「クラージュ…さん?」
「はい、我らが女王陛下」
はっきりと名前を聞いたことは、多分、そんなには無かったと思う。
けれどリオンが時々話してくれた昔話や、魔王城の残滓にその人の存在は感じていた。
精霊国時代、女王マリカを支えた腹心二人。
魔術師フェイアルと騎士団長クラージュ。
彼らはリオン。
『精霊の獣』
誕生以前から女王に仕え、王子と呼ばれていたリオンの教育係を務めていた。
そして、女王マリカと共にアルフィリーガに説得されて『神』との会見に赴き、命を落としたという。
アルが魔王城で訓練に使っている剣は、彼の剣。
リオンに剣を教えた師匠でもありリオン曰く
「最後まで全く勝てなかった」
相手だという。
私には前世の前世の記憶は無いので。
「我らが女王陛下」
と言われてもまったく、本当に、これっぽっちも実感は湧かないのだけれど、私を見つめる真摯な眼差しと、リオンの涙は彼の言葉が真実であると告げている。
「…本当に、どうして、俺は先生の事を思い出せなかったんだ…?」
目元をぐしぐしと擦りながら悔やむリオンに
「仕方ありませんよ。それが『星』との契約でしたから」
彼は小さく肩を上げて見せた。
「契約…ですか?」
「はい」
私の疑問符に遠い昔を思い出す様に語る『クラージュさん』
「私は『神』の会見場に『人』であった為入れませんでした。
外でライオットと待つ羽目になり『その時』に立ち会う事も叶わず。
『神』に一刀を浴びせる事こそできたものの、その後、配下を仕掛けられ敗北。
命を落とした私の魂を救い上げ『星』は問うたのです。
このまま眠るか。
それとも転生者として『星』に繋がれるか。と」
リオンが前に言っていた、そしてフェイも言っていた転生者の『拒否権』なのだろう。
「先生も…転生者に?」
「ええ。『星』の提案を受け入れ、私は転生者になりました。
貴方とは少々事情の違う形ですが。
幾度か転生を繰り返し、今生、やっと貴方達と同じ時代に生まれることができ、やっと再会が適った、と言う訳です。
ただ『星』からは厳重に、どうしてもの時までは自分から名乗ることの無いように、と命じられていました。
貴方が私に気が付いてくれたから、やっと名乗ることが許されたのです」
ありがとう。
囁かれた感謝にリオンは恥ずかしそうに目を伏せた。
ずっと、ずっと、知っているのに思い出せないともやもやしていたリオン。
正直、彼の方から働きかけてくれなかったら、今もその正体は解らないままだったろう。
リオンから微笑みながら目を離し、
「君が、フェイアルの杖の継承者ですね」
次に彼はフェイに声をかけた。
「君とは正真正銘の始めましてかな。
クラージュと言います。どうぞよろしく」
「は、はい。始めまして。フェイと申します」
「真面目で、頭の良さそうな子だ。
フェイアルとはタイプがまったく違いますが、君が気に入るのも解ります。
良い主を見つけられて良かったですね。シュルーストラム」
『ああ、フェイアルに勝るとも劣らぬ逸材だと思っている』
緊張した様子でクラージュさんに挨拶をしたフェイは、二人の褒め言葉に顔を真っ赤にしている。
先代の方が良かった、などと言われていたらがっくりしていただろうけど、元先生だから、だろうか。
そんなことは勿論しないで、フェイの心を上手く掴んでいる。
子どもを褒めてやる気を伸ばさせる。
人心掌握。教育のコツを知っている方だな、と素直に思う。
フェイに対応した後、最後に彼が近づいたのは、ずっと立ち尽くしていたカマラとミーティラ様。
「そちらのお二人は、今はこの場での会話は胸に納めて下さい。
姫君が信頼した方です。私も、信じますから」
立てられた指一本に、ウインク。
ユン君、は勿論美少年だったのだけれども、今の彼『クラージュさん』は不思議に大人の空気を纏っている。
圧倒的な強さと包容力が私にだって理解できた。
これはヤバイ。悩殺ものだ。
「も、勿論です!」
現に自分より弱い相手には惚れないと言い切ったカマラはなんだか頬を赤らめている。
一方でミーティラ様の眼差しは不思議に真剣。
「貴方が…『クラージュ殿』ですか?」
「おや? 私の名を知っている者がアルフィリーガの他に、今世、居ましたか?」
首を傾ける彼にミーティラ様は頷いた。
「私の主は戦士ライオットの夫人です。
ライオット皇子ご本人から僅かですが、伝え聞いたことがあります。
皇子が尊敬する数少ない戦士の一人、クラージュの名を。
どこの誰なのかと思っていましたが…まさか、精霊国の騎士団長の名であったとは…」
「ああ、なるほど、ライオットがいましたね。
あの子も真面目な良い子でした。
会見が終わったら、彼の戦い方を見てあげる約束をしていたのですが、果たせなかったのが悔やまれます。
彼は、元気でやっていますか?」
「はい。貴方が転生されていると知ったらきっと…」
「と、それはまだ内緒で。理由は、解って頂けますね」
「は、はい…」
「実際問題、ゆっくりと昔話をしている時間は今は無いのです」
再び立てられる指と視線にミーティラ様は頷いた。
柔らかいけど厳しいものを宿した視線に私は『気付く』
「カマラ。色々と疑問はあるでしょうけれど、後でちゃんと話します。今は口にしないでください」
「解りました」
アルフィリーガ、魔王城、精霊国。
色々な情報にカマラが混乱しているのは解るけれど、ゆっくりと教えてあげている時間は無い。
「クラージュさん。ウーシンさんが目覚める前に話しておかなければならない、大事なことがあるのですね?」
はい。と我が意を得たという表情で彼は頷く。
真剣な表情の彼に、リオンやフェイも背筋を固くしている。
「流石マリカ様。
転生しても頭の回転の速さは変わりませんね。
ええ。一つ確認しておかなければならないことがあります」
「なんですか?」
「マリカ様の覚悟を」
「覚悟、ですか?」
何の覚悟を問われるのだろう、と思う。
『神』を倒し、不老不死を解除するその覚悟はあるのだけれどクラージュさんの問いかけは斜め上だった。
「『聖なる乙女』と崇められ、各国の精霊を救う覚悟、おありですか?」
「い?」
「…どういうことなんだ。先生」
リオンがクラージュさんに問いかける。
私も意味が、よく解らない。
「先程、姫君は言いましたね。
『自分には明確な力はない』と。
ですが、ここから先、『アルケディウスの聖なる乙女』にはその逃げ口上は使えなくなる。
何故なら、王子が目覚めたらその理由は『姫君』の力以外に付けられないからです」
「…あ」
それは、確かに…。
リオンのこと。その力。魔性を駆除した顛末。
私も全てを理解はできていないけれど、確かに明かす事はできない。
「では、それは僕の魔術で…と理由付ければどうでしょうか?」
「王子を目覚めさせる、が結末であるのならそれでもいいのですが、王子を本当の意味で救いたいのならここで終わりにすることはできないと思いますよ」
「どうしてですか?」
「王子は魔性に、体内の精霊力を大半喰われています。
目覚めても、以前と同じには戻らない可能性が高い。
精霊の力全消えくらいで済んでいればいいのですが、身体に麻痺、不随が残ってしまったということもあるかもしれません。
実際の所は目覚めて頂かないと解りませんが…」
「え?」
天蓋付きベッドに横たわる王子の顔はここからでは見えない。
さっきのような荒い呼吸は無いけれど、見えない後遺症が残っている可能性が…ある?
「精霊国時代、そのような事例が何度かあったのです。
術士が魔王率いる魔性と戦う中で逆に取り憑かれ、命を落とすことが。
なんとか駆除しても彼らの多くは再起不能に陥りました」
「それは、不老不死者でも…?」
「当時は不老不死者はいなかったのでなんとも。
ただ失われているのは『精霊の力』
そして喰らったのは『神』の手先の魔性ですからね。
回復は難しいと思います」
思い出す様に語る彼ははっきりと頭を振った。
再起不能…。
病気も怪我も存在しない不老不死社会で、もし王子がそんな障害を抱えるようなことになれば。
どんな苦しみを背負うことになるか、考えるまでもなく明らかだ。
「もし、そうなってしまった場合、助ける方法は無いんですか?」
「変生を受けて身体を作り変えるか、失われた精霊力を補充するか。
どちらもできるのは『精霊の貴人』か『精霊神』だけでしょうね」
「先生は…『精霊神』の存在を知っているのか?」
「ええ。
各国に封じられている事も、貴方達がプラーミァでその一体を開放したことも知っています。
大したものだと思いましたよ。
精霊国時代 精霊国女王『精霊の貴人』でさえ、各国の警戒が厳しくて精霊石に触れる事はできなかったのによく信頼を得られたと」
「私、ライオット皇子の隠し子、という設定だったので、プラーミァの『乙女』の資格があると要請されたんです」
静かな笑みは間違いなく私達の行動を称えてくれているけれど、言外にこの国で同じことができるか、とも言っている。
「マリカ様。『精霊の貴人』は七王国、全ての『精霊神』に力を与え蘇らせることが可能なワイルドカード。
王子に後遺症が残った場合、回復させる為には『精霊神』を復活させて力を補充していただくしかないでしょう。でも…」
「もし、エルディランドの封印された『精霊神』を救おうと思えば、精霊石の間に行き、気力を捧げなければならない。
血縁関係のあるプラーミァならともかく、何の関係も無いエルディランドで舞う理由は無い。
仮に舞いを許され『精霊神』を復活させることができたら、それはとんでもない騒ぎになる…」
「はい。その通りです」
フェイの分析に彼は頷く。
「精霊国女王の転生というのは明かせませんから『聖なる乙女』の力と理由づけるしかなくなる。
そうなれば、世界でただ一人、精霊神に力を与える真実の『聖なる乙女』
ありとあらゆる存在が彼女を求め、狙ってくるでしょう」
今の時点でもプラーミァとエルディランド、両方の王族から求婚を受けている。
私の料理を始めとする知識が目当てであろうけれど。
それに自国の『精霊神』を復活させることができると知られれば各国とも、私をさらに手に入れようとやっきになるだろう、と彼は言っているのだ。
確かに精霊獣を手に入れた時のプラーミァのように、なんだかんだの理由を付けて留めようとするかも。
「王子の身体に何も後遺症が無く、精霊の力を失う、くらいで済んでいれば、今はまだ無理にエルディランドの『精霊神』を復活させる必要はないかもしれません。
ただ、その場合も今の話は考えておいて下さい。
そして、これからの事、その先の…」
「う…ん」
「! 拙い。マリカ、フェイ。先生」
「うん」「解りました」「大丈夫。心配しないで」
ウーシンさんの唸り声が聞こえ、私達はそこで会話を打ち切るしかなくなった。
私とフェイが王子のベッドサイドにつき、彼はリオンと共にベッドサイドから離れる。
と、ほぼ同時、ウーシンさんが目を細く開けた。
クラージュさんは、彼の横に座ると、一度、大きく深呼吸。
そして
「ウーシン殿! しっかりして下さい」
頭を押さえながら息を吐き出すウーシンさんを揺さぶった。
「な、何があったんだ?」
「解りません。突然倒れられて…こちらこそ、御伺いしたいです。
一体どうなさったのですか?」
凄いな、クラージュさん。
もう『クラージュさん』の気配はどこにもない。
少し高い声。心配そうな眼差し。
少年騎士貴族ユン君にしか見えないよ。
「解らない…。いや、だがそんなことはどうでもいい。
王子は? 王子の容体はどうなったんだ?」
「静かに。今、聖なる乙女が祈りを捧げたことで、王子の力が増したのか、黒い影が飛び出してきました。
あれが、原因の魔性であったのなら、駆除できた可能性があります」
王子のベッドを指してフェイが真面目な顔で告げる。
私はベッドサイドで祈るフリ、だ。
と…、その時また微かな声が聞こえた。
寝台から。
部屋中の目視がベッドに横たわるスーダイ様に向かう。
ウーシン様など一直線にベッドサイドに駆け寄ってきたので、私は場を譲り、一緒にスーダイ様を見つめる。
「う…うう…ん」
ゆっくりと、スーダイ様が目を開けた。
黒い宝石のようなくりくりとした目が天井を見据えている、ように見えた。
「スーダイ様!」
「王子…」
「わ、私は一体…、何が…あったんだ?」
「事情は、後で説明いたします。お身体に…異常はありませんか?」
ユン君が、静かに声をかけるけれど…
「その声は、ユンか? ウーシン? どこだ、どこにいる?」
「え?」
私達は言葉を失った。
ウーシンさんは、ベッドの真横。王子のすぐ側にいる。
目を大きく見開き、王子の顔を覗き込んでいるというのに王子は、首を左右にぶんぶんと振って探しているのだ。
「…見えない。
何も見えない!! 真っ暗だ! 私はどうしたんだ? 皆、どこにいる!!!」
王子の悲痛な叫びは、応える者も無く部屋の中にいつまでも、響いていた。
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