みんなが寝静まった深夜。
私とアル、リオンとフェイ。
そしてエルフィリーナは魔王城を歩いていた。
今まで何度もしてきた探索のように。
けれども、いつもと違うのは
「ついて来てくれるか?」
リオンが先頭に立って私達を案内していること。
今までの探索とは違う、まるで良く知った家を歩くようにリオンは城の中を進んでいく。
まるで、ではないのか。
ここはリオンの『家』であったのだから。
「こっちだ」
一階を抜け、二階から三階に上がる。
王族のプライベートルーム。そこを躊躇いなく彼は進んでいく。
女主人の部屋の奥。
寝室は凸型になっていて奥に最高級品の寝台が埋められるようにある。
その窓側の壁は、かつて最上階に繋がる秘密の扉があった。
今は閉ざされているけれど。
その壁とベッドを挟んで反対側の壁にリオンは手を当て目を閉じる。
「あっ…」
かつてエルフィリーネが開いたのと同じように、真っ白な壁がふわりと揺れて扉が現れた。
リオンが扉を開くと階段が見える。
先の階段とは違う、はっきりとした上階へ上がる階段だ。
「マリカ」
「うん」
リオンが差し伸べてくれた手を取り、私は一緒に階段を上がる。
アルとフェイもちゃんとついてきているのが見えた。
まるで屋根裏に上がるかのような細い階段の上は…
「わあっ」
明らかな子ども部屋だった。
そうか。
このお城、本館は四階建てで、三階に他に階段は無かったからこの間行った秘密部屋が四階だと思ったけれど、エルフィリーネは『最上階』だと言っていた。
四階はちゃんと別にあったのか。
小さなブランコ。
木の積み木。
勉強用の机に椅子。クロゼット。いくつものクッションが積み重ねられている絨毯。
趣味のいい家具とベッドが設えてあり、たくさんの本がある書棚もあった。
「そこの本は子供向けの本が多い。チビ達に読ませるにはいいかもな。
そっちのクッションのところは良くオルドクスが寝てた。オルドクスは俺の守護獣でもあったんだ」
昔を思い出す様に、リオンはその瞳を細めて部屋を見る。
部屋の隅には訓練用だったのか、道場を思わせる広いスペースもあった。
「この部屋の右と左隣は城の魔術師と騎士の部屋だった。俺の教育係みたいな奴らだ。
三階の廊下の右奥と左奥に同じ仕掛けがあって、二人は自分の部屋と繋がる扉から俺の部屋に入れたが、俺はあいつらの部屋にはいけない。
エルフィリーネに頼めば開けてくれるとは思うけどな…」
部屋の真ん中で昔を懐かしむ様にリオンは顔を動かし周りを見回す。
「ああ…ここに入るのは500年ぶりだ。
本当にあの頃のまま。あの方は、俺がいなくなっても大事にしていてくれたんだな。エルフィリーネ」
「ええ、貴方はいつか戻ると、あの方は信じておられましたから」
静かに頷くエルフィリーネの言葉に小さく微笑むとリオンは、顔を上げ私達…私と、アルと、フェイ…を見た。
そして、闇色の眼差しで
「改めて名乗ろう。
俺は…今、魔王城と呼ばれるこの城の元王子。
精霊の力をもって、人の世と精霊を守り戦う『精霊の獣』の名を預かる者。
そして、外の世で勇者と呼ばれる、この地獄を生み出した元凶だ」
私達にそう告げた。
迷うような、惑うような彼の言葉を聞く私達に驚きはない。
昨日の『告白』で、もう解っていたことだから。
「フェイは…最初から知っていたの?」
私の問いにフェイは首を横に振る。
「僕が知ったのは『変生』の時です。それまではリオンは、他の誰とも違う、とは思ってもそうだとは気付いていませんでした。
シュルーストラムに彼が人ではないと教えられ、それでも共に並び立ちたいかと問われ、迷わす頷いたんですよ」
「宝物蔵には精霊達が残っている可能性があったから、俺は行くわけにはいかなかった。
まさか城の魔術師の杖、シュルーストラムがいて、しかもいきなりフェイに『変生』をかけるとは思いもしなかったんだ。
本来は『変生』は術士として十分な修行と訓練を経たうえで、覚悟を問うて行うものだからな」
「リオン兄も、その『変生』を受けて『精霊の獣』になったのか?
元は金髪、緑の眼って言ってたろ? それは変生のせい? それとも転生のせいなのか」
そう問いかけたのはアルだ。
今度はリオンの頭が横に揺れる。
「俺は…正確に言うなら俺と、あの方は生まれついての精霊と人の狭間の者。
そうあるようにと願われ、生み出されたものだ。
姿が変わったのは転生のせい。
転生を繰り返していくうちに精霊の祝福が剥がれて、闇に染まっただけだ」
「あの方?」
目を伏せ、髪を摘むリオン。
端正で整った強い顔立ちがもし、金髪と緑の瞳を持っていたら、本当に童話の王子様のようであったろう。
「…かつてのこの城の主。俺の母とも姉とも思う、育ての親。
精霊の力をもって、世を作り変え人々を守り導く『精霊の貴人』」
誇らしげに、尊いものを仰ぐように語るリオンの表情にチクリと胸が刺す様に痛む。
そうだ。
私がリオンが勇者であることに、たった一つ、思う所があるとすれば、それは…
「一つ、聞かせて。
リオンが私にくれた『マリカ』の名前。勇者の仲間、って言ってたよね。それは一緒に旅したっていう魔術師の女の子?」
大きく深呼吸して私は、問う。
「いいや。
彼女の名はリーテ。
変生を受けた本物の魔術師だったが、魔王城の魔術師である兄フェイエルと共に神の陰謀に巻き込まれて死んだ」
「フェイエル?」
アルがフェイの方を見るが、フェイは平然とした顔で胸を張る。
「僕は別に気にしてはいませんよ。
僕の名もリオンがつけてくれたものです。
世界最強の魔術師の名なんて最高の祝福の部類でしょう?」
「じゃあ、マリカっていうのは…」
「あの方は見かけによらず豪快で、
『私は貴方の母でも姉でもないんですから、母上も姉上も禁止。そう呼んだら返事しませんからね。女王陛下も止めて頂戴。
貴方と私はただ二人の家族なんですから…』っていつも言ってた。
マリカ様…
ああ、魔王の冠を被せられて俺が死に追いやったこの国の女王にして、城の女主人の名だ」
目を伏せるリオンは苦し気だけど。
その一言は私の中に、ぴったりと嵌る。
全てがあるべきところにカチリと音を立てて納まった気がした。
あとは、ティーナのアドバイス通り…。
「リオン、ちょっとかがんで」
「?」
脈絡のない唐突な私の言葉に、目を瞬かせながらも膝を折ってくれたリオンの頬に、私は渾身の力を込めて
バッチーン!
平手をかました。
「!」
「マリカ!」
驚きに目を見開き、青ざめるフェイと反対に、アルは心底楽しそうに目を輝かせると
「ナイス! マリカ。そういうわけで、リオン兄、これはオレから!」
リオンに飛びかかり、思いっきり頬に拳を入れる。
…アル。私はいちおう、平手に手加減したんだよ。
膝を折っていたリオンが体勢を崩し、尻もちをつく。
「マリカ! アル!!」
私達を止めに入ろうとしたらしいフェイをスッと手で制してリオンは私達を見る。
「言っとけくどな。
オレはリオン兄が、昔の自分を重ねて、オレを助けたことや、素性を隠してたことを怒ってるんじゃないからな。
オレを、オレ達を見くびってることを、怒ってるんだ」
「見くびって…か」
唇を噛みしめるリオンに向けてアルは大声で、自分の心の中の思い、全てをぶちまける様に叫ぶ。
「そうだ! オレは勇者伝説も何にも知らない。
不老不死の世界は心底嫌いだけど、その原因がリオン兄だって別に怒ったりしない。
死にかけてたオレを命を賭けて助けてくれたのはリオン兄たち。
それが全てだ。真実だ。理由なんかどうだっていい!
なのに、いつも仲間外れで、信じてくれない。話してくれない。
それが見くびってるんじゃなくってなんなんだ!」
「アル…それは」
「いいんだ。フェイ。アルの言う通りだ」
アルの思いをリオンは受け止める。
一言も言い訳をしないのは、実にリオンらしい。
「私が言いたいのも同じかな?
リオンは、最初から私がリオンの『マリカ様』の転生だって思ってたの? 知ってたの?」
「城で出会って、名前を付けるまでは思ってなかった。あの方の名前を付けたのも、少しでも元気になって欲しかっただけだ」
その後『私』が目覚め、エルフィリーネを従える様になったあたりで、もしかしたらと思ったのだという。
そしてギフトで確信したと。
なるほど。なら無問題だ。
姿勢を直したリオンを私は見つめて言った。
「リオン。これから私の事『マリカ様』って呼ぶの禁止。
ガルフの前でも今後、外に出る事があっても『マリカ様』って呼ばないで」
「マリカ…」
「そう。私はマリカ。異世界保育士マリカなの」
もしかしたら、エルフィリーネと、リオン。
二人が言うのなら、本当にそのマリカ様の転生の転生なのかもしれないけれど。
今は別人。記憶も無い。
だから
「『マリカ様』はリオンの大切な人の為にとっておいて。
私は、この世界の、リオンが名付けてくれたマリカとしてリオンを助けて、約束を果たすの。
この世界に、子ども達が笑って生きられる世界を取り戻すって」
それだけは譲らない。
今のリオンのマリカは私だ。
あの目的も約束も私だけのもの。
別にリオンが勇者であろうと王子であろうと、その目的に変わりはない。
リオンが原因だと責めたところで、世界は元には戻らないのだから。
むしろ最高に頼りになる味方ができた。
それだけだ。
「本当にみくびらないで。
私はリオンの『マリカ様』じゃないけど、ちゃんとリオンを助けられるんだから」
「オレも、リオン兄と同じだったって思うなら、大嫌いだったこの髪も眼も好きになれる気がする」
「マリカ…アル…」
リオンは伏せていた黒い瞳を上げて私達を見ている。
迷うような、惑うような影はもう消えていた。
「だからもう隠し事も、一人で抱えるのもなしだ。
置いていくなら地獄の底まで追いかけてまたグーパンしてやる。覚悟してろよ」
手を固く握って凄むアルに
「ああ…解った。さっきの平手とパンチは効いたからな」
立ち上がったリオンはポンポンと優しく頭を撫でた。
「止めろよ。子ども扱いすんな!」
アルは手を外して退けるが、その碧の瞳には安堵と喜びが見える。
いつもの関係に戻れた。
ううん、また新しくより強い絆を持つ仲間として始められるのだ、と。
「リオン。まだ言えない事もあるだろうからそれは無理に聞かない。
でも、話せるときはちゃんと話して」
「…ああ、約束する」
リオンの背中を押す様にフェイがポンと叩いた。
彼の前で、幸せそうに微笑むエルフィリーネが深く深く頭を垂れる。
「お帰りなさい。アルフィリーガ」
ずっと、自分を待っていてくれた守護精霊に、城の王子は照れたように告げた。
「ああ。ただいま。エルフィリーネ」
500年ぶりの王子の帰還。
私には、部屋が、城が嬉しそうに輝くのが見えた気がした。
気のせいかもしれないけど。
ううん、きっと、気のせいじゃない。と私は確信していた。
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