魔性の数は圧倒的に多く、天地を埋め尽くすほどの数に見えた。
収穫間近の稲穂は獣型の魔性に踏み荒らされて無残な状態。
そんな様子を眼下に見下ろして。
「もしかしたら怖気づいたのかと思いましたよ。
良かった。来て頂けて。
あと少し遅れていたら八つ当たりに、この辺の精霊を喰らいつくして帰る所でした」
悠然と目を細め、魔王エリクスが私達に微笑んで見せた。
黒い、蝙蝠のような翼、頭に生えた黒い角。
金の髪、碧の瞳は王子様のようだけれど、その姿は人が想像する魔王そのものだ。
魔王になって二年以上。悪人の笑みが板について来たな、とどうでもいいことを思ってしまう。
「エリクス!」
「マリカ皇女も来て下さったのですね。これは好都合。
ここで、貴女を捕らえることができれば、主もさぞ喜ぶことでしょう」
「させるか! ソレルティア!」
「は、はい」
前に進み出たリオンの身体をした魔王が、エルーシュウィンの短剣を抜き放つ。
カレドナイトの蒼光が煌めくと同時、彼は後ろも見ず、私達と共に身構えるソレルティアに強い口調で『命じ』る。
「フェイの師なら、風の術で奴のいる周囲の空気を乱せるな?」
「できます」
「なら、やってくれ。奴が地面に落ちた後はカマラと一緒にマリカの護衛に専念。
マリカは後方で怪我人の治療をしてろ。絶対に前に出て来るな」
「解りました」
「うん」
「エルディランドの騎士は、密集して目の前の敵を確実に減らしていくことに集中して無理はするな。この数だ。殲滅は不可能。俺が魔王を斃すか引かせるまで、持ちこたえるんだ」
「は、はい!」
魔王と合流するつもりであったとしても、リオンとしての軍歴やアルケディウスに泥を塗るつもりは無いらしい。
指揮官として的確な指示を出す姿は頼もしい。
「後方の指揮は大王にお任せする」
「解った。無茶はされぬように」
「ソレルティア!」
「はい。エイアル・シュートルデン!」
「おっと!」
風系の最高呪文の一つ。
巨大竜巻が空中に立ち上がり、魔王に向けて空中の小型魔性を巻き込んで向かっていく。
勿論、大きいだけに動きはちょっとゆっくり。
直撃を喰らうようなことは、仮にも魔王。無かったけれど空中には浮かんでいられなくなったようで地面にひらりと、舞い降りた。
そこに弾ける、剣戟の光。
間に塞がる敵を一気に飛び越して、魔王の懐に飛び込んだリオンの短剣を、エリクスが受け止めたのだ。
「貸しは返してもらうぞ」
「そうは言われても、私も簡単にはい、どうぞ。と返すわけにもいきませんので」
風を裂き、空気を割るような二人の戦いに、周囲が空白になる。
前もって言い含められているのか、それとも近づけないのか。
魔性達が二人の戦いに割って入る様子はなく、彼らは田畑を乱していく。
彼らが動くにつれ、田畑や踏み荒らされた作物から白い靄のようなものが立ち上がっていくのはおそらく、精霊の力が奪われ、食われているということなのだろう。
「スーダイ様。無理はしないで。でも、できる限り魔性は倒して下さい。
彼らを斃せれば倒しただけ、奪われた精霊の力が、大地に戻る可能性があります!」
「解った! 怪我人は下がってマリカ皇女の元で治療を受けろ。
動ける者はさっき、リオン殿が言った通り、密集して隙を作らず、敵を減らすことに専念するのだ!」
「はっ!」
残されたエルディランドの部隊もスーダイ大王様の指揮で、崩れかけていた戦線を立て直し、着実に敵の数を減らし始めた。
不老不死の人は便利だ。傷を負っても多少の怪我なら後ろで安静にしていれば、直ぐに塞がっていく。
「姫君、こいつ、かなりの重傷なんです」
「本当ですね。動脈を傷つけられたのかも。動かないで。静かにしていて下さい。今、傷を塞ぎます」
かなりの重傷者には、私が治癒の術を施して傷を塞ぐ。
「おお! 凄い」
「流石『聖なる乙女』」
「ありがとうございます」
「無理はしないで下さいね」
私が傷の治療ができることは、先代大神官襲撃の時に各国にバレているし『神』から授かった大神官の力、で言い訳がつく。
今は、命優先。
『マリカ!』
「あ。『精霊神』様。いつおいでに?」
怪我の治療の合間を待つように、ぴょん、と私の背中に白い短耳兎が飛び乗ってくる。
プラーミァの精霊獣とよく似ているけれど、額の石は黄色。
エルディランドの『精霊神』エーベロイス様だ。
『その辺の話は後だ。そろそろ奴らが動き始めるぞ』
「奴らって……」
『魔王共だ。あいつらはリオンを連れ去る為に攻撃を仕掛けてきたのだろう?』
「あ、はい。……でも、魔王に戻られると困るから、こちらで封印してくれって言われてるんですよね」
『そうなのか? そんな会話では無かったぞ』
エーベロイス様が、私の額にこつんと額をつけると、頭の中にビデオのように映像が浮かび上がる。
剣を合わせる二人の、私達に聞こえない会話。
「マリク様、ですね? 『神』の命によりお迎えに上がりました。直ぐに戻られますか?」
「そうしたいところだが、観客が多すぎる。簡単に負けて連れ去られてはアルケディウスやマリカ、こいつの功績に泥を塗ることになる」
「もう戻ることは無いのに律儀な事で。『勇者』が板についていますね。
どちらにしても『神』の御心に添えばこの大陸はほぼほぼ終わりでしょう?」
「それでも、だ。『神』は『星』の子らの滅亡までは望んでいない。心の支えは少しでも残していきたいのだ。マリカとフェイは後で迎えに行く」
「……解りました。適度と思われるところで、やられたフリをお願いします」
フッと映像が切れる。適当な所まで戦いを続け、やられたフリをしてエリクスに連れていかれるという形か。
エリクスは魔王の帰還を望んではいない筈だけれど、今の会話では『神』の命令で迎えに来たと言っていた。
『神』の下請けである彼らは、『神』に表立って逆らう事は出来ない様子。
どういう筋書きなのだろう。
確認する術はない。
私は状況分析に入る。
フェイがいれば彼に任せておけばいいのだけれど、いないのであれば、私がやるしかない。
戦況全体は、特に大きな問題はない。このまま堅実に戦えばよほどのイレギュラーが無い限りは壊滅的な敗北は避けられる筈。
ただ、リオンと私達の間が開きすぎている。
もし、怪我をするフリをしてエリクスが連れて行く予定なら、ちょっとまずいかも。
何かあっても、追えない……。
あ、大丈夫だ。ソレルティアがいる。
「ソレルティア!」
「何ですか? マリカ様」
「リオンとエリクスの戦いが動いたら、直ぐにリオンの側に転移して、リオンを強引に連れ戻して」
あの剣戟の中には素人が割って入れないけれど、リオンがやられたフリをして魔王に囚われようとするのなら、やられる前か、後、一瞬の隙が出来る筈だ。
「エーベロイス様。兵士さん達の援護をお願いできますか?」
『解った』
「スーダイ様。『精霊神』様がお力をお貸し下さるそうです」
「本当か! 皆、聞いたか? 我々には『精霊神』と『聖なる乙女』の加護がある。
国を乱す魔性など、打ち払え!」
スーダイ様の檄に応える様に精霊獣が柔らかな土色の光を放ち始める。
兵士さん達をうっすらと包むような淡い空気のヴェールは防御力アップのバフなのかもしれない。
これで私やソレルティアが、少し別方向を向いてもきっと大丈夫。
「ソレルティア。危険だと思うんだけど……できる?」
私がソレルティアを祈るように見上げると、彼女は自信に満ちた笑顔で頷いてくれた。
「お任せ下さい。絶対にリオン様は奴らに渡しません。
私は、その為に付いて来たのです。
事情は聴いていますし、何より約束しましたから」
「約束?」
「いえ。こちらの話で。その代わり、マリカ様はこちらにお残り下さい。一瞬の勝負になるので、マリカ様を構っていられなくなります」
「うん」
「カマラ、マリクの言い分では無いですが、マリカ様を絶対に前に出さないで」
「かしこまりました」
本当は、私がリオンを連れ戻したいけれど、私は単独での転移術は使えない。
逆にエリクスの側に行って、人質に取られたりしたら大変だ。
頷き合い、タイミングを見計らう為に、リオンとエリクスの方に視線を向ける。
正に、その瞬間だった。
「え?」
距離は結構離れているのに、何故かはっきりと見えた。
声まで聞こえた気がした。
「な、何故……。マリ……カ?」
「貴方に、帰って来て頂くと色々と、困るのですわ」
背中にナイフを突き立てられ、崩れ落ちるリオン。
そして返り血を浴びながら、恍惚の笑みを浮かべる『私』の姿が。
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