リオンとフェイが旅に出る前に、私はエクトール様に連絡を取った。
皇王家も大貴族も皆、今年の新酒を楽しみにしているからだ。
大麦から作られる麦酒 ビールは毎年秋、向こうの世界だと10月くらいに新酒が出来る。
ならばそろそろできているかな、と思ったのだ。
フェイに様子を見て来て貰ったら、彼は新酒の樽と、来客と一緒に戻ってきた。
「エクトール様!」
「久しぶりだな。今年の新酒が出来た。今までにない出来だと思う。飲んでみるがいい」
久しぶりにお会いした荘園領主 エクトール様。
麦酒の樽を叩き笑う顔は、自信に満ちている。
きっと会心の作なのだろう。
良かったと思うけれど…
残念ながら私達は飲めない。
なので、第三皇子に連絡を取り、早速試飲会と相成った。
明後日の空の日の夜は王宮内での戦勝を願う宴。
そこに出そうと思うならギリギリだ。
今回の招待客は第三皇子とお付きのヴィクスさん。
安定期に入ってつわりが落ちついたティラトリーツェ様とミーティラさん。
それから、王宮魔術師のソレルティア様。
「私もやっと、転移術が使えるようになったのです!」
とおっしゃるソレルティア様はフェイがいない間、海産物の輸送などを手伝って下さる事になっていた。
エクトール様を連れに行った時にも同伴していたのだ。
転移術は風系の精霊石を持つ術士なら割と使いやすいらしい。
元から精霊に好かれていて、杖無しで術も使えたソレルティア様は、杖と正式に契約してからは正に破竹の勢い。
フェイと互いに知らない術を教え合ってどんどん力を増しているそうな。
術を使う為には一度その場所に行かなければならないので、フェイは最近ソレルティア様をあちらこちらに連れ出している。
国境と、エクトール領と、トランスヴァール領。
そして今度は逆にフェイが言った事の無い所にソレルティア様に連れて行って貰う。
相乗効果で、今、二人がいることによる移動効果はけっこう凄い事になっているらしい。
助かるけど。
転移術、って敵が持っていたらちょっと怖いよね、って思う。
『風の高位精霊石を持っていて、転移術を使える術士など今の世にまずおらぬ。
不老不死者にはまず使えぬ術だからな。
よほどの高位神官であろうとも難しい筈だ。心配位するな』
とシュルーストラムは言うけれど。
難しいということはできるということではなかろうか、と少し心配にもなる。
ちなみに同じ精霊術士でもエリセには転移呪文は使えなくて、火の最高位の精霊石の杖を持つオルジュさんは杖の力に頼ってやっと自分と荷物だけ。
精霊術士にも適正と、精霊石で一括りにはできないくらい色々あるようだ。
と、話がずれたけど、ガルフの店で行う本当に身内だけの試飲会の予定だったのが…
「すみません。もう一人いえ、正確には二人、ですが、招待して欲しい人物がいるのです」
翌日、朝一にやってきたにソレルティア様に頼み込まれた。
「もう二人…って、どなたです?」
それを聞かないと返事が出来ない。
私の質問に心から言いにくそうな顔をしてソレルティア様は
「…皇王陛下、です」
とんでもない事を切り出した。
「い、今なんと?」
あんまりにも以外過ぎて、試飲会の主催であるところのガルフは当然声も出ない。
「皇王陛下が、新酒の試飲会に招いて欲しいと。
無論、異例であることは承知の上です」
王宮の奥に座し、新年と騎士試験以外には一般市民の前に姿を現すことが無いという皇王陛下が国の事業とはいえ、一般市民の家に?
そんなことがあっていいの?
「無理を言っていることは自覚しています。
…どうやら皇王陛下も、色々と食の影響だったり、魔術師を得たりで、最近はいつになくお元気で行動的におなりになっていて、もう…」
ソレルティア様もため息をつくけれど、行動的とかそういうレベルではないと思う。
「王宮には、新酒の樽を今日にも届けます故…」
「でも、それが開くのは明日の戦勝を願う宴でしょう?
皇王陛下は、できればそれより前に、一番に味わいたい。そして、エクトール殿に直接労いの言葉を贈りたいとのおおせなの」
エクトール様は今は、ガルフの店持ちで宿に泊まり、数百年ぶりの王都を満喫中だ。
今日の試飲会に立ち合ったら荘園に戻り、次に来るのは大祭の時。
明日の戦勝を願う宴は皇王家の者しか入れない。
エクトール様の守り続けていた麦酒がその努力と共に公開され、喝采を浴びるのはもう少し先の話になる。
だから、少しでも早く、という気持ちは解らないでもないけれど…
「思いついたら即実行。ベフェルティルング様の影響でも受けたのかしら…」
宴の表向きでは王様と王様、してたけれど、プラーミァの国王ベフェルティルング様は皇王陛下にとっては甥っ子にあたるのでけっこう可愛がっていて、仲も良いと後で聞いた。
でも、そうゆう変な所真似しないで欲しい。
「ですが、これは依頼と言う名の命令、ですね」
ガルフが諦めた様に大きく息をついた。
「…ええ、そう思って構いません。
実際の所、皇王陛下の要請を断る事など許されませんから」
あ、ソレルティア様 開き直った。
実際の所、偉い人の願いは口に出した時点で命令になる。
それを覆すのは下の人間には簡単ではない。
去年の大祭の騒動を思い出す。
第一皇子妃様からの無茶ぶりから良く逃れられたモノだ。
「では、今夕刻。風の刻、密かにとお願いしてもよろしいでしょうか?
一般の店員などを全て帰した後で秘密裏に行う予定ですので」
「感謝します。店の玄関への転移を許して貰えますか?」
覚悟を決めたガルフの了承にソレルティア様は頷いた。
転移術を使う術者は泥棒も可能。
だからこそ、自制と信頼とマナーが必要なのだとフェイはいつも言う。
それが出来ない人間は、そもそも精霊石は選ばないと思うけれど。
「解りました。おいでになるのは皇王陛下だけでよろしいですか?」
「皇王陛下と腹心でいらっしゃる文官長です。
皇王妃様は流石にお声かけできません」
いや、本当に声をかけられてもおいでになられても困るし。
ホントに困るし。
ちなみに文官長というのは皇王陛下の懐刀。
司法と実務の実質的な指揮を執る五百年来の腹心なのだそうだ。
先のフェイの試験の時に、ちらっと耳にした皇王陛下が唯一、『皇王の魔術師』への直命を許す人物。
流石の私も、まだお会いしたことは無い。
「お忍びですので、無論、他言無用です。
ゲシュマック商会を信用してのことですから」
「解りました。皇王陛下もくれぐれも他の皇子などに口外無きようお願い申し上げますとお伝え下さい」
「心得ています。
特にトレランス様に事前に知られると戦の指揮どころではない、と言うのが皇王陛下、ライオット様共通の見解です。
其方達を城に呼ばず、皇王陛下自らこちらに足を運ばれるのはその為。
トレランス様は表には出しませんが、麦酒を守り、作り続けていたエクトール殿を心酔と言って良いくらいに尊敬しているようですから」
ふーん。
お酒好きで遊興家と悪名高くて余り良い噂を聞かなかったトレランス様だけれど、お酒については本当に真摯にその努力を認め、敬意を持てる方なんだ。
なら、戦勝の戦で会える。と釣れば良い所見せようとやる気になってくれるかも。
リオンの初陣だから、しっかりとした指揮を執って欲しい。
あ、でもあんまりはりきり過ぎて暴走されるのも困るかな?
なんて思っているうちに行幸に向けての、少し打ち合わせをしてソレルティア様は城に戻って行った。
「なんだか、とんでもない事になりましたね」
「まさか、この店に皇王陛下をお招きすることになろうとは。契約店主達を呼ばないことにして良かった」
「公表出来れば宣伝効果は絶大でしょうけれど、それ以上に害が大きい。
極秘が正解です」
私とリードさん、そしてガルフは顔を見合わせそれぞれ、誰ともなくため息をつく。
契約店主達。
特にギルド長なんかがいたら、とんでもない事になっただろう。
皇王陛下を動かす麦酒の魔力、恐るべし。
今回頂いた新酒は各十樽。
うち、一樽ずつを皇王家とロンバルディア領へ。
五店の契約店主に各一樽ずつ。
ゲシュマック商会に三樽…。
そのうちの一樽が今回試飲に開く…。
あ、そうだ。
「ねえ、ガルフ?」
「なんでしょう?」
「お願いが、あるんだけど…」
私は考えていた事を二人に話し、相談した。
初陣に行くリオンの援護射撃について。
「ですが…それは…」
私の「お願い」に正直な所、ガルフもリードさんも、あまりいい顔はしなかった。
無理もない提案だ、と自分でも思うんだけど。
「決して無駄にはしませんし、代金は私の方から支払いますから」
ここは我が儘を貫き通す。
最終的には、商売的にも悪くない話だと思うし。
言い訳だけど。
「…解りました。他ならぬリオン様の御為というのであれば」
「ありがとう」
最終的には頷いてくれた二人に感謝して、私は我が儘の分、試飲会の準備に一生懸命働いた。
掃除に、つまみ類の準備、etc。
エクトール様にもお知らせした。
皇王陛下がおいでになること。
「まさか…冗談であろう?」
「驚くのも無理はありませんが、真実です。
こちらへ。ガルフやリードの礼装ですが良かったらお召し下さい」
身支度の用意をさせて頂いて。
…夜、緊張の時を迎える。
ゲシュマック商会 本店、一号店は、この国最大のVIP。
「此度は邪魔をする。
急に、しかも我が儘を申してすまなかった」
皇王陛下を、お迎えしたのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!