私が意識を取り戻したのは、見知らぬ天蓋付きベッドの中だった。
ふかふかお布団。
これ羽毛布団かな?
魔王城のより気持ちがいいかも。
と、のんきな事を思ったと同時。
「い、っつーー」
ズキン、というよりガツン、と、足から脳に響く痛みに思わず声が上がってしまった。
で、その声にどうやら側にいたらしい人影が動く。
「マリカ! 意識が戻ったのですか?」
「…あ、ミーティラ…様?」
ベッドサイドに駆け寄り、私の顔を覗き込んだのは第三皇子妃 ティラトリーツェ様の側近。
ミーティラ様だ。
ということはここは、第三皇子の館?
額に手を触れ、私と目線を合わせる。
「熱は下がっている。
私が、解る…ということは思考もしっかりしているようですね。
良かった。
そのまま静かに待っていなさい。
今、ティラトリーツェ様達を呼んできます」
ティラトリーツェ様達?
ベッドから体を起こし、私は思わず首を捻ったけれど、
「マリカ!」
部屋に飛び込む様に入ってきた人物の顔を見て納得する。
青ざめた顔のティラトリーツェ様。そして王宮魔術師のソレルティア様もいる。
「ティラトリーツェ様…」
「良かった。本当に…生きて、戻ってくれて…良かった」
私の首元にそっと手を回し、抱きしめるティラトリーツェ様。
そのぬくもりはまるで、私を包み込む様でホッとする。
でも、小刻みに震える手は私の事を、本当に心配してくれていたのだと、解って申し訳なくなった。
だから、私も手を伸ばし、精一杯の思いでティラトリーツェ様の肩に手を回す。
「ご心配をおかけして…すみませんでした」
「本当に…心配していたのです。
でも、今回は、貴方のせいではありませんから…怒れませんね」
くすっと、小さく笑って身を引くティラトリーツェ様は、まだ泣き顔と笑い顔が入り混じったような表情で私を見ている。
目元に光っているのは、涙だろうか?
そこで、ハッと気が付いた。
「あ、今、何日の何時ですか?
もう、大祭と晩餐会、終わってしまったり?」
思わず周囲を右左。
無意識に時計を探す。
「今は、土の曜日の深夜。大祭三日目は、まだ始まっていません。
多分一の木の刻頃ですね。貴方が行方知れずなっていたのは二刻程。
空の刻が始まってすぐくらいに救出されて、皇子達が貴女をここに運んで来ました」
「皇子…達?」
「王子とリオン、そしてフェイです。今、彼らは貴女を誘拐した犯人の尋問をしていると思いますよ」
ティラトリーツェ様から会話を引き継ぎ、教えてくれたのはソレルティア様だ。
ということは、やっぱりあの時助けに来てくれたのはリオン達だったのか。
救出される前後の事は夢うつつで、よく覚えていないのだけれど。
彼等がいるなら大丈夫、と絶対の安心を感じた目を閉じた事は頭の奥の大事な所に残っている。
「私、もう大丈夫なので戻ります。
大祭の最終日なら屋台の手配とか、夜の給仕の準備とかしないと…」
ベッドから身を起こしかけた私は、
「うっ!!」
足から響く激痛と
「何を言っているのです! 本当にここに運ばれた時には半死半生だったのですよ。
それを起き出し、仕事をするなど許しません!」
ティラトリーツェ様の怒声に身体が動かなくなる。
「どこまで其方が覚えているか解りませんが、右足の小指は骨が折れていましたし、爪が三枚、剥がされていました。
細かい裂傷、打撲などは数知れず。
不老不死を持たぬ身で、これだけ痛めつけられ、本当に良く生きていたもの。
下着姿で運び込まれたこともあって、最初は最悪の想像さえしたのですよ」
「…ははは、あのタシュケント伯爵の息子、って男、最低の変態で…。
私に悲鳴を上げさせたくって拷問の方に力を入れてたみたいですから…。
おかげで、襲われなくて済んだのは幸運でした」
「何が幸運、なのですか?
自分の身をもっと大切になさい、と何度も言っているでしょう!」
キツく告げるティラトリーツェ様の声にははっきりとした心配が滲んでいる。
私が眠っていた間に目立つ傷は多分ソレルティア様が、診察手当してくれたのだと思う。
足の怪我に包帯が巻かれている。
他にも身体のあちこちにある、酷い裂傷には薬が塗られているようだ。
それに女が男に誘拐されたら、そっちの被害を心配するのは当然。
今回、守りきれたのは幸運以外の何物でもないという事は、私自身が一番よく解っている。
でも…
私が顔を上げかけた時、ノックの音が部屋に響く。
「マリカの意識が戻ったと聞いた。入るぞ」
「あなた…」
返答を待たず部屋に入って来れる唯一の人物。
舘の主たるライオット皇子がツカツカと歩み寄るとベッドサイド、私の横に立った。
リオンとフェイも一緒かと思ったけれど、流石に女性の寝室。入れなかったようだ。
眉を顰めるティラトリーツェ様を気にも止めない様子で私の顔を見ると
「マリカ。今日の晩餐会と舞踏会。
行けるな?」
行けるか、ではなく。行けるな?
決定、そして確認事項として発せられた言葉に、私は頷き、
「はい」
と頭を下げた。
「あなた…やはり、マリカを今日の席に連れ出すおつもりなのですね」
ティラトリーツェ様の言葉は責めるようでありながら、諦観の色が感じられる。
解っておられるのだ。
ティラトリーツェ様も。
「ああ、今日、この時を除いて奴らに攻勢をかけ、止めを刺す好機は無い。
その為にはマリカの存在は必要不可欠だ」
私を捕え、自分達の思い通りに進んでいる、と思い込むタシュケント伯爵とその黒幕に会議中圧力をかける為にも。
隠し子と公表し、養子の手続きを進める為にも。
そして、食の事業の主導権を守る為にも、私は明日、もう今日だけど…は何があろうと王宮にいなければならない。
と。
だから『敵』は手がかりを残す危険を犯してまで、私を早急に確保しようとしたのだから。
「マリカは本当に、冗談ではなくさっきまで死にかけていたのです。
今も、歩く事はおろか、動く事さえも苦痛に苛まれる事でしょう。それでも?」
「それでも、だ。この晩餐会と会議が終われば大貴族連中は領地に戻る。
食について、子どもの保護について、そしてマリカを養子にする件について。
周知を図るためには今日しかない。
今を逃せば次のチャンスは来年の夏だ」
「それは…承知しておりますが…」
皇子の言葉の正しさを理解しつつもティラトリーツェ様が反論するのは、私を心配して下さっているから。
だから
「ありがとうございます。
大丈夫です。私、行けますから」
私は立ち上がる。
「!」
感じる痛みは決して表には出さない。
「ティラトリーツェ様、私、昨日囚われて解ったんです。
子どもを道具以下にしか思わず、人の心、思いを無視して駒のように操るような存在に国を、民を、子ども達の未来を任せておいてはいけないって。
国を、そして人の心の在り方を考えて行かなくてはならない、と。
その為の立場と力を、皇子とティラトリーツェ様が、私に与えて下さるというのなら、全力で応える覚悟はできています」
そのまま跪き、心臓の上に手を当て、頭を下げた。
「お父様。お母様」
どうか、私をお導き下さい」
「父? 母?」
一人、話が通りきっていなかったソレルティア様を手で制してライオット皇子が頷く。諦めたようにティラトリーツェ様も。
「いいだろう。リオンとフェイを護衛に付けてやる。躊躇うな。全力でやれ」
「貴女がそれを望み、そうするというのなら、私は母として力になりましょう。
ただ、事が終わったら、全力で、縛り付けてでも休ませますからそのつもりで」
「ありがとうございます」
だから覚悟を決める。
ここから先は負けられない勝負だ。
絶対に。
「ソレルティア。
ここから先、聞くつもりならお前も共犯だ。 それが嫌なら帰れ」
「ここまで手伝わせておいて、それはありませんわ。
それに第一皇子派閥の大貴族達は、色々と好きになれないタイプが多いので。
お手伝いさせて頂きます」
「では、手早く打ちあわせをしてしまいましょう。
マリカには大舞台に備えて少しでも休息をとらせなければ。
ガルフの店には、無事と事情を説明してあるので、向こうを信じて大祭の事は任せなさい」
「はい」
そうして、私達は朝を迎えた。
アルケディウスの、世界の未来が変わる、その最初の朝を。
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