気絶していた、のではないような気がする。
後で、自分の状態を分析するとあの時の自分の状態は、今まで何度も何度もあった限界まで能力を使い果たした末の意識途絶、すなわち気絶とはまた違っていた。
頭が真っ白になって、自分の存在意義が失われたような意識下、身体が凍り付いて動かなくなった。所謂フリーズ?
意識が無くなった訳ではないけれど、身体を動かそうという意思も生まれないまま、冷え切って動けなくなった私の身体と心が、温度と力を取り戻したのはどれくらい経ってからのことだったのか?
「マリカ? しっかりして。目を開けておくれ。マリカ?」
頬を軽く叩くような柔らかい刺激、抱きしめられるようなぬくもり。
「君は何も悪くない。己を責める必要は無い。『星』も君を咎めることはしない」
暖かい思いと、意思に私の身体は再起動。
「目覚めて。みんな、君を心配している」
体温とコントロールを取り戻す。
「あ、れ……、私、どうして……」
まだ、夢を見ているのではないかと思った私は、純白の空間の中、光を感じその方向に顔を向ける。
「良かった。気が付いたね。マリカ?」
「? ラス……様?」
心配そうに私を見つめる金の光と、緑柱石の瞳が輝いている。
それは夢と現の狭間で、自分を取り戻した瞬きの夢。
精霊達の内緒話。
耳が、他人(?)、自分以外の声を認識したことで、私の意識は覚醒する。
今までも寝ていたり、意識が途切れていた訳ではないので、周囲の状況も見えてはいたのだけれど。なんだかガラスの棺の中に押し込められたようにコントロールが効かなかったのだ。多分。
今は、完全に自分の意思で自分の身体が、動いている。
グーパー、グーパー、体を起こして掌をむすんでひらいてしていたら。
はらりと、身体にかけられていた白い布が落ちた。
どうやら私は、どっか、寝台のような場所に寝かされていたっぽい?
目の前にはラス様がいて、その背後、周囲にはうにょうにょと、イソギンチャクの先のような触手みたいな線がいっぱい浮かんで私を見ている? 感じ。そして……!
「あ! あの! ラス様、わ、私……」
ヤバい。私、何も着ていない。
慌てて立ち上がった私は、多分寝かされていた寝台のようなところから落っこちて空中に浮かんだ。
あ、ここ。『精霊神』様達の無重力空間だ。
「そんなに焦らなくてもいいよ。医療行為中だし、他の誰も見てないし」
パチンとラス様が指を弾くと周囲の触手は溶ける様に消えていった。同時に私の身体をふわりと、巻頭衣のようなドレスが包み込む。少しホッとする。この場にラス様しかいなくてもやっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
ラス様は白い、チェルケスカのような服を着てるし。
で、落ち着いたところで改めて確認。
「あの……私、どうしちゃってたんですか?」
「覚えてない? 情報過多というか、思いもよらない事態に脳がオーバーフローしたんだよ」
「思いもよらない……事態」
私は一生懸命思い出す。ここに来る直前のことを。
「僕は君をここに連れてきて、遮断された精神に直接働きかけただけ。僕たちのいる所謂『聖域』は肉体の軛に囚われない世界だからね」
「今の私は精神だけなんです?」
「いや、身体も一緒に持ってきた。封印を解いた時と同じだよ。硬直した身体にかけられた安全装置みたいなものも解除しないといけなかったしね。精霊や精霊の血と精神を継ぐ者は『聖域』に肉体をもったまま干渉できる」
精霊の存在する異空間に干渉できる、というのがいわゆる『魔術師』『精霊術師』の才能なのだろう。そんなことをぼんやりと思いながら、私は目の前に浮かぶラス様を見た。
「ラス様、髪の毛と目の色変わってません?」
確か最初に会った時は銀灰色の髪で黒い瞳をしていた。
でも、今は陽光を紡いだような金髪に、碧の瞳。所謂、精霊の色。だ。
「ああ、君の治療に久しぶりに本気を出したから。
力を本気で使うとこうなっちゃうんだよ。精霊は」
ぼくら、ということは他の『精霊神』様もそうなんだろうか、とチラッと思ったけれど、言わない。それより先に聞かないといけないことがある。
くるりと頭を回して髪を元の色合いに戻したラス様に
「ラス様」
「なんだい?」
「ソルプレーザは本当に死んだんですか?」
硬直した原因を思い出して問いかける。
情報過多によるオーバーフローとラス様は私の症状を例えた。
でも私の意識が途切れる直前、処理が追い付かなくなるような情報を得たわけじゃなかった。
与えられた情報はただ一つ。
『人殺し』
今も思い出す、胸を裂くようなあの言葉だ。
「……うん。ソルプレーザは死んだ。
肉体は不老不死を解かれ、生命活動を停止、魂は多分、今、星の獄にいる」
「どうやって? 不老不死ってそんなに簡単に解除できるものなんですか?」
「方法はいろいろあるよ。僕らも時間をかければできる。魔術師もできるだろう。一番簡単にできるのは『星』だ」
「『星』……」
「今回の件は『星』が娘を汚そうとした者に罰を与えた。それだけのことだよ」
「星の罰」
「うん、そう。だから自業自得。気にする必要はない。
君を同じような目に合わせない限り、同じことが起きることもない」
静かに微笑むラス様はそれ以上の事を教えてくれるつもりは無さそうだった。
でも
「私の……せいですよね。私が何かしたから、ソルプレーザは死んだ」
ソルプレーザに拉致されていた時の事、傷つけられ拷問を受けていた時のことはある程度覚えているのだけれどある先からの記憶がパッタリと途切れている。
ラス様も笑みも困り顔。
精霊は一部の例外を除いて噓をつかない。
嘘をつかない代わりに沈黙するのだ。
「エルフィリーネは私は『精霊』だって。肉体があるから人間でもあるっても言ってましたけど、私、人間じゃないんですか?」
今まで、ずっと心の奥に封じていた、ううん、思い出そうとする度きっと心の中に封じられてきた疑問を言葉に紡ぐ。
異世界転生者で、星の精霊。
私はもしかしたら、みんなとは根本的に違う生き物なのだろうか?
「人間、だよ」
「え?」
「女性の卵子を種子とするホモサピエンスだよ。君は。
間違いなく。
今の僕達と違って」
「ラス様」
今の僕たちと違って。
呟くラス様の眼差しが切ないくらいに悲しい。
でも、私の為にラス様は断言してくれたのだ。
「その優しさも強さも、偽りなく君を愛した親達から受け継いだ君自身のもの。
誇りを持つといい。君は本当に親に良く似ている」
「私は、ちゃんと親から生まれたんですね。親は、私を愛してくれていたんですね……」
「ああ、それは保証するよ。君は、愛され、望まれ生まれてきた。
そして、今も愛されている」
「ありがとう、ございます……」
少し、心が軽くなった。
私は『精霊』だと言われる度、きっと心の奥に滓のように不安が積もっていたのだ。
自分は皆と一緒にいる資格のない存在なのではないか、と。
「さあ、意識と元気が戻ったのなら向こうにお戻り。
君を向こうで待つ保護者達も心配している」
目元ににじんだ涙を拭く私にラス様は優しく頭を撫でてくれた。
お兄さんか何かのように。
「解りました」
「明日、多分、もう今日になっているけれど、タシュケント伯爵夫人との対決についてはアーレリオスが手を打ってくれているハズだ。彼のいうことを聞いてその通りにすれば大丈夫」
「はい」
「余計な雑音に耳を傾ける必要はない。
自分はアルケディウスの皇女、ライオットとティラトリーツェの娘で『精霊』の祝福を受ける『聖なる乙女』だと胸を張っていること」
「はい、ありがとうございます」
うん、余計なこと考えるのは止めよう。
私はお二人の娘で、異世界保育士マリカ。
皆を愛して、皆を守る者。
それでいい。それだけでいいんだから。
「今、扉を開ける。
僕はちょっと暫く向こうには行けないけど、どうしてもの時は手を貸すから」
ラス様の言葉通り、白い空間に渦を巻くような扉が現れる。
多分、あれを通れば現実世界に戻れる筈だ。
「お世話になりました」
「マリカ!」
「え?」
門に向けて、歩き出そうとした瞬間、後ろから抱きしめられた。
ラス様に。
回された腕は、細くて体はどこか固くって、ぎゅう、と抱きしめられても、ツルンとした感覚。
まるで人形か何かに触れられているようだ。
でも
「……君は、温かいね」
「ラス様?」
「こうしていると伝わってくる。
命の暖かさ。生きた人間の『気力』
僕達が、『精霊』が愛して守りたいと願った全てがここにある」
私にも伝わってくる。
ラス様の優しくて。暖かい思いが
「だから、守るよ。僕は。例え誰を敵に回そうと、君を、君が愛するものを。
それが……約束、だから」
だから、振り返り今度は私の方から細い背中に手をまわし、ハグをする。
「マリカ」
「私も、守ります。ラス様を、皆を、子ども達が生きる力を。
頑張りますから。
一緒に頑張りましょう!」
「……。うん、頑張るよ。そうだね。一緒に頑張ろう。
僕の、ううん、僕らの愛しい『精霊の貴人』
マリカ。僕らは君が大好きだよ」
小さく体を震わせたラス様は、私をもう一度強く抱きしめて、額に優しいキスを落としてくれた。
冷たく、硬い唇だったけれど、ぬくもりが伝わってきた。身体ではない所に、間違いなく。
そうして私は現実世界に帰ってきた。
「マリカ!」
「おかあ……さま」
心と思いを新しくして。
「全く、反則だ。あんなにそっくりだなんて」
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