質の悪いB級映画を見ているような気分になった。
色は赤黒、でも油を全身に名塗りつけたかのようなテカリを宿したスライムが、床に広がる様子。
宝物蔵の宝もかなり呑み込んで、所々宝石や金貨の光っているのが妙に綺麗な分アンバランスだ。
そして、波打つように触手がうねる様は、恐ろしいとか気持ちが悪いを通り越して悍ましい。
子ども達がいなくて良かった。
周囲に湧く虫はともかく、あの触手は、一体何なのだろう?
「な、なんなの? あれ?」
「……あれは精霊の力、いいえ。ナノマシンウイルスの融合体でございます」
「エルフィリーネ!」
部屋の隅、その一角に誰が声をかけるともなく集まった私達。
周囲には光のシールドのようなものが広がっていて、触手もスライムも近寄っては来ない。
既に宝物蔵の半分以上に広がった怪しいスライムと触手、それを従えるアルの容をした『神』を見つめる私に、エルフィリーネが応えた。
もう、解っていた事ではあるけれど、はっきりとエルフィリーネの口から、ナノマシンウイルスという言葉が出てきたのは、初めてな気がする。
「もう、ご存じなのは解っておりますので、申し上げますがこの世界で『精霊の力』と名付けられている力は、外宇宙由来の極小の物質改変装置。ナノマシンウイルスでございます」
「物質、改変装置?」
「はい。詳しい説明は省略いたしますが、ナノマシンウイルスは、結晶化し性質を固定させることの他に、あのように流動体とすることで、他の物質に働きかけることができます。
この世界に実態を持たない『神』や『精霊神』はそれらを手のように使って他の物質に関与するのです」
「あ……」
言われてみれば、思い出す。
各国の『精霊神様』が異空間に呼び出して、何かしようとした時、触手を使ってくることが多かった。私の記憶を読んだアーレリオス様とか、私を治療して下さったラス様とか。
「『神』や『精霊神』『星』にはそれぞれ、能力の方向性があります。
『神』は特定のものに強く働きかけることに関しては『精霊神』様に及びませんが、ナノマシンウイルスを増幅させたり、減少させたり、移動させたり、逆に固定させたりとナノマシンウイルスそのものに働きかけることが得意なのです」
真実の欠片を教えて下さった時にアーレリオス様が言ってたっけ。
滅亡した地球、そこで宇宙からの侵略者、コスモプランダーの攻撃に適応し生き残った能力者は十一名。そのうちの二人は、新型のナノマシンウイルスを生み出す者とそれを増幅させる者だった。
ナノマシンウイルスを精製するのが『星』ならば、増幅させる能力者が彼、『神』だった、ということなのだろう。
「アル様には、精霊の力を動かす力はありません。憑依して力を乗っ取っても、例えばマリカ様の力を使う時のようにはいかないのです。
だから、あらかじめ己の力を結晶させた精霊石をもってきて、武器として開放したのでしょう」
「『神』が作り出す魔性というのは、ナノマシンウイルスの結晶体に『神』が力を注いで変化させたのですね」
「はい。戦いを挑んだ場所が悪かったのかもしれません
ここは『星』の精霊の宝物蔵。力ある精霊石や宝は遠ざけておいたとはいえ、宝物が数多く存在しておりました。
それらを取り込んだ『神』は『星』の加護を受けたナノマシンウイルスをエネルギーに変換して『星』の心臓部に侵入。
その機能を乗っ取ろうとしていると思われます」
彼が、単身乗り込んできた自信の源が理解できた気がする。
元々『神』は長年集めてきた『気力』はたくさん持っているけれど、ナノマシンウイルスが足りなかった。だから、ここでそれを奪い、増幅変換して一気に勝負を決めるつもりだったのだ。
私やリオン、フェイさえいなければ(クラージュさんの存在に気付いていたかどうかは解らないけれど)精霊の力や封印が効かないアルの身体に入っている以上、エルフィリーネの妨害は意味をなさない。
魔王城の構造もアルの知識で理解している。
魔王城の深部に接続して、侵入。その機能を奪えると思ったのだろう。
「止める方法はあるのか? エルフィリーネ」
「現時点で、可能な限りのガードは行っています。『星』も何重にも壁を貼っているので簡単に侵入されることはないと存じますが、ここまでになってしまった状況を完全に打破し、『神』を止めようと思うのなら、マリカ様の御決断が必要です」
「え?」
そう言うとエルフィリーネは空中にくるりと指で弧を描く。
と同時、見覚えのあるものが私の手の中に、落ちてきた。
「これは……私の額冠?」
「そうです。マリカ様が、この城の真の主『精霊の貴人』として『星』と接続し、管理権者として立たれれば、前にも言った通り、ここは『星』の城。『神』と言えど、勝手はできません。
この星に生まれた『気力』に満ちた生命体と完全接続した『星』は、今まで『精霊の力』精製に専念する為にあえて繋がなかった、外との経路を確立。
『神』に逆に直接介入することも可能かと存じます」
「そうすれば、『神』を止めてアルを助けられる?」
「はい。これもマリカ様が、主として、許可を与えれば、ですが『精霊神』様達とのラインを繋ぎ、彼らに『神』をけん制して頂く事も可能かと存じます。
皆様、私達を心配して様子を伺って下さっているようですから」
要するに、私が管理者代行として、侵入者を迎え撃たなくてはならないということなのだ。
今まで、なんだかんだで甘やかしてもらい、子どもでいさせてもらった時間は終わり。
私は、真実と、与えられた仕事と向かい合わなくてはならない。
さっきの『神』の捨て台詞。
『偽物』
私の予想通りだとすれば、私という存在の『真実』は、身震いする程に怖い事に思えた。
でも……
私は、澱みの中心に浮かぶアルを見る。
虹色の瞳は、空を凝視しているようで、何も見ていない。
触手をあちらこちらに伸ばし、城の壁の中に貼り付けているのは、そこから何か、情報を読み取ろうとしているのだろうか。
このまま放置していたらあのスライム触手はさらに拡大して、城を呑み込むかもしれない。みんなのおうちが壊れる。
避難している子ども達にも危険が及ぶ。
そして、何よりもアル。
虚ろな瞳で見えないナニカを見つめ、『星』への介入を仕掛けている彼、いやアルからは子どもらしくて強い輝きは完全に失われていた。
ダメだ。やっぱりこれはちょっと我慢できない。
額冠を握りしめ、私は顔を上げた。
「エルフィリーネ。その管理者権限の書き換えって、どのくらい時間がかかる?」
「簡易的なものでも、おそらく数分。完全にともなれば一日欲しい所ですが」
「簡易的なものでも『神』に対応できる?」
「はい。0から1に確定するだけで『星』にできる範囲は飛躍的に増大致します」
「リオン、クラージュさん」
「なんだ?」「なんでしょう?」
「少しの間、アル。ううん。『神』の気を反らして貰えますか?」
「……いいのか?」
主語は無い。でも言いたいことは解る。
特にリオンは、私にこれから起きることを解ってくれている。
「うん。いいの。……だから、お願い」
「解った。任せろ」
ぽん、とリオンが私の背中を叩いてくれた。
カレドナイトの短剣を引き抜き、身構える。
その横に、スッと並び立つクラージュさん。
「アルフィリーガ。触手に気を付けて。もし、アレが触れて内部に侵入を許せば、貴方の場合、意識を書き換えられる可能性がありますよ」
「解りました」
「マリカ様。いいえ、マリカ先生」
リオンに先生らしく注意を与えると、スッと私の方を見て微笑む。その瞳は女王と騎士団長ではなく、もっと近くて親しかった昔。
二人で、子ども達により良い保育をする為に話し合った頃の、海斗先生によく似ていた。
「気負う必要はありません。マリカ先生ならきっとできますから」
「海斗先生」
「後は、やるか、やらないか。それだけです。やると決めた、貴女の意思を僕は尊敬し、全力で助けます。向こうの時と同じように……」
「マリカが何になろうと、どうなろうと。俺はずっと側にいる」
「ありがとう。お願いします!」
私達の様子に気が付いたのだろうか?
フッと、アルの瞳から虹の輝きが抜けて、光が戻った。
と言っても、それは、やはり『神』の意思であったのだけれど。
「あと少しで『星』の領域に侵入できるのだ。偽物の人形は、黙っていろ……」
「人形だろうと、何だろうと、私は、私の大事なものを守ります。絶対に!!」
「黙れ!」
足元の澱みが波打って、触手という名の矢を私にけしかけて来る。
でも、私は気にしなかった。
左右に駆け出したリオンとクラージュさんが、止めてくれる。そう信じていたから。
『神』の呼びかけは完全無視、私は大きく深呼吸。
額冠を頭に乗せた。
『接続』
不思議な声が聞こえ、バチン! と頭の中で電撃が弾けた。
「きゃああ!!」
「マリカ様!」
前に一度、このサークレットを身に着けたことはある。
でも、その時に身体を動かしていたのはアーレリオス様で、多分、一番辛い所をガードしてくれたのだと今なら解る。
『次元同調、同意を確認。
新規代行管理者を認証。『マリカ』データの書き換え、『星』との同期を開始します』
「あ……が……」
身体全体に、今まで使っていなかった部分に電流が走るような感覚。
神経回路が、作り替えられて目的を果たす為の機構に上書きされて行く。
苦しい、痛い。
はっきりいって、今までの変生の数倍痛い。
でも倒れることも、転がり暴れることもできない。
「お気を確かに。私が補助を致しますから」
「あ、ありがとう。エルフィリーネ。
あうっ!」
エルフィリーネが手を繋いでくれると、確かに少し刺激が収まって楽になった。でも代わりに頭の中に、身体の中に、膨大な情報が流れ込んで来る。
アースガイアのことだけじゃなく、地球の歴史やコスモプランダーとの戦い。そしてこの星に至るまでの彼女の思いも全て。
ああ、そっか。
これは、気付いていなかったら受け入れられなかったことだろう。
私という存在が、ぐるぐると何かとナニカと混ぜ合わせれ。攪拌されて、溶けていくイメージ。以前、アップデートという言葉をエルフィリーネは使ったけれど、私に新しい情報を上書きされているようだ。
そして、……声が聞こえた。
(「はじめまして。マリカ。やっと話ができますね。
私の大事な貴女」)
頭の中に浮かぶ映像は、十代前半の少女に見える。
長い黒髪、黒い瞳。可愛らしい顔立ち。どこからどう見ても日本人の女の子だ。
(「貴方は?」)
(「私は『星』とりあえず、ステラとでも。そして、ごめんなさい」)
(「え? なんですか?」)
(「取り急ぎちょっとだけ、身体を貸して欲しいのです。もう、なんとなく解っているでしょうけれど、後で、ちゃんと全部説明しますし、貴女の希望も全て叶えます。
だから。お願いします)
「え?」
(「いい加減、私も我慢の限界。思い知らせてやらないと。許して貰えますか?」)
(「あ、はい」)
(「ありがとう」)
フッと、全ての負荷が消え、今まで憑依されて身体を貸してきた時のように、私の意識は頭の別領域に移動した。
と、同時彼女が降り立つ。
パチーン、と乾いた音がした。
「神矢のわからずや!!ーーー!!」
「は? 星子?」
涙と、悲しみを宿した、罵倒の叫びと共に。
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