週三回の皇家での料理実習は今も続いている。
だって、皇子妃様方が妙に楽しみにしていてお休みすると怒るんだもん。
ちなみにティラトリーツェ様の心配通り、毎回第一皇子妃様、第二皇子妃様もやってくるようになった。
「其方の料理への関心は皇子妃様方だけのことではない。
皇子どころか皇王様や皇王妃様までご注目だぞ」
皇王様の料理人、ザーフトラク様は服の腕をまくりながら、笑っておっしゃった。
お世辞だと思うけれど、本当だったら真剣に怖れ多い。
「僕達も楽しいよ。今までは多くても月1~2回くらいしかできなかった料理をほぼ毎日できるようになったんだからね」
そう笑うのは第三皇子妃付きの料理人カルネさん。
本当に料理好きなんだなあと思う。
「でも、ほぼ毎日、ですか?」
「ああ、実習の日は戻って夜の正餐に覚えて来たものをもう一度作る。間の日には各皇子妃様が派閥の貴族や、大貴族を招いて成果を見せていてな。
ここのところ、毎日厨房に立っている」
首を傾げた私に第一皇子付きの料理人ペルウェスさんが微笑んで見せる。
「この間のアーモンドチュール、だったか? も好評だったし、パウンドケーキ、クッキーも喜ばれている。
大貴族達は今、領地を再調査させて小麦や果物、野菜類が無いか血眼で探しているというぞ」
領地に食材があった場合、それをガルフの店に納め販売する権利をくれる代わりにレシピを教える話になっている。
今は社交シーズンで領地持ちの大貴族様たちが王都に来ているのでプロモーションに各皇子妃様方は余念がないらしい。
「ことは食べ物のことだけじゃないからね。
どうやら皇子妃様方、もみほぐしに関しては三人で当面秘密を守ることになさったらしいけれど花の香りの水とシャンプーは見せびらかしまくりだ。
貴婦人方々はみんな、作り方と伝手を求めてすり寄ってきているよ」
「うわあ、すみません。なんだかお仕事を増やしてしまっているみたいで」
今まで月一くらしかなかった仕事が毎日となれば、大変だろうなあと私は思ったのだけれど
「バカ者。逆だ。カルネも申しただろう。我らは感謝しているのだ。この世界と我らに食と仕事を齎してくれた其方にな」
ザーフトラク様はぽんぽんと私の頭を撫でて下さる。
「そう、ですか?」
「そうだ。500年も前の事、もう朧げにさえ思い出せぬが、かつては確かに今よりも多くの食材があり、味わいがあった。
そしてそれを食する笑顔があって、我らは料理の道を志したのだ。
いつしか要らぬモノとされ、多くの者が職を失う中、我らはまだ運よく食に携わるを許されたがそれも実用価値の無い、戯れ扱い。
繰り返す日々の中、気が付けば、いや違うな。
気付くことさえできぬまま新しいものを作り出そうという意欲を失っていた」
食生活の死滅した世界で皇族という箱の中にいれられていた、と料理人達は寂寥の笑みを浮かべる。
「其方の存在と新しい事業は我らにとっては正しく福音だったのだ。
存在に意味と価値を与えられた。それが我らにとってどれほど喜びであったから、若い其方には解らぬだろう?」
ふと、以前第一皇子妃様が言っていたことを思い出す。
長い時をやることなく生きるのは退屈なもの。と。
不老不死世界、退屈であっても何かを生み出す、新しい事を始める意欲さえ失っていたこの世界は食の復活をきっかけにそれを取り戻し始めた。
「であるから、我らに気を遣う間があるのなら、その分新しい知識を伝えよ。
それが一番の労いであり感謝であるのだからな」
「ありがとうございます」
我が儘と思惑から始まった食の復活だけれども、そう言ってくれる人がいるのなら救われる。
私達はこの世界からいずれ不老不死を奪う魔王だけれども、その時までに不老不死よりも価値あるものをこの世界に取り戻せたら嬉しい。
「あ、でもそういうことでしたら明日、先日のお休みの代替え調理実習、というのは難しいですか?
先日小麦の収穫が終わり、小麦粉が纏まって使えるようになったんです。
ガルフの店からも直轄領をお借りした徴税として王宮に小麦粉が納品されたと思うのですが」
「ああ、届いたな。だが、小麦の使い道というのは菓子が主であろう?」
首を傾げるザーフトラク様に、私はいいえと首を横に振る。
「小麦は人の主食となるものです。もしお時間が頂けるなら、ぜひ最高の食、その欠片をお届けしたいのですが時間がかかるのです」
「最高の、食?」
料理人さん達の目が輝いたのが解った。
「大きく出たな。良かろう。皇子妃様方には私が話を通そう。やってみせるがいい」
「ありがとうございます。では、今日はエナのソースのパスタを、そして午後、明日に向けての仕込みを行います」
小麦粉に余裕ができると色々と、気持ちが大きくなる。
魔王城ではできなかったパスタと、そして魔王城と私の必殺技をさく裂させるとしましょうか。
「まずはパスタです。小麦粉をこのように山の様に盛り上げて、それから中央にくぼみをつけてそこに卵を…」
今まで小麦粉が本当にギリギリのギリだったのでできなかったけれど、私はパンよりパスタが好きだった。
生パスタのお店には何度通った事か。
パスタマシーンは無いけれど、綿棒で伸ばせばけっこういける筈。
油と一緒に纏めて、数時間寝かせる。
それから綿棒で伸ばした。
生地を寝かせている間にトマトもどき、エナの実でソースを作ったからそんなに時間のロスは無かったのだけれども。
麺、という概念がそもそも無かったらしい中世異世界。
生地を綿棒で伸ばして切るところからもう、料理人さん達は好奇心に目を輝かせていた。
そして当然のごとく。
「うわあっ! 凄い。これホントに美味しい!」
完成したパスタを食べて、吃驚の声を上げる。
本当に、こちらも嬉しくなるくらいの解りやすい反応だ。
ちなみに昨日、試食を家で作った時のガルフの店の料理人の反応。
「するりと、口の中に入っていくのが食べやすい。
シンプルなのに小麦のしっかりとした味わいがある。
それはソースであるエナの甘さと酸味を邪魔にしない味わいだ。
シンプルな味わいは、きっとあらゆるソースに合い、そしてそれを引き立たせるだろう。
この料理は凄い。何より、可能性という意味で凄いんだ」
息もつかずにそう言いきった。
まあ、その通りではあるのだけれど。
シンプルなトマトソースパスタにこんなに驚いて貰えると実にありがたい。
「なるほど
これが小麦による最高の食の欠片、か。
今回はエナの実のソースだったが、この間作った牛乳のソースなど様々なものに合いそうだな」
フォークにソースを絡めたパスタを睨みザーフトラク様が唸る。
この世界には三又のフォークが実はない。
フォークもどきはあるのだけれど、二又で多分、お肉を切るナイフの補助的に使われていたものなのだろうな。と思う。
ふむ、フォークも三又や四つ又のものを作った方が便利かも。
ギフトで作って出すのは今回は止めた。私だって少しは自重を身に付けているのだ。
「はい。小麦粉を使った料理の神髄はありとあらゆるものに合い、その実力を引き出すことに有ります」
向こうの世界では本当にありとあらゆる種類のパスタがあったものね。
ひじきとか、納豆とか、明太子とか。
こっちの世界では再現が難しいけれど…。
「また、このパスタ。研究は必要ですが形を変えることも可能ですし、乾燥させることで日持ちもするようになります」
「なるほど、湯で戻せばまた柔らかみを取り戻す、ということか」
「はい。長期保存が可能という事は魔術に寄る保存方法ができない所でも、そして急ぎの時などで一から作れない時にもこの料理が楽しめるということです。
あとは以前作ったグラタンに筒状にしたパスタを入れるとソースを良く絡んで美味しくなります」
「素晴らしい。どんなソースが作れるかと考えるだけでも胸が躍る」
パスタを口にした料理人さん達はみんな、ラールさんとほぼ同じ反応だった。
神の世界。
新しいものを生み出す気力を多くの人が無くしているというけれど、どうやら料理人さんは例外らしい。
私は所詮、専門家ではないので、この世界ならではの新しい味をこの世界の人がたくさん作りだしていってくれたらいいな、と思う。
このパスタ、皇子妃様達にも大好評だったらしい。
つるりとした食感。ソースと絡める事で惹き立て合う小麦の味わい。
爽やかで鮮やかなエナの実のソースもお気に召したとのこと。
玉ねぎそっくりのシャロの実とベーコンを良く炒めてコクを出したのも良かったようだ。
女性の味覚は異世界共通なのかな、けっこう。
「ねえ、次の時にも、このパスタを出してくれない? 違う味もあるのでしょう?」
と期待に満ちた目でティラトリーツェ様には言われたけれど
「申し訳ありません。実は次回の分はもう仕込みが済んでいるので」
謝るしかない。
時間はたーっぷりかかるけれども、可能性、という点においては最強の本命が待っているのだ。
この異世界に本当の意味で食生活を取り戻すためにはあの方の不可欠だ
小さな瓶の中、大事に大事に育てて来た可愛いコ。
今、台所で眠っているあの方の活躍で世界が変わる日を見るのが今、私はとっても楽しみだった。
小麦の収穫が無事に終わったので、それを使ってみました。
今回はパスタ。
次回はパンを焼きます。
ずっと仕込んで魔王城の島ではおなじみの可愛いあの子。
S・セレビシエさんの出番です。
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