アルケディウスの大祭はとても素晴らしいものだった。
プラーミァにいた時は奴隷として館に閉じ込められて外に出ることも稀だったから、祭りなど当然見たことはない。
行きかう人々の楽しそうな笑顔、咲き乱れる花のように色とりどり並ぶ被服の屋台の数々に目がくらみそうだ。
この日ばかりは油や蠟燭を惜しむことなく照らされる灯のおかげで昼のように明るい街並みを私達は三人連れだって歩く。
時折子どもが歩いていると奇異の視線を向けられることも確かにある。
けれど騎士試験の御前試合で名の知れたカマラ様が一緒にいて下さるおかげで声をかけられたり怖い思いをしたりすることは無く済んだのは、皇女の気遣いの賜物だろう。
「あ、また大祭の精霊の服を着た男女。本当に流行しているのですね」
セリーナが何度目かの声を上げた。
祭りの人の波の中にいると本当によく同じ服を着ている者を見かける。ほぼ男女二人組。
華やかな祭りで着る衣装にしては地味なのだけれど、それぞれに色合いを変えたり飾りをつけたりして工夫しているようだ。
その都度、私の心臓が嫌な音を立てるので、心底止めて欲しいのだけれど当然そんな願いなど聞き届けられる筈もない。
かくして祭りで浮かれる能天気な二人とすれ違う度、私はきっと今頃祭りを満喫している筈の『本物』を思い出す羽目になっているのだった。
「この藤蔓で編んだ籠などどうです? 軽くて小さい子でも持ちやすいと思いますよ」
「いいですね。どの色が喜んでくれるでしょうか?」
買い物をする同僚二人を少し離れて見ながら、私は自分自身の『変化』を鑑みる。
起点は勿論、プラーミァで皇女に救われた時、いや、少年騎士を篭絡せよと命じられて、深夜、送り込まれた所が始まりだろう。
今まで『贈り物』や『接待』の道具として客に供せられたことは何度かあった。
でもあの時は
『成功しても失敗しても帰ってくるな。私とのかかわりを知られてはならん!』
と命じられていたので、自分のつまらない人生もここで終わりか、と思ったものだ。
ところが、少年騎士は私に目もくれないばかりか、即座に縛り上げて皇女に報告した。
そこから先は正しく怒涛の展開。あれよあれよという間に私は救い出され、皇女に買い取られ侍女として迎えられ、国を離れることになった。
家族がいるわけでなし、仲がいい友や恋人もいない。プラーミァを離れることに未練は無かったけれど信じられない、という思いはあった。奴隷をあっさりと信用し懐に入れる皇女とその周辺に。
やがて皇女のとんでもない秘密を知ることになり、私は皇女の変り身になった。
今のところ不在をごまかす程度のことしかしていないけれど。
「ノアール、お待たせしました。おかげでいいものが買えました」
「それは良かったですね」
「ノアールは欲しいものは無いの?」
「特に、これと決まったものは。日用に必要なものは十分すぎるほどに頂いていますから」
「そうね。じゃあ、広場に行きましょうか?
そろそろ劇が始まる頃だわ」
「はい」「楽しみですね」
考えに耽っている私には華やかな劇も今一つ頭に入ってこない。
逆に舞台に立つ『大祭の精霊』を見た瞬間に皇女達のことを思い出すありさまだ。
劇では衣装を取り換えた精霊と人間が間違えられる場面がある。
でも実際に『精霊を身に宿した者』を知る身としては無理のある展開だと思う。
さっきの店の少年の言い草ではないが圧が違うのだ。
それと同じで私が皇女。『精霊の祝福を受けた聖なる乙女』の代わりをすること自体に無理がある。
皇王陛下は私に彼女を求める、でも彼女を出すまでの価値もない貴族相手などに私を代理として使いたかったのだろうけれど、彼女の知識や技術は替えも効かず容易に複製もできない。顔を隠していても即座に看破される未来が目に見えていた。
外見だって色合いが同じだけで、並んでみればそんなに似ているわけではないから知る者が見れば直ぐに解るだろう。
せめてもう少し外見が似ていればちょっと見くらいはごまかせるかもしれないのに。
劇が終わり、男女の精霊を演じた役者達が寄り添いあう姿を見て、またチクリと胸が痛んだ。今頃、あの二人も並んで劇を見ているのだろうか?
奴隷だったころ、何も持たない、与えられない自分たちに唯一与えられ、語り聞かされた不老不死世界の元となった勇者『アルフィリーガ』の伝説。
唯一の憧れの転生、具現を見た時に本当に息が止まったのだ。
その輝かしさに。
女を知らない『子ども』とどこか侮っていた少年騎士の成長した姿に一気に心が奪われた。
今まで
『皇女の婚約者』『アルケディウス最年少の騎士貴族』『皇子の後継者候補』
として意識しないようにしてきたのに。
「さて、そろそろ円舞曲ですね。少し後ろに下がりましょうか?」
「カマラ様は踊ってこられないのですか?」
「貴女達をおいてはいけませんよ」
「行って来られても大丈夫ですよ。私達、この外れでじっとしていますから」
「マリカ様達も踊りに来ておられるかもしれませんし」
「そ、そうですね。じゃあ、少しだけ行ってきてもいいですか?」
「どうぞ」「いってらっしゃい」
「行ってきます。十分に注意してそこから動かないでいて下さいね」
そそくさと踊りの輪の中に向かうカマラ様の目当ては解っている。
あわよくば去年のように皇女と共にいるであろう『アルフィリーガ』と踊ることだ。
彼女も彼にきっと憧れている。
私の胸の中にあるそれより、ずっと純粋で煌めく思いだろうけれど。
即興で男女が手を繋ぎ、踊の輪を作る。
この人ごみの中にあの二人もいるのだろうか?
手を繋いで一緒に踊って……?
思った瞬間に胸の中でドロドロとした思いが渦を巻くのを必死で抑えていたその時。
「おい、お前達、そんな隅っこにいないでこっちに来い!」
赤ら顔の男が数人、私とセリーナの側に近寄ってきた。
「な、なんですか? いきなり!」
「一緒に踊ってやろうって言ってるんだよ」
「私達は子どもですから、踊の輪の中には入れません!」
「別に輪の中に入らなくてもいいだろう? 向こうでじっくりと……」
「止めて! 離して!!」
手を掴もうとする男を私は渾身の力で振りほどき悲鳴を上げた。
ダメだ。背筋が冷たくなる。全身に怖気が立つ。
『星』が生み出した最高の『男』を見てしまったら他の男がゴミに見えてしまう。
触れられたくない!
「助けて!」
思わず上げた叫びと同時、フッと負荷が消え、体と心が自由になった。
尻もちをついた私は目を見開き、自分の前に立つ黒鋼のように大きくて強い背中を見上げていた。
「ごめんなさいね。つい浮かれて貴女達を危険なめに合わせてしまって。
リオン様が助けて下さらなかったらどうなっていたことか」
「お気になさらないで下さい。カマラ様。
『大祭の精霊』の降臨に人々も喜んでいましたし」
「でも、お二人の逢瀬を邪魔してしまったようで申し訳ないわ」
帰路、馬車の中でカマラ様は私に謝って下さったらしい。
でも、その時私は応えることができなかった。
「? ノアール、どうしたの?」
胸の中、体の中心で沸き上がる熱を押さえるのに精いっぱいだったから。
「ご、ごめんなさい。なんだか……気持ちが悪くって」
「! 凄い熱。第三皇子家の館に戻ったらすぐに休んで。報告は私がしておきます。
セリーナ。彼女の看護を」
「解りました」
そんな会話を聞きながら、私は遠ざかる意識の中思っていた。
どうして、私はああなることはできないのだろう。
脳裏に焼き付く、光の精霊を従えた『聖なる乙女』
逞しい勇者の腕に抱かれ飛翔する少女。
私も彼女のように、なりたいのに。
彼の腕に抱かれたいのに。
滾る思いは熱となり、私を変えた。
目覚めた時、私の姿は主たる皇女と瓜二つに変化していたから。
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