楽しい時間はあっという間に過ぎる。
来客達を送り出し、魔王城に戻っての夜。
「お疲れ様でございました。冷たいテアでもいかがですか?」
「ありがとう。ティーナ。うーん。ピアンの風味がして美味しい」
「ジョイ様のアイデアなのですよ。葉をよく焙煎したテアは果物の果汁が合うようです」
「キトロンやオランジュではやってたけど、他の果物もいけるね。今度外で使ってみよう」
大広間のテーブルでは私、リオン、アル。そしてクラージュさんが顔を合わせている。
今後のことについて話をする予定なのだ。
子ども達はみんな、遊び疲れて眠っている。
来賓客たちもみんな帰った。三日間、通い詰めたフォル君とレヴィーナちゃんは、眠ったところをこっそりお父様とお母様が連れて帰った。
実は帰る頃になると、毎日魔王城に泊まりたいって大泣きだったんだよね。
お母様は二人がどんなに来たがっても、私がいない時には魔王城に連れてこないことにしておられるようだから、次に二人が来るのはまた少し先だろう。
ちゃんとリグたちにお別れさせてあげられなかったこと、向こうに帰ったら謝っておかないと。
セリーナはファミーちゃんと最後の夜。カマラは城下町で休んでいるだろう。
「ティーナ。私達、ちょっと話をしたいの。こっちは大丈夫だから休んで。
リグも心配でしょ?」
「ありがとうございます。
何かあれば、エルフィリーネ様がお知らせくださいますので大丈夫ですが、お話の邪魔はできませんね。では失礼いたします」
「うん。明日の朝、少し話そうね」
ティーナはそう言って、静かに退室していった。
残るのは私と、アルとリオンとクラージュさん。
それぞれ立場ができてしまったので、なかなか外ではじっくりと腹を割った話ができないからね。
「私は明日、アルケディウス王都に戻ったら、数日、製紙工房の方に行ってまいります。
紙の大量生産について意見が欲しいということなので。
帰国の日まで遠出の外出の予定は無いですよね?」
「大丈夫です。戻った次の日は商業ギルドとの会議。その後孤児院の視察とかも予定してますけど王都を出ることはしません。
帰国の前の大貴族との舞踏会の時にはいて欲しいですが」
「了解しました」
因みにクラージュさんは現在、アルケディウス派遣の『聖なる乙女』の護衛と言う立場。
大神殿に籍を移した私やリオン、フェイと違ってアルケディウスの騎士貴族のままだ。
元は製紙工房の指導員だし、ガリ版印刷の考案者だし、私と同じくらいに向こうの印刷製本の知識もあるからよくそちらの方に行っている。
他国との会議のオブザーバーに呼ばれることもあって、色々と忙しい様子。
一方、アルはゲシュマック商会大聖都支店の支店長の立場。
食料品の仲買と小売、そして実習店舗を兼ねた料理店を齢十四歳で見事に仕切っている。
「明日、俺も大聖都に帰るな」
「お疲れ様。アル。転移陣で帰るの?」
「ああ。この休みは家で帳簿の纏めと調べ物をするからって店の皆には話してある。
ガルフ。旦那様達の接待で疲れているから多分家から出ないってな。
一緒にアルケディウスで話してくるってしても良かったんだけど、行き帰りの時間が無駄だし」
ホント今もアルは大聖都にいることになっている。密入国扱いだけれどここは魔王城の島。文句を言われる筋合いはない。
「どうしてもの時は通信鏡で連絡しろって言っといた。着信なかったから大丈夫だとは思う。明日戻って朝から出勤だな」
「了解。あんまりゆっくり話す機会も無かったけど、大聖都のゲシュマック商会の方はどう? 順調なのは解ってるけど」
「特に大きな問題は無し。食事処も小売店舗もいい感じに育ってる」
「流石、アル」
「支えてくれるみんなと、大神官様の御贔屓のおかげだけどな」
「私は何にもしてないよ。美味しいもの食べたいから通ったり買い物しているだけ」
ゲシュマック商会の社員教育のおかげでしっかり育った従業員達。
特に開店当初の初期メンバーは今や立派な幹部として各地で働いている。
アルを子どもだからと侮る者もなく、逆に相場や市場に強い先見の明を持つ支店長と慕ってくれるという。
アルには人の嘘を見抜いたり、未来を少し先読みする予知眼がある。
色々辛い目にあったその力も、今はアルを助けてくれているのなら良かったと思う。
「食品関連の店は軌道に乗って来てるから、そっちを今度はハンスに任せて俺は科学商品の方に回ってくれないかって話も出てる。
一応受けるつもりだ」
「一人で大丈夫?」
「本店から助手としてクオレに来て貰う予定だから。
孤児院から引き取った子達も頑張っているし。何より俺自身がやってみたいんだ」
アルは随分前から科学関連に興味を持っていた。
最初の研究にはゲシュマック商会の商人の身分から参加できなかったけれど、アルの予知眼も成長して未知の物質の性質や特性などにも理解が及ぶようになってきている。
新発見の鉱物、新しい素材などの特性をアルが予知眼で見て、それと同じ性質のものを精霊の書物から見つけ出す。
そんな感じの使い方で、向こうの世界にもいくつもあった金属や鉱石などの名称が解り活用方法がぐんと広がった。アルの碧の瞳は今、かつてないくらいに輝いている。
「なんだか、新素材とか見てるとワクワクする。
こういうもの作れるかな。とかこういうことに使えるのかなって。
なんだか楽しくて、嬉しくて、胸が熱くなるんだ」
「アルは向こうの世界とこちらの世界の知識の橋渡しの存在になれるかもしれませんね。
精霊に愛された子ですし」
私と同じ異世界転生者。海斗先生ことクラージュさんはそう言って笑っていた。
二つの世界の橋渡し、かあ。
本当なら、私がそうするべきなのかもしれないけれどなにぶん、私の知識は偏りが激しいから。
子ども関連と食べ物関連と、後は趣味の世界だけ。
鉱石とかメカ、科学関連は未だにわけわかめだ。
「休み明けからの科学会議にも商人代表で入る予定だからよろしくな。
うん、頼りにしてる」
アルはアルで自分のやりたいことを見つけているのが嬉しい。
私とリオン、フェイとアル。四人ずっと一緒だったアルケディウス時代から随分と離れてしまっているから。
一方で科学関係には驚くほど口を挟まないのがリオンだ。
精霊の書物の文字、全てを読むだけの知識はあるけれど、それを自分から出すことは滅多にしない。フェイに読み方を教えてからはむしろ避けているんじゃないかってくらいに本に触れずにいた。前に聞いたら
「俺が答えを教えるのはズルになるからな」
つまり『精霊神』様達が向こうの知識を教えてくれないようにリオンも『精霊』として、人間の成長を見守る為の制限がかけられているのかな。って思う。
はっきりと問いただしたことはないけれど。
一方でリオンはここ数年。大聖都の騎士団長としてあちらこちらを飛び回っている。
大聖都と各神殿の転移陣を駆使して、本当に縦横無尽。
大陸を、『星』を。この国に住まう子ども達を守る。
その『精霊の獣』としての任務に加減が無い。
むしろ何か急いでいるように治安維持の確立について全力を注いでいるように見えた。
「肥沃になった土地の精霊を狙ってやってくる魔性の被害をなんとかして食い止めたい」
そう言うので、私はリオンの各神殿の転移陣の利用をフリーパスにしている。
各国もリオンに関してだけは入国の手続きを省略することを許可してくれていた。
「特に、魔王に直接指揮された魔性は質が悪い。
精霊を食った筈の魔性を倒しても精霊力が戻らないことがある。
きっと奴らの主に『魔王エリクス』と『魔王ノアール』を中継して精霊の力を送っているんだ」
彼は悔しそうに拳を握りしめる。
現在、この大陸。
一般には何故か知られていていないけれど、アースガイアと呼ぶこの『星』には数多の魔性と、二人の『魔王』の存在が確認されている。
ほんの数年前までは精霊の力豊かな場所にごく稀に現れるだけだった魔性は、ここ数年飛躍的に数を増やしていた。
それはこの『星』を、守る存在でありながら封印されていた『精霊神』が復活し大陸全体が肥沃で精霊の力豊かな場所になったこともさることながら『魔王』二人が復活したからであると言われている。そしてそれは間違っていないのだろう。
彼らは肥沃な農地や丁寧に整備された果樹園などを狙ってやってくる。
そして『精霊』を食らっていく。逸れた魔性に食われた精霊は倒せば精霊は戻る。
でも『魔王』に率いられた魔性達に食われた精霊は戻らない。
時に男性、時に女性。
二人の『魔王』がほぼ交互に魔性を率いてどこかを襲う。
その土地にいる人間を襲撃によって沈黙させ、その後、土地で暴れさせおそらく精霊を食らわせている。
襲撃場所に類似性はない。ただ、精霊の力豊かな肥沃の土地が多いこと以外には。
精霊が食われた土地は、痩せて作物が実らなくなったり、弱い植物しか育たなくなったりする。
私が大聖都に入り、大神官になってからはそんな土地に精霊の力が戻るように祈ることも増えた。そして、さらにオプションを望まれることも……。
まあ、それはさておき。
「二年の期日はもう過ぎた。奴は、いつ俺達を手に入れようと仕掛けてくるか解らない」
ここ二年の間『神』は私達にまったく接触してこなかった。
新年の儀式の時も、夏の儀式の後も本当にきれいさっぱり何もしてこないし、言っても来ない。
夏の儀式の時に送る力は少なめにコントロールしてさえいるのに、文句も言ってこないのだ。
「その前に、なんとか『魔王』達を倒さなければならないのに、俺は今、奴らの影を追う事さえできないんだ」
そうは言っても仕方ない。
『魔王』の襲撃は後出しじゃんけん。
広い大陸のどこに出るかも解らないし、報告が来てからのタイムラグもある。
通信鏡がある所ならまだしも、田舎の方は襲撃があって丸一日経ってから報告が入ることもあってそれから行っても、ほぼ手遅れだ。
今の所『魔王』軍の襲撃を完全に食い止め、被害を未然に防げたことはない。
魔性がまだ暴れている状態に間に合ったことや、護衛兵が早くたどり着いて早めに退去した事は何度もあるけれど。
私も、リオンも『魔王』達と直接会ってさえいない。
(「ノアールはやっぱり自分の意志で『魔王』をやっているのかな?
操られたりしている様子は無かった、って報告もあるし」)
「焦ってはいけませんよ。アルフィリーガ」
「先生……」
俯き震えるリオンにクラージュさんは静かに、諭すように告げる。
「そんな焦燥こそが敵が今、貴方に一番与えたいものなのでしょう。
忘れないように。
『神』にとって一番必要なものは『精霊の力』でも『気力』でもなく、貴方達二人です。
アルフィリーガ、エルトリンデ」
マリカ様、でなく『精霊の貴人』。
『神』が求めているのは私と言う存在ではなく、『精霊の貴人』という役割を持つ『人型精霊』なのだということは解っている。
私の身体、というか存在が何か、意味と役割を持っているのだろう。
『神』は、私の身体が成熟するのを待つ、と言っていた。
何をもって成熟というのか?
それは一体、いつなのか?
どんな形で狙ってくるのか。
「いずれ『神』との対決の時はやってきます。
その時に少しでも抗えるように今は、力を貯める時ですよ。
貴方達は、一人ではないのです」
「そうだ。マリカ。リオン兄。勘違いするなよ」
「アル?」「勘違い?」
「そうだ。いっつも二人は抱え込む。
自分がやらなきゃ、解決しなきゃって。でも事はそんな単純な話じゃないんだ」
クラージュさんの言葉に続くようにアルが私達を見据えた。
どんな嘘も偽りも見逃さない新緑の瞳は私達を真っすぐに射抜いている。
「いい機会だから、言っとく。
俺が科学とか新素材に興味をもちだしたのは『人間』にしかできないことがある。
って思ったからだ」
「人間にしか、できないこと?」
「ああ」
アルは腰に帯びた剣にそっと触れながら、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでいく。
商人でありながら、アルは片時も剣を手放さない。
魔性が増えたこの世界で、剣を帯びる商人は珍しくは無いけれど。
何か、思う所があるようだとは思っていた。
「クラージュ殿に言われる前から、エルフィリーネは言ってた。『精霊』にはできなくても、人間にならできることがあるって。
俺は、ずっとそれを探してた。
エルフィリーネにアドバイスを貰って、フェイ兄と一緒に色々調べたもした。そうして、気付いた、というか思ったことが……ある」
アルの目が虹を帯びる。まるで、水に油膜を垂らしたような虹色の瞳。
それは
「多分『神』は『精霊』には殺せない。
『神』を『精霊』を殺せるのは人間だけだって」
私達には気付けない真実を見つめる眼差しだった。
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