晩秋の夜。
星の小鳥。
燕と雲雀が同じ巣の中で、身を寄せ合って眠った夜。
眠れない夜を過ごしていた者がいた。
夜風冷たいバルコニーで、一人空を仰ぐ魔術師に
「心配なのは解りますが、邪魔はしないであげて下さいね。
マリカ様には今、どうしてもこの時間が必要なのです」
そんな、静かな声がかけられた。
「エルフィリーネ」
振り返った少年はそれ以上応えることなく視線を戻すと眼下を見つめていた。
星に愛された精霊二人。
彼らをどこかに隠した静かで優しい夜の森を。
置いて行かれた者同士の密やかな会話。
精霊達の内緒話。
「お二人のことはご心配なく。
彼もついていますし、アルフィリーガが側にいれば、マリカ様にとってそこは世界で一番安心できる居場所ですから」
「解っています。マリカが危険に襲われるとか、リオンがマリカを連れ戻せないとか、別にそんな心配はしていません」
「その割に表情が冴えませんね。お二人が『先』に進んだことが不安ですか?
また置いていかれるのではないか、と。シュルーストラム」
少年は微かに目を瞬かせた。
彼女、この城の守護精霊は自分に話しかけに来たのだと思っていたのに違ったのか?
その疑問に応えるかのように、少年の中から杖は飛び出し、その手の中で淡い映像を浮かばせる。
『お前は、何を知っている。何を隠している。エルフィリーネ』
「何をとは何でしょう?」
小首を傾げる銀の精霊に、杖から現れた精霊は不機嫌さを隠そうともしない。むしろ露わにしている。
『アルフィリーガとマリカの成長と、封印の件については別にいい。
いずれ、辿り着く事、それが少し早まっただけだからな』
「ちょっと待って下さい。シュルーストラム。別に良くはありませんよ。
今回、マリカに何が起きたのか。そして二人の行く先、終着点に『精霊達』は何を見ているのか?
僕は知らないし、知りたいのですから」
「今回のマリカ様の異変は、マリカ様が『星』に忠実な『精霊の貴人』であった為に起きた機能不全です」
「え?」
「以前、アルフィリーガから聞いたことがありませんか?
星の精霊が創造主によってかけられる設計理念を」
「設計理念……」
魔王城の守護精霊の言葉にフェイは大聖都から戻ってきた時に聞いたリオンの『告白』を思い出していた。
自分は『神』に作られた『精霊』であり内に別の人格を宿していると。
血を吐くような、でも自分達を信頼してくれたあの告白。
確かその中にあった。『神』にかけられた魂の制限。逆らう事のできない絶対命令の話が。
『人を殺めるな』
そんな命令がマリカの中にもあって、ソルプレーザの『死』に反応した、ということなのだろうか?
「『星』はマリカ様に実際はアルフィリーガ程の制限をかけておられないのですが、それでも我が罪のように感じてしまったのでしょう。
アルフィリーガが言った通り、生真面目で責任感が強くていらっしゃいますから」
『主』を語るエルフィリーネの面差しは自慢の我が子を語るようですらある。
「ラスサデーニア様が側にいて、解除して下さって助かりました。再起動によって一時的に低下する筈だった能力もサークレットによる接続のおかげで逆に補充も叶い、封印の一つも外れ、増加しましたから」
「……貴女の望み。マリカの『精霊の貴人』覚醒にまた一歩近づいた。と」
「そうですわね。それに伴い、私のことを警戒するようになってしまわれたのは寂しいことですが、さほど気にはしておりません。
反抗期は子どもなら誰しもあることですから」
静かに微笑む魔王城の守護精霊の瞳には余裕が見える。
彼女は確信しているのだろう。紛れもなくマリカはいずれ魔王城に帰って『精霊の貴人』になると。
それは確かに、どうでもいい。とフェイは思った。
マリカが望まないのに強制するつもりなら大恩ある魔王城の守護精霊相手だろうと敵に回す覚悟はあるが、二人は、特にリオンはもう完全に心を決めているから。
あらゆる存在からこの『星』を守る『精霊の獣』として『星』に命の循環と未来を取り戻すと。
例え『創造主』と戦うことになったとしても。
マリカはリオンに間違いなく手を貸す。
なら自分はリオンに、二人に着いていくだけだから。
けれど
『だが『星』はまだ我らにも隠していることがあるのか?』
「隠していること?」
どうやら、今、胸の中に生まれているもやもやとした思いは、自分だけのものではなさそうだとフェイは気が付いた。
『『王』の杖の記憶だ。水国で気付き、木国で確信した。
我らは国の王に仕える為に作られた『王』の杖。
それなのに、何故我らは三本だけ、国から離れることになった?
我らが生まれた事情、国から離れた理由、消された記憶に意味があるのか?』
きっと半分は自分の杖。シュルーストラムのものだ。
彼と自分は繋がっている。
同じ何かを分け合っているのだから。
「貴方達三人が、国を離れることになった事については、理由はあります。勿論。
でも……」
「相変わらずそれを告げることはできない……か? 同じ『精霊』同士であるというのに」
「求められ、創られ、与えられた用途が違うのです。私達は」
『私達? 私と『精霊神』は違う。それは明確に解る。彼らは我らの創造主であり、明確な上位存在だ。あの方や、アルフィリーガ、マリカも違うのは解る。彼らは我々とは全く違う役割を期待して創られた。
だが『私』と『お前』は何が違う?
同じ上位存在に作られた『モノ』ではないのか?』
「私は同じですが、違うのです。貴方達の上に立つ存在ではない。
同じように作られた『モノ』ですが、私は自立思考を与えられた中継機。
今となってはアルフィリーガとマリカ様のように同型機もない。
『星』と『精霊』と『人』を繋ぐ為のただ一体の補助端末なのですから」
意味が解らない。けれども、どこか聞き覚えのある言葉が混ざって聞こえた。
フェイは考える。
見たものであるのなら、自分はなんでも記憶している。忘れない。
でも聞いたことに関しては朧になることもある。
いつだ。どこで聞いた。聞こえるのに理解できないこの言葉は?
『なら、中継機であるお前に問う。『星』は『精霊神』は『神』は。
『精霊』に何を望んでいるのだ』
「それは、勿論ただ一つ。
この星に生きる子ども達を守ることです。マリカ様にもアルフィリーガにも、望んでいることは同じ。『精霊』は全て、子ども達を守り、幸せに生きる手助けとして作られました」
『ならば、私がここに在ることも、間違いではないのだな?』
「ええ。貴方が国を離れ、ここに在ることも『星』の意思。
王の杖として、国にあるよりも大事なことがある、と託されたのです。
貴方は貴方が信じるとおりに、自らの役割を果たして下さいませ」
『ならば、良い。どこであろうと私は、私が選んだ主と共に自らの役割を果たす。
それだけだ』
「はい。それをこそ『星』も『精霊神』も貴方に望んでおられます」
口論にも似た会話の後、どうやらシュルーストラムは一つの納得を得たようだ。
どこか満足げな精霊を見てフェイは思う。
自分には解らない会話、解らない事ばかりであったけれど、この会話を自分のいる前で、精霊達がしたということに、きっと意味はあるのだろう。
「次にマリカ様が行かれるのはシュトルムスルフトだと聞いています。
『風国』。貴方の生まれ故郷にして生みの親でもある『風の精霊神』が待つ国です。
そこで、おそらく僅かではありますが、貴方の悩み、思いに答えが出ることでしょう。『精霊神』も貴方と貴方の主の帰還を心待ちにしている筈です」
「主の帰還?」
「ええ。きっと『風国』の帰還は貴方達にとって大事な何かを見つける旅となるでしょう」
「シュルーストラムの故郷かもしれませんが、僕にとっては関係ありませんよ。
僕の居場所はこの魔王城。もっと言えばリオンとマリカの側ですから」
くすり、と小さな音がする。
その意味にフェイが気付くより早く魔王城の精霊はごめんなさい、と微笑んだ。
「そうですね。ごめんなさい。
貴方達が帰ってくるのを私は待っております。
この城で、いつまでも……」
静かな言葉を残し、魔王城の守護精霊は姿を消す。
静寂のバルコニーに残るのは自分と、自分の魔術師の杖のみ。
そして知らず彼は手力を籠める。しっかりと自分の杖を握りしめていた。
『巻き込んで悪かったな。フェイ』
「いいえ。僕を置いていかないでくれてありがとう。シュルーストラム。
きっと、僕も同じ思いだったのです。苛立っていた。
今までとは違う何かに目覚めた二人。
彼らの目指す先が、思う願いが、行きつく場所が僕とは違う気がして。
置いていかれそうな気がして」
『私もそうだ。国を守る杖達を見て気が付いてしまった。
自分はなぜ、ここにいるのだろう。ここにいていいのだろうか、と。
己の存在意義を見失った道具は弱いな』
「いいえ。君の存在意義はここにあります。僕の杖としてリオンとマリカを助けること。
それ以外に意味が、理由がいりますか?」
『いや、いらぬな。それこそがこの星にとっての最重要事項だ』
「ええ。だから、これからもよろしくお願いします。シュルーストラム。僕の杖」
『ああ。よろしく頼む。フェイ。我が主』
彼らは並んで眼下を見る。
深い闇に沈んだ森のどこかに、今、二人はいるのだろうか?
『魔王城の守護精霊の言う通り、今は待っておくのが吉だろう。フェイ。
邪魔をする者は馬に蹴られるぞ?』
「なんです? それは? でも邪魔をするつもりはありませんよ。
ただ睦まじい二人を見れないのは残念だな、とちょっと思うだけです。
僕は、あの二人が一緒にいるのを見ているのが幸せなので」
『見ているだけでいいのか?』
「はい。二人の仲に入ろうとも、邪魔をしようとも思いません。
大祭の時はいい所で邪魔をされてしまいましたからね。幸せな二人を側で見ていたい。
そう思うだけですよ」
不器用な子どもである二人がそんなに簡単に前に進むとは思っていない。
二人の分析に関して自分には誰にも負けない自信がある。
勿論、予想を裏切って前に進んでくれれば、それはそれで嬉しいことではあるけれど。
『戻るぞ。明日からまた忙しくなる』
「そうですね。戻りましょうか。二人はきっと朝には戻ってきますから」
『気付かなかった振りをしてやれよ』
「解っています」
『風国』についての話はしない。
自分のやるべきことさえはっきりしていれば、どうでもいいことだから。
二人は自分の居場所へと戻っていく。
自分達は星の精霊と、魔王城を守る魔術師。
そしてその杖。
己の存在意義を、しっかりと胸に刻んで。
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