もう終わりだ、と少年は絶望していた。
たった一人でいたたまれない舞踏会場を出て足早に馬車に向かうと一人乗り込む。
追従者はいない。
会場を出たというのに追いかけても来ない従者や神官達など気にしている余裕などないと言う様に気にも止めず馬車に乗り込みドアを閉ざした。
「勇者様! どうなさったのですか?
もう舞踏会は終わったのですか?」
「いいから、早く出せ!」
「は、はい!!」
気の利かない御者を怒鳴りつけて、彼は馬車を出させた。
今の彼にはとにかく、孤独が必要だった。
礼大祭が終わった後夜祭。
市長公邸の舞踏会を彼は楽しみにしていた。
『聖なる乙女』マリカ皇女との久しぶりの再会が叶う筈だったからだ。
アルケディウス皇女 マリカ皇女は彼にとって、そしてこの世界にとって特別な人物だった。
魔王を倒し、この世界に平和と不老不死を齎した『勇者』の親友。
ライオット皇子の娘にして、二ヶ国の精霊神の血を受け継ぐ少女。
『神』と『星』と『精霊』に愛された『聖なる乙女』であり
各国の王族に求め、請われる奇跡のような知識の持ち主。
夜を紡いだような漆黒の髪、宵闇の空を填め込んだような紫水晶の瞳。
無垢で慈愛に満ちた優しさそのものを顕したような穢れの無い容姿。
生きた精霊。幸せを運ぶ小精霊と誰もが噂している。
初めて出会った時は『勇者の転生』の妻になるべくして生まれた者だと彼は信じていた。
その後は死を覚悟した自分を、奇跡の力で助けれくれた彼女。
『神』の求める『聖なる乙女』を自分が護るのだ。護りたいと心から願った。
だからこそ、惨めでならない。
どうして自分は彼女の隣に立つことが出来ないのだろうか。と。
どうして、もう既にあの男が隣にいるのだろうか。と。
元は彼、エリクスは貴族の館に買われ、拾われた奴隷の一人だった。
精霊の寵愛を顕すという金髪と碧の瞳と端麗な容姿をもっていた事。
そして他の者には無い特別な『力』をもっていた事から彼は教育を受け『勇者の転生』候補として育てられ、やがて大神殿に連れて来られて正式に『勇者の転生』と認められた。
筈だった。
「お前が、本当の『勇者』では無い事は解っている。
必要なのはお前の持つ読心の能力だけだ」
神官長は最初にそう告げ、皇子ライオットも彼に断言していた。
「お前も『勇者の転生』では無い」
と。
『勇者の転生』ではないのなら、何故自分を『勇者』と認め置くのか。
自分が友の名を騙った罰として『勇者』の地位に祀り上げたライオット皇子の意図以上に、大神殿。
神官長の意図は解らなかったが、彼はそのまま己の地位を甘受し、自分は勇者だと言い聞かせる日々。
もはや自己暗示にも近いものだった。
皮肉にも直後、ライオット皇子が記憶していた魔王城への転移門から『魔王』が復活し、世界中に魔性が増加した。
「ライオット皇子から記憶を引き出した今、本当はお前には、もう用は無い。
だが、お前のことはもう暫く『勇者』として寓してやろう。
好きに、勝手に。
思う様、お前の信じる『勇者』として振舞い続けるがいい」
大神官は彼の首に鎖を付けたまま、躾を放棄した。
故に彼は己の信じる『勇者の転生』としての言動を続ける。
騎士団において剣の訓練を行い、武術や用兵を学び。
一方でかつて世界を救った『勇者』として人々の敬意と羨望に応える。
日々の生活は、彼を徐々に蝕んでいく。
彼には『勇者』が持つべきものが容姿以外、何一つとして無かったのだから。
記憶も、知識も、戦闘技術も、技術を支える身体能力も。
何も持たない彼は当たり前の、ごく普通の子どもだった。
『読心』の能力で取り繕ってきた箔は容易に剥がれ落ちた。
それでも人々は彼を『勇者の転生』と扱う。
「筋はいいですよ」「これから成長なさるでしょう」
それでも勇者として人々は彼を崇める。
自分は『勇者』でなくてはならない。
勇者として相応しい象徴が必要だ。
第三皇子の娘 皇女マリカを求めたのは最初はそんな理由だった。
やがて彼はマリカを護る騎士貴族に大衆の面前打ちのめされ、その矜持を粉々にされる。
自分と同じ、いやそれ以下の子どもに完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
『子どもであろうと、自らに役割を科し前に進もうと、それを為そうと努力すれば、不老不死者にも届きうるのです。
私は、生まれながらの才能よりも、その努力を尊く思います。
そしてエリクス様にも、その努力ができる方であってほしいと願うのです…』
(「僕は勇者として前に進もうとしている! そして努力もしている! なのにどうしてあんな騎士風情に叶わないんだ!!)
彼女が自分にかけた言葉の意味を、彼は今も理解していない。
マリカは彼が騎士団の副団長を辞して一兵士として訓練をしていると聞いて、更生を期待したのかもしれないが実はむしろ状況は悪化していたのだ。
皇女の現身として引き取った年端もいかぬ少女に虐待を加える位には、彼は病み始めていた。
周囲は徐々に、騎士団ですらも彼等の期待に大きく届かない『勇者の転生』に失望し始めている。
彼には起死回生の策が必要だった。
そんな時だ。
神官長が直々に彼を呼び出し、命令を与えたのは。
『皇女マリカの護衛騎士 リオンにこの水を飲ませるか、身体に浴びせかけよ』
『それが困難であれば、この瓶を側で開封せよ』
『それをすると何が起きるのですか?』
『『星の宝』『神の至宝』を在るべき元に戻す為の布石。
それ以上の事をお前が知る必要はない』
意味は解らなかった。
神官長の心を読む事などエリクスにはとても出来はしない。
けれどもこれがきっと、自分に『神』が与えた起死回生の策だと彼は信じて、行動した。
その結果が、今のどうしようもなく惨めで恥辱に塗れた今の自分だ。
少年騎士貴族に水を飲ませ、浴びせかけた結果、彼の中の何かを自分が目覚めさせてしまったのだろう、ということは理解できた。
実際、エリクスがあの場で魔性共に足蹴にされ、泥と土に塗れながら、虚ろな意識の中。
圧倒的上位者から放たれた下知を聞いたのは嘘ではない。
その後、自分が魔性共々虫のように叩き潰された事も。
意識を失い、宮に戻された時、エリクスは本能で『理解した』と思った。
「そうか! 奴は魔性の手先、いや魔王の手先だったんだ」
あの少年騎士の本性を自分は、自分だけは知ったのだ、と。
『神』の力は少年騎士の隠していた姿を白日に晒した。
奴は魔性を操る魔王の手下。
『勇者の転生』である自分がそれを伝えれば、きっと人々は、そして『聖なる乙女』は奴の正体に気付きそれを知らしめた自分を称えるだろう。と。
都合のいい夢が頭を支配した。
アルケディウスにいた知人を口先で操り、周囲にそれとなく少年騎士の悪評をばら撒き。
そして、最後のトドメとして決して隠ぺいできぬ人々の前で、真実を人々に知らせる。
魔王の手先から『聖なる乙女』を護った英雄として輝く筈だったのに。
現実は少年を絶対に護る、という乙女と魔術師に論破され、騎士貴族には格の違いを見せつけさせられた。
何故、人々の拍手と羨望を一身に集め、輝かしく微笑み合う二人を見なければならないのだろうか。
こんな、惨めな思いをしながら一人、逃げ帰らなければならなかったのだろうか……。
力が欲しい。
狂おしいまでに焼け付くような思いで、彼は願った。
本物の、戦士ライオットに、あの男に勝るとも劣らない力が……。
目元に溢れた雫を拭いながら神殿に戻り、一人自室に飛び込んだ彼は
「え?」
「良くやった。良く戻った。エリクスよ」
そこで目を見開いた。
「し、神官長様……何故、ここに」
部屋の中にいたのは大神殿を支配する、神官長。
悠然とまるで自分の部屋のように彼は立っている。
鍵はかけて在ったはずなのにと思いながら彼は首を横に振った。
ここは大神殿。その長たる神官長は誰の部屋であろうと鍵がかかっていようと自由に出入りできて不思議はない
「褒めてやろう。
お前は、今回、今までで一番いい仕事をした。我々の望む通りの結果を為してくれた」
「望む通りの……仕事? 魔性共に踏みつぶされて無様を晒し、『聖なる乙女』の獲得も、少年騎士の追い落としも叶わなかった僕が……何故?」
「いや、十分に役割を果たしてくれた上に、面白いものも見せて貰った。
まさか、偽勇者が真実の勇者を跪かせるとは、な」
呆然とするエリクスに神官長は肩を竦めながらも、真実、己の命令に従い成果を出した我が子を褒めるように、あるいは嘲るように嗤う。
「お前の役目は『神の至宝』の覚醒。
『星』により奥底に封じられた種子は、芽吹きその頭をもたげた。
再び眠りについたとて、それは前と同じではない。いつか真なる花を咲かせる為の休眠に過ぎぬの」
「『神の……至宝』? 真実の勇者? それは……、まさか」
「『神』もお慶びになっておられるだろう。奪われ失った我が子との再会が間近に近付いた事を。
傍らには麗しき『星』の花嫁。二人が掌中に戻ればあの方の悲願の達成も、そう遠い事では無い」
息を呑み込むエリクス。
歌うような神官長の言葉の意味を、彼は理解できない。
理解できないけれども、一つ解ったことがある。
自分は偽勇者。ならば、神官長が言う真実の勇者、とは……。
そして、花嫁とは……。
「故に、エリクス。
貴様に褒美、力をやろう、と『神』は仰せになった」
「……力……?」
「着いて来るがいい。真実の勇者 アルフィリーガと肩を並べたいのなら。
『勇者』になりたいのなら」
神官長は余計な説明などはしない。
ただ、エリクスの前に立ち歩き出すだけ。
彼を見送れば、変わらない日々が続くと解っている。
『勇者の転生』と崇められ、称えられる苦しくとも、恵まれた日々が。
けれど。
唇を噛みしめたエリクスは何も持たず、空手のまま身一つでその背中を追いかける。
絶望を投げ捨て。
胸に憧れた人物と、聖なる乙女に告げた誓いだけをもって。
その日より大神殿で『勇者の転生』
エリクスの姿を見た者はいない。
『神』に招かれ、修行を受けている、という神官長の言葉を疑う者は誰もいなかった。
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