肩やデコルテが出る割に清純なイメージでお気に入りだ。
まだ胸はペタンなのでデコルテ部分は貧相だけれど。
でもなかなか的確な目線ではある。流石ギルド長。衣服の事には一家言あるんだね。
あ、違った。ギルド長じゃなくなったんだっけ。
「そういえば、アインカウフはギルド長を辞して石油関連の商会を立ち上げたそうですね。
どうですか? 蒸気機関と道路の舗装の方は?」
「この二年で主要道路の舗装が進み、流通が驚くほどに速やかになりました。
まだ蒸気自動車や船は試験段階ですが、実用化まであと少しになっています。
これもマリカ様が、国の中央である大聖都の入国税を無くし、諸国の研究開発にご支援下さっているからでございます」
「今アルケディウスの石油関連の商圏は全てアインカウフが?」
「いえ、化学繊維、プラスチック、灯油などの加工分野はゲシュマック商会の科学部が。
流通や新機構関連についてはアインカウフの新設したマチーリア商会が、という形で分け合っております。一商会が抱えるにはあまりにも大きな商材ですので」
本気で話し合っていると、後ろからリオンがつつん、と私の背を突く。
「なあに?」
「あんまりアルケディウスばっかりに構ってるとまた苦情が来るぞ」
ほら、とリオンが顎指すアルケディウスの一団の向こうでは。
うわっ。ホントに各国の商人達が睨むような目でこちらを見ている。
「皆さん。私は後夜祭が終わったら少しお休みを頂いて、アルケディウスに戻る予定なのです。詳しい話はその時にゆっくりと」
「それはそれは。なれば早急に戻ってお待ちしております」
「転移陣を使われる姫君方の方が早く着くでしょうけれど」
アルケディウスの面々が帰っていく。その背中を、姿勢を崩さず見送る。
いつも見られている。背筋を曲げずにしゃんとして、というのはお母様の教えだ。
エリセは私に向けて微笑んでくれて、アルもこっそりもう一回手を振ってくれたけれど。
それでも。
私は、いつの間にか遠く開いてしまった彼らのとの距離を少し寂しく感じていた。
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