それは、正しく『王』の姿であった。
外見は何も変わらない。
変生で成長した訳でもない、少年のリオンの姿のままだ。
けれど、違う。
息を呑むほどに力強く、美しい。
居並ぶ飛行魔性、獣魔性。
さしたる知識も持たないであろう彼らは、
『下がれ、そして跪け』
強い、ただの一言で平伏するかのように全てが地に伏して、動きを止める。
リオンの前に。
地面は、倒れ伏した偽勇者。一瞬前の絶望的な盤面は一転している。
意識を失った少女を腕にかき抱きながら僕は、その異様な光景を、心のどこかで、当たり前のような気持ちで見つめていた。
事の起こりは夕方の定時連絡。
マリカからの手紙を持ってきた少女ネアと、大神殿からの通達を知らせる『勇者』エリクスがアルケディウスに訪問してきた事だ。
「……また、いらっしゃったのですか? エリクス殿」
「また、どはご挨拶だな。前も言ったが僕はこれでもネアの保護者だよ。
幼子が粗相をしないか面倒を見るのは、僕の役目だ。今日は神官長から、正式な通達もあるしね」
丁寧ではあるが、どこか毒を孕んだ口調の偽勇者の言葉を黙殺しリオンは、今も跪く少女に視線を向ける。
「ではまず、マリカからの手紙を見せて貰えるか?」
「かしこまりました。こちらでございます」
少女が差し出した木板を受け取ると
「ご苦労だったな。食堂で女達が食事の用意をしている筈だ。
明日からは式典が始まるだろうから、返事は朝、少し早めにもっていって貰いたい。頼めるか?」
「ごこうじょう、かんしゃもうしあげます。
どうぞ、いつなりと、ごめいれいください」
「解った。とりあえずはゆっくり休むといい」
「ありがとうございます」
食事、という言葉に目を輝かせながらも厳しい躾を叩きこまれてきたであろう少女は丁寧な挨拶と感謝の言葉を怠らずに退室して行った。
「僕とは随分、態度が違うね」
「……あの少女は、もはやマリカが保護を与えたアルケディウスの随員ですから」
「今は、まだ大聖都の下働きだけどね。
まあいい。男の僕ではあの子に目をかけて守ってやろうとしても限界がある。姫君の元で保護して頂くのはあの子にとっては何よりの幸いだろう」
少し目を細めて呟く偽勇者の言葉には優しさがある。
初日、あのネアという少女が伝令としてアルケディウス宿舎にやって来た時、
「ネアを拾った保護者として、彼女の仕事ぶりを確かめる義務がある」
と、強引な理由で同行して来て以来、日に二度の定期連絡にほぼ付いて来る偽勇者エリクス。
大神殿からの目付け役&監視だということは解っているのでリオンはもう気にしない事に決めた様だ。
「リオン殿、マリカ様はなんと?」
「……明日からの祭事の下見に行った時に、魔性に襲われたそうだ。
カマラのおかげで大事は無かったそうだが、儀式には許可を取るのでアルケディウスからの護衛も出して欲しい、とある」
「神殿内で魔性?」
ここにいるのは定時連絡の確認なので、随員団の中でも上層部のみとなる。
ミーティラ様、大貴族代表の意味でクレスト。あとは皇王の魔術師。
ザーフトラク様も不在でなければ同席するが、今日は視察でまだ戻ってきていない。
「ああ、神官長様も恥ずかしい事だが、と心を痛めておられたが姫君の。
真なる『聖なる乙女』の力に引き寄せられたのだろう、という話だ。
今日の夜、騎士団は明日の儀礼用の最小限を残して、周囲の魔性探索と退治を行う予定だ。こちらの文書にもあるけれど、大神殿の総力を挙げて行うのでアルケディウスからも人員の協力を願えないかと神官長からの要請が出ている」
偽勇者エリクスが差し出した文書にも、確かに同じ要請が記されている。神官長の署名付きの確かなものだ。
「大神殿の不始末に他国の護衛の手を借りる、と?
随分と虫が良すぎるのでは?」
「どうせ、姫君が潔斎に出ておられるから護衛随員は暇だろう?
その分の報酬は出すし、魔性を減らすことは姫君の身を護ることに繋がるとは思わないのかい?」
クレストの嫌味の籠った発言を偽勇者は気にも留める様子もなく受け流す。
彼の言葉は確かに大神殿に都合がいい、虫のいい話ではあるが、事実であり間違いはないので、反論の余地は無い。
「こちらも、マリカ様の身の安全が第一だ。
礼大祭の護衛をカマラに、俺、ミュールズ女史、後フェイを残し、後の騎士士官は要請に応じよう。アルケディウス居住区の護衛はピオ。
クレストは明日のザーフトラク様の護衛についてくれ」
「僕は戦場に出さないつもりか?」
「絶対服従。
それに前にも言っただろう。護衛の仕事を怠る者は騎士貴族に向いてない」
「……解った」
「そう言う訳だ。エリクス殿。大神殿には要請に応じる。騎士貴族に具体的な指示をと伝えてくれ」
「了解した」
「ミュールズ様は、騎士貴族達に声をかけてきて頂けませんか?」
「解りました」
不承不承と言った様子ではあるがクレストも了承し、それぞれが今夕からの準備に動き出した頃の事だ。
「リオンさま。あすのあさ、がいしゅつのきょかをいただけないでしょうか?」
伝令の少女、ネアがそう申し出て来たのは。
「外出? マリカへの伝令以外にどこかに行く用事があるのか?」
「はい。マリカさまにめしあがっていただく、くだものをとたのまれています」
「果物?」
「けっさいのおしょくじはおいしくない、となげいておられたマリカさまのために、しょくごのくだものが、だされているのです。
さいしょは、しょくじがおいしくない、っていみがわかりませんでしたが、ここでしょくじをたべて、そのいみがわかりました。
だから、すこしでもおいしいくだものをめしあがっていただきたくて……」
まだ舌足らずの少女が一生懸命に語るには、大神殿を出てすぐの所にワインの醸造を行う果樹園がある。そこに行けば採りたての葡萄が貰えるのだという。
「子ども一人で大神殿を出るのは危険だぞ」
「だいじょうぶです。おつかいにはなんどもいっていますから」
「そうだといっても、魔性が出ると解っている外に、女の子を一人で出すなんて知れたらマリカに怒られる」
少女は大神殿の中での伝令役なので、当然武器などは帯びていない。
水筒の革袋を肩から下げているだけだ。
確かに外に一人で出すのは危険に思えた。
魔性もだが、他の危険も頭をよぎる。
まあ、大聖都で大神殿の、子どもとはいえ神官に邪な手を伸ばす者はいないだろうが。
「解った。俺が付き合おう」
「え?」
「リオン?」
「騎士士官連中は出払っているか、戻ってきたばかりで疲れている。
ミュールズ女史は式典の準備があるだろうしな」
「それはリオンも同じでは?」
「男の準備なんて大したものじゃない。今夜中に手紙を書いて、明日、果物採りに付き合って、果物を収穫してその足で奥の院まで行って貰うのが余計な工程が出なくていいだろう。
新鮮、採りたてがどんな果物も野菜も一番味がいいとマリカが言っていた。
潔斎に滅入っているならそれくらいやってやりたいな」
肩を竦めながらもリオンが軽く請け負うのを見て、僕は何か、言いようのない不安を感じた。
悪い予感、虫の知らせ。
そんな言葉が頭をよぎる。
「解りました。では、僕も付き合います」
「果物を採りに行くだけで護衛二人は大げさじゃないか?」
僕の言葉にリオンは苦笑するけれど、ここは押し通す。
「何もなければそれに越した事はありませんし、万が一魔性が出た場合、いくらリオンが強くても一人で相手取るのは愚策です。
連絡係や背中を守る意味でも二人行動が基本。僕も行きます」
「解った。頼むぞ。俺の相棒」
「はい。任せて下さい」
後に、僕はこの時の選択が正しかった事を知る。
もし、リオンを一人で行かせていたら僕達は、『リオン・アルフィリーガ』を永遠に失っていたのかもしれないのだから。
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