私の意識が戻ったのに気が付いて、各国の王様達が集まってくる。
「良かった。意識が戻ったのだな?」
「あ……兄王…様、お怪我……は?」
数日使っていなかったせいか身体が錆びついていたみたい。
ゆっくりと確認しながら、身を起こす。
「? 見ていたのか? 大事ない。もう血は止まった。傷は塞がってはいないようだが……」
ひらひらと動かす手には布が巻かれて血がにじんでいる。
私のせいで、と申し訳ない気分になった。
他の国王様達にもお礼とお詫びを言おうとした、その時だ。
「キャアアア! ノアール!!」
「どうした?」「何があった?」
聞こえたのはカマラの悲鳴。
何事かと振り返ったそこに、私達はとんでもないものを見る。
「ほ、炎? 何故、このような所に炎が?」
炎、とアーヴェントルクの皇帝陛下が言ったけれどそれは正確じゃない。
形状は確かに炎としか言えないもので、空気を揺らし燃え上ってはいたのだけれど、薪も炭も何もない空中に浮かぶ様子。そして何より紅くない。
漆黒の炎と表現するしかないその現象の中央に、人影が見えた。
さっき、カマラが声を上げた通り、ノアールだ。
「ノアール!」
「なんだ? これは!」
彼女を救おうとリオンや騎士が何人か近づいていくけれど、誰かが近づこうとするとその瞬間、炎は大きく燃え上がり
「ぐああっ!」「!」
拒絶の意思を示した。ちょっと近づけない。
明確な熱を発していることからして、黒くてもやはりこれは炎なのだと、どうでもいいことを思い感じた。
「あっ!」
触れることのできない炎の中。
佇むノアールの服に火が付いた。メラメラと端から焼け焦げ、灰になっていく。
けれど、髪の毛一筋さえも身体は燃えていない。肌に火傷もない。
服が全て焼け落ち滑らかで美しい真珠のような肌が露わになっても身動き一つせず。
まるで。
炎を褥にして眠っているみたいに、彼女はその中に静かに佇んでいる。
「おや、これは意外な結果になりましたね」
「エリクス!!」
一度は確かにこの場から姿を消していたように見えたのに。
気が付けば部屋の上空。
エリクスが翼を広げ立っていた。
私達を上位者として、見下ろすように。見下すように。
「貴様! 何をした!」
リオンや兵士達の初撃が簡単には届かない、絶妙の位置を計算しているであろうエリクスは冷酷な微笑を浮かべて私達を、正確には私を見下ろす。
「あれは黒の洗礼。人間を魔性の族に変える闇の変生です。
彼女は今、人としての身体を燃やし、黒き精霊。魔性にその身を変えようと思っているとお考え下さい」
「え?」
「本来、あの炎の中に入って頂くのは貴女の筈だったのですよ。マリカ様。
私の隣に立つモノ。『星』を導き支配する魔王の伴侶として」
炎の中のノアールを哀れむような眼差しで見つめ、肩を竦めるエリクス。
「『神』の檻に閉じ込められていた私は、大魔王とも呼ぶべき方に救われ、魔性の王として生まれ変わりました。彼女と同じように、人としての肉を焼き、作り替えて眠っていた魔王の人格に目覚めたのです」
「エリクス……」
以前、神官長が話した神殿側の説明と同じ流れ。
勇者アルフィリーガは実の所魔王を倒したわけでは無いのだから、魔王の人格を勇者が持っている筈は無い。
つまりは彼も『神』の手の者であるのは確かなのだけれど、それを今、指摘はできない。
ちらりと横を見ると、リオンの手が震えているのが見えた。
彼も必死で堪えているのだと思う。
「私は、一人が嫌でして。隣に大魔王たる方に立って頂きたかった。
その為には大量のできれば純度の強い『精霊の力』と大魔王の依り代となる肉体が必要だったのです。
だから、私はそれを一挙両得で手に入れる為の場として、国王会議を、そして姫君を狙いました」
ある意味、一番警戒厳重な時期だけれど、魔王となった彼にとっては一挙両得の場としか思えなかったのかもしれない。
「何せ、大聖都は僕の庭です。
転移陣の場所も、使い方も熟知しています。丁度警備が手薄な神殿もありましたしね。そこから大聖都に入り込み、機会を窺っていたのですよ。私一人なら転移術で入り込むこともできましたが、魔性達を入れるには『神』の結界が相当に邪魔だったので」
エリクスの口は楽しそうに、嬉しそうに、自分の悪戯の成功を語る子どものように事件の真相を滑らせる。
「目的は勿論、マリカ姫です。彼女の血は世界で一番、強くて濃い力を宿している。
彼女の血を使って炎を発動させた上で、弱り、意識を失った身体で洗礼を受けて頂ければ、人間であった身体を完全に焼き捨て、新しい闇の巫女。
真なる魔女王となって頂けた筈なのですが、まさか代わりに七国王が血を注ぐとか、侍女が阻止するために身を炎に投じるとか。本当に予想外でした」
「では、やはりあの水晶は爆発させる為のものではなく?」
「変生の為に必要な『精霊の力』を集める為のものです。
ですが、もしあのまま放っておいたらあの水晶に封じられた術式そのものが、不足した力を求めて暴れ出していました。
その場合、この場にいる皆様方に無差別に襲い掛かる物理攻撃の利かない魔性となっていましたから被害を最小限に食い止める、という意味ではあれが最善手であったとは思いますよ」
水国王メルクーリオ様が悔し気に唇を噛みしめる。
魔王の狙いにまんまと嵌ってしまったと悔しそうだったけれど、こんな後だしじゃんけんに勝てる筈ない。
「七国王の力を吸った術式は、殻を割り本来登録されていた『変生』対象者、マリカ様に向かう筈だったのですがその前にノアール、ですか? 彼女を取り込んでしまった。
マリカ様の為に調整してあったので、他の人間であれば拒絶され術が失敗していた可能性もあったのですが、年齢や体格も似通っていたので問題は生じなかったようですね。
これも誤算でした」
「ノアールを放して! 彼女は関係ないでしょう?」
「残念ながら、無理です」
淡々と告げるエリクスは、私の抗議にきっぱり首を横に振る。
「もう、彼女を作り替える術式が発動してしまっている。
一度動き出した変生の術は止められない。
変生が終わり完全に人間と精霊の狭間の者になるか、術に耐え切れずに死ぬか。
二つに一つです。それは、人間界における真なる魔術師も同じ。そうでしょう?
皇王の魔術師」
「!!!」
フェイが反論できずに顔を背けた。
大衆の面前、しかも国王陛下達の前で真なる魔術師、と言われたのはヤバいけれど、それよりも今は、ノアール。本当に彼女を助ける方法はないのか。
「じゃあ、ノアールは……」
「普通の人間には戻れませんし、僕も術式を止めるつもりはありません。
一度きりの報酬、二度とは無い機会ですし。
そもそも、彼女がそれを望んでのことでしょうから気にする必要もないでしょう」
「彼女が、望んだ?」
「設定されたマリカ様と多少なりとも誤差があった時点で炎、術式は確認した筈です。
本当に術の対象者か? 人外になるがそれでいいのか? と。
その上で術が起動したという事は肯定したか、否定の返事をしなかったか。
どちらにしても、術と自らの運命を受け入れたのだと考えられます。
それなりの覚悟を示した彼女はその代償と報酬を受け取るべきでしょう」
「そんな……」
「……僕にも、解らなくはないですからね」
「え?」
「と、失礼。術が終わるようだ」
「!!!」
エリクスの言葉に全員の視線が再び炎に集まる。
黒い炎は正しく、最後。
全てを出し尽くすかのように唸りを上げて高く、勢いよく燃え上がり、唐突にその形を消した。
支えを無くし、崩れ倒れるノアールを瞬間移動。
誰よりも早く抱き止め、支えたのはエリクスだった。
「まあまあの、できばえです。
本当は、勿論姫君に堕ちて頂きたかったのですが、偽物には偽物同士。
この辺がお似合いということなのでしょう」
「ノアールを放せ!!」
「ずっと、欲しかったのですよ。僕の隣に立つ、立って共に歩いてくれる者が」
地上に降りてきたエリクスは、そう言って、まだ意識の戻らないノアールに口づける。
リオンは挑みかかるけどノアールを抱き留め、マントで包むと彼はまた、瞬間移動。空に逃げる。
「彼女は頂いていきます。
これだけ手間暇をかけたのです。
魔性、いえ、魔族の女王として大事にしますのでご安心を。
彼女自身も、人外になった以上、人間の世界では生きにくいでしょうから」
「止めて! ノアールを返して!」
「フェイ! 口留めの術式は?」
「ダメです。変生の時に解かれたのでしょう。反応がありません」
「では、今回はこの辺で。いずれまた」
「エリクス!」
パチン、と一度だけ指を鳴らし、消えたエリクスとノアール。
リオンとフェイは、彼を追おうとしたのかもしれない。けれど
「な、なんだ。これは!」
騎士の一人が叫ぶ声に振り返った。
ノアールを変化させ、消えたかと思っていた黒い炎が、また唸りと共に燻りだしたのだ。さっきまでよりは小さい。焚火のような大きさだけれども。
でも、下手に触れたら何が起きるか解らない。
「エリチャン。消せる?」
「否定。通常の炎ではありません。
術式の残り香。放っておいても消えますが、あの炎は正しい登録者を探しているようです」
「正しい登録者って……」
「マリカ!!」
リオンが叫ぶのとほぼ同時。黒い炎は力を貯めた猫のように私に向けて飛び掛かってきた。
「危ない!!」
思わずしゃがみこんで頭を抱える。
けれど、いつまで経っても衝撃はやってこない。
「ぐっ……」
代わりに聞こえたのは微かな呻き声。
「神官長!!」
「え?」
恐る恐る目を開けると、私の前には血にまみれた白い衣。大きな背中。
ばったりと倒れて来る。私の方へと。
「マリカ様……『神殿』と『神』をお願いいたします」
「神官長!」
「ああ、星の彼方。私の夢……。いつか、私も共に……」
「しっかりして下さい! 神官長!! 今、傷を塞ぎますから!!」
…………必死にかけた治癒の術は間に合わなかった。
神官長 フェデリクス・アルディクス死去の報は瞬く間に大聖都に知れ渡る。
そして彼は、私にとって。
向こうとこちら両方の記憶で初めて。
目の前で、腕の中で、死んだ人物となったのだった。
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