私は、ぼんやりした頭で、でも間違いようのない、名前を呼ぶ。
「リオン?」
「気が付いたか? 具合はどうだ?」
「あ、だいぶ、楽になった感じ。どうしたの?何をやったの?」
なんだか、身体の中で暴れていた何かがすーっと大人しくなった感じ。
私は体の中が落ち着いたのを確認して、ゆっくりと身を起こした。
リオンが、そっと背中を支えて助けてくれる。
「エルフィリーネから呼ばれたからな。
お前の中に、俺の精霊の力。ナノマシンウイルスを注ぎ込んだんだ。それで、旧型? の力が抑え込まれたのかもな。とりあえず、回復しそうなら何よりだ」
「ありがとう」
私はもう一度深く深呼吸をした。
やっぱり、さっきまでとは違う。熱を発していた何かは確かに、静まっていた。
消えたわけでは無いのだけれど、息を潜めた感じだね。
で、改めて、リオンの顔を見る。
たった一晩なのに、随分と雰囲気が変わったように見える。
背も伸びたのかな。
涼やかな横顔、凛々しい目元。大人びた眼差し。
もう精霊の獣の完成形のように見える。
でも、優しい、露に濡れたような瞳は変わらない。
「用事はもういいの?」
「ああ、エリクスと今後の事について話をしてきただけだ」
「今後の事?」
「ああ『神』不在の間の『魔王』について。とか、あっちの魔王城にいる『神』の子どもについてとか」
「『神』の子どもって魔王城にいるの?」
「ああ。もし急を要して目覚めさせなければならない子がいたら知らせてくれるように頼んである」
そっか。『神』がこっちに捕まっている間に何かあったら、困るよね。
冷凍睡眠の長期保存に耐えられずに目覚めた子どもが何人かいるって言ってたし。
そういう子が、知らない間に出て、体調を崩してしまったりしたら大変だ。
「素直に言う事を聞いてくれた?」
「まあ、概ねは。色々と思う所はあるようだけれど自分の役割には納得しているみたいだ」
「役割?」
「人々を恐怖の力で纏める『魔王』」
「いいのかな?」
「本人が納得してやっているんだ。俺と違って一人じゃないし」
「俺と違って……。ねえ、リオン?」
あまりにも自然に彼が零した言葉の意味を、私が問うより早く。
「マリカ。体調が戻ったのなら、起きられるか? 話がしたい」
「あ、うん。いいよ」
リオンが手を伸ばしてくれたので、私はその手を取ってゆっくりと身体をベッドから起こした。
具合が悪くなってから、着替えをしたわけではないので、直ぐにどこにでも行ける。
私を抱きあげると、エルフィリーネが置いてくれたのかな?
リオンは、私の肩に外用のショールを肩にかけて、飛翔する。
軽いめまいの後、私は自分が外に立っていることに気付いた。
魔王城の本当の最上階。
無色透明の精霊石の前へと。
「マリカ。覚えているか? この精霊石の事」
「うん。覚えている。石像になったオルドクスがいて、これが精霊石の長だってシュルーストラムが教えてくれて、封印を解いて……そして」
リオンが、私に膝を付いて誓ってくれたことを覚えている。
『忠誠を誓う。
この先、何が起きようとも、決して裏切らない。傷つけない。二度と……』
「ありがとな。マリカ。
お前のおかげで、500年来の願い。『神』への逆襲。
精霊としての使命を果たすことができた」
「私のおかげ、じゃないよ。皆で、なしとげたことだもの」
「そうだな」
そう。『神』を捕らえ、アルを救い出すのも。
不老不死を解除するのも、私一人の力じゃない。
皆で七国を巡り、精霊神様達を助け、協力し合って成し遂げたことだから。
「この石は、俺の原点だ。俺という存在を与えてくれたっていうだけじゃない。
彼を見て、『神』との会見。そこで自分が犯した罪を思い出していた。
そして確信した。マリカが、あの人の生まれ変わりだって」
「だから、二度と傷つけない、って……」
そうか。あの頃からリオンは、私の中に、もう一人のマリカ。『精霊の貴人』を見てたんだ。
「実際は、あの方の転生じゃなかったんだけどな。失礼な話だ」
「仕方ないよ。私もずっとそう思ってたもの」
苦笑するリオンに、私は首を振る。
先代のマリカ様は、リオンを守る為に消失していた。
ということは、私の夢の中に現れたエルトリンデは遺され、私にインストールされた人格データからのエミュレーションなのかもしれない。
もしかしたら、ステラ様の意志とかも加わって……私を助け、迷いを無くす為に用意されたサポートAI。でも、リオンを愛し、大切に思っていたのは間違いない。
「マリカ」
軽く微笑み合った後、リオンは大きな精霊石に触れた。
「ステラ様は教えてくれたか?
この石になった精霊。
アースガイアに生まれた人間の能力者。彼の元の名前はリオン、というんだ」
「え?」
愛し気に懐かしむ様に。
それは聞いてなかった。そういえば、今のリオンという名前は自分でつけたって言ってたけど。
「俺には彼だった頃の記憶はない。ただ、彼の思いが伝わってくるだけだ。
魔王だったマリクの人格を初期化、上書きするために命と魂を捧げたこの星の精霊。
彼の魂と心を上書きされて、俺とマリクは、マリカとライオットの娘のように混じり合わず、きっぱりと二つの人格に分かれたんだ。『神』の息子、人々を闇から導く精霊としてのマリクと、『星』の愛を受け、人々と『精霊の貴人』を守るリオンへと」
「二つの人格、それは、今も?」
ステラ様はリオン達には、私と同じフルコース映像を見せたと言っていた。そして、私と同じように細かい点をフォロー説明したのだとしたら、リオンは、今、全てを知っている筈……。
「ああ。
多分、俺達はこの先も混じり合うことは無い。互いに譲れないものがあるからな。
その中で折り合いをつけて生きることはできそうだ」
「互いに譲れない、もの……」
「マリクにとっては父である『神』の夢と理想、そして子ども達を守ること。
俺にとっては『星』が愛したこの星と子ども達。そしてお前を守ること……」
「私?」
「ああ。『神』がステラの元にあり、変わっていくのなら魔王の力も役目も必要ない。
魔王の役目をエリクスに託したこともある。今、マリクは俺の中で眠っている。
どうしてもの時以外は起こすなと、言ってくれた」
「そう……」
少し、寂寥感が胸を過る。
マリク。
ステラ様、星子ちゃんと、レルギディオス。神矢君の本当の子ども。
彼は、優しい孝行息子だったんだな、って思う。それは、きっと『神』も孤独な旅の中で彼を本当に愛したからで……。
でも……。
「もし、お前がマリクと共に生きたい、というのなら俺は……」
「そんなのはダメ!」
寂しげな眼差しのリオンに、私は飛びついた。
ダメだ。絶対に!
「マリクには悪いけれど、私は、リオンがいい」
「俺は、偽物だ。勇者としても、精霊としても、魔王としても」
「偽物であっても、リオンは、リオンだもの!
私に名前をくれて、ずっと、一緒にいてくれて。そしていつも助けてくれたのは、マリクじゃなくて、リオンだもの!」
例え、マリクがどんなに優しい、いい人であっても。
私が、好きになったのは、一緒にいたいと思うのはリオンなのだから。
「私にとっては、リオンが本物。たった一人のアルフィリーガ。
だから……どこにもいかないで。ずっと……」
「一緒にいて」といいかけて、私は言葉を呑み込んだ。
私の将来はステラ様の後継者。
星と接続して、精霊の力を産み続けるインターフェースだ。
でも……。
「解ってる。俺は、それでもずっとお前と共にいる」
「え?」
「マリクに身体を寄越せ、と言われても譲るつもりは無い。
お前には俺を選んで欲しい、というつもりだった」
リオンは、私の背中にそっと手を回した。そして優しく、でも力を入れて抱き寄せる。
「お前を一人にしたりしない。
マリカが星と共に有るというのなら、俺は生涯お前と、星を守る獣で在り続ける。
大丈夫だ。精霊は長生きだから、ずっと一緒にいてやれる」
「リオン……」
「だから、改めて誓わせてくれ」
身体がふっと自由になり、一人になった。
それが、少し寂しいと感じていた瞬間に手を取られ、膝を付かれた。
誰に、と言われれば勿論、リオンに。
彼は王子様のように私の手を取り、キスをする。
そして、心臓の上で手を握り、その手をそっと、私に向けて離した。
『精霊の誓い』
己の命の全てを相手に捧げるという誓いだと聞いたことを思い出す。
「リオン・アルフィリーガ。
我らが父なる神と母なる星。そして己の真実の前に誓う。
俺はマリカを、生涯、ただ一人の女性として、時と命の終わりまで愛すると。
決して、裏切らず、傷つけることなく共に有り続ける。
だから……俺を選んでくれないか? お前の伴侶に。生涯を共にする者に……」
「リオン!」
迷う必要は無かった。
彼の、心からのプロポーズ。
その答えに言葉は選べなかった。
気が付けば私は彼の腕の中に、自分自身を投げ出すように飛び込んでいた。
肩にかけられたショールが、風に踊るように飛んで行くけれど、追う余裕はない。
心臓の音が唄うように高鳴る。
「俺の雲雀。俺は、お前の翼を守り、いつまでも共に跳び続ける」
「私の燕。私は、いつでも貴方を追いかけて、貴方と共に飛べるように頑張るから」
リオンが、私の唇に自分の顔を寄せてきた。
私も応えるように顎を、上げ目を閉じた。
額、瞼、頬、と啄むような優しい口づけが落とされ、そして最後に唇に触れる。
触れ合い、口唇を重ねると、ピッタリと何もかもが重なり合うような感覚が広がっていく。
別々に鳴っていた二つの心音が重なり、一つになった時、リオンと私は出会って、結ばれるために生まれてきたのだと解る。
人型精霊として出会いも、恋する思いも仕組まれていたのかもしれない。
でも、この幸福感に比べたら、そんなことはどうでもいい。
私の初恋にして、たった一つの愛。
この世界で、最初に出会い、愛した人が最高だからそれでいいのだ。
「マリカ……愛している」
「私も……リオン」
私は、神や星の御前より早く、愛を誓い合ったのだ。
始まりの精霊の前で、永遠の愛を。
トクン、と。
私の中で何かが小さくて、でも確かな音を立てた。
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