フリュッスカイトの王宮訓練場はシンと静まり返っている。
広い訓練場は向こうの言葉で言うのなら屋内グラウンドに近い形をしていて、小さなコートがいくつもはめ込まれている感じだ。
それぞれのコートで訓練をしていた人々は、今、全員が動きを止めて中央のコートに立つ二人の人物を見ている。
「正しく、大人と子ども、ですね。これはルイヴィル、大人げないのではありませんか?」
ソレイル公が眉を潜めるようにそう言った。
でも、私は「大人げない」とは思わない。
一人は身長180cm~190cm。
巨漢と言える恵まれた体格を持つ鋼の戦士。
フリュッスカイトの盾、難攻不落の騎士団長ルイヴィル様。
もう一人はまだ身長150cmに満たない。13歳中学生男子としてはかなり小柄な「少年騎士」リオン。
昨年の秋戦でアルケディウスはフリュッスカイトを破ったけれど、ルイヴィル卿を倒した訳では無い。彼の休憩の隙を狙って精霊石を守る結界を強引に砕いたのだという。
けれど
「雪辱戦、という意図はない。
ただ、純粋に戦士として、対等以上の力を持つ者同士、手合わせを申し込む」
ルイヴィル殿は巨大な長剣を構えながら告げ
「胸をお借りします」
リオンは抜き身の短剣を構えて身構える。
静かな訓練場に二人の真摯な心がはっきりと響き渡った。
「私はむしろ感謝しております。
リオンを子どもとして侮ることなく、真っ直ぐに向かい合って下さっているのですから」
大人も、子どもも関係ない。
対等な戦士同士の、言葉の無い会話。
場にいる全員が二人の正々堂々とした思いを聞いたことだろう。
フェイもアルも、アルケディウスの者達も真剣に、二人を見つめている。
その一挙手、一投足も見逃さない様に、と。
「始め!」
審判も余計な事は何も言わない。
二人の間に介入するのはただ一言。
同時に、この世界最高クラスの実力者二人の戦いが始まった。
先制はリオンだった。
開始の合図と同時に一気に踏み込み、ルイヴィル様の左側面に滑り込む影。
正しく一瞬、黒燕の飛翔のように瞬きをする間もなく跳ねたリオンの攻撃は、右からルイヴィル様の脇腹を狙う。
「くっ!」
常人だったら目にも止まらないその動きを、ルイヴィル様は予想していたのか、それでも頭の予想より先に身体が動いたのか?
踏み込みなしのバックステップで強引に身体を動かして、後ろに躱す。
蒼い閃光が空を斬る。唸るような響きが空気を揺らしてこちらにも届いて来るようだ。
「やはり、早いな」
ルイヴィル様の困惑の声はもしかしたら、本当に発せられたものではないのかもしれない。そのまま、始まるリオンの攻撃の乱舞をルイヴィル様は、捌くのに精いっぱいの様子であったから。
交されたナイフと身体の勢いを殺さないままの回し蹴り。
これも躱され空を薙ぐ。回転の勢いは届かないが、その分、慣性によって威力とスピードを加えた足は、もう一度ルイヴィル様の脇に食らいつく。さながら猟犬の牙のように。
「!」
ルイヴィル様が言葉にしないダメージをかみ殺す。
フリュッスカイトの盾、難攻不落の名の通り、ルイヴィル様の真価は動かず、敵の攻撃全てを受けとめ、いなす鎧と膂力にある。
敵のヘイトをその身に一身に集め、攻撃を受けきり、反撃するのが彼の戦法だ。
だから、リオンのようにスピードと手数で攻め入って来る敵はむしろ得手。座して待ち敵の消耗を待つのが定石だ。
けれどこの戦い、最初の一撃をその身に受けた騎士将軍は、逆に二連の蹴りに弛緩したリオンの隙を突く様に逆に踏み込み、その長剣を振り下ろす。
ガキン、と刃と刃が喰い合う音がした。
攻撃を届かせたとはいえ、大人の、しかも鍛え上げられた鋼の肉体。
逆にリオンの細い脚にダメージ行っているかも、さえある。
足を戻し、膝をついたリオンがとっさに短剣を目の前にかざさなければ、ルイヴィル様の躊躇いの無い刃はリオンの額を割っていたかも。
リオンは受けとめるという絶対の信頼と共に振り下ろされた刃は、その期待通り、リオンに止められ
「なに?」
逆に跳ね飛ばされる。
在りえない、と彼だけでは無い周囲からも声が零れた。
上から、勢いをつけて降ろされた攻撃を、巨漢の男を、下段からリオンは腕力だけで、弾き飛ばしたのだ。
そこから、身体を沈めた姿勢から、膝のバネだけで飛び込み、踏み込んでいくリオンの攻撃を、ルイヴィル様は長剣でいなす。
「キレイ……です」
二人を見つめていたノアールが息を溢す。
彼女の気持ちは解る。二人の戦いは、実力伯仲する者同士が紡ぎ出す鋼の歌は、まるでアレクが紡ぎ出す音楽のように透き通った美しさを響かせている。
二度とは聞く事が出来ないだろう命の奏でる名曲に、その場に立つ者達全てが魅了されたように聞き入っていた。
身長も体格も違い過ぎる二人の攻防は、傍から見れば子どもが届かない剣を必死で大人に向けているようにも見える。
でも下段から、一瞬たりとも同じ場所にとどまらず、連撃を続けるリオンの居場所を正確に把握し、攻撃を加えるのは、例えは悪いが、纏わりつく蚊トンボを、性格に叩き潰すよううなもので、巨漢のルイヴィル様には思う以上に難しい事で在るように見えた。
右から攻撃を放った後、フッとリオンの姿がかき消す様に消えた。
と同時に響く微かな唸り声。
弁慶の泣き所、脛をリオンの足払いがうつ。
「チッ」
小さな舌打ちは今度はリオンのものだ。
鋼のような体躯を支える鍛え上げられた太い脚は、軽い攻撃などにビクともしない。
諦めたように間合いを開け、また、足を使った連撃に戻る。
ルイヴィル様も、防戦一方ではない。無数とも思えるリオンの多重攻撃を一つ一つ、確実に受け止め捌き反撃もいれている。
リオンが反撃を躱し、反らす度に連撃は止まり、また間合いを開けて仕切り直し。
身体に当たったリオンの攻撃も、相手は不老不死、傷にはならず衝撃以上のダメージは与えない。
思い返してみれば、そもそも、最初の勝利条件が違うのだ。
ルイヴィル様は不老不死者、どんなに攻撃を受けても肉体的な損傷は受けない。
一方のリオンは刃も潰していない、ルイヴィル様の大剣をその身に一回でも喰らえばゲームセットだ。
ルイヴィル様は、リオンに一度でも刃を届かせ、身を断てばいい。
でも、リオンがルイヴィル様に勝つ方法は……何だろう。
「まったく! やりにくいな。貴公との戦いは!
小さな体のどこに、これだけのスピードと体力が隠されている?
私とこれだけ、刃を重ねられる者も、そういないぞ」
何度目かの鍔迫り合いから開いた間合い。
向かい合いルイヴィル様は、リオンに文句と言う名の賛辞を贈る。
「貴方が、俺に合わせて下さっているから、です。
本気で俺を打ち倒そうと思えば簡単な手段はもっとあるのに」
微かに上がる息を整えながらリオンは微笑む。
尊敬すべき先達への敬意と謝意を込めて。
「……だとしても、そんな手段で得た勝利に意味は無い」
ルイヴィル様は頭を振ると左手を胸の前に充て立ち上がり、朗々とした声を響かせた。
「かつて、勇者が己が命を捧げて、我らに与えて下さった不老不死世界。
命の奪い合いという、戦士の意義を失った世界であるからこそ、『戦士』同士の戦い。
その『勝利』と『敗北』は崇高なものであるべきだ」
不老不死世界。
人が、人の命を奪えない世界。
ルイヴィル様が言う様に『戦士』はその意義を大きく失った。
けれども争いが消えたわけではない世界において彼らは剣を捨てなかった。
人を殺める為ではなく、傷つける為ではない理由がそこにある。
「戦いは、相手と己の意思と決意のぶつかり合い。
一切の偽りの無い最後の『対話』だ。その先に『勝利』と『敗北』と言う名の納得が生まれる」
「……俺は、かつてその対話から逃げ、貴方の誇りを傷つけた。
そのことを謝罪いたします」
「解ってくれたのならいい。貴公がそれを狙って為したのではない事はもう解っていた。
だから、後は己の全てを出し切るのみだ」
「はい」
「『神』と『精霊』の御元におわす『勇者』の魂にこの戦いの結末を捧げよう。
不老不死世界の『戦士』。
その在り方をどうかご照覧あれ」
小さな、本当に小さな微笑みと共に、リオンは身構える。
彼が誓った通り、その戦いと志の全てを受けとめる為に。
「行くぞ!」
この戦いにおいておそらく初めて、ルイヴィル殿はリオンに向けて本気で踏み込んで来た。
速い!
鎧騎士、重戦士は動きが遅い、という甘い思考は彼を見るだけではじけ飛び消え去る。
一瞬で間合いを詰めた彼は、加減や躊躇を置き去りにして渾身の力でリオンのいた場所を横薙ぎに払う。
ガキン!
「何!」
ルイヴィル様の声に驚愕が宿る。勿論、今の一刀がリオンを切り裂けると、当人とて思っていた訳では無いだろう。
だが、彼の手に返ったのは回避でも移動でも無い、手ごたえ。
強力かつ、広範囲の剣の薙ぎ。
リオンの人間離れした回避能力でも、体形を崩すことはできるだろう。
そこから連撃を、と考えていたであろうルイヴィル様の思考は、恵まれた体躯の生粋の戦士の意思とプライド、全てを受けとめた『勇者』の刃と衝撃に次の瞬間、完全に吹き飛んでいた。
左手に構えた蒼い閃光が長剣を受けとめ、巻き込み、絡み落す。
カランと役目を終えた短剣が地面に転がると同時、がら空きになったルイヴィル様の懐に、リオンは飛び込んでいた。
顎下へ拳の一撃。
「がっ……あうっ!」
「将軍!」「ルイヴィル様!」
不老不死者にも届く脳天を揺らす一撃は、難攻不落の騎士将軍の膝を地面に落させた。
それでも、身体を地面につけなかったのも、意識を完全に手放さなかったのも『戦士』のプライドだろか。
フリュッスカイトの盾、騎士将軍、半端ない。
「……私の、負け……だな」
まだ揺れる視界を押さえるように額に手を当てて、ルイヴィル様は笑う。
その眼差しには一点の曇りも、恨みも見えない。
「こちらこそ、ありがとうございました」
深く、頭を下げるリオン。
パチパチパチと、どこからともなく広がった拍手はやがて、万雷の喝采となって互いに手をさしのべ合う二人に降り注いだのだった。
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