ひらり、と。
燕が空から舞い降りる様に、小さな木の上のコンテナハウス。
その屋根上からリオンが私達の前に舞い降りた。
雨除けの扉は星が見たくて元々開けてあった。
魔王城の子ども達が作った隠れ家、コンテナハウスだから屋根までの高さは2mもないけれど、どんなに高さがあったとしてもリオンには恐怖にならないことは解ってる。
軽く着地して、私を見るリオンはどこか、申し訳なさそうな目をしていた。
「ごめんな。一人になりたかったんだろうに邪魔して」
「ううん。少し考え事をしたかっただけだから。
エルフィリーネに頼まれた?」
城の守護精霊 エルフィリーネは私がきっと帰ってきた時から悶々と悩んでいたことは気付いていただろう。みんなが寝静まった後、こっそりと城を出てきてしまったことも。
エルフィリーネを私が疑っていることも。きっと。
彼女が私に向ける思いや忠誠を疑った事は無いけれど、彼女は『星』の側の存在。
私の記憶とかにも多分介入している。
だから、相談はできなかった。
「それもある。エリセもマリカがお風呂でぼんやりしてたって言ってたし、ティーナも浮かない顔していたって。でも、一番は俺が心配だったんだ」
「リオンが?」
「マリカは、優しすぎるから。きっと『気付いたら』問題をそのままにしておけない。
色々と悩んで、考えているんだろうなって」
「優しいのはリオンの方だよ」
顔を見合わせ、笑いあう。
それだけで、少し、胸の中が暖かくなった。
「あいつの死、黙っててごめんな。
自分のせいだって、気にしてるんだろ?」
「ううん、私がショックを受けるって解ってたから内緒にしててくれたんだって解ってる」
「ありがとな」
悩んでいたのはそれだけじゃないし、と言葉にはしなかったのにリオンにはお見通しなのかもしれない。
「マリカの思いや悩み、多分、全部じゃないけど、俺は少し解る気がする」
「リオン」
私の方を見ながらリオンが小さく肩を竦めた。
「俺の過ちが、甘えが、この世界を歪めてしまったから。
俺のせいで間違った、不幸な世界を、俺達は自分達の為に壊そうとしている」
「リオンは、やっぱり今も、不老不死世は間違いだって思う?」
「ああ」
この不老不死世界の起点。
自らの命を捧げて不老不死世界を作った『勇者の転生』は静かに、でも揺るぎない意志を瞳に宿し頷く。
「今は断言できる。不老不死は在ってはならないものだ。
命の理を歪める。本当は『神』や『精霊』にさえ許されていいものじゃないと思う」
「どうして、そう言い切れるの?」
私にはちょっと無理だ、と思った。
自分が死ぬかも、と思ったら震えがくるし、自分の大切な人が死ぬかもと思ったらもっと怖くなる。
永遠に誰も死なないでいいのなら、それはそれでいいんじゃないかとも思ってしまう。
「理由は、一つじゃないけれど、一番は『気力』の低下と未来の剥奪。
人が人である意味。前を向こうとする意志。今より良く生きようとする願い。
生きる力、希望。未来を。
不老不死は人から奪う」
「『神』が『気力』を奪っているから、じゃなくって?」
「勿論、それもあると思う。でも根本的な所で人間は自分の力だけで、前に進み続けることができないんだ。
孤独な命は身体も心も長い年月に澱み、停滞する」
身体を作る為には植物や動物、他の命がいる。
心が前に進む為には他者との関りがいる。
だから、不老不死世。
人々は成長を放棄し、無意識に昨日と同じ今日、今日と同じ明日を繰り返し、前に進まないことで心を守ってきた。
「命も、気力……希望も……も生まれ、育ち、奪い、奪われ、終わり、次代に繋ぎ、循環させることで純化を保っているんだ」
「ずっと現状維持を望み守り続ければ、何も失わないでいられる?」
「それがこの不老不死世だろ。でも結局人は平和に飽きる。
変化を求めずにはいられない。他人と優劣をつけずにはいられない。前に進もうとせずにはいられない。それが獣と違う『気力』を持つ人間の宿命だから」
「じゃあ、皆が不老不死のまま、前に進み続けたらいいんじゃない? そうすれば」
「そしたら、それを支える星自身が限界を迎える。増え続け、消えることのない意志と前に進む人間を支えきれずに……」
「あ……」
リオンの言葉に、私は思い返す。向こうの世界。
進化の袋小路と言われ、資源の枯渇、星の寿命も叫ばれていた二十一世紀。
人口全てを支えきる食糧の生産は最新の科学技術をもってしても困難で、貧富の差や飢餓の問題は常に訴え続けられていた。
今は嗜好品扱いであるからこそ余裕がある食物生産も、大陸全ての人間が三食食べられるようにするのであれば、世界中の人が死に物狂いで行わなければ足りなくなるだろう。
そして……人間全てが不老不死で、人が誰も死なず減らないとすれば、遠からず星は人で溢れる。衣食住、それら全ての奪い合いが始まることにも……。
食の途絶、出生率の低下は皮肉にも不老不死社会を護る最適解だったわけだ。
「今を守るか。未来を創るか。
どちらを選ぶべきかなんて言うまでもないだろ」
「リオンは強いね」
迷いの無い目で答えるリオンに私は息を吐きださずにはいられない。
「私は、そんなに簡単には割り切れないよ。大切な人たちは失いたくないし守りたいと思っちゃう」
「じゃあ、生まれてくる新しい命、子ども達はどうなってもいい?
新しい命は生まれなくてもいい。老人達だけが星に溢れてていいとマリカは思うのか?」
「それは、嫌」
自分でもビックリするくらい瞬時に結論が出た。
「だろ? 両方を守れたら一番だけど、何も失わずに皆が幸せに、っていうのは現実を知らない子どもの甘えで、無理なんだ。
だから、俺は迷わない。『神』を倒し、不老不死を除去して、命と希望が循環する『星』の理を取り戻す」
リオンは、本当に強いと思う。
五百年、たった一人で繰り返してきた転生は、理想を夢見ていた『勇者』を『星の管理代行者』に変えたのだろうか?
私も、いつかはそうなるのだろうか?
『星』を護る為に、大切な者達の死も仕方が無いと容認する『モノ』に。
「まあ、今はまだそんなに深くは考えなくてもいいと思う。
マリカは、今のままの優しいマリカでいればいい」
「それで、いいのかな?」
「いずれ、どうしたって決断しなきゃならない時は来る。大人になって、選ばなきゃならない時も。
世界をお前自身が見て、色々な事を知って、その上で出した結論を『星』はきっと許して下さる」
お母様と同じことを言う、とこの時私は思った。
リオンのいう通りなら『星』は記憶もない。覚悟も無い。
不出来な娘を本当に愛して下さっているだろう。
「大丈夫」
静かな眼差しでリオンが微笑む。
「お前は一人じゃないし、俺は……俺だけは何があろうともお前と一緒にいるから」
「リオン……。もし、私が今の世界を守りたい、不老不死世を消せない、って言っても、許してくれるの?」
「それは……その時になってみないと解らないけれど。
ただ、頭ごなしに否定はしない。
受容と、共感? だっけか? 悩む人の心を受け入れること。
一緒に悩んで、考えて、結論を出したいと俺は思う」
さっきのリオンの言葉を借りるなら、彼はきっともう決断して、『大人』になっているのかもしれない。
リオンは変わった。
私が最初に出会った頃の、迷うような自身を責めるような視線の揺らぎはもうどこにも見えない。自分はこうあるべきと定義して見定めた強さが宿っている。
アルが言ったことが正しいのなら、私の中でも『大人』への変化は始まっているのかもしれない。
サークレットを嵌めた時、ううん。きっとその前からずっと、少しずつ。
『精霊神』様もそれに気付いている。エルフィリーネも。
だから、私の記憶を消したり、記憶を遮断したり、色々な手段で私を守って下さっているのだ。
私の成長の先にあるのは神にとっての『魔王』、『精霊の貴人』と多分、決まっている。
でもそこに至るまでの道のりと、その先で何をするのかは私自身が決めていいのだとしたら。
「ありがとう。私もちゃんと考えるから」
「ん、もしかしたら、俺達には思いつかない、皆が幸せになれる方法をマリカなら見つけ出せるかもしれない」
「そうかな?」
「ああ。マリカは雲雀。この世界に朝と変化を告げる鳥だからな」
ひばり。
そう聞こえた。リオンが私を美しい鳥に称してくれたのは嬉しかった。
春告げ鳥、朝を呼ぶ鳥。向こうの世界でも雲雀はそういう鳥だ。
だったらきっと、リオンは燕かな。
しなやかに、でも鋭く害悪から人々や子どもや畑を守る黒燕。
「うん、そうできるように頑張る」
「その意気だ。俺はいつでもお前の側にいるし、助ける。
絶対に」
まるで自分に言い聞かせるように告げたリオンが、スッと私の前の膝をつく。
頬に顎に、リオンの手が伸びる。
私もオルドクスに預けていた体を起こし、リオンと視線を合わせた。
「なあに?」
夜露のようなリオンの瞳と私の視線が交差して。
ちゅっ、と。
私は思わず目を閉じたけれど、一瞬だけついばむ様に触れた唇の音と感触を残し、黒燕はスッと遠ざかってしまった。
頬を真っ赤に染めて。
「悪い。ちょっとズルしたな。
でも、あんまりマリカの嘴がキレイで、……美味しそうだったから」
その顔は私の知る少年で、子どもで。可愛くて。
冷徹な判断を下せる『星の管理代行者』じゃない。
大好きなリオンそのもので、ちょっと安堵して、ちょっと、嬉しくなった。
「ねえ、リオン。寒いからこっちに来ない?」
「え? ええっ!」
私の横、まだ十分に余裕があるオルドクスのおなかをポンポンと叩くとリオンは狼狽したように後ろに後ずさる。
そのまま後ろに行くと階段穴から落ちそうだ。
私は小さく笑って首を横に振る。
「そんなんじゃないよ。オルドクスもいるし。
うん、そんなんじゃない。
ただ、今夜は魔王城に戻りたくないから。
でも、一人は寂しいから。一緒にいてくれると嬉しいな」
「いいのか?」
「うん。側にて」
私のお願いに、リオンは恐る恐ると言った感じで私の横に来てちょこんと正座した。
転移術を使って部屋に忍び込んだわけじゃないし、そういう行為をするわけじゃない。
お母様との約束を破るわけじゃない。
ただ、一緒にいたいと心から、思うだけ。
私とリオンが肩を並べると
「わあっ!」
オルドクスがくるん、と身体を丸めて私とリオンを包み込んでくれた。
急接近。お互いの距離、0メートル。でも触れ合ったのは掌だけ。
同じ、オルドクス毛布にくるまって、手を繋いで横になっただけ。
リオンと手を重ねた瞬間、あんなに感じていた怖さも、寒さも、全部消えてしまった。
「あったかいな」
「うん。ありがとう。オルドクス。
ありがとう。リオン」
その夜、キスをしたとか、抱き合ったとか。
もっと先に進んだとかは無い。
きっぱりない。服を脱ぐのも寒い晩秋の森の中だしね。
ただ、二人で、
二人っきりで眠って同じ夢を見た。
碧の大地、黄金の太陽の下。
大人も、子どもも、皆が笑いあう幸せな世界。
私も、リオンも同じ未来を夢見ている。
(ああ、同じだ。私達。
一人じゃない。同じなんだ)
お互いの繋いだ掌に伝わる体温を、鼓動を側に感じながら。
心から安堵して。
未来を夢見て、眠りについた。
私達を愛して守ってくれる、精霊達の祝福を感じながら。
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