大祭が終わって、三日。
安息日も開けた木の曜日にはもう既にアルケディウスの町並みはいつもの様子を取り戻していた。
変わった事と言えば
「おい! 大祭で売っていたという麦酒は無いのか?」
「申し訳ありませんが、あれは大祭の限定販売でございます。
まだ大量生産ができない品でございますので御了承下さい」
ゲシュマック商会への問い合わせが三倍以上に増えた事。
特に移動商人が別の国に移動する前に、と大挙して来ているようだ。
移動商人の何人かには迷惑な目に合わせられたけれども、別に移動商人全員が強硬手段をとってくるわけではない。
むしろそういう人はごく少数。
殆どの人は丁寧に問合せ、お金を支払って契約し、レシピや燻製機を買って行った。
夏に、燻製機を買って行った商人も何組か戻ってきて
「大貴族の方からの追加発注を受けた。燻製機とレシピの追加を購入したい」
と言ってきている。
現在、フリュッスカイト、エルディランド、アーヴェントルクではアルケディウスを真似た肉の串焼き屋台が人気を博し始めているそうだ。
さらにその一歩先に進んだのは、プラーミァ。
屋台の人気が出始まった直後、王様が『食』の事業展開を表明した。
燻製機が大量生産され、肉だけでなく、貝や魚も燻製し販売し始めたそうな。
元から果物、胡椒、砂糖が生産され、食べられていたプラーミァは抵抗なくそれを受け入れ、砂糖、胡椒の増産計画が立てられ、各地で小麦の種が撒かれていると商人さん達が教えてくれた。
大祭が終わったらプラーミァから、料理留学生さんが来る予定なので受け入れ準備も始まっている。
各大貴族も料理人を派遣してくる。
彼らは、貴族区画で実習を兼ねた店を開く事になっているので、彼らの指導と店の運営を軌道に乗せるまでが、私のゲシュマック商会での最後の仕事になりそうだ。
「マリカ様」
事務室で木板に新店舗開店に向けての材料計算をしていた私に、リードさんが声をかける。
『皇女』という名目がゲシュマック商会の中には知れ渡ったので、リードさんも私を様付けで呼ぶ。
ガルフは楽になったと笑うけど、少し、寂しいな。
「何でしょうか? リードさん」
呼び捨てで呼んでくれ、とは言われているけれども私には無理なので敬語、さん付けは継続させて貰っている。
と、違う。違う。
今は私が呼ばれた理由が先。
「マリカ様を名指しで、移動商人が面会を求めています。
お心当たりはおありですか?
なんでも、大祭で声をかけられたフリュッスカイトの商人とか…」
リードさんに言われて、大祭での買い物を思い出す。
あの時は、手袋を買って、他にも防寒具を買って…それから…
「ああっ! オリーブオイル! 解りました。今すぐ行きます!!」
ペンを置いて、私は小走りに部屋を出た。
「失礼します」
応接室に入ると、商人が二人。
「ああ、やっぱり大祭の時の…」
一人は、知っているお祭りでクリームを売っていた商人の女性。
もう一人は知らない顔だけれど…と思っていると
私の入室に気付いた二人の商人は、慌てて音を立てて立ち上がり、跪いた。
「皇女様にはご機嫌麗しゅう。美容品取り扱い スメーチカ商会のフェリーチェと申します」
少し、ビックリ。
「よく、ご存知ですね。まだ、アルケディウスでも一般には公開されていない情報ですのに…」
「そこは、それ、商人の命は情報ですので」
目を丸くする私にクリームを売っていた女性商人がにっこりと笑う。
っていうか、もう移動商人達の間にも知れ渡ってるのか。
「大祭では、我が商会の品物をお買い上げくださいましてありがとうございました。
使い心地はいかがでしたか?」
「とても、いい感じでした。
母や知人に贈りましたが手がとても潤うと喜んでいたようです」
これはおべんちゃらではない。
大祭で買ったオリーブオイルのクリームはティーナと、ティラトリーツェ様、ミーティラ様にプレゼントしたのだけれど。
「まあ、これを大祭の屋台で売っていたの? であるなら貴女に頼めば良かったわ」
とティラトリーツェ様に羨ましがられたのだ。
私は二人に椅子をすすめ直し、自分も前に座る。横にはリードさん。正式な商取引になりそうなら、側にいて欲しい。
「あのクリームは基本的に貴族御用達だそうですね。人気はあるけれどなかなか手に入らない。
アルケディウスではガルナシア商会専売、だとか。
ガルナシア商会とは伝手の無い貴婦人が、入手が難しいと羨んでいました」
私の言葉に、女性は照れたような困ったような笑みを浮かべる。
「それは嬉しいお話ですが。薬品の扱いから大量生産ができるものではないので…。大祭の屋台に出していたのは飾りというか、他の商品の賑やかしというか、格付けでして。
まさか、一つ小額銀貨二枚の品を一度に三つも買っていく人がいるとはと、主人がびっくりしておりました。皇女様であったと知れば納得でございますが…」
どうやらあの屋台はオリーブオイル美容品の製造販売をする商会の直営店だったようだ。
他にも石鹸やクリーム、ヘアオイルなどを扱っているという話。
どれも貴重なオリーブオイルを使っているし、特殊な薬品(多分苛性ソーダ類)も使うのでので、基本は国内の貴族優先。
国外に出すようになったのはほんの最近なのだとか。
「今まで、髪に艶を出すのは当商会の油だけだと思っておりましたが、近年アルケディウスでも新しい商品が発明されて、売り出しが始まったとのこと。
どういうものかと情報を集めていたところでゲシュマック商会の噂を聞き、皇女様の話を知り、好を頂きたいと思い、参った次第です」
「美髪液についてはシュライフェ商会が扱っていますよ。ここは食料品扱いの店なので」
「存じております。今回は祭りでおっしゃっていた生の油の作り手を紹介しようと思いまして…。カージュ」
シュライフェ商会に私が美髪液の作り方を売ったことまで知っているのかな、と思ったけれど、そうではないようだ。
私が祭りでオリーブオイル欲しいと騒ぎ、ゲシュマック商会を名乗ったから新しい商圏の開発にやってきたという所なのだろうか?
で、もう一人。三十代くらいのショートカットの男性が顔を上げる。
「皇女様にはお初にお目にかかります。
フリュッスカイトでオリーヴァの栽培と採油を行っております、マルスリーヌ商会の代表。カージュと申します」
二度目ビックリ。
オリーブオイル販売の責任者が来てくれたよ。
「大祭が終わって間もないというのに、フリュッスカイトから呼んだのですか?」
「いいえ、実は元からアルケディウスには来ていたのです。アルケディウスの新しい食はフリュッスカイトでも人気です。
打ち捨てられていた植物が食材として値が付くと知り、集める商人も多くいます。特に雑草扱いだったナーハの種が、食油の元として高く売れたと聞き、我が商会のオリーヴァの油ももしや売れるのではないかと」
「クリームや石鹸は秘伝の材料を使うのですが、それの精製には非常に手間がかかりまして油は多量にあっても使い切れない事が多いのです。
ですから新しい販路が開けるなら手伝おうと思いました」
ごくり、と喉が鳴る。
オリーブオイルは欲しい。本当に、心から欲しい。
ただ、相手は他の国のしかも移動商人ではない、地に足を付けた商会だ。
取引は、慎重に…。
「商品を、見せて頂けますか?」
「はい、こちらでございます
指しだされた瓶はコルクのようなもので蓋をされている。
溢さないように注意深く香りを嗅ぐと華やかで気持ちのいい、そしてどこか懐かしいオリーブの碧の香りが立ち上る。
「これは…とても素晴らしい油、ですね」
色も、正しくエメラルドグリーン。
見惚れる程に美しい。濁りも欠片もない。
「これは、バージンオイルですか?」
「え?」
「あ、ゴメンなさい。一番搾りですか?」
向こうの呼び名では通じないだろう。言い直した私にはい、とカージュさんは頷いてくれる。
「はい、摘み取った品物を丁寧に叩き、揉み込みゆっくりと油をしみださせた極上品です。
これは各国の王族皇族などに献上する美容品に使っております」
説明が納得の品質だ。向こうならエクストラバージンクラス。
これを料理に使うとしたら相当気合い入れないと勿体ない。
「で、こちらが少し劣る品。一般向けに販売しているのはこちらです」
あ、うん。こっちは普通のオリーブオイル。
それでもいい品だ。これでアヒージョなんか作ったらきっと最高だろう。
「これは、どの程度用意できるものですか?」
「え? お取引いただけるのですか?」
カージュさんは眼を瞬かせている。
商談に来た筈なのに、自信が無かったのだろうか?
慎重に相手を見定めて、とも思ったけれどこれだけの品物を作れるのだ。
丁寧な仕事をする商会なのは間違いない。
「ええ、もしこちらに販売して頂けるなら、量不問で全てゲシュマック商会が引き取ります。
こちらの一般向けと言われているものは化粧品用に降ろしている得意先と同じ金額で。
最高級品の方は倍額で引き取ってもいいと思っています」
「本当に?」
「ええ。このオイルがあれば最高の料理ができるのです。リードさん、厨房からパンと小皿を借りてきて貰えませんか?」
「解りました」
直ぐにリードさんと一緒に、料理長のラールさんが戻ってきた。
言われた通り、パンと小皿をもって。
多分、新しい食材と聞いて我慢できなくなったのだろう。
ラールさんに頷いて、私は最上級品の蓋を開け、エメラルドグリーンの液体をとろりと小皿に落とした。
柔らかいパンに、ぎゅっと油を押し付けると口に運ぶ。
「あっ!」
カージュさんが手を伸ばして止めかけた。
多分、彼らにとっては食用ではなくて心配してくれたのだと解る。
でも
「うーん、凄い。こんな素晴らしい味になるなんて」
私は頬を押さえた。うっとりと唇が緩むのを止められない。
濃厚なのに、さっぱりとしていて油を食べているというのに臭みも油っぽさもまるで感じない。爽やかな旨みと碧の香りが口いっぱいに広がる。
「どうぞ、試してみてください」
私の言葉にラールさんとリードさんが恐る恐る。
カージュさん達も戸惑いながらではあるけれども、同じようにパンにオイルをつけて口元に運ぶ。
と同時、彼らが目を見開いたのが解った。
驚愕と感嘆。
声にならない感動の吐息が口元から零れていくのが見えるようだ。
「ただ、パンにつけただけで…このような」
「この油自体が一つの完成された料理のようですね」
「オリーヴァの油は、これ程までに美味だったのですか?」
「自分で作っていても気付いていませんでした」
「単品でもこれですが、料理に使うと本当に素晴らしいのです。
量を入れて頂けたら、振舞わせて頂きますよ」
「…本当に皇女様が料理をなさるのですね」
驚くところ、そっち?
オリーブオイル味ではなく、と思ったけれど、ちゃんとオイルの味にも驚いてくれてはいるようだ。
カージュさんとリードさんは話し合ってあっという間に商談がまとまる。
「国に戻り次第、在庫を確認してお持ちします。冬になる前に第一陣をお届けできるかと。
私が責任をもってお届けしますのでオリーヴァの油を使った料理、というものを振舞って頂けるでしょうか?」
「勿論です。楽しみにしていますよ」
その後、本当に、多分行って、戻ってのとんぼ返りでカージュさん達は空の二月の終わり、第一陣のオリーブオイルを持ってきてくれた。
約束通り、私はアヒージョ、ラタトゥイユ、ブイヤベースと最強、オリーブオイル三銃士でお出迎えすると、二人だけではなく、同行してきた商人達も目を向いて感動していたっけ。
新年からの正式取引を改めて契約して、私達はオリーブオイルを手に入れる。
どうやら、来年からは諸外国との取引も本格化しそうだし、私達の計画もそろそろ次のステップに進む時なのかもしれない。そう思った。
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