私は大神殿に仕える元大司祭の一人。
名前は……まあ、下々の者が知る必要もないし、今回の話とは関係ないから語る必要もないだろう。
今日、語るのは後の世にもはや伝説のように伝えられるマリカ大神官の就任の時の話だ。
ああ、その壁に飾ってある絵には触らないでくれよ。
大神官の絵姿は、外に出すことは禁じられているしな。
その絵は私にとって、今の自分を作る原点として飾ってあるだけなのだ。
今から、僅か二年前でしかないが、あの日から大神殿は大きく変革した。
それまでと、その後とはっきりと分けられるくらいに。
その日、我々は礼拝堂に集められ、新たなる大神殿の長の登場を待っていた。
「それにしても思いの他時間がかかったな」
「ああ。まあ、各国王がいなくなってからの方が『大神殿』の話はしやすいからな」
就任式から約一週間。
各国との調整や前神官長の葬儀が終わり、各国の国王達も帰国の途についた後の事である。
この大陸アースガイアを導く大聖都で『神』に仕える神官はいくつかの階級がある。
一番下の見習い、その上の助祭、司祭、大司祭、神官長、そして大神官という感じだ。
見習いというのは一番下の下働き階級の者達。不老不死前は五年から十年程で試験、任命を受け助祭や司祭に上がれたが今は、上が詰まっているので事務や租税などをずっと担当する下働き担当の別称となっている。
その上の助祭、司祭、大司祭は実際の所それほど差はない。
信仰心を認められ『神』から『神石』を授けられた者。
精霊の術を使うことを許された者達だ。
その中で、家系や後ろ盾に優れた者、強い知性を有する者。信仰が特に強い者などが大司祭となりある程度、独立した行動を許される。
そして中でも特に優れた者が大神殿で祭儀を任せられたり、各国の神殿、小神殿を預かることになるのだ。
神官長は全ての神官を束ねる者。
努力でたどり着けない事も無い筈だが、この500年、代替わりすることなく、ただ一人が努めていた。
そして大神官は『神』に選ばれた別格の存在。
神官の枠を超えた『神』の代行者と言われている。
不老不死世になってから長く空位になっていた大神官位に、立つ者が現れた。
マリカというアルケディウスの皇女である。
その年の新年、大聖都ルペア・カディナはその直前にあった魔王の襲撃及び神官長の死によって大混乱に陥っていた。
「不老不死世で神官長が魔王によって命を奪われるという、あってはならぬ大失態から民の目を反らし、大神殿の権威を守る為には『聖なる乙女』の人気に頼むしかないでしょう」
女神官長マイアの言葉に、会議に集まった大司祭達は特に反論もなく頷く。
元々、前神官長が長いアースガイアの歴史上最高の能力者にして、二国の精霊の血を継ぐ英傑の才。アルケディウス皇女マリカを大神殿に繋ぐ為に、お飾りの大神官位を与えようとして手回ししていたこともある。
どうせ幼子、どうせ女。
大神官様、聖なる乙女。
と担いでいれば、後は今まで通りの生活を楽しむことができると思ったからだ。
司祭や大司祭の下の方の者達は精霊術の使い手として外に招かれ働くこともあるが、我々程になればそんなことにあくせくする必要は無い。
大神殿より与えられる俸給と、部下達から得られる手数料で十分に生活を送れるのだから。
空位となった神官長位に入り、大神殿を支配することも考えたが、神官達を束ね、行事を仕切り、税務や市街との折衝に精を出す。そんな面倒は御免だと考え直す。
ん? 『神』への信仰はなかったのか? だと?
元々、私はシュトルムスルフトの大貴族の三男で、やっかいばらいのような形で大神殿に送られたのだ。大司祭の上位にはそういう者が比較的多い。
それに信仰心があったとしても長い、長い、五〇〇年もの間の生活ですっかり摩耗している。何が有ろうとも、死なず、変わらず、大神殿から出ることもけっして叶わないのだ。
昔は絵画で身を立てたいと思っていた時もあったような気がするが、そんな情熱は神殿に収められ不老不死後、数十年で消えてしまった。
何も変わらぬ不老不死世。
『神』の威光を借りて楽に暮らせればそれでいい。
と思っていた。
だが、そんな私の夢の計画は直ぐに破綻を迎える。
「皆様に、お伝えしたいことがございます」
大神官に即位後まもなく、神官位の者だけではなく、下女、下働き、子どもを含む全ての者を呼び寄せて告げた新しい『大神官』の『命令』によって。
「この度、大神殿において大神官の任を拝命いたしましたマリカと申します。
色々と至らない点も多いかと思いますが、人々の暮らしを少しでも良くし、子ども達を含む誰もが幸せに生きられる世界を作る為に努力していきたいと思いますので、どうぞご協力よろしくお願いいたします」
魔術師と戦士の子どもを両脇に置き、アルケディウスの皇女マリカは頭を下げた。
この少女の武勇伝は色々と耳にしている。
昨年の夏の大祭で見せた舞は今でも語り草だし、大聖都や大神殿で流行し始めている『新しい』食の提唱者であることも聞いていた。
アルケディウスでは自分に危害を加えた前神殿長を更迭。
神官長の要請を受けて神殿長に就任。
神殿の改革と正常化を行った正しく『神』の代行者だと。
だが、懸命な私はそんな話を鵜吞みにはしなかった。
大方は『聖なる乙女』に箔をつける為の誇張であろうから。
皇女自ら料理をする。というのは何度か見たし驚いたが、元は奴隷だったというからそういうこともあると納得できる。
後はおそらく、周囲に付く大人が有能だったのだろう。
父である第三皇子は勇者の元仲間。
彼が後ろにいて娘を守る為に色々と手を回しているのだと解った。偽勇者エリクスをも一蹴する愛弟子を婚約者とし、護衛につけたように我が子可愛さに有能な配下をつけるか、もしくは自分で介入して神殿の掃除をしたのだと思っている。
とにかく、この時点で私は美しく、利発そうではあるが、所詮子ども。
傀儡、あるいは神輿として祀り上げておけばいいと思っていたのだ。
しかし、殊勝に見えたのはここまで。ほんの僅かの間の事。
「まず、最初に大神殿の改革を行う事をここに宣言いたします。
大神殿においては今後、ここに集まった全ての人に対して労務の報酬、給与の支払いを行います。これは個々人の契約で雇われている者以外。
大神殿に職員として登録されている者全てにです。登録されていない者がもしいれば登録して正当な職員として扱います」
「な!」
周囲全てが騒めいた。
今まである程度以上の大司祭以外は、ほぼタダ働きに等しかった。
衣と住が完全に保証されているので生活に金銭が必要なことは殆どない。
大司祭などは衣服や家具に凝ったり、酒を飲んだり女を囲ったりする者が多い。
そういう者達は金もいるが普通に生きていく分には大して金も使わないので、給料が欲しいと願う事さえなく下の者達は毎日を生きていたと思う。
少なくともここ数百年、下の者が『給料が欲しい』などと言うことは無かった。
無かったのにこの大神官はあえて給料を支払うという。
一体何を考えているのだろうか?
「その代わり、皆さんには色々と新しい仕事をして頂きたいと考えています」
「新しい仕事?」
「はい。今まで、税の徴収や、要請された時に精霊魔術を使うのに派遣されるのが主な仕事だったと聞いています。
ですがそれだけにしては大神殿の人員は多いですし、敷地も広い。
これを有効活用して、地域、ひいては世界の発展の拠点にしていきたいと思うのです」
正直、何を言っているのだと思った。
周囲も同様の様子で、みんなざわざわと騒めき、顔を見合わせている者も多い。
「『聖なる乙女』。
大聖都の新たなる導き手よ」
「なんでしょうか? ヴァルゼオン大司祭」
居並ぶ神官の中でも最前列に近い所に立つヴァルゼオン大司祭が一歩、前に進み出て恭しく、お辞儀をするふりをしたようだった。見ればわかる。その行動に敬意が宿っているかどうかなど。
ましてヴァルゼオン大司祭は、水の都フリュッスカイトの貴族の血筋。
孤児上がりの前神官長をあまり良くは思っておらず、ことあるごとに邪魔をしたり悪口を言ったりしていた。失敗があった時にはことさらにそれを飛語として飛ばしていたように記憶している。
大司祭だけでも五十人以上いる中で、最上位に位置するとはいえ、数日前に大神官に就任したばかりの娘に正確に名前を呼ばれ。
少し驚いたように目を見開きながらもヴァルゼオン大司祭は、頭を下げ壇上に立つ少女を上目遣いで見やり告げる。
「まだ、大神殿に着任されて数日の姫君におかれましては、お疲れでございましょうし、またこの神殿のやり方や流れなど、ご理解されていない所も多いかと存じます。
ここは我々大神殿に長く仕える重臣にお任せの上、ゆるりとお休みになられた方が……」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、こういうのは最初が肝心なのです。
私が大神殿をお預かりする以上、脱税や収賄、児童虐待などの悪事を『神』の家で許すわけには参りませんから」
何も分からない子どもは黙っていろ、と、皇女であり『聖なる乙女』たる大神官に言ってのけたヴァルゼオン大司祭も大した心臓だが、それをにっこり笑顔で受け止め平然としている皇女も只者ではない。私は素直にそう思った。
「だ・脱税に……収賄?」
「ええ、具体的にはこのような」
さらに皇女は傍らに立つ少年魔術師に目で合図。
魔術師は手に持った木板の箱の中から一枚の紙を差し出して皇女へ手渡す。
そして皇女はその紙をヴァルゼオン大司祭へ。
「なっ! こ、これは……! どうして?」
「一年間で金貨十五枚着服。税務の監督官の臨時収入しては多いのではありませんか?
計算も随分と間違いが多いようですね」
?
意味がよく解らない。
「人民税は民の血肉。一時お預かりし、より良い形で返すのが為政者の務めだと思います。
決して神殿が私腹を肥やす為のものではありません」
司祭の膝がガクンと崩れるように落ちた。
彼を見下ろす大神官の目は冷ややかで、まるで虫でもみるかのように冷たい。
「聖人君子であれとまでは言いませんが『神』の家に仕えるのです。
もう少し節度を持った行動を望みたいものです。
ええ、皆さん。それができる方であると解っておりますから」
ゾクッ。
少女の浮かべた威圧の籠った笑みに背筋が凍り付く。
傀儡の大神官の形だけの就任のあいさつ。
そう思っていた者達は皆、一様に緊張に顔を強張らせ背筋を伸ばす。
「申し訳ありませんが、私をただの子ども。
自由に動かせる傀儡、と思っているのなら改めて下さいませ。
私、本気で参りますので」
新しい大神官。
『神』の職務代行者は決してお飾りではなく、神輿でもなく。
その地位にふさわしい上位者の顔で我々の前に立っていたのだから。
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