説明と、食事の終わり。
「つまり、世の中には目に見えぬ小さな生き物がいて、それを利用する事で『新しい味』が生み出される。
というのだな?」
「はい、さようでございます」
皇国の第一皇子ケントニス様が確認するように私を見る。
信じられない、という顔をしているけれど、説明には嘘は一つも無い。
「『新しい味』の全てに発酵が関わっている訳ではありませんが、今日お出ししたパンも、ビールも、お酢も、チーズも微生物による働き『発酵』を利用しております」
私は料理の説明をしながら、同時に大雑把に、ではあるけれど、発酵の仕組み、そしてビールの製作工程を説明した。
今日のメニューは食前酒にピルスナー。
プロセスチーズと、エナ、ハムの盛り合わせの前菜。
胡椒の効いたマヨネーズたっぷりのパータトのサラダ。
食パンのサンドイッチ。フルーツのジャム。
メインは豚肉のビール煮込み。
蔵で作ったやつと同じもので、男性が増えたから少し味の濃いガッツリ系にしてある。
ここで、飲み物をエールに交換。
味の濃い食べ物にはエールが合うし、エールの味も知ってもらいたい。
多分、エクトール様の蔵のエールは黒ビールと白ビールの中間っぽいペースエール風。
ホップ多めで少し苦みが強い。
ビール煮込みにピッタリだし、最後のオランジュジャムのクレープシュゼットとよく合う。
ザーフトラク様。
本当にお疲れさまでした。
皇王陛下や兄皇子様達も料理を気に入って下さっている、とは聞いていたけれど、目の前で美味しそうに食べてくれるのはとてもありがたく嬉しい。
「娘。貴様、先程、酒造に神の力は必要ない。
見えない力を持つ生き物によって叶う、とのたもうたが、件の麦酒蔵もその生き物を飼っていたのか?」
エールを舐めるように飲みながら聞いてくるのは第二皇子トレランス様だ。
酒好き、というだけあって目はかなり真剣。怖いくらいだ。
「はい。先祖伝来であり、手入れを怠ると死んで戻らぬので決して失わせるな、と言いつけられたと伺っております」
「では、本当に葡萄がこの地に有れば葡萄酒がアルケディウスでもできると?」
「美味に作ろうと思えば研究や努力が必要ですが、近い物でしたら多分。
葡萄、麦以外にもハチミツやサフィーレなどでも酒の製造は可能だと聞いておりますので」
「何? 本当にそんなものからも酒ができるのか?」
「酒精の入った飲み物を酒、と呼ぶのであれば」
素人が売り物レベルの美味しいものを作るのは簡単ではないだろうけれど、作り方そのものは知っている。
ビールの専門家が見つかった今、蜂蜜酒くらいならともかく、他のモノを作る気はないけれど。
「私がエクトール様のビール蔵にて学んできたことは以上でございます。
信頼によりお預かりしてきたビール。
その味と価値をご理解いただき、お引き立て頂ければ幸いです」
基本的な説明を終えて、食事も最後のデザートを終えた。
口元を拭きながら皇王陛下は楽し気に私の方を見て相好を崩す。
「ふむ、子どもの身で良く覚えたものだ。説明も腑に落ちるしっかりとしたもの。
信じがたい点もあるが、嘘だとは思えぬ。逆に真実であれば全てに辻褄が合う。
であれば、真実、ということなのだろう。
だが、神の与えたもうた恩寵。酒が見えない生物の働きによって作られるなど神殿の、神官共が聞いたら卒倒するかもしれん。
なあ、そうは思わぬか? ライオット」
「父上…」
なんだろう。
随分と楽しそうだ。皇王陛下。
バカな事を言うな、と怒られるかと思ったのに。
「マリカ。今の説明、見事であった。褒めて使わそう」
「しっかりと組み立てられたと解る、理解しやすい説明でしたよ」
一応、幼稚園教諭の資格も持っている。
子ども達に色々な事を教えたこともあるし研究や発表も良くやらされた。
解りやすい説明、であればなんとかノウハウを応用できる。
「ありがとうございます。拙い説明をお聞き下さり感謝申し上げます。
詳しい契約内容。エクトール蔵の生産量などについてはガルフより…」
「うむ…」
皇王陛下と皇王妃様から、お褒めの言葉を頂き、ホッと一息。
私の役目はとりあえず、ここで終りで良い筈なのでゆっくりと後ずさった。
「では、マリカ。其方はそこの給仕にビールの注ぎ方を教えるように。
その間にガルフ。エクトール蔵との契約内容の報告を。
即答を許す故、忌憚なく話すが良い」
「解りました」
変わって前に出るガルフに心の中で手を合わせ、私は促されるまま給仕さん達にビールの入れ方指導に専念した。
流石王宮で失敗できない給仕を担当している皆さま、あっという間にコツはつかんでくれた。
貴重なビールなので練習はできないけれど、多分何回かやっているうちに身につくだろう。
ちなみに報告会は、ただの報告では終わらなかった模様。
後で聞いた話では、2か月に20樽では少ない、もっと増産させろ、のトレランス様の要望から始まり、納品ごとに一樽ずつを王宮に献上。
必要に応じて販売する、などかなり突っ込んだところまで話し合ったらしい。
と、同時にアルケディウス全体で、小麦、大麦を増産。
一年間かけて貴族区画に酒の醸造を行う部署を作り、設備を整えエクトール様に指導を仰ぎ、王都でもビールを作れる様にするとのことらしかった。
第二皇子トレランス様が、積極的に手を上げ指揮にあたるという。
「酒、というものが人の手で作るが本当に叶うというのなら、、私はやってみたく存じます。
麦の他、サフィーレ、蜂蜜、他の果物などでも酒を造ることは叶うのではないでしょうか?
ワインも本当に神の力なしでできるか、試してみたく存じます」
目を輝かせるトレランス様に皇王陛下は、満足そうに頷いたという。
「今まで、何事にもやる気を見せなかった其方がな…。
構わぬ。やってみたいというのならやってみよ。良いな? ケントニス、ライオット」
「私は酒を含めた食全体を指揮していくので、酒に関してトレランスが責任を持つ、というのなら任せましょう」
「俺も実務が山になっているので兄上にお任せする」
そんな家族らしい、兄弟らしい会話があったとか。
「兄上達があんなに何かに真剣に取り組む姿を見たのは500年生きていて初めてだ。
腹を割って話すのも、だ。
長く生きていても解らないこと、体験していないことがあるものだな」
後でそう話してくれたライオット皇子の顔はどこか誇らしげで嬉しそうだった。
話は少し戻って終宴の前。
打ち合わせを終えた皇王陛下は一通りの話の後、
「さて、ガルフ」
私達の方に向かい合い、手を差し伸べて下さった。
「此度の働きは見事だった。麦酒、ビール復活の功に報いたいと思うが何が良い?」
「いいえ、皇国の民として国と、敬愛する皇王家のお役に立てれば、それ以上の褒美はございません。願わくば、我が店とその子らに今後とも変わらぬ加護を賜れれば…、」
角度的に見えないけれど、なんとなくライオット皇子が吹きだし笑い、ティラトリーツェ様が私を睨んだような気がする。
はいはい。
解っています。
皇王家の方に褒美が欲しいか、と言われたらこう返すのが模範解答なんですよね。
調子に乗って本気の希望なんか言っちゃいけないんですよね。ぐっすん。
「だが、其方らのおかげで覇気に欠けていた皇子二人が新しい産業を前にやる気を見せるようになり、城に寄りつかなかった第三皇子も顔を頻繁に見せるようになった。
国全体を見ても、心なしか活気が出て来てもいる。
父として、国王として何かしたいものだが…まあ、それはおいおい考えるとするとしよう」
直接、望みを言わないことで皇王陛下の心証を良くし、いわば貸しを作り、今後を有利にする。
この辺の手管は流石、ガルフ。
「ガルフ。これより其方の店には王国の食を任せる。
今後、ゲシュマック商会を名乗り、『新しい味』の拡大に精励するが良い」
「はっ! 必ずや」
皇王陛下、凄い…。
今まで、食事処としてやってきたから、商会としての名前は無かったガルフの店にある意味、最高の贈り物を下さったと思う。
皇王陛下から名前を賜った御用商会に、まともな商人なら下手な手は出せない筈だ。
「マリカ」
「はい。皇王陛下」
皇王陛下の視線がガルフから私へと移ったので、私は顔を上げて、視線を合わせた。
「其方、父母は?」
「存じません。孤児として養い親の元、野に育ちました故」
私の用意して置いた返答に、ふむ、と陛下は顎に手を当てた。
何かを思い出す様な、考えるような。
「いや…無いな」
ひとりごち、自分の中で結論が出たらしい皇王陛下は首を横に振る。
「何が、でございましょうか?」
「こちらの話だ。遠い昔、其方とよく似た面差しの女性を知っていた。
縁ある者かと思ったが。考えてみればありえぬ話。忘れよ。
こちらへ…」
「あ、はい」
意味が解らぬまま、手招きに従い私は陛下の横へと向かい跪く。
「手を。
今までの食の指導と、今日の働きを労い、これを賜す。受け取るがいい」
「はい、ありがとうございま…!」
手のひらにぽとんと無造作に落とされたものに私は息を呑んだ。
それは金貨だった。しかも、ただの金貨ではない。
精霊金貨。
かつて滅んだ魔王城の島に在った国、精霊国エルトゥリアで使われていた貨幣だという。
魔王城の宝物庫にはそれなりあるけれど、外の世界には殆ど流れて来ず、ガルフはこれ一枚で使用人付きの家が王都で買えると言った。
売れば金貨数十枚以上になると聞いている。
「そんな! こんな凄いものを頂く訳には!」
「一度贈ったものを戻すなどの無粋はしてくれるなよ。それに金としてくれてやった訳ではない。その硬貨の後ろを見てみるがいい」
「え? あ、はい」
金貨をひっくり返す。今までじっくりマジマジとみたことはなかったけれど、裏には女性の肖像画が刻まれている。
あ、もしかしてこれ、精霊の貴人?
「其方に、どこか面差しが似ているであろう?
我らにとってこの方は憧れであった。幼き頃からの…な」
「憧れ…ですか? この方が」
「そうだ。精霊国の女王陛下。精霊の貴人。
目標を高く持ち、彼女のような気高き女性を目指すが良い」
「ああ、どこかで、と思っていたら、かの方に面差しが似ていたのですね。
励みなさい。マリカ。
いつか気高く美しいこの方の様になれるように」
「あ、ありがとうございます。大切にいたします」
お二人の言葉に私は深々と頭を下げて、場を辞した。
皇王陛下との謁見と、給仕を含めたビールのプレゼンテーションは無事終了。
今回の真剣勝負は無事、勝利に終わったと言えるだろう。
でも…。
握りしめた金貨が手の中で不思議な熱を放つ。
やっと見えて来た、と思った何かが音を立てて崩れていくのを私は感じていた。
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