穏やかで幸せな親子の光景を見つめます。
敵国と言われたアーヴェントルクから、帰還を果たした私達は、約一カ月。
使節団の代表として、気を緩ませることなく立ち続けていた少女が家族に守られ幸せそうに微笑む様子を目の当たりに見ていました。
とても、美しく、暖かで幸せな親子の光景を見る事が出来て、良かったと思う反面、私は考えずにはいられません。
一歩間違えば、私達は彼女を、この美しい風景を失っていたのかもしれなかったのだ、と。
私はカマラ。
アルケディウス皇女 マリカ様にお仕えする護衛士です。
私のような貴族でも無い、廃棄児の子ども上りが皇女の護衛を担当するなど本来なら在りえない事ですが特別な伝手と事情で、この仕事に就かせて頂いています。
「マリカは先に休ませています。やはり疲れていたようですね。
夕食も待てずに気を失ってしまったので部屋に寝かせてきました」
そうおっしゃったマリカ様のお母様、第三皇子妃 ティラトリーツェ様です。
一カ月の親善旅行から戻ったマリカ様は、ティラトリーツェ様とそれは幸せそうに一緒の時間を過ごしておられました。
マリカ様は第三皇子ライオット様の庶子であり、ティラトリーツェ様にとっては血のつながらぬ、夫の浮気の子である筈ですが、仲睦まじい様子はそんなことを欠片も想像させません。
むしろ、我が子以上に愛して育てておられると誰もが理解しています。
「……貴方達も長旅で疲れている事は承知していますが、何故呼び出され、残されたのか、理由は解っていますね」
さっきまでマリカ様や双子の赤子に見せていた、柔らかく優しい表情とはがらりとかわり、その眼差しからは厳しく、問いかけるような力が感じられます。
いいえ、実際に問いかけているのでしょう。
ここに残されているのは、護衛士、女官長、ティラトリーツェ様の腹心の護衛騎士の三人。
その背後には二人の侍女見習いと、秘書官も。
要するにマリカ様に直接仕える上級随員ばかりです。
他の雑務を行う随員達は既に解散して、家に戻っているでしょう。
実は、私達も本当は保護者の元に、姫君をお返しした時点で仕事は終わってはいるのです。
マリカ様はありがたくも私達に仕事を完遂した褒美として、臨時報酬を下さり
「明日から、また忙しくなります。休みも碌に与えてあげられず申し訳ありませんが、これからもよろしくお願いしますね」
と労って下さいました。
その後は、自由と言えば自由。
同敷地内の自分の部屋に戻って一休みしたいところではあるのですが。
マリカ様がティラトリーツェ様と入浴をなされている間に伝言が届いたので、私達はここに残されています。
『今回の件について、確認したい事と話があります。
今後も同じ仕事を続けていきたいと願うのなら、残りなさい』
第三王子妃ティラトリーツェ様からの命令に、逆らう者などいません。
残らなければ、現職から外すという言外の脅迫も勿論、功を奏したのでしょうが。
事実問題として、私は、私達はティラトリーツェ様に謝罪しなければならないことがあります。
「はい。ティラトリーツェ様」
私達の中で一番身分の高い女官長。ミュールズ様が膝をつき頭を下げました。
それに従う様に他の全員も同じ仕草をします。
勿論私も。
「この度は、マリカ様の身辺をお預かりしている身でありながら、アーヴェントルク皇妃の罠に填まり、マリカ様の身を危険にさらした事を心からお詫び申し上げます」
そう。
私達は今回、マリカ様を敵に捕らわれるという失態をしでかしたのです。
罪は主に私達、前に立つ三人の者ですが、後ろの者達も無関係であると大きな顔はできないでしょう。
側に控えていれば止められたかもしれないし、皇妃の危険に気が付けず罠に填まった、という点では随員全員の罪で在ると言えます。
「あの子は優しい子ですから、貴女達を責める事はぜず、全てを許しているでしょうが、私は簡単には許しません。
貴女達は私達の信頼を裏切った、とまでは言いませんが、傷をつけたのです」
厳しい『母』の口調に反論できる者はいません。
事実、私達はアーヴェントルク皇妃に毒を盛られ、マリカ様を奪われ、あげくの果てに暗示をかけられて、敵に思う様に操られてしまったのです。
私自身、後で聞いてゾッとしました。
この手で私はマリカ様を祭壇の枷に繋いだのだと聞いて。
もし、アーヴェントルク皇子が予定より早く戻り、動いて下さらなかったら。
護衛騎士リオン様が、私達の暗示を解いて下さらなかったら。
そして、ほんの少し、様々のタイミングが悪かったら。
マリカ様はアーヴェントルクに囚われ『神』の支配下に奪われていたのかもしれないですから。
「マリカの額に残る痛々しい傷に心が痛みました。
幸い他には傷が無い事を確認しましたが、もしあの子が傷つけられていたり……最悪の事態で辱められていたりしたら、私はあの子が何と言おうとも貴女達を許さなかったでしょう」
私達は頭を下げます。
一言の反論どころか謝罪も許されない雰囲気が漂っています。
臣下を廃して母親と、娘が入浴するなど、貴族では滅多にありえない事ですが、それも自らの目で娘の状態を把握したいという母親の思いであったのなら納得です。
「貴女達はまだ、今回の事態を甘く考えているのかもしれませんが、実際に「在りえた」と私達は考えています。
アンヌティーレ皇女はマリカを自分配下にしたがっていたようですが、最悪の場合マリカを『乙女』ではなくして、『聖なる乙女』の資格を奪えばいいと考えていた可能性もあるのです」
ティラトリーツェ様のお言葉を想像して、私は背筋が凍りつくのを感じていました。
あの幼い身体が祭壇の上で男達に組み敷かれて……なんて想像したくもありません。
同じ光景を想像したであろう随員達に、さらに厳しい目でティラトリーツェ様は注意を下します。
「いいですか?
あの子は類まれな知識と、行動力をもっています。
目的への最短距離を理解し、突っ走るのです。
その行動力に幾度となく助けられてきましたが、あの子の中では『自分自身を守らなければならない』という一番大切な思考が抜け落ちているように思います。
繰り返し、繰り返し注意していますが直りません」
母親の分析は、正確だと私は感じています。
実際に側であの方を見ていても、そう感じる時は少なくありませんから。
「ですから、周囲の助けが必要なのです。あの子を引き留め守る存在が。
私は、私達はそれを期待して貴方達をあの子に付けました。その期待を損なってもらっては困ります」
「はい……」
「今後もマリカを狙う者は、今後増える事はあっても減ることは無いでしょう。
何より世界を支配する『神』があの子を欲しているのです。
そして次の訪問国は『大聖都』
神殿での年に一回の大祭事です。『大聖都』もまたマリカ獲得になりふり構わぬ手を伸ばしてくることでしょう。
絶対に退けなくてはなりません。」
身分差を理由に失敗をしでかした私達に簡単に処分できるであろうこの国の第三王子妃は、それでも丁寧に私達に『注意』して下さいます。
それは、私達にもう一度、機会を与えて下さる為なのだろうとこの時には理解していました。
「皇王陛下は護衛、随員の入れ替えも提案しておられましたが、マリカは特殊な事情から簡単に身の回りに付けられる人間を変えられません。
マリカ自身も悲しむでしょう。ですから、今回の件は表向き不問とします。
これは、ただ一度きりの機会です。次に同様の事があったら、例えミーティラやミュールズであっても。
マリカが悲しみ抗議したとしても、人員を入れ替えます」
「御温情、感謝いたします。
今後、今まで以上に身を引き締めて、姫君をお守りしていく所存です」
私達全員の思いを代弁するかのようにミュールズ様が答えて下さいました。
私も同じ、いえ、思いはそれ以上です。
尊敬するエクトール様から託された、だけではありません。
既に私の剣はあの方に捧げています。
この数か月で、私はマリカ様という存在を、その行動を誰よりも近くで見てきたのです。
小さな肩で支えるには重すぎる責任や過去を背負いながらも、真っ直ぐに前を見て走り続けるあの方を、私は支えたい。守りたい。
心から、そう思っていますから。
「今回の件に関しては今は、ここまでとします。
ですが今後もマリカに仕える事を望むのであれば、自らの失敗を償う意思を行動で見せなさい」
「それは……?」
ティラトリーツェ様の言葉に私達は顔を上げました。
「何をしろ、というつもりはありません。
指示されたことしかできない操り人形など、あの子の側に置く気もありませんから。
半年の猶予を与えます。
職務の外側で、マリカの今後に必要と思える事を考え、為すこと。
改善と反省が見られないのであれば、新年の人員転換時に解雇を検討します。
誰であろうと、例外なく……」
ティラトリーツェ様の視線と言葉にミーティラ様が誰よりも深く頷き、頭を下げたのが解りました。
ミーティラ様はプラーミァ王国の騎士貴族で、ティラトリーツェ様の腹心。
であるからこそ、今回の件に一番自らを責めていたことを、私達も知っています。
あの方は、事件の直後、私達をお許し下さったマリカ様に、自らを鍛え直す、と宣言しておられました。
それを証明する何かをきっと成し遂げられるでしょう。
話が終わり、私達は部屋を出されました。
明日からまたマリカ様の激務と、それにお仕えする私達の仕事がまた始まります。
仕事は決して怠らず。その上で私は何するべきなのか。
何をしなければいけないのか。
尊敬する主を守る為に。
私達は罰の代わりに与えられたティラトリーツェ様の課題と己の心にそれぞれ、向き合うのでした。
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