その日の夜
「何故だ?」
私は寝台に横たわり、自分を組み敷く男を見上げていた。
皇女の寝室にこの『男』が侵入してくるのは二度目。
『魔王』マリクはまるで、自室のように私の部屋に侵入して、私が抵抗しないのをいいことに私に覆いかぶさってくる。
「何が? です?」
両腕は固く大きな掌に二本まとめて掴まれ寝台に縫い付けられている。
リオンの両手がこんなに大きくなっていることに気が付かなかった。
異常事態なのに、頭は妙に冷静で冴えわたっている。
傍から見れば、強姦0秒前。
でも、この男からどこか血走った焦りや戸惑いこそ感じるものの、恐怖をまったく感じないのは何故だろう?
「何故、お前はそこまで頑なに覚醒を拒否する?
もう時間は無いのだぞ!」
「覚醒? 拒否? 意味が解りません」
「とぼけるな! そこまで男を煽る色香を漂わせておいて、何故、大人になることを拒絶する?」
「ホントに何が何だか? どういう意味だか、説明して下さい?」
「本当に、気付いていないのか?」
「……うっ!」
そう呟くと、私に彼。リオンの姿をした『魔王』は顔を寄せ、強引に唇を重ねてきた。
どこか冷えた感覚のする口唇は私の反応など気にも留めず、私を貪っていく。強引に舌で唇を割り、逃げる私を捕らえて絡めて翻弄する。
触れた先から体中が、痺れる様な感覚が広がって、抵抗や動くことはできない。
けれど、不思議な事に、身体も心も動かないのだ。
恐怖もない。憎悪も、期待もない。冷たく凍ったよう。
最初に『魔王』に触れられた時には、微かに感じていた快感や熱さえも感じられない。
「チッ」
「?」
「『星』……いや、エルフィリーネだな? お前の心に防御壁をかけたのか?」
「……防御壁?」
吐息と共に憎々し気に言葉を吐き出す『魔王』
顔を上げ、互いの唇から引かれる銀の糸を乱暴に拭って彼は舌打ちする。
「男を魅惑するフェロモンを発しながらも、身体と心は固く閉ざす。
まったく。どういう嫌がらせだ!」
「フェロモン?」
「本当に気付いていないのだな」
未だに意味が解らない。きょとんとする私に『魔王』はどこか呆れたように言い聞かせる。
「お前は、まだ本気で自覚していないのだろうが、人型精霊は人の上に立つにあたり、基本的に『人から嫌われない』ようにできている。その気になれば、異性、同性同時に惑わし味方にすることもできなくもない」
「人に、嫌われない?」
「そうだ。人間を導くのに反発の意思を持たれるのは悪手だろう? 外見や雰囲気、発する香気ではない香りなどで、人型精霊は基本的に人を落ち着かせ、好ましい感情を相手に持たせるようにできている」
「そんな、ことが……」
「今までのお前は、その機能についてはほぼデフォルトでまともにスイッチが入っていなかったが、今は男性関連にだけ半端に力が流れている。
力のコントロールを司るのは心だ。何か心境の変化でもあったのか?」
「ああ……それは」
きっとお母様との会話だ。お父様の心を射止めんと努力したお母様の話を聞きながらメイクをして貰ったことで、リオンの心を取り戻したい。って思いが暴走したのかもしれない。
フェロモンとやらが自分からどう発せられているかは、解らないから止めようが無いけれど。
「まだ、男に気を許す気が無いのなら気をつけろ。
誰もが私のように、準備ができていないなら諦める、などという甘い考えではないぞ」
そういうと『魔王』は私の手を放し、スッと身を引いた。
身体にかけられていた圧が霧散していく。
「準備が、できていない?」
「私が、お前を抱きたいと思うのは、複製を作る為だ。
できれば、じっくりと時間をかけて心と身体を奪っていきたかったが、おそらく時間が無い。迎えさえ来れば直ぐにでも、私は『神』の身元に帰ることになる。
その前に、お前の身体を支配し、私を刻んでいきたかったのだが……」
ぞわっ、と背中に冷水が浴びせかけられたように寒気が走った。
刻むって、それは、つまり……。
「人型精霊は無から生まれる者ではない。
命の源たる卵を作れるのは女だけ。生命の理は『精霊』の力をもってしても揺るがす事の出来ない最大の神秘なのだ」
私のお腹の少し下に『魔王』が手を触れる。
「あうっ!」
布一枚を隔てているけれど、まるで直接触れられているみたいな感覚にぞわぞわくる。
まるで心臓の鼓動の様に収縮し、微かな痛みと熱を発しているのは、私の子宮だろうか?
「お前の身体が、卵を作れない状態である以上、今、抱いても無意味だからな。
後で体制を整えてから、向こうに連れて行くしかないだろう」
『魔王』にとって、私を抱くのは恋愛ではなく義務。
私の身体を奪われることは『星』の一端を奪われることだから気をつけろと以前エルフィリーネが言っていた。
複製を作り『星』にアクセスする経路を作る。その為だから目的を果たせない今は、抱く必要が無い、ということなのかな?
「あいつは、悪趣味だ。
身体だけではなく、お前の官能や意識にまでがっちり、ガードをかけている。
ほら」
「?」
『魔王』の掌が、夜着の胸元をはだけさせて、中に入り込んでくる。
私の、真っ平な乳房に触れて来るけれど、何も感じない。
さっきお腹に触れられた時よりも。
ちょっと気持ち悪いだけだ。
私の態度に気が付いたのだろうか。『魔王』は苦笑いして手を引いた。
「これでは目的を果たせないどころか、無理に抱いても空しいだけ。
マイア女官長のとの約束もある。戻り、力と立場を完全に取り戻してから『魔王』として正々堂々と略奪するとしよう」
こういう生真面目な所。リオンと根が同じなのだと感じる。
約束は守ろうとするんだね。
マイアさんは、逆にリオンと子どもを作れ、って言ってたのに。
「早く覚醒しろ。時間はもう本当に無い筈だ。
複製を作るのは、我々ではなく、お前達の為なのだからな」
「リオンは……相手がどうなるか解らないから誰も抱かない、って」
「人間相手なら、力が支えられずに意識や肉体が崩壊する可能性もあるだろうが、同じ『人型精霊』であればそんな気遣いも不要だ。だから、惹かれ合う。
彼女はどうだったか知らないが、私にとって『精霊の貴人』を手に入れることは絶対の使命だった、
昔は、そんなことを考える余裕もなかったが……。
私を受け入れ、子を宿せるのはお前だけ。そして、お前を満たせられるのは私だけだからな」
最後に一度触れるだけのキスを唇に落とすとスッと身を引き、寝台から、私から離れる『魔王』。
ホッとしながらも一抹の寂寥が過る。
私の身体には今、エルフィリーネの『おしおき』、どうやらガードがかかっているらしいけれど、心は、どこかで彼を、番を『アルフィリーガ』を求めているのだろうか?
そんな私の心を知ってか、知らずか。『魔王』は目を閉じた。それは、何かを探るような感じるような仕草に見える。
「魔性の力の増大を感じる。
今までにない高まりは、おそらく私の奪還の為の準備。おそらく、近いうちに大規模な襲撃が有るだろう。
リオンという存在や、国、大聖都の威信に傷をつけたり、犠牲を出したくなければ黙って見送るがいい。私は一度『神』の元に帰り、魔性達を掌握してくる。お前とフェイはいずれ迎えに来るから、その時までに覚悟を決めておけ」
口を噤む。
……彼は知らない。
『神』が、『魔王』を取り戻す為に現魔王に奪還を命じているのは確かだろう。
でもその現魔王は、『魔王』の帰還を憂い、追い出す為の策略を企てていることを。
それに、私達が乗っていることも。
目を見開き、私を見る。
その闇色の眼差しには欠片の迷いも澱みも見つからない。
ただ、自分の使命と役割を見つめている。
「人型精霊の成長を司る鍵は、良くも悪くも自分の心なのだ。
城の守護精霊の守りも、お前が望めばすぐに消える。
自縄自縛で自らの成長を封じていたこの身体の封印は、私が解除した。
後はお前が自らの運命と、私を受け入れれば済む話。
何度も言うが早く、覚醒しろ。この星の為にもな」
微かに空気が揺れ『魔王』は部屋から姿を消していた。
一人、取り残された私は無意識に手を触れていた。
エルフィリーネがかけたという『魔王』へのお仕置き。
それを超えて彼の存在に反応した、私の子宮の上に。
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