路地裏に二人の子どもがいた。
別に珍しくも無い話だ。
「お兄ちゃん」「妹」と呼び合っていたけれど本当の所は解らない。
ただ物心ついた時から側にいて、身を寄せあって生きて来ただけのこと。
でも、二人一緒に生きていられた間はまだ人生で幸せな方だったのだ、と今振り返って思う。
ミアは不思議な女の子だった。
髪は淡いけれども美しい金色。瞳は緑。
アルフィリーガによく似た色合いを持つ妹は多分、生まれながらに精霊の祝福を持っていたのだろう。
花々や水に、時には虚空に手を伸ばして話しかけているのをよく見かけた。
「何をしているんだ?」
と聞けば
「お友達と遊んでいるの」
との返事。
それは多分精霊だと、どこかから聞いたうろ覚えの知識で教えてやればミアは
「せいれいさん、せいれいさん」
そう呼んでより嬉しそうに笑うようになった。
真っ暗闇の中で、小さな、蝋燭よりも小さな光が僕達を照らしてくれた時。
凍える冬の中、身を寄せ合う僕達をほのかなぬくもりが温めてくれた時。
あの頃の僕は、この世を支える『精霊』の存在をミアと一緒に信じていた。
ミアが踊ると小さな光の粒が空中に現れ、一緒に空を舞う。
精霊に愛された少女。
それが下町の話題になり、小銭を稼げるようになって間もなく、僕達の所に男達がやってきた。
「珍しい力を持つ小娘とはお前か!」
「ミアに何をするんだ! 放せ!!」
「お兄ちゃん!!」
何の理由も語ることなく、男達はミアを強引に連れ去った。
奴らにとっては、僕の存在など眼中に無かったのは確かで邪魔をする存在として痛めつけられた後、捨て置かれた。
硬貨の一枚さえ、投げ渡されず、どこに連れていくとの話さえ聞くことが出来なかった僕は、もしかしたらそのままミアと二度と会う事が叶わないということもあっただろう。
もう一度会う事ができたのは、まだ幸運だったのかもしれない。
…それが、痛めつけられ、河にぼろきれの様に捨てられた、変わり果てた妹との最期の別れであっても。
「ミア!!」
今もって誰がどんな理由でミアを連れ去り、何をしたのかは解らない。
ただ、ミアはよくある子どもの死として処理され、墓地とも言えない町はずれに事務的に葬られた。
呆然とする僕に残されたのは、担当した騎士が哀れんでか、せめても形見にと渡してくれた、一握りの髪の毛だけだった。
『まあ、哀れではあるが良くあると言えば、良くある話だな』
ふと、そんな声をかけられて、僕は気が付いた。
自分が夢のような空間の中で、自分の過去を見ていた事、いや見せられていた事に。
「誰だ!」
僕の声に応えて姿を見せる者はいない。
ただ薄ぼんやりとした空間で、誰とも知れない声が耳に届くだけだ。
『それで…貴方はは何をしたいのです?』
再び届いた声は柔らかい女性を思わせる。
さっきの声は、どことなく男性的であったことを考えると別の人物のような気もするのだけれど、そもそもこのよく解らない空間に『人間』がいるのかどうかも解らないし
「何を…って?」
問いの意味も解らず立ち尽くす僕に、今度かかったのはまた男の声だ。
『辛い別れがあった。
大事な者を失った。それは一応理解しよう。だがそれはもう、残酷に言うなら終わった事だ。
時は戻らぬ。いかなる手を尽くそうと其方の妹は戻らぬ。
なれば、其方は何を望み、どう生きたいのか、と聞いている。
精霊術士を目指し、何を為したいのか、と』
『ファミーが死ねば貴方は満足ですか? 妹の様にあの少女も不運になれば? と?』
「そんな事は!」
謎の声に僕は明確に首を振る。
不公平だ、とは思うけれど、悔しくはあるけれど。
あの幸せそうに笑う少女がミアのように、辱められ、ぼろきれの様に死ぬ姿を見たいわけではない。
何よりそんな事になれば、セリーナが悲しむだろう。
自分のような思いを、セリーナにさせたい訳ではない。
決して。
『では、貴様は何を望むのだ?
良き人物に救われ、少なくとも命の危険は無くなった。
望めばいずれは不老不死も、得られるだろう。
その上で、これからどう生きたいと望み、何をしたいと願う…。
そも、貴様は何故、精霊術士になりたいと願うのだ?』
繰り返される質問を、僕は自分に問いかける。
服の下のペンダントに手を当てて、握りしめるように。
「僕は…」
「それは、精霊魔術? 精霊っていうのは本当にいるんだ?」
「勿論。精霊は実在します。
そして力を借りる事が出来ます。精霊術士、魔術師と言うのは精霊の力を借りて術を為す存在です」
ごくりと喉がなった。
今まではっきりと言葉にしたことは無かった。
ゲシュマック商会に拾われ、魔術師に出会い、精霊の実在と術師の存在を知ってから、ずっと胸の中に抱き続けてきたこと。
ガルフ様には申し訳ないけれど、僕は『店の魔術師』になりたいわけではないのだ。
「僕は力が欲しい。大事なものを守れる力が」
もし、あの時自分に知恵と力があれば、ミアを守れた筈だ。
皇王の魔術師のように転移術が使えれば逃げる事も出来たに違いない。
結局のところ、自分の無力がミアを殺したのだと解ってはいる。
だから、誰にも語ったことは無かった。
「ミアを殺した奴は憎いけれど、それ以上にミアを殺したこの世界が憎い。
もう、二度と、ミアのような死に方をする子どもが生まれないようにしたい。
ゲシュマック商会や、魔王城のように、子どもが笑って生きられる世界を作りたい」
孤児の子どもには分不相応な願いだと笑われてもいい。
少なくとも僕は、ミアのようなボロ雑巾の様に扱われて死ぬ子どもはもう二度と、見たくないのだ。
「だから、魔術師になりたい! 同じように路地裏や生きる場所の無い子どもを救い、守るんだ!」
『ふむ…まあ、二人分の願いでギリギリ合格、ということにしておいてやるか?』
「え…ってわああっ!」
バチン!
手の中で光が弾けて、不思議な印が浮かんでいる。
と、そこで気が付いた。首にかけていた筈の水晶のペンダントが無い。
『我が名を呼ぶがいい。主よ』
トランツヴィント
不思議な単語が脳に浮かんだ。
意味は解らない。
けれど『名前を呼べ』という言葉の通りに、震える喉で僕は思いを紡ぐ。
「トランツヴィント?」
僕が『名前』を呼んだと次の瞬間、掌から風が渦を巻き立ち上がったかと思うと、一人の男性が現れた。
青水色の髪、湖水の色にも似た青の瞳。
歳の頃は僕よりきっとかなり上、息を呑むように美しい存在が…。
「まさか…精霊?」
『左様。我が名はトランツヴィント。風の精霊石。
風の長と魔王城、『精霊の貴人』の名において貴様に力を貸してやるとしよう』
風の精霊石、と名乗った精霊の横にフェイから紹介された『魔王城の守護精霊』エルフィリーネが立っている。
魔王城での生活の間、滅多に姿を見せなかった彼女は、僕に向けてお辞儀をしている。
敬意と、優しさの籠った目で。
『新しい精霊術士の誕生に祝福を』
『まだまだ、卵以前、ではあるがな』
「エルフィリーネ?」
『己が幸運と、貴様の妹に感謝するがいい。ニムル。
妹が其方を案じ、側にいなければ、我らは其方にここまでの助力を与えなかったやもしれぬ』
腕を組み顎をしゃくる精霊の言葉の意味が解らず首を傾げた僕にエルフィリーネは静かに微笑み、僕の額を指でトンと突いた。
「妹?」
『貴方を守るように、少女が…おそらく貴方の妹が思いを残しています。
…どうか幸せに、と。
見えませんか?』
僕は服の下からペンダントを引き出す。
ミアの遺髪を編んで作ったペンダント。
手のひらに乗せて見つめれば…
「ミア!」
遠いあの日の笑顔そのままに微笑むミアの姿が見える。
「ミア! 許してくれ…僕は、僕は…」
懇願する僕の思いに浮かび上がるミアは何の反応も示さず、ただ微笑むのみ。
『そこにいるのは、生きた貴方の妹そのものではありません。
貴女を案じる思いだけ。
けれど、その声を聞き、存在を感じ取り、皇王の魔術師と少女精霊術士は貴方を仲間と認めたのですわ』
守護精霊の言葉に心当たりはあった。
最初期からエリセが「お兄ちゃん」と懐いてくれたことも、フェイが魔術師になりたい、という僕に好意的だったのもまさか。
『思うまま進むがいい。私は其方らを助け導くとしよう』
貧血を起こしたかのように意識が遠ざかっていく中、僕は精霊達とミアの微笑みを確かに見たと、感じたのだった。
目覚めた時、僕がいたのはベッドの上、だった。
心臓の上で、微かな熱を帯びるのは預かった水晶の、いや精霊石のペンダント。
あの世界と、会話は夢だったのだろう、と多分思う。
勿論夢だけど、夢じゃない。僕の人生を変える夢。
その日以降、僕には『能力』が目覚めた。
望んだ時、実体のない精霊の姿が見える『眼』だ。
『能力の継承』なんてものがあるのかどうかは解らないけれど、僕はミアの能力を僕が受け継いだと思っている。
精霊石のペンダントを通じて初歩的な術も、できるようになって来た。
今はエリセと一緒に必死で勉強中だ。
あの夢以降、ペンダントの精霊、トランツヴィントと言う奴は出てこない。
会話もできない。本当にいるのか不安になるけれど。
「大丈夫ですわ。
彼はなんだかんだんで面倒見がいい精霊ですので、必要とあれば出て来るでしょう」
魔王城の守護精霊はそう言ってコロコロと笑っていた。
ファミーとも随分、仲良くなった。
あの子とセリーナが娼館の出で、彼女たちなりに辛い環境で生きて来たと知ったのは随分後の事。
僕は自分の甘さと愚かさを噛みしめながら、彼女達のような存在をもう生み出したくないと、心から、思った。
僕が魔王城三人目の術士となり、仲間として魔王城とゲシュマック商会設立の真実。
『神の打倒』という目的を告げられるのは、それから一月後のことである。
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