案内されたのは大聖堂の礼拝堂。
その秀麗な祭壇の前に、神官長 フェデリクス・アルディクスが立っていた。
る
「久しいな。アルケディウスの聖なる乙女」
「…大聖都の神官長様にはご機嫌麗しく」
ここは、この間会談を行った人の払われた奥の間では無い。
配下をたっぷりと従えた神官長相手に「エレシウス」と呼びかける訳にもかない。
私はリオンと共に大神殿に従属する国の皇女として頭を下げた。
「此度は『新しい味』の教授に礼を言わせて貰おう。
国王会議の時、味わえたのは私だけであったのでな。皆も喜んでいた」
「それは良かったです。こちらこそ、部屋を使わせて頂いてありがとうございました」
「其方達の『新しい味』は人の心を癒し、元気づける力を持つ。
これから各国に教授の旅に出るとのことであるが、ぜひとも折にふれ大聖都に立ち寄り、またその知識を授けて欲しいものだ」
「お褒め頂き、感謝の言葉もありません。知識の伝達については各国との契約や皇家の指示もあるので軽々には申せませんが、留学生の受け入れも致します。
大聖都、大神殿でも『新しい』味を受け入れて頂けるなら一般市民にも広がりやすくなるかと思うので今後とも宜しくお願いいたします」
ちょっと、考えてしまう。
私は『神』、大神殿は変わらない世界を望んでいるのだと思っていた。
食を失わせたのも、『神』の思惑で人々を管理しやすくするために、思考や意識から気力を奪う為、にしたのだろう。と。
でも、
『食の事業の展開』
を神官長に望まれ、ここまで手放しで褒められると本当に『神』にメリットを与えているのだろうと思えてしまう。
何故?
「今年度から大聖都でも麦の栽培を始める予定である。
其方の目から見て『新しい食』の為に入手しておいた方がいい食材はあるか?」
「それでしたら、サフィーレを」
疑問に答えが出ないまま、真摯な問い合わせに、私は正直に応える。
「サフィーレから私共が作って使用している『酵母』と『お酢』は『新しい味』のあらゆる基本となります。
他の果物などからも出来なくはないですが、サフィーレが今の所一番手軽で美味にできるようです。
大聖都であるのなら葡萄…レザンの実でも代用できそうですが」
「そう言えば、其方らは麦や米で『酒造』を行うそうだな。
やはり、神の祝福を受ける『聖なる乙女』だけある」
「私では無く、長く伝統を守り、また工夫を続けて来た酒造の方々の努力の賜物です」
ここで『酒造に神の力は関係ない』と言っちゃうと多分、色々面倒な事になる。
余計な事は言わぬが吉。
だと思っていたら、思わぬお誘い。
「行き、もしくは帰りに時間と興味があるのなら、大聖都を支える葡萄酒蔵を見ていくがいい。
今の時期はまだ本格的な酒造には入っておらぬだろうが」
「お許し頂けるならぜひ!」
「マリカ!」
横でリオンが顔を顰めるけど、私は思わず即答してしまっていた。
葡萄酒はまともなものであるのなら、本当に欲しいのだ。
アルがゲシュマック商会名義で仕入れてくれたけれど、色々な事に使える。
「よかろう。
エリクスに案内させる。プラーミァに向かう行程からそう離れていない所に蔵がいくつかある。
見ていくといいだろう」
「ありがとうございます」
「良ければ帰路にもまた寄るがいい。
大聖都はいつでも、『神の愛し子』である其方らの帰還を歓迎する」
「『神の愛し子』ってなんだろうね?
私達、神に属する訳じゃないのに」
会見を終えて礼拝堂から出た私はリオンに冗談のように愚痴ったけれど、リオンは薄く笑うだけだ。
リオンも気付いているのだろう。
終わりにかけられた言葉は私にも向けられていただろうけれど、神官長。
彼の目は明らかにリオンを見ていた。
『帰還』
これも、少し不思議なことだ。
直ぐに転生するとはいえ、大神殿のトップである大神官を殺したリオンを、神官長はまったく敵視していない。
むしろ「貴方には逆らえない」と自分より上に見ている印象すらある。
帰還、というのは所属する場所に戻ってきたという意味。
リオンの戻る場所はここだ、と神官長は言っているのだ。
下手したら私も。
『勇者の転生』であるから?
それとも他に理由があるのだろうか?
リオンはきっと、その意味を理解している。
今はまだ聞く勇気は無いけれど。
「リオン!」
「わっ、なんだ? 急に」
私はリオンの手を強く引いた。
「私達の帰る場所は大聖都じゃないからね」
アルケディウスであり、魔王城だ。
大神殿では言葉に出せないけれど、見つめればリオンは頷いてくれる。
「…ああ、解っている」
リオンは大聖都になんか渡さない。
強く握りしめた私の手を、リオンは振り払わないでくれた。
手を繋いで並んで歩いていく。
これからも。ずっと…。
大聖都からプラーミァに向かう行程をエリクスと、神殿騎士団が護衛してくれた。
「大聖都には他所よりも魔性が出やすいので。
姫と旅を共にできるのは嬉しいですし」
エリクスは前の時とは違い、案内役と護衛に徹してくれたのでリオンも文句は言えなかったようだ。
先頭をゆっくりと進むエリクスを黒馬から少し苦い顔で見ていた。
エリクスももし、大聖都ではなく魔王城に保護されていたら、フェイやアルのようにリオンと肩を並べて一緒に戦う場面もあったのだろうか?
ふと、そんなことを思ってしまう。
で、その途中、私は皆にお願いして半刻くらいずつ、行程途中にあった二つの葡萄酒蔵を見学させて頂いた。
「今は、まあ特に畑の管理以外にすることはないからいいが…」
大手の蔵を率いるのは頑固な職人気質の男の人。
恰幅がいい割に背は低め。
嫌々そうに、部下に命じて葡萄酒の作り方を見せてくれた。
他国の皇女、しかも大神殿の後押しでは断れなかったのだろう。
破砕、発酵かもし、圧搾、貯蔵、オリ引き、瓶詰、熟成。
ざっと見た限りこの世界も基本的な製法は向こうの世界と同じようだ。
「こちらで作っている葡萄酒は一種類だけなんですね?」
「一種類も何も葡萄酒は葡萄酒だ。それ以外何がある?」
大聖都で作られている葡萄酒が向こうの世界で言う所の『赤ワイン』のみなのは前から解っていた。貴腐ワインも、アイスヴァインもシャンパーニュも作られていない。
作り方を知っています、なんて余計な事は言えないな、と思っていたのだけれど。
もう一か所、見学させて貰ったちょっと小規模な蔵の、若い外見をした主人は、同じ質問をしたら。
「他に別の葡萄酒の作り方があるのですか?」
不思議に目を輝かせた。
なんでも、大手蔵に圧倒的なシェアを取られているので新しい事をしてみたかったそうだ。
「私から、教わった、ということはとりあえず秘密にして下さいね。
もし、上手くいかなかったらゲシュマック商会で引き取りますから」
そんな会話の元、私はこの蔵に果皮を完全に取って発酵させる白ワインと圧搾した後、果汁のみで発酵させるロゼワインの直接圧搾法を教えてみた。
アルに頼んでこの酒蔵と契約して、新製法の葡萄酒は外に洩らさず、全てゲシュマック商会に流すことを約束して貰う。
「そんなやり方が…。解りました。やってみます」
意欲がある人は応援したいし、赤ワインだけでは無く白ワインも欲しいので、これは私の完全なスタンドプレーである。
また怒られるかな?
「姫様は、どうして自分も飲めない酒の知識をご存知なのですか?」
ミリアソリスには呆れ顔で見られた。
「夢で見たのです。」
完全に向こうの世界のマンガの受け売りなのだけれど。
ワイン作りは実験し、結果が出るまでかなり長い時間がかかる。
小さな蔵の努力が実を結び、『偉大な白』『夢の薔薇』と呼ばれるワインが世に知れ渡るのは、実に、後三年後の事だった。
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