『聡明なるマリカ様でしたら、ご存じになりますかしら?』
「何のこと。ノアール?」
アル失踪から四日目。
犯人や居場所の手がかりは少しずつ見つかってきたものの今もって救出の目途がつかなくて苛立つ私の前で、通信鏡はどこか、ほんわりとした口調でそう告げた。
『棺をガラスと鋼で作る理由でございます。いえ、そもそも棺かどうかも解らないのですが』
「ガラスと鋼でできた棺?」
『はい。その中には人間が横たわっておりました。皆、血の気が無く白い顔をしていたので私、彼らは死者で、あれは棺なのかと思ったのですが』
「そんなものを、どこかで見たの?」
『はい。どこで見たかは申し上げることはできませんが』
アルの通信鏡を使い話、いや交渉がしたいと言ってきた割にノアールは、危機感や焦りもなく、まるで世間話のようにそんな言葉を紡いだ。
私はとっさに、顔を横に向けた、クラージュさん。いえ、海斗先生と視線が合う。
因みに通信鏡はテーブルの上に置き、場にいるみんな。
フェイ、リオン、クラージュさん。そしてガルフも内容を聞けるようにしてある。
カマラはノアールとの通話と聞いて話したがってはいたのだけれど、今回は我慢するという条件で、内側から扉を守ってくれている。
話は多分聞こえる筈だ。
それはさておき、鋼とガラスの棺。
まさか……。
「もしかして、中にいたのは子どもや若めの男女?」
『そう……ですわね。はい。成人した男女では無かった気がします』
パチンと謎のピースの一つが嵌った気がする。
ここが正真正銘のファンタジー世界とかだったら、石化とかになるのかもしれないけれど。ここ暫くの情報の洪水で私の頭の中は、ファンタジーよりも今SF寄りになっているのかも。直ぐに遠い日本での読書記憶が戻ってきた。
子どもの頃、ドキドキしながら読んだ猫と共に眠る男性の話、とか。
「多分、それは『神』が『神の国』から連れてきた子どもじゃないかな?
知ってるでしょ? そういう子がいるの?」
その上で、ちょっとしたカマかけだ。
『神』の下請けとして仕事をしている魔王。
同じ『神』の配下である子ども達と顔を合わせる事くらいありそうだから。
『あら、ご存じだったのですね。ええ。時々仲介を頼まれております。
我々には通信鏡のような便利なものはありませんので』
で、思った通り返事は実にあっさりと、肯定という形で帰ってきた。
「ノアールが転移術で送迎しているの?」
『最近はそうすることが多いでしょうか? 転移陣は設置した場所までいかないと使えないので不便ですし時間を決めて待ち合わせております』
「大変だね」
『待ち合わせも楽しいモノですわ。大抵、仕事が終わられますとあの方はお一人になりますので、戻るのを少し遅らせて美しい風景を見るのは心が和みます』
「幸せそうで何より」
『ええ、とても幸せでございます。だから、この幸せがずっと続いて欲しい。
などと思ってしまうのです』
前にも聞いたけれど、魔王でありながらノアールが望んでいるのは『平穏』だ。
人間がいるからこそ、下請け魔王は恐れられながら共存していける。
「『神』は……きっと違うね。守るべき子ども達がいるのなら、全てその子達優先なんだと思う」
『やはり、そう思われますか?』
「うん。その子達を守る為に『精霊の力』を集めていろいろやってたんだよ。きっと」
『なるほど。では『神』はやはり目的を果たしたらこの地から離れてしまうおつもりでしょうか? あの子ども達を連れて』
「多分ね」
エリクスはともかくノアールにとっては『魔王』というのは前にも言ったけれど愛する人と一緒に誰にも邪魔されず自由に過ごす為の仕事。
このままずっと、続けていきたいのだろう。
エリクスは……どう考えているのだろうか?
思いながら、私は情報収集を続ける。
「そういえば、大抵、ってことは偶には二人きりに慣れない時もあるの? 子どもが城に戻る時とか?」
『子ども達は滅多な事では、城に戻ってきてはいけないということになっているようです。
基本的に自由に動き、用のある時だけ伝書用の魔性で『神』と連絡を取り合っているのだとか」
「伝書用の魔性とかいるんだ」
『彼らからすれば、この大陸での生活は堪えがたい程に辛いものであるそうです。最近はたまに子ども達の手伝いを、と命じられて出ることもございますが、よくこんな世界で生きていられる、と愚痴を言われます。『神の国』というのはよほど素晴らしい世界なのでしょうか』
「…………。素晴らしいばかりでは無いけれど、この世界よりは便利で過ごしやすい、と思える事、多いかもしれない。と思います」
『マリカ様も子ども達と同じく『神の国』の御出身?』
「違うけど、記憶はあるって感じかな?」
『ああ、様々な知識は『神の国』のものだったのですね』
もし仮に、『神』の子ども達が二十一世紀の記憶を持つ地球人だとしたら、この世界が相当に辛いというのは解る気がする。
中世異世界。
テレビも電気も、まともな食事すらない。
子どもの人権も無くて、孤児院で厳しい生活を送りながらいつか、地球に戻る日を夢見ていたというのなら……。
千年近い時を経て、子ども達にどの程度の記憶が残っているのか解らないけれど、いつか戻れると言い聞かせられていたのなら。
私は彼、彼女らの思いを完全に否定はできない気がする。
「ですから、私がこの城に来てから『帰ってきた子ども』は一人だけでございますわ』
「……一人だけ?」
『ええ。マリカ様がお探しの子にございます』
「アル!?」
さり気ない情報収集はあちらもなのだろう。等価交換。
情報には情報を。
ノアールはこちらからの情報に満足したのかやっと、私達が知りたいことを教えてくれた。
「アルは無事?」
『命を奪われることは無い、という点におきましては無事と言えるかと思います。
ただ、城に連れて来られて三日。
『神』がお手元で『治療』をされているとのこと。私はおろかあの人でさえ、初日に一度あの子を『神』の御許に運んで以来会っておりません。
荷物、衣服は処分するように私に預けられました。その過程で、通信鏡を見つけてご連絡を差し上げた次第です』
衣服を奪われ、治療……か。
本当に最悪で、SFチックな想像が頭の中でぐるぐるする。
「私達は、アルを助け出したいんだけれど、方法はあると思う?」
『あの人は明日、大きな仕事を頼まれていると申しておりました。
私も出るように申し付けられております』
「明日!?」
『おそらく、あの子の治療もそろそろ終わり、本格的に動き始めるおつもりでは無いか、ということです』
「……明日」
やっぱり、マルガレーテ様が面会の時間を直ぐにとってくれなかったことは時間稼ぎの意味があったんだ。
明日、本格的に何かが動く。
「それで、ノアール。私としたい交渉って言うのは何?
アルを返すから、という事はできないんだよね?」
魔王との交渉に身構えていた私に、振ってきたのは思っていたのとは違う言葉だった。
『お力をお貸しいたします。地獄から救い出して頂いた恩をまだお返ししていませんでしたから』
「え?」
『まあ、報酬はしっかり頂くつもりですが。
通信鏡などいかがでしょう。マリカ様と通信できるものと、もう一対。
それから、魔王という存在、位を私達に譲渡下さいませ。
魔王を雇用し『神』の側からの情報を得られるのであれば、安いと思いますが?』
「私達に、力を貸してくれるの?」
『正直に申し上げると、私はあのガラスの棺を見て『神』やその周辺については私の知識や理解の外側だと理解したのです。だから、マリカ様を巻き込もうと決めました
『神』に一泡吹かせるという目的が同じなら、協力し合うのが合理的ではありませんか?
使えるものは、なんでも使う。マリカ様、得意でいらっしゃいますでしょう?』
「ノアール」
『私、今もマリカ様の事。好きですが嫌いです。
共に有ると不出来な代用品にしかなれませんから。『神』もマリカ様を入手できず、私が来たと聞き、興味を無くしてあの人の配偶者としての対応しかしなくなりましたから』
黒いガラス板。
通信鏡の向こうで、ノアールが微笑んだような気がした。
顔が見えないからこそ、言える本音があるのかもしれない。
『世界を変えられるのは、マリカ様やアルフィリーガだけではないと。
私達のような取るに足らない子どもでも、星を変え『神』に、運命に抗う事ができるのだと知らしめたいのです。それが魔王となった私の、この世界への逆襲ですわ』
頭を、ガツンと殴られた気分だ。
子ども達の個性や、思い。
理解し、配慮してきたつもりだったけれど。
彼らの事を守らなくては。そう思っていたけれど。
心のどこかで見くびっていたのだと思う。
この世界の人間を。子ども達を。
私が助けた女の子。ノアール。
でも、彼女は流されるだけの弱い少女では無い。
自分の居場所で、しなやかに立つ強い子だ。
それと同じように、今まで出会ってきた人達、育ててきた子ども達。
皆の力を借りれば、きっと一人でやるより確実にアルを助け、星を変えられる。
この大地を守ることができる。
ぽん、と。
私の背をリオンが叩く。
きっと、リオンも何かを思ったのかもしれない。今のノアールの言葉に。
フェイ、クラージュさんと頷き合い、私は再び交渉に入る。
「それは、エリクスも合意している話?」
『細かい点で、あの人が個人的に思う事はあると思いますが、概ねは。
私達、この星で生きることに関しては不満を持っているわけではありませんので。
人が滅びたら、誰も魔王を恐れてはくれないでしょう?』
図らずも、昨日話した通りの流れになってきた。
彼女達に今後も『魔王』を任せるかはさておき。
「悪い話ではないね」
『では……』
「でも雇用主としては、就職希望者の能力と、やる気を図っておきたいのだけれど」
『望むところです』
魔王と魔王の交渉は決裂することなく、長く続いた。
それから
「ガルフ。あの子は今も私に力を貸してくれるかな?」
「無論。あの子だけではなくゲシュマック商会の総力をもって」
「ありがとう。
フェイ。悪いんだけれど、転移陣貸して。それから、転移術で移動を。
今日は徹夜覚悟で、あちこちに協力を仰ぎたいから。時間を無駄にしたくない」
「お任せを」
「リオン」
「なんだ?」
「悪いんだけど、ついてきて。『神』との直接対決になっちゃうかもしれないけど、リオンがあっちに引っ張られそうになったら、私が絶対に引き戻すから」
「大丈夫だ」
リオンは強く頷いてくれる。
フェイも、クラージュさんも。ガルフもカマラも。
「お前が、俺を呼んでくれるなら。俺は絶対に帰って来る。
お前のところへ」
なら、私に怖いものなどない。
「クラージュさん。魔王城への通信鏡貸して下さい。
今夜戻るから。みんなに力を貸して欲しいって伝えたいんです」
「みんな? それは、子ども達もですか?」
「ええ、勿論、クラージュさんにも」
「かしこまりました」
「カマラは、私の側にいて。ことによったらノアールとの仲介を頼むかも、だけど」
「お任せ下さい。少しホッとしました。
彼女が彼女らしくあって。ならば、私も私のやるべきことをするだけです」
「ゲシュマック商会だけじゃなく、アルケディウス。ううん。大聖都。
もしかしたら七国全ての力を借りるつもり。
アルを、この星の未来を『神』から取り戻す為に」
そして翌日、私達とアースガイアは、運命の日を迎えたのだった。
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