アーヴェントルクから戻ってきて、最初の夜の日。
本当だったら、頑張れば魔王城に帰れたと思う。
前日までは皇王陛下への報告がみっちりだったし、週が開けたら大貴族達が面談を待ちかねているという。
だから、ゲシュマック商会との打ち合わせと仕事、という名目で日曜日に魔王城に戻って少しでも、子ども達に会う予定だったのだ。
なのに、それがどうにもこうにも行かなくなったのは神殿から。
「神官長から、雑務に『聖なる乙女』の手を煩わせてはならぬ。と命じられておりますが、どうか一度だけで構いません。
アルケディウスの神殿を守る新しい『神殿長』の顔を民達に」
そんな要請が届いたからだ。
お飾りとはいえ、私はアルケディウスの神殿長になったわけだしいつもは、フラーブを始めとする神殿の者達に留守を任せているし。
それに戻ったら改めて会計を見て話を聞く。と約束したのだ。
行かないわけにはいかないだろうと、解っている。
嫌だけど。すっごく嫌だけど行くしかない。
「でも、一度やったら、『大好評だったからまた来週も』なんてことになりません?」
「……可能性はありますね」
「仕方がない。俺が付いて行ってやる」
「お父様?」
私が留守の間、お父様は神殿の護衛騎士を鍛え直したり、配下達ににらみを利かせたりして下さっていたらしい。
お父様がついて来て下さるのなら安心だ。
ゲシュマック商会との面談を木の日、シュライフェ商会での衣装の打ち合わせを水の日に。
と、計画をいろいろ立て直して。
私は夜の日の朝早く、神殿へと向かった。
神殿に付くと今迄は正門から入る様にされていたのが、今日は裏口へと案内される。
裏口と言ってもいくつかある中の、相当に大きなものだったけれど。
「今日は夜の日。
安息日ですから正門は一般市民に解放されているので、姫君がそちらからご入場されるときっと大騒ぎになりますわ」
とは会計確認の為についてきて貰ったミリアソリスの談。
向こうの世界では日曜日に教会へ、なんて行った事は殆ど無かったけれど、この世界でも礼拝っぽいものがあってそこで礼拝したり、献金を集めたりするらしい。
懺悔というか、相談受付も。
『神様』のお仕事ってどこもそんなに変わらないんだね。
そんなことを想いながら馬車を降りると
「お帰りを心からお待ちしておりました」
流石に今回は神殿の人達全員ではなかったけれど、主要な司祭や神官は全て集まって私を出迎えてくれた。
先頭に立つのはフラーブだ。
「留守中、世話をおかけしました。
礼拝が終わったら会計確認をしますので、準備を宜しくお願いいたします」
「はい。全て整っております」
おー、随分頑張ってくれたらしい。
余計な仕事を増やしてくれたとふくれっ面するかと思ったけれど、フラーブ達の視線は力に満ちている。
これは期待できそうだ。
「間もなく礼拝が始まります。
どうぞ聖堂へ」
「解りました。ミリアソリス。司祭と一緒に会計監査の準備をお願いします。
時間があるなら始めて貰っても構いません」
「かしこまりました」
フラーブに促されて、私は歩き出す。
こちらで着替えたり余計な事をしなくていいように、任命式の式服は着て来た。
このまま出て、このまま帰ればいい。
カマラとお父様、それからリオンもついてきてくれる。
「私は、何をすればいいんですか?」
「……聖典を読んで頂く事は、可能でしょうか?」
こっそりと、伺う様に言うフラーブに私は静かに頷いた。
読み聞かせはわりかし得意である。
「では、今日の説教に纏わる数ページを担当の司祭に指示されたら読んで頂けると。
それから、最後、順番に礼拝に来た者達が前に来て、祈りを捧げ、献金を入れていくので祝福を与えては頂けないでしょうか?」
「祝福を……って、精霊を呼ぶのですか?」
「はい。姫君がいつもなさる光の精霊を少しずつ彼らの上に寄せてやって下さいませ」
多分、できないことはない。
ただ……。
「マリカが安息日の礼拝に参加するのは、今日限りだ。
それをしっかりと最初に告げておけ」
「それは……、いえ……かしこまりました」
微かな言い澱みを感じたけれど、フラーブは了承と頭を下げる。
そして、私、私達は。
「神殿長、入場……」
「!」
今日の礼拝を仕切る司祭と共に、大聖堂に入ったのだった。
大聖堂は全ての席が埋め尽くされている。
という程では無かった。
いっぱいに座れば数百人は座れる椅子が埋まっているのは半分ほど。
毎週神殿に来る敬虔な信者って、きっとそんなにはいないよね。
で、今、その信者達の目は一様に見開かれていた。
いつもなら、いる筈の無い『神殿長』がいるから。
「本日は、特別に『神殿長』が礼拝に訪れた敬虔な者達に祝福をお与え下さいます。
この日、この時、この場に居合わせた幸運を喜び、今後より一層『神』への感謝を捧げる事を怠らない様に……」
司祭の言葉に人々の目が喜びに輝いた。
言ってみれば皇女とのシークレット握手会だ。
当たりくじを引いたような感じだろう。と思う。
その後、私は言われた通り聖典を読み、礼拝の最後に一人ひとりに祝福を与えた。
「こ、皇女様。お会いできて、光栄にございます」
「ありがとう。貴方に『星』と『精霊』と『神』の祝福がありますように」
今回は、余計な事はしなかったよ。
読み聞かせも淡々と、文章を読むだけにしたし、一人ひとりに祝福を与える時も、一段上から定型の挨拶と一緒に跪く人達の上に小さな光の精霊を呼んで煌めかせただけ。
でも、それがやっぱり効果は絶大だったようで。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
みんな、拝む様にして私を仰ぎ、本当に嬉しそうに帰って行った。
「今日の献金は、いつもの倍でございます」
「前神殿長も滅多に礼拝にお渡りになることはありませんでしたが……、告知無しでこの差でございます。
もし可能でございましたら、こまめに礼拝においで頂けると神殿としては本当に……」
礼拝後、献金箱を揺らして司祭達は私を見るけれど、ここは譲っちゃいけない流れだ。
「今日限りの特別、と言ったはずです。
『神殿長』としてどうしても出席しなければならない式典や儀式がある時は考慮しますが、基本的には皆さんで対応をお願いします」
「……ですが……」
「マリカは、皇女として、『聖なる乙女』としての役目、役割が山ほどある。『神殿』業務は些末事項だ。
自分達の仕事は自分達で行え。皇女を巻き込むな。再び『神殿長』を失いたくなくばな……」
「…………はい」
なおも食い下がろうとする神殿の者達にお父様が威嚇をかけて下さった。
そこで、やっと話は終わったけれど、あの目は諦めていないと見た。
情や泣き落としにひっかからないように気を付けて、できることとできないことはきっぱりと切り分けよう。
私は改めて、心に誓ったのだった。
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