保育士という職業は、小学校と並ぶ究極の総合職だと思っている。
とにかく浅くても広い知識と技術が求められるのだ。
日本舞踊もその一つ。
発表会や、敬老会などに子ども達に教える為に、少し勉強した。
五歳くらいの女の子には礼儀作法の一環として日舞を教えている園もあったりするし。
「指は真っ直ぐ。背筋を伸ばして…俯いてはいけませんよ」
その時の先生と、ティラトリーツェ様が同じことをおっしゃるのを聞いて、人の生み出す技術というものは異世界であってもあまり変わらないんだなあ。と実感した。
仕事と、旅行の準備の合間、私はティラトリーツェ様から、大神殿に奉納する舞の指導を受けていた。
基本の所作を覚えた後は、自分でアレンジするものなのだそうけれど、私はそもそも、基本の所作を知らないので一から教えて頂いている。
王族、皇族、大貴族などの娘は嗜みとして踊りの練習はするものなのだそうだ。
舞踏会などのダンスと、それとは別に『神』と精霊に祈りと感謝をささげる舞を。
皇族として必須だと言われればやるしかない。
一人で踊る舞と、パートナーと一緒に踊るダンスは使う能力や気遣うベクトルが違う。
個人的に言うならダンスの方が楽しいけれど、舞の方が気が楽、というところだろうか?
ゆったりとした足さばき、手の伸ばし方、手首の返し、視線と指先へ気を遣う事。
これは本当に綺麗に舞う為には反復練習あるのみ、のような気がする。
「舞を舞うのは始めてですよね。マリカ?」
「はい。今まではそのような機会がございませんでしたから。
何か問題がございましたでしょうか?」
私に一通りの所作を教えていたお母様がどこか、歯切れが悪く噛みしめるように問いかけるので、私はちょっと心配になる。
「いいえ。そうではありません。安心しなさい。
まったくの素人の割にさまになっているので、どこかで体験したことがあるのかと思っただけです」
「ああ、そういうことなら、『向こう』で同じではありませんが似た精神を持つ踊りを学んだことがあるからかもしれません」
日本舞踊なども歴史をさかのぼれば神に捧げる感謝の舞などから始まっている。
祈りの一つ、神への畏怖と敬意を表したものだと学んだ。
舞は柔らかく、表現を内に込める。
礼儀の籠った仕草を、リズムに合わせて踊りに乗せる。
扇や道具を使わない手踊りだけれど、こういう伝統芸能の『心』はきっと万国共通なのだ。
自分表現する系ダンスとはやはり一線を画すると思う。
「なるほど、そういうことなら納得です。
続けますよ。所作を覚えたら、後は音楽に合わせて身体を滑らかに動かす事。
神や自然、星への感謝を込めて…」
『向こう』の言葉で察して下さったらしいお母様は、小さく頷きまた指導を始める。
同じ動きで振り付けを間違わず、滑らかに身体を動かし、踊れるかが上手な人とそうでない人の差になる。
そこら辺もきっと同じ。
ティラトリーツェ様の舞は、ちょっとした目線や手の使い方にも気が配られているのが解って、相当なレベルなのだという事がよく解る。
向こうで言うなら師範並。
見惚れてしまう程に綺麗だ。
多分、嫁いできて舞う事は無くなっても、基礎練習は怠っていないのだと思う。
ちなみに伴奏はアレクが担当。
本番では神殿の楽師さんが演奏して下さるらしいけれど、色々な意味でアレクの演奏が一番踊りやすい。
アレクは王宮の楽師さんに紹介して頂いてから、新しい歌や音楽を教えて貰い、どんどん身に着けている。
夏の戦の前、王宮で私の舞の伴奏として王宮デビューさせ、その後、夏の戦の後の舞踏会でアルケディウス全体にお披露目する予定だ。
「マリカ、何故貴女は床に座って見ているの?
体が冷えるでしょう?
「あ、すみません。なんとなく。この方が集中できるのでお気になさらず」
椅子は用意されているけれど、なんとなく向こうの習慣で正座していた。
キレイで魅入ってしまう。
私も、あんな風に踊れるのだろうか?
「まずは今のを丸暗記でいいから覚えて踊れるようになりなさい。
その後は自分なりに動きやすいようにアレンジして構いませんから」
「はい」
ティラトリーツェ様の舞に合わせて、同じように身体を動かす。
振り写しそのものは苦手じゃないから大丈夫。
曲を覚えて三回も見せて貰えれば同じ動きの繰り返し。
頭に入る。
「あら、覚えが早い事」
向こうの保育士時代、振り付けは早く覚えて教えないといけなかったから衣装作り程時間はかけられなかった。
ただ、舞とかダンスというのは振りを覚えてからが本番とも言える。
同じ仕草もプロと素人ではまったく違う。
動きの滑らかさとか指先に乗せる思いとか。
それを自分が身に着ける為には反復練習あるのみなのだ。
でも
(なんだか楽しい!)
こんなに、ただ踊ることだけを楽しめるのは久しぶりな気がする。
前の社交ダンスの練習の時はパートナーであるリオンの足を引っ張らないように、踏まないようにするのが精いっぱいで楽しむどころではなかった。
若い身体は運動神経も良くって、比較的思い通りに動いてくれるし練習するごとに自分が上手くなっていくのを感じる。
自分がどんなに頑張っても最終的には子どもがやる気になってくれるがどうかの発表会に比べると、気持ちの上で凄く楽で楽しかった。
二刻程練習して、とりあえずティラトリーツェ様の舞を覚えてなんとか最後まで舞えるようになった頃(上手に踊れているかは別。まだやっと覚えただけだから)
「あれ? お母様?」
私はティラトリーツェ様の私を見る目が変わっている事に気付いた。
深く考え込むような、私の内面のさらにその先を見ているような…。
なんだか、怖いくらいにマジだ。
「何か、私、失敗でもしましたか?」
「…そうではありません。ただ…」
ティラトリーツェ様が考えを巡らせているのが解る。
いくつもの案を考え、検討し、一番いい方法を探している。そんな感じだ。
微妙な沈黙が続く中、やがて結論が出たのだろう。
大きく息を吐き出してティラトリーツェ様が私を見る。
「マリカ。明日は調理実習がありますね?」
「はい」
「ではその後、残りなさい。
其方に、本当の『奉納舞』というものを見せてあげましょう」
「え? 本当の奉納舞、ですか?」
小首を傾げる私にティラトリーツェ様が頷く。
表情に漂う明らかに不承不承、という感じ。
「ええ、私の舞は所詮500年前で止まっていますからね。
多少なりとも努力は続けているつもりですが、技術というものは使わなければどうしても錆びるもの。
私は今の自分が優れた舞手であるとは思っていませんよ」
私にとってティラトリーツェ様の舞は十分、うっとりするくらい美しいお手本だったけれど、あれで妙手じゃないと言われるのなら本当の名手、妙手というのはどういう人物なのだろう?
「ですから、少なくともアルケディウス一の舞手の舞う『奉納舞』を見せましょうと言っています。
貴女はまだ若いし、かなり伸びしろがあるとみています。
私では無く、貴女にはそれ以上の舞を手本、目標として稽古をして欲しいですから」
なんだかんだでプライドの高いティラトリーツェ様が、アルケディウス一の舞手というのは一体? 踊りのお師匠さんでもいるのかな?
「借りを作って調子に乗らせるようで、あまり気は進みませんが、其方の為です。
呑み込みましょう」
「?」
とりあえず、その日の練習はそこで終わりになった。
練習の後は店に行ったり、翌日の調理実習の下準備をしたりと大忙しだったので、踊りの事はケロッと忘れてしまう。
思い出したのは翌日の調理実習の給仕中。
「食事の後を楽しみにしてらっしゃい」
アドラクィーレ様に微笑まれ声をかけられた時だった。
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