一目見て、リオンではないことは解った。
同じ体を使っていても、仮にも夫になる人物を、見間違えない自信はある。
色々とあったし。
彼も多分、解りやすくしてくれている。
闇色の髪は同じだけれど、両目がグリーン。精霊の色。
纏う雰囲気も明らかに。
「マリク?」
「はい。マリク・アルフィリーガ。ここに。
お久しぶりです。父上。そして……初めまして。母上」
「……そうね。貴方とは初めまして。ね。マリク。
そしてごめんなさい。
私は、貴方の意志も聞かず、貴方を封じ込め、リオンを作るように命じたから……」
リオンの身体をした『神の息子』マリクはそう言って、両親の前に膝を折った。
床上のタブレットと、子猫に頭を下げる姿は何も知らなければシュールに見えるだろうけれど、私には我が子を前に罪悪感を浮かべた表情の星子ちゃんと神矢君が見える。
「いいえ。母上」
そして、すまなそうに項垂れる子猫の謝罪にマリクは静かな笑みを浮かべ首を横に振った。
「少なくとも私はあの時、自分に再びこうして生きる機会が与えられる、とは思っていませんでした。『精霊の貴人』の腕の中で、父上の事を案じながらも、ここで終わっていい。
そう思って、目を閉じたのですから。私を慈しみ、消し去ることなくこうして、やり直しの機会を与えて下さった事を感謝いたします。
そして……貴方の意に添えず、結果的に裏切ることになった不出来な私を、どうかお許し下さい。父上……」
そうして、父に向き合う息子に父親たる『神』も目を伏せた。
『まさか、また本当にお前に会う事ができるとは。
リオンの中に、お前がいることは確信していたが、エリクスの失敗以降、もう戻ってくることはないと、諦めかけていた』
「私は、一度自分の人生を終え、主導をリオンに譲った身です。
確かに、もう出て来るつもりはありませんでしたが、どうしても、貴方にお伝えしたいことがあり、リオンに少しだけ譲ってもらいました。彼も快く、とまではいきませんが、納得してこの身を預けてくれています。
話が終わったら、返す約定ではありますが」
だから、心配するな、というようにマリクは私を見やって微笑んだ。
彼が浮かべた笑顔は、確かにマリクというより、リオンのもので。リオンが納得して今、マリクに身体を譲っているのは本当だと理解できた。そうだね。仕方ない。
今、この場で『神』に息子として声をかける権利を持つのは、リオンではなく、マリクの方だろうから。
「私は、確かに貴方に、意識を操作されていたのでしょう。
リオンとして生まれ変わり、魔王城で疑似ではありますが『精霊の貴人』やエルフィリーネから母親の愛を受けて育ち、自分の意志で自分の未来を選ぶことを許された生き方をしった時。生まれた瞬間からやるべきことを定められ、言われるがままに疑問も持たず従っていた自分はその名の通りの『アルフィリーガ』であったと、理解しています」
『……ああ、お前には私を恨む権利がある』
我が子の弾劾に、『神』レルギディオスに戻った彼は一切の言い訳をせず、真っすぐにその瞳を見据えた。
『人としての当たり前の姿や、生活さえ許さず私の手足として使い潰した。宙では勿論、地上に降りてからも。フェデリクスにはまだ『大神官』としての栄光をいくらか与えられもしたが、お前には配下のいない魔王として冷たい冠を被せ孤独を押し付けた。
恨んでもいい。憎んでもいい。
お前は毒親である私のエゴに巻き込まれた一番の被害者だ』
「そうですね。でも……」
自らの創造主。父親の謝罪をマリクは否定する。
『それでも私は、自分が不幸だったとは思っていません。貴方が私を必要としてくれていた事を知っているから、貴方が道具としてだったとしても、私を愛してくれたことを覚えているから。貴方が求めてくれるなら、戻ろうと、戻りたいと。思っていたのです」
「……僕も、です!」
「フェデリクス?」
マリクの言葉に追従するようにレオ君、フェデリクスも震える声を上げる。
そこには、毒親に育てられた憎しみは見えない。純粋に父を慕う、真摯な子の姿があった。
「僕は知っています。
父上は、少なくとも我欲私欲で、そんなことを僕達に命じたのではないことを。この星の平和を願い、城で眠る子ども達を思い。何よりより良い未来の為に何ができるかを考え続けていた。だから、僕は、そんな父上の為に力になりたいと思ったのです!」
「そんな思いも、植え付けられ、作られたものだとは思わないのですか?」
問い詰めるステラ様の声音は厳しいけれど、フェデリクスは懸命に首を横に強く振り動かす。
「思いません。そうだとしても、構わないのです。
僕は、父上と共に子ども達が笑顔で生きる、輝かしい未来を作る。その夢を見たのですから」
「……そう。ならば、彼は父親として、最低限の役割は果たしていたのですね。我が子に自らの背中で指標を指し示すという、本当に最低の務めだけは……」
「星子……」
星子ちゃん、ではなくステラ様は、大きく息を吐きだしながらもどこか嬉しそうに尻尾をピン、と真っすぐに立てていた。
父親に預けたが為に不幸にしてしまったと思っていた二人の息子達。
けれど、その二人が二人とも、父を嫌ってはいなかった。むしろ慕っていたという事に母親として安堵したのかもしれない。
「私、いえ、我々は少なくとも自分の役割に納得していました。
でも、もし父上が我々を信頼し、全てを打ち明けて下さっていたのなら。
きっと、もっと嬉しかったと思います。
そして我々を息子として愛していて下さったのなら、私は貴方から死という形で逃げることなく、最後まで抗っていたかもしれません。
私が『精霊の貴人』の腕に身を預けたたった一つの理由は、彼女がくれた愛と人の手の暖かさだったのですから……」
『そうか……』
胸に大切なものを抱くように告げるマリクの言葉に『神』は肩を落とす。
『エリクスのように、リオンのように番、伴侶があればまた違っていたのか?
お前と共に歩む者がいたら。
そうすれば、お前の孤独を癒し、報いてやることができたのだろうか?』
「あの時点で、それが望むべくもないことだったことは理解しています。
ただ、気付かず求めていた自分を抱きしめて求めてくれる思い。冷えた心を暖め、自分が一人では無いのだと知らせてくれた安らぎとぬくもり。
それを知り、手に入れてしまった今は、もう『戻る』ことができません。どうかお許し下さい」
『俺は、あんまり長い事、冷たい星の海で、孤独で在りすぎた。そして忘れてしまっていたのだな。
人の世のぬくもりを。
そして自分の孤独を、冷え切った思いを当たり前のように我が子に押し付けた。
ああ、星子。お前の言う通り。俺は実父よりも最低な毒親だ』
「神矢……」
『こんな俺が、親になるなんて……そんな資格は最初からなかったんだ……』
「それは、違うと思います」
『え?』「マリカ?」
「根本的な勘違いをされておられますけど、ステラ様も、レルギディオス様も毒親じゃないですよ。毒親は自分を毒親だなんて思いません」
「マリカ様……」
自分はこの場における完全な部外者、第三者。
会話に加わる権利は無いと知っている。
でも、自嘲する『神』ううん、何も知らず親になることを強要された子どもだった人に。
言わずにはいられなかった。
第三者だからこそ、そして唯一の保育士だからこその思いを。
「親は、子どもを産んだら自動的になれる訳じゃないんです。
私、出会ってきた何人もの親子、特にお父さんに言ってきましたけど。子どもを授かって、大切に思って。この子の親になろうと決めた時、本当の親になるんだと思います。
そして、子は自分を愛し守ってくれる存在を親と定める。血の繋がりさえもあんまり関係なくって必要なのは、相手を親と思うか。子と愛するか。それだけ。
血が繋がっていなくても子が親だと思えば、親子ですし、例え自分の腹を痛めて産んだ子であっても子が親と思わなければ、親子にはなれないんです」
親ガチャ、子ガチャというのは向こうの世界の嫌な言葉だけれど、子も親も生まれて来る先や相手を選べない。
一生に、ただ一度の機会に向き合って全力を尽くしていくしかないのだ。
「親か毒親か。決めることができるのも、許すことができるのも子どもだけ。そして、ほかならぬ子どもが、お二人を毒親では無いと言っているのであれば。
間違えた所はあったかもしれませんけれど、お二人は毒親なんかじゃないと、私は思います。ね? リオン? レオ君?」
私の問いかけに二人は躊躇いながらも、はっきりと首を縦に動かした。
「ほら。後は余計な事を考えず、家族をやり直せばいいんですよ」
『家族を、やり直す?』
「はい。もう一度親子四人で、失われた時間を取り戻して頂きたいと思います。
皆さんにはまだそれができるんですから」
『でも、我々にはそんな権利は……。それに犠牲になった者たちのことを思えば……』
「幸せになるのに権利なんて必要ありません。あえていうなら、人間、生まれた時点でみんなその権利を有してるんです。
犠牲になった人達のことを、って気持ちも解りますけど、皆さんが不幸になったからって、その方達が幸せになるわけじゃない。なら、罪を背負い償い、同じことを繰り返さないようにしながら幸せになるのが合理的だと思います」
世の中には罪を罪と思わず、他人を不幸にしてもなんとも思わない人もいる。
そういう人には犠牲になった人の痛みを思い知れ、と私も思う事があるけれど、この方達はそうじゃない。
「だから、間違えたと思うのなら、ごめんなさいして、やり直しましょうよ。
もう一度家族を、星の保育を」
ごめんなさい、と言ったからといって全てが許されるわけでは当然ない。
後は、行動で示し、償うのみ。
リオンも、ステラ様も、神も、きっとレオ君も。
他人の痛みを、苦しみを自分の事のように悩み、背負い、我が身を投げ出して救おうとする人たちだ。
彼らが幸せになれば、これから犠牲になる人は減るし、救われる人は増える。
それでいいと思う。
思いっきり語り終えた後、私ははた、と気付いた。
またやらかしちゃった?
求められない限りは家庭の問題には不介入が、原則ではあるけれど、私はこのまま、この優しい家族が不幸になるのは堪えられなかったのだ。
勝手な思い込みかもしれないけれど、犠牲者もきっと許してくれる。
長い長い沈黙の後、薄く貼った氷を割るように声が響いた。
『偽物の分際で、また偉そうに』
「ご、ごめんなさい」
私はキュッと目を閉じ、首と肩を縮こまらせた。
怒られる! と思ったんだけど想像した怒声はいつまでも飛んでこない。
ぽん、と背中に触れた優しい手のぬくもりに目を開けて見れば、そこには暖かい笑顔が花開いていた。まるで、固い氷を割り開いて、春が訪れたかのように……。
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