翌日、水の日は普通に調理実習を行った。
メインは牛肉のステーキ。カルボナーラのパスタ。
エナとサーシュラの柑橘ドレッシングサラダ。
牛骨や鳥ガラを使ったコンソメスープもどきの野菜スープ。
もどきなのはブイヨン作りが時短モードだからで、本番の宴席用に時間をかけて煮出し灰汁取りをする本格的なコンソメスープの作り方も知らせる。
後はパンケーキと氷菓の作り方。など。
アーヴェントルクで作った天然リンゴ、基サフィーレ酵母のパンは一昨日から仕込みを始めたばかりなのでまだちょっと使えない。
中日に行われるという大貴族への調理報告会にはギリギリ間に合うかな?
「私、二日間留守にさせて頂きますので、その間、宴席料理の練習と酵母の世話をしていてください。
宴席料理用の牛肉なども調達して参りますので」
調理実習後宴席、皇家の調理人さん達に私は話をする。
宴席料理用のレシピが書かれた木札を手渡して。
今日の夜から私は、レープハウト侯爵 ラウクシェルド様の牧場を見学させて頂く為の旅行に行く事になっている。
貴重な一週間のうち二日もお休みを頂いてしまうのは申し訳ないと解っているけれど、この方達も料理人として生きて来た方達だ。
「解りました。どうぞお気を付けて」
「時間のかかるものは、私達が出来る限り丁寧に仕上げておきますので」
『新しい食』の基本と理念が理解できれば、抵抗なく受け入れてくれる。
その辺は万国共通っぽい。
「お願いします。『新しい味』は面倒な手間や手順の組み合わせですが、それが食材を無駄にせず、美味を作り出す元になるのです。
レシピはあくまでの基本。
基本を守りつつ色々工夫してやってみて下さい」
私のような子どもに言われたというのに、皆さん真剣な顔で頷いて下さった。
一通り手配を終えた後、館に戻った私は外出の準備を整える。
今回の旅行は強行軍なので人数は最小限に。
「ミュールズさんはこちらに残って、随員の纏めと情報収集などをお願いできますか?
今回行くのは牧場なので、そんなに身支度などは必要ないと思います。
むしろ戻ってからの報告会の為の準備をお願いしたいです」
「そういう油断は良くないと思いますが……解りました。くれぐれもお気をつけて」
一緒の馬車に乗っていくのは護衛のカマラ、ミーティラ様。
側仕えのセリーヌとノアール。
後は外での護衛にフェイとリオンも同行してくれる。
何が起きるか解らないので護衛中心の選択だ。
「アル。私の旅行中に王都の金物工房とかを当たって貰えるかな?
カトラリーや、調理道具を作ってくれるところ。特に小さめの鍋が沢山ほしいの」
「? 何に使うんだ……じゃなくって使うんですか?」
「チーズフォンデュをやってみたくって」
「チーズフォンデュ?」
仕様を描いた木札を見ながらも首を傾げるアルに、私はそれ以上の説明はまだしなかった。
チューロス、チーズがどのくらい入手できるかも解らないからね。
もし、纏まった量が使えるなら絶対に、この国には合うはずだ。
「他の皆さんは、十分気を付けた上で、レシピの写しや契約の準備など日常作業をしつつできるだけアーヴェントルクの情報を集めて下さい。
無理はしなくてもいいので、安全を第一に」
一番心配なのは私の留守中に、随員達に妙な手が伸びないか、だ。
「繰り返しますが例え、小さなことでも外出時は、必ず騎士団の護衛と同行するように。
拉致され、情報を取られたりするのが最悪ですからね。
自分の身をしっかりと守って下さい」
「こちらの随員達についてはお任せを。
姫君こそ、どうぞお気を付けて」
ヴァルさんが請け負ってくれたので、後は必要な準備をして迎えを待つことにした。
第一皇子の迎えが来てくれた、と連絡があったのは風の刻を過ぎて、空の刻になってかなり過ぎてからの事だった。
「遅くなって失礼。
女は支度が遅くてね」
「今回は、私共も同道させて頂きますね」
「ポルタルヴァ様。アザーリエ様。ラウクシェルド様も……」
ラウクシェルド様の同行は予想していたけれど、まさか奥方達を連れて来るとは思わなかった。
あれだけ、逢引を強調してたのに。
「一度しか外出できないなら、できるだけ色々なモノを見て貰おうと思ったんだ。
牧場での滞在は少し短くなるけれど、養蜂場とかも見て見たくはないかい?」
「許されるのならぜひ」
私は生前都会っ子だったから、幼稚園や保育園の遠足で行った牧場はともかく養蜂場なんて見た事は無かった。
純粋に興味はある。
アザーリエ様のご領地はポルタルヴァ様の領地の南側なんだって。
コース的には王都から西側に向かい、ポルタルヴァ様のご領地へ。
首都とかは今回は行かず牧場中心で見学して、そこから南下。アザーリエ様の領地で養蜂を見せて頂いて戻ってくる感じ。
空の日の宴会に間に合わせるために、風の日には戻って来なければならないから、かなりの強行軍だ。
その為、夜にある程度進んで距離を稼ぐ必要がある。
「君の魔術師にも協力を願えるとありがたいんだが。生活魔術を嫌がるタイプかい?」
「いいえ、そんなことはありません。フェイ」
「僕にできる事でしたらなんなりと」
「ありがとう。スークル」
「はい。皇子」
前に進み出たのは若い魔術師だった。
不老不死にはなっていそうだけれども、生真面目そうな目をしている青年。
淡い色合いのブロンドに碧の瞳が良く似合っている。
ヴェートリッヒ皇子付の魔術師かな?
「馬車のカンテラに明かりを灯して頂けますか?」
「カンテラだけでいいんですか? 周囲に光の精霊を呼び集める事もできますが?」
「それは凄い。では、カンテラは街を抜けたら無しにして、交互に精霊を呼び集めましょうか?」
ス―クルさんが杖を掲げて呪文を詠唱すると、馬車の横に吊るされたカンテラにポッと明かりが灯った。
街灯とかある時代じゃないから、明かりが無いと真っ暗闇。
でも小さな明かりでもあるととても明るく見える。
「馬車で行くには少し道が険しい所もあるので、そこは朝を待って行きます。
とりあえず行けるところまでは夜のうちに進みますから、少し大変でしょうが頑張って下さい」
「宜しくお願いします」
馬車は三台。
先導はヴェートリッヒ様とラウクシェルド様とその随員。
二台目は私と随員の馬車。
三台目にお妃様二人の馬車が行く。
リオンとフェイは馬で付き従う。
「予定通りに進んだら、いいものが見られるかもしれないよ?」
「?」
楽し気に笑う皇子の言葉に首を捻りながら私達は馬車に乗り込み、出発する。
0泊二日の強行アーヴェントルク旅行の始まりである。
私の両距離用馬車は、豪華な作りだし、普通の馬車に比べるとかなり揺れは少ない。
加えてフェイが衝撃を軽くする術をかけてくれているので、圧倒的に楽ではあるのだけれど。
それでも舗装されていない中世の道を行くのはかなり大変だった。
王都を抜け、街道を走っていくとがたがた振動が身体に伝わってくる。
毛布やクッションはたくさん持ち込んであるけれど、それでもゆっくり眠ることはできそうにない。
目を閉じて、少しでも体力維持に努めるのが精いっぱいだ。
「アーヴェントルクの道はかなりキツイですね」
「山間部が多いそうですから仕方ありません」
これでも街と街を繋ぐ街道だから、ある程度は整備されているのだろうとは思う。
でないと馬車なんて入れないから。
二刻、くらいかな。
振動に頑張って耐えて目を閉じていると、ふと揺れが消えた。
馬車が止まったのだ。
「どうしたのかな?」
周りを見ると、まだ周囲は真っ暗。
精霊の明かりも消えている。
「ここから先は道が少し険しいので、朝を待った方がいいとのことです。
夜明けまで少し止まりますから、今のうちに休んで下さい」
外から聞こえたのはフェイの声だ。
「解った。ありがとう。
皆も、今のうちに仮眠しておいて」
振動が無いとやっぱり楽だ。毛布に包まり目を閉じると直ぐに睡魔が襲ってきた。
馬車の板座席の上なので、熟睡は無理だけどできるだけ眠っておこう。
と、どのくらい経ったのか。
コンコンコンと外から響くノックの音。
「何でしょう。もう出発ですか?」
「いや、疲れているのは解っているけれど、ちょっと出てくる気はないかい?
アーヴェントルクにせっかく来たんだ。いいものを見せてあげる」
寝ぼけ眼の私に応えたのはヴェートリッヒ皇子の声だ。
いいもの? いいものって何だろう?
「カマラ…悪いけど一緒に来てくれる? せっかくの皇子のお誘いだから」
「はい」
「他の皆は、来れるようなら来て。疲れているなら寝ててもいいから」
そうは声をかけても主が出る以上、残ってますとは言えないのだろう。
全員が軽く髪や服装を整えて、外に出ると周囲は既に、ラヴェンダー色の優しい雰囲気を纏っていた。
「やあ、出て来たね」
「おはようございます。皇子。一体何でしょうか?」
「モイルゲンロートスを見せてあげようかと思ってね」
「モイルゲンロートス?」
「言ってみれば朝焼けさ。
アーヴェントルクの最高峰 チェルトベルティエンテはここから西に位置するからね。
日の出と共に、山が美しく染まる。
今日は滅多にないくらいいい天気だから見物だよ」
ほら、と皇子が指さした先には広がる美しい湖沼と奥に聳え立つ切り立った岩山が見える。
あれが、皇子がおっしゃったチェルトベルティエンテ。だろうか?
正しくアルプス、マッターホルン、モンテローザ、そんな言葉が胸に広がる。
と、そこから私は目を見張った。
空が白み始めたころ、山に炎が灯る。
一条の光が、微かに雪を残す鋼色のチェルトベルティエンテの山頂を照らすと、朱金に染まったのだ。
オレンジに黄金を混ぜたような……虹を宿した表現しがたい光彩は山頂から、ゆっくりと、ゆっくりと尾根へと広がっていく。光の裳裾を翻すように。
一秒、一瞬目を閉じるのも惜しいと思う。
まるで鏡のように一筋の揺れも無い湖水に逆さに移るチェルトベルティエンテの山は、遠い昔に写真などで見た逆さ富士のようで、天と水にと自然が生み出す奇跡に息が止まる。
こんな輝かしい光景がこの世界にもあったんだ……。
やがて山全体が黄金に輝いたように見えた。
キラキラと、金粉を散らした輝きが山全体を暁の元に照らし出す。
夢のように美しい。
我ながら陳腐な表現力だと思うけれど、心の引き出しをどうひっくり返してもこの感動を表すふさわしい言葉が見つからない。
それほどに美しい風景だった。
一時も目が離せなかった夢の光景は、気が付けばあっという間に終わっている。
太陽が高みに上がり、空全体に光を蒔けば、そこにあるのは神々しく美しいけれど、普通の山だ。
「君は運がいい。
朝焼けを見ようと思って、街を出てもなかなかこんな絶好の天気に恵まれる事は滅多に無い。
アーヴェントルクの自然も、本当に君を歓迎しているんだね」
「素晴らしいものを見せて下さって、ありがとうございます」
私は皇子に頭を下げた。
側の随員達も、皆感動で言葉も出ないようだ。
私も、眦に雫がたまっていたので慌てて手でこする。
皇子はそのまま何も言わず、私達に背を向けて自分の馬車に戻って行ったけれど。
私は思った。
皇子は本当に、この国を愛しているんだなって。
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