翌日、朝一で第三皇子の舘に向かった。
ティラトリーツェ様の兄でプラーミァ王国の国王 ベフェルディルング様に、食料品扱いの事で話がある、と呼ばれたからだ。
ガルフと私、名指しで。
プラーミァ国はお砂糖と胡椒の産地。
食料扱いをしていくなら、機嫌を取らないといけない相手でもある。
昨日、全開で生意気を言ったので気が進まなくはあるのだけれど、今日の昼過ぎにはお帰りになるというから行かない訳にはいかない。
ティラトリーツェ様に頼まれた分と、店からのお土産としてクッキーやパウンドケーキ、比較的日持ちのする焼き菓子を手土産に伺う事になったのだ。
「来たな。リュゼ・フィーヤ」
「うわあっ!」
館に辿り着いた途端。
エントランスで私は兄王様に見つかって、ひょい、と猫のように服の首根っこを掴まれ、持ち上げられてしまった。
そのまま子どものように抱き上げられてしまう。
いや、私、子どもだけどさ。
誰かを抱っこすることはあっても、抱っこされたのは意識が無い時リオンがしてくれたくらいで、大人にこんなに高く持ち上げられたことは無い。
身長2mの抱っこは高くて怖い。
「昨日はよくも私の邪魔をしてくれたものだ。
おかげでティラトリーツェを国に連れ帰る予定が台無しだ」
ワザとらしく怒ったようなふりをしているけれど…ふむ。
「予定通り、の間違いではないのですか?」
私の囁きにピタリ、と兄王様の動きが止まった。
さっきまでの冗談交じりの笑みが消え、刺すように真剣なものに変わる。
「…何故、そう思う」
否定しない時点で肯定しているようなものだけれど、真剣な問いだから私も真剣に応える。
ガルフは、抱き上げられた私に最初は驚いていたけれ、今は家令さんに声をかけられ持ってきた土産物について話をしている。
ティラトリーツェ様達も、直ぐに出てくるだろう。
話をするには今しかない。
「兄王様の本当の訪国の目的は、皇王陛下や皇王妃様、そして皇子妃様方に圧力をかける事であったのではないかと。
今度、同じことをしたら許さぬ、と」
「だから、何故そう思うと聞いている」
「兄王様ともあろうお方がティラトリーツェ様のお気持ちが解らない筈はないですし。
無理に連れ帰ってもティラトリーツェ様が大人しく言うことを聞く筈も、ジッとしている筈も無い事くらい私等よりご存知だろうなと、思いました」
だから、あれは所謂脅し、だったのだと思う。
勿論、プラーミァ側の思いは本当だったろうし、連れて帰って守りたいという気持ちも真実だったのだろう。
でも、ライオット皇子にベタボレのティラトリーツェ様が、国に帰って皇子と離れて子どもを産めと言われて、はいという事を聞く筈はない。
もしかしたら貴族社会で、家長の命令。
いう事を聞くかもしれないけれど、ティラトリーツェ様は幸せじゃない。
なればこそ、きっとこの方はアルケディウスからティラトリーツェ様を連れ出すつもりは無かったのだ。
あの宴席での行動は、今度こそ、ティラトリーツェ様と子どもを、守れ、という、抗議であり脅しであったのだと私は思う。
「私が、反対しなかったら、逆にどうなさるおつもりだったんですか?
本当に連れ帰るおつもりでは無かったのでしょう??」
私が反論した時、王様の紅い目が一瞬、嬉しそうな光を宿した。
我が意を得たり、というような。
私のような子どもがやってくるとは思わなかったろうけれど。
ティラトリーツェ様自らの反論か、皇王陛下が頭を下げるか。
とにかく、反論されるのを待っていた、というような感じがしたのだ。
「………そう言う所が、賢しいフィーヤだというのだ。お前は…!」
「ぎゃああ、いたい、いたいですうう!」
私の返事には応えずだっこしたまま、右手で頭をぐりぐりする兄王様。
ちょっと、痛い! 本気で痛い!
そもそもフィーヤってなに?
昨日も言ってたけどさ。
「まあ、何をしているのです? お兄様!」
「別に、何もしていない。ちょっとしたスキンシップを取っていただけだ」
私の来訪に気付いて出て来て下さったらしいティラトリーツェ様は駆け寄り、兄王様の腕から取り返した。
ぴたりと、ティラトリーツェ様に貼りつき、後ろに隠れる。
兄王様もすんなりと私を離して下さったけど、あれはスキンシップというにはハードだと思う。
うー。まだ、頭痛い。
「ごめんなさいね。マリカ。
お兄様はああ見えて悪戯好きで…」
「いえ、それは解りますけど…」
「解るとはなんだ? 解るとは! まったく生意気で、小賢しいフィーヤだ。ミーティラの言った通り幼い頃のお前にそっくりだな」
「ティラトリーツェ様 リュゼ・フィーヤってなんですか? プラーミァの言葉だったり?」
「あら? お兄様が、貴方の事を、リュゼ・フィーヤ、と?」
ぷん、と拗ねるように顔を背ける兄王様と私を見比べて、ティラトリーツェ様はクスクスと笑い始める。
私の質問に返事はして下さらない。
解せぬ。
「まあ、それは後で。
マリカ。悪いけれど、お兄様と食の方の話をお願い。
お兄様は今日の昼過ぎにはおかえりになるの。頼んでおいたお土産の方は持ってきて下さったかしら?」
「はい。それはさっき、ガルフの方から既に家令さんに」
「ありがとう。お兄様? 『新しい食』について気になるのならちゃんとご自分で交渉して下さいませ」
「解っている。ティラトリーツェ。帰りの支度は任せた。
…フィーヤ。店主。こちらへ」
兄王様に顎でしゃくられて命じられれば、私達はついていくしかない。
勝手知ったると言う感じで第三皇子の館を先に進んでいく兄王様の後を、私達は懸命に追いかけた。
交渉そのものは普通に、スムーズに進んだ。
現在ガルフの店に委託されている砂糖と胡椒の販売権利は、前にもうっすら聞いたけど、ティラトリーツェ様がお嫁入りの際の武器になるように兄王様から譲られたものだそうだ。
プラーミァの胡椒と砂糖は全て一度、その権利者の元に集まり、その後自由に分配、販売する事が許可されている。
「ティラトリーツェも購入には対価を払っていた。
砂糖と胡椒はプラーミァの貴重な輸出品目、安くは売らんぞ」
「勿論です」
貴重で価値の高いものには正当な対価を。
一時の欲で買いたたいたりしたら正当な流通が成り立たなくなってしまう。
話し合いとりあえず、生産量を増やして頂いて、余裕がある分は全て買い取る約束をして、現在の市場価格の五割くらいで仕入、八割くらいで販売する契約になった。
仕入価格一ルーク(1ルー≒1グラム 1000ルー=1ルーク)小銀貨二枚だから二万円くらいかな。
今までその倍以上していたことを考えると手に入りやすくなったとは思うけれども高い。
向こうの世界だと砂糖1kg200円くらいだったから…いや、言うまい。
胡椒はもっと高いけど、これは歴史から見ても同じ重さの金で取引されていた時代があったくらいだから仕方ない。
安定して仕入れられるだけでも奇跡だ。
「あと、国王陛下」
「なんだ?」
「探している、木の実があるのです。このような形の実はプラーミァに無いでしょうか?」
私は木札に絵と特徴を書いたものを渡す。
「これは?」
「加工を行うととても美味な料理の元となる木の実です。固い殻に包まれ、中を開けると白いネバネバに包まれた小さな種子が30個ほど。
その種を発酵という手順で熟成させてから加工すると、濃厚な飲みものや美味しい料理にできます」
いわゆるカカオだ。
バナナやマンゴーが採れる国ならもしかしたらあるかもしれない。
香辛料の詳しい知識は私には無いけれど、カカオやチョコレートについてならマンガで見た記憶が残ってる。
「プラーミァもそもそも料理などせんから、生食できる木の実以外は打ち捨てられている可能性が高いな。
…国に戻ったら識者にでも聞いてやろう」
「宜しくお願いします。見つかったら砂糖と同レベルの金額で買い取る用意があります」
「はあっ? 正気か?」
お付きの人と木の板を胡散臭そうに眇めていた兄王様が、瞬きして顔を上げる。
「はい。十分に本気です。実験、研究が必要ですがもし思う通りにできたら十二分に元を取る自信がありますから」
この世界で、カカオ、ココア、チョコレートを作れたら結構勝ちゲーだ。
向こうの歴史が証明している。
あるなら欲しい。切に。
「………店主」
「はい」
交渉の基本を私に任せて下がっていてくれたガルフが、呼ばれて前に出る。
何だろう。
凄く、呆れたような困ったような顔をしている王様。
腕組みしながら私を眇めている。
「このフィーヤを買い取りたい。金に目を突けぬから寄越せ、と言っても売らぬな?」
え? 私?
あれだけかました私を王様が買う?
「はい。それは無論」
「では、忠告してやる。このフィーヤ、もう表に出すな。
この先、知識や技術が必要な大きな交渉は店主が全て代行するくらいでやれ」
フィーヤ、というのがなんとなく小娘、というような意味で言っておられるのかな、とは解ってきた。
でも、表に出すな?
「それは、どういう…」
「…お前、昨日も思ったが何故、アルケディウスでは知られておらぬ果物を調理法まで含め知っている?
いや、それどころか他国の気候や風土を聞いて、現地の王も知らぬ植物があるかも、などと何故言えるのだ?」
あ、しまった。
カカオ欲しさに口が滑った。
「それは…文献で知って…」
「どこの、何の文献だ。プラーミァの国王も知らぬ植物が調理法込みで本になっているならぜひ見てみたいものだ」
あううっ…。
明らかに不審なものを見る眼付きの兄王様に私は返す言葉がない。
またやり過ぎた~。
でも、私の記憶にしかない素材の説明や利用法はガルフにもちょっと説明できないし。
「ただの娘では無かろう?
どこからそんな知識や調理技術を得て来たかは知らんが、本当はティラトリーツェと一緒に、このフィーヤも一緒にプラーミァに連れて帰ろうと思っていたのだ。
娘として可愛がっているとも、腕利きの料理人とも聞いていたしな」
ぞわりと、背筋に寒気が奔る。
一国の王様に、本気を出して迫られたらゲシュマック商会なんてひとたまりもない。
「ティラトリーツェがダメなら、昨日の無礼を盾にこの娘だけでも母への土産にと思ったが、ここまで聡いようでお馬鹿なフィーヤは扱いきれぬ。
無理に連れさり下手な扱いをすれば、ティラトリーツェに嫌われるし、皇王陛下も気に入りの様子。
今回は二人の顔を立てて不問にしてやるが、気を付けろ。
今後、他国に同じような交渉を行うつもりなら、なおさらな」
「あ、ありがとうございます」
口止め料、という訳ではないけれど元々、献上する予定だったしその後、ゲシュマック商会はハンバーグや肉料理のレシピと氷菓のレシピ。
それから燻製機を国王陛下にお納めし、砂糖、胡椒の他に輸送可能な食材の輸入もお願いした。
トロピカルフルーツは無理でも、レモン…キトロンくらいなら普通の輸送でもなんとかなるかもしれない。
レモンはお菓子作りの風味づけに最高なのだ。
「それから、近いうちに王国から料理人を派遣する。
正当な価格を支払い、購入する故、『新しい食』のレシピを知らせをわが国にも広める手伝いをするように。
これは皇王陛下からも許可を得ている事である」
「御意」
今までアルケディウスだけで運用していた『新しい食』だけれども、これで他国にも受け入れられることが解った。
夏の大祭で各国で噂になっているというから、プラーミァとの契約も相まって秋の大祭ではさらに本格的な交渉が始まるだろう。
王様じゃないけれど、交渉の仕方には気を付けないと。
「プラーミァは温暖だが、湿潤。雨が多い。
ティラトリーツェに新しい食について教えられて国内を色々調べてみてはいるが、麦の栽培には適しているとは言えないようだ。
麦酒は気に入ったのだが…。北の一部でこの秋から栽培を始めるが、帰りに麦畑を視察して…。
あとは砂糖や胡椒を使い、アルケディウスと交換輸入…。
海の幸も色々と調べてみたいな…」
木札を見ながら色々とブツブツ言っている兄王様に、私はあれ、と首を傾げる。
この国にきて新しい食について知ったにしては随分と…。
それに色々事前に調べて…?
「…国王陛下恩自ら『新しい食』に着目なさっていたのですか?」
「…俺が、妹愛しさの為だけにこの国に来たとでも?」
私の疑問ににやりと愉快そうな笑みで腕組みする王様。
うわっ!
さっきまでとは全然違う顔。
この王様、被ってた猫脱いだ!
あ、もしかして、ティラトリーツェ様のお見舞いだけじゃなくって、新しい食の情報を手に入れる事が目的だったり?
「生の情報を得るには懐に入って戦うのが一番確かだからな。
秋の大祭の前に、自分の目で確かめておきたかったのだ。
概ね目的は達成したし、それに加えて…良いものも見つけた」
「良いもの…ですか?」
「ああ、…小生意気だが面白いフィーヤ。
捕まえて、連れ帰りたいところではあるが、ティラトリーツェが紐を握っているのなら逃げる事もあるまい。
せいぜい励んで、俺達に幸運を運べ」
良いもの、というのが私の事、だとは解った。
リュゼ・フィーヤ、というのが固有名詞で何かを表しているのも解った。
どういう意味か、まだよくは解らないけれど。
でも
「リュゼ・フィーヤ…。
いや、マリカ。ティラトリーツェを頼んだぞ」
そう微笑む兄王様の思いは真実だと解るから。
私は深く頭を下げた。
「はい。私にできる全力で、ティラトリーツェ様とお子を守ります」
と。
流石にお帰りになる兄王様のお見送りは許しが出なかった。
色々と警備とかの関係もあるのかもしれない。
ティラトリーツェ様に
「王様がおっしゃっていたリュゼ・フィーヤってどいういう意味ですか?」
と聞けたのも日を改めた後のことだ。
「私の、子ども時代のあだ名、のようなものなの。
その名で貴女を呼ぶなんて、お兄様は随分貴方を気に入った様ね」
と笑っておられた。
ガルフは良く知らなかったけれど、後で、フェイに聞いてみたら
「直訳すると『幸せを運ぶ小精霊』というところでしょうか?
家や家族を守る小精霊。
自然の精霊とは違う、…そうですね。エルフィリーネのミニ版だと思うといいと思いますよ」
だって。
日本で言うなら座敷童?
私は小娘、とか、チビ猫。とかだと思ってた。
「思い通りにならないことををフィーヤのイタズラ、という事があります。
でも一般的には自分の害になる存在をフィーヤとは呼びません。
自分達に益を為す、守ってくれるそう言う存在だと思っている、ということですね」
「精霊の古語で、リュゼは『幸せ』『幸運』という意味がある。
あだ名としては極上の部類だな」
と、言ったのはリオン。
そう言えばプラーミァも精霊の信仰が強い国、だって言ってたっけ。
ちなみに兄王様の名前は『獣の王の牙』転じて獅子の牙、という意味があるんだそーな。
「皇王陛下達も、多分フィーヤ、と兄王様がマリカを呼んだのを聞いて、悪い様にはならないと放置したのでしょう」
「大人が言うよりも子どもの我が儘ということにしておけば、角も立ちにくい。
ライオも感謝してたぞ。自分が言うよりも丸く収まってくれたってな」
「…ただ、気を付けて下さい。
生意気だが有益な子ども、という意味で言ってくれていたのならいいのですが、マリカに自分達とは違う、何かを感じて『小精霊』と呼んだ可能性もあります。
兄王陛下の忠告ではありませんが、外の、特に権力者との会話は慎重に」
「うん、ありがとう。気を付ける」
私の暴走も、手のひらの上だったとかなあ、と思うと国を率いる王様達の器の大きさを感じる。
ホント、まだまだだ。
でも、王様と会って私も覚悟というか、腹が座った。
ティラトリーツェ様の、出産介護。
ちゃんと引き受けよう。
そして、ティラトリーツェ様が家族の元で、安心して子どもを埋めるように全力を尽くすのだ。
兄王様とも約束したもの。
大事な、家族の為に。
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