稲刈りの翌日、私はのんびりとした午前中を過ごさせて貰っていた。
皆にも頑張ったから今日はお休み、好きな事をしていいと言ってあるし、昨日、ラールさんが
「明日の朝ごはんにでもするといいよ」
とスコーンをたくさん焼いてくれてあるので食事の支度も取り急ぎいらない。
だから、ゆっくり一の風の刻まで寝倒した。
起きたら朝風呂。
昨日は結局疲れてそのまま寝てしまったので、朝一でお風呂に入って汚れと汗をスッキリ流す。
うーん、贅沢。
お風呂から出て、着替えてから私は大広間に向かった。
そのころには一の夜の刻。
もうすぐお昼だ。ちょっとのんびりしすぎたかも。
「おはようございます。昨日はご苦労様でした」
「おはよう。ティーナ。朝の支度とか任せちゃってごめんね」
綺麗に片付いたテーブルの上を拭きながらティーナが出迎えてくれた。
「いいえ。私は大したことはしておりませんから」
「おはよー。マリカねえ」
「おはよう。こら、リグ。こっちくんなってば!」
「ジャック、リュウ。リグもおはよう~」
大広間にはリグとリュウ、ジャックが遊んでいる。
パタパタ。トコトコと歩き回っては目につくものに手を伸ばしてはしゃぶるリグから、二人は積み木のお城を必死で守っているようだ。
うーん、これはちょっと二人が可愛そう。けっこう頑張って作っているし。
だから
「ごめんね。リグ。こっちへおいで」
私はひょいと、リグを後ろから持ち上げると、胸に抱っこした。
大人数と接しているせいが、リグは人見知りしない。
私の腕に大人しくだっこされている。
「リグも随分重くなったね。それにもう歩くどころか走ってるし」
「ええ。本当に目が離せませんの。直ぐにジャック様やリュウ様の遊びを邪魔してしまうので困ってしまって…」
「まだ、小さいんだもん仕方ないよ。お兄ちゃん達と一緒に遊びたいんだよね」
私はリグに頬を摺り寄せた。すべすべツヤツヤ。赤ちゃんのほっぺは気持ちがいい。
リグもわたしのすりすりが気持ちいいのか、うっとりした笑顔で笑っている。
「リグはまだ小さくて何も解らないから、あんまり怒らないであげてね。
何がやっていいか、悪いか優しく教えてあげて欲しいの」
「うん」「わかってるー」
「ありがとう」
魔王城では最年少のジャックとリュウもリグには優しいお兄ちゃんだ。
遊んでいるのを壊されても怒らないでいてくれる。
ティーナが片付け仕事を終えたのを確認して、私はリグをティーナに返す。
やっぱりお母さんが一番なのだろう。
どこかホッとした顔で頭を預けていた。
この世界の暦は16カ月だから、向こうの暦で考えるとリグはもう生まれて12カ月を過ぎているわけで、私が向こうの世界で見て来た0歳児とほぼ発達段階は同じだ。。
リグを見ていると妊娠、出産の月数も仕組みも、子どもの成長も向こうとほぼ変わらないのかな、と感じている。
男女の営みも、身体の仕組みも多分一緒だ。
では、一体この世界と、向こうの世界は何が違っているのだろうか。
不老不死を与える神の力とは一体…。
「どうかなさいましたか? マリカ様」
「あ、なに? ティーナ?」
ちょっと考え込んでいたから、ティーナに呼びかけられたのに気付かなかった。
私が慌てて顔を上げると、ティーナの心配そうな瞳が私を見つめている。
「いえ、なんだか難しそうな顔で考え込まれてしまっていたので。
何かお困りごとでも?」
「そういう訳じゃないんだ。心配かけてごめんね。
ティーナ。みんな食事終った? 私の朝ごはん残ってるかな?」
「はい、皆さま、もう食事を終えられてそれぞれおでかけに。
勿論マリカ様の分はこちらに。頂いたマフィンとジュースの簡単なものですが」
話題を切り替えるように言うとティーナは本当にちゃんと一人分取り分けられたお盆を出してくれる。
「朝ごはんだから、これで十分。
夕ご飯は私が何か、美味しいもの作るね」
「せっかくのお休みなのですから、ゆっくりなさって下さいませ」
眉を顰めるティーナの顔には心配、と書いてある。
でも、せっかくのお休みだし、十分寝て体調は万全だし、ティラトリーツェ様から頂いた布で、リグの洋服やいろいろ作りたいと思う。
それからみんなにもごちそうを作って喜ばせたいし。
「いつもティーナや皆に魔王城を任せてるんだもん。たまにはね…」
今日の夕飯は何を作ろうかな。
ちょっと凝ったものでも作りたいな?
と、この時は本気で思っていた。
「いただきます」
手を合わせ、マフィンを食べようと大きく口を開けた時。
バン!!!
広間の大扉が大きな音を立てて開く。
あんまりビックリした私はマフィンを取り落してしまった程だ。
子ども達もティーナもビックリ硬直。リグもパチパチと目を瞬かせている。
「マリカ!」
「わっ!」「フェイ兄?」
「フェイ? どうしたの? そんなに慌てて?」
飛び込んできたのはフェイだった。
明らかに慌てている。
「すぐ来て下さい。ライオット皇子からの連絡です。ティラトリーツェ様が倒れたと、
マリカを呼んでいる、と」
「え? 倒れた? なんで?」
結局、私はこの日、夕飯を作れなかったし、マフィンも食べられなかった。
ホント、事態がここまで急変するとは思わなかったよ。
「マリカ…どうなんだ?」
第三皇子の私邸、二階のプライベートルームに私は通された。
部屋は完全に人が払われていて、使用人の姿も見えない。
ベッドサイドには第三皇子、そして側に仕えるミーティラ様がいるだけ。
万が一にも不審者が近寄らないようにと、外でヴィクス様が見張りをしているとのこと。
ベッドに横たわるティラトリーツェ様は白い顔をしているけれど、意識もあるし、何より自分の身体について一番よく解っておられるようだ。
症状は悪寒、吐き気、身体の倦怠感。
…なるほど。
「この感覚には覚えがあるの。遠い、遠い昔の後悔」
静かに、でも噛みしめるように吐き出し、ティラトリーツェ様は身体を起こした。
「…マリカ。この間の時にあのティーナ? スィンドラー家の側仕えから聞いたわ。
貴方に不安の中、妊娠時の体調の変化について教えて貰い、子もとりあげて貰ったと」
「…はい。私は知識だけ、ではありますが妊娠、出産について知っております。
ティラトリーツェ様、失礼なことを伺いますが、月のものはここ暫くありましたか?」
女性の身体の仕組みは、こちらも向こうも同じとティーナの妊娠出産を経て知っている。
ティーナは魔王城で時々、月のもの…所謂生理があって辛いと、話していた。
「そういえば、ここ数カ月無いわね」
「…伺うのはもっと失礼なお話と存じておりますが、…皇子とティラトリーツェ様は、今も頻繁に身体を交されておいでですか?」
「おい…、子どもが何を…」
「黙っていて下さい。問診だと思えば普通の事です。ええ、特に先の戦の後。
…魔王城で貴方達の秘密を知ってからはよく…ね」
どこか気まずそうな皇子を制してティラトリーツェ様は応えて下さる。
夏の戦が土の一月の始めだった。
大祭と私達の秘密を知らせたのが土の一月の半ば。
戦の後に、と思えば、うん、計算も合う。戦に出発する前、ではないな。多分。
「おそらくお気付きの通り、ティラトリーツェ様は多分妊娠なさっておいでです。
大よその見当ですが、妊娠三か月目の半ば。出産予定日は夜の一月あたりになるのではないでしょうか?」
「何故、そんなにはっきりと断言できる?」
男の人はみんなそう言うね。
まあ、母親教室も育児指導何もなく、実体験で学ぶしかない中世の世界。
ましてや大人はみんな、不老不死で子どもに人権が無い世界。
多くの女性は妊娠しても術で子どもを流すという。
正しい、妊娠、出産の知識が途絶していも不思議はない。
「細かい説明は置きますが、魔王城にはティラトリーツェ様がおっしゃったとおり、妊娠、出産を体験した者がおります。
彼女の話と経験からして妊娠期間は約十カ月。40週と思われますので。
体調不良の症状は所謂つわり。
赤ちゃんがお腹に宿り、身体の準備を整えている、という合図でありこれから一カ月前後、味覚の変化、嗅覚の変化、身体の変化などが起こって苦しくなって来る可能性があります」
「そう…」
「…ティラトリーツェ様」
「なあに?」
私の説明を噛みしめるように聞いていたティラトリーツェ様に、私は聞く。
聞かなければならない。
「お子は、どうなさいますか? 産まれますか? それとも…」
「勿論産みます。誰が何と言おうと産むにきまっているでしょう?」
間髪入れず帰った返答に私は安堵する。
良かった。本当に良かった。ティラトリーツェ様を軽蔑せずにすむ。
寂しげに笑って、ティラトリーツェ様はお腹に手を当てる。
「前に、溢したことがあったかしら? 私はね、あの人の子どもが欲しかったの。
心の底から望み、願い、一度はこの身に宿った最初の子は、…でも生まれてくることは無かった。
…殺されてしまったの」
「え? …殺され?」
『私はこの不老不死世界を、壊したいと思う程に憎んでいる』
以前ティラトリーツェ様は、確かにそう溢していた。
その理由や背景を聞いた訳ではないけれど、おそらくその憎しみには『殺されてしまった我が子』が大きく関与しているのかもしれない。
「マリカ」
「はい、ティラトリーツェ様」
手招きされるまま、私は立ち上がり、ベッドサイド。
ティラトリーツェ様の横に立つ。
「貴女が、どこで知識を得て来たのかは問いません。ですが、子を今度こそ守り、世に生み出す為にはその知識がどうしても必要なのです。
手を貸して頂戴。マリカ。この子を守る為に…どうか」
気丈なティラトリーツェ様が、目を潤ませ、私を見つめている。
その思いへの返答の前に、私は振り返り、ライオット皇子を見た。
確かめておかねばならない。
「皇子も、同じご意見ですか?」
子育ては母親だけのものではない。
本来夫婦、両方が分かち合って行うべきものだ。
「ああ。俺と愛する妻の子。
失った時、絶望の縁に立たたされたのは俺とて同じだ。今度こそ、この世に出してやりたい。
そして…愛してやりたい」
皇子は躊躇いなく、そして力強く頷く。
ならば、私のやるべき事は決まっている。
跪いて顔を上げる。
「どうか、私をお使い下さい。不安な点や何か心配な点があればなんなりと。
私の全力でお二人とお子を守って見せます」
「こちらこそお願い。
今度こそ…今度こそ、我が子を私の手で抱いてあげたいの」
涙ぐむティラトリーツェ様のお腹に触れながら、私は自分に強く言い聞かせた。
不老不死世界になってから、初めてかも知れない『両親に望まれ、愛されて生まれる』子。
この子は星の希望だ。
絶対に、…守りぬくのだ。と。
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