盛大な見送りを受けて王都を出発した私達は、その日の夕方、国境沿いの宿に辿り着いていた。
「疲れました。本当に、疲れました。
すみません、今日はもう動けません」
「お疲れ様。フェイ。ゆっくり休んで」
我慢強いフェイがこんな風に弱音を吐く事は珍しいけれど、無理も無い。
転移術を総数連続二十回以上。
三十人以上の随員と、十台の馬車、そして山のような荷物をピストン輸送してくれたのだから。
アーヴェントルクへの到着は今週の風の日までにと決められている。
遅れれば自国をないがしろにした、とアーヴェントルクは怒る事だろう。
けれども『聖なる乙女』と『神殿長』の認証式で丸一日出発が遅れてしまった。
その時間を詰める為にフェイが転移術を使ってくれたのだ。
国境近くの森は幸い何度も戦で来ている。
人目が付かない場所を選び約二刻で丸二日分の距離を飛び越えた形になる。
「こんなのはこれっきりにして欲しいですね。
特に馬車の輸送が怖いです。人間数人とか荷物いくつかとかと全然感覚が違うんですよ。
我ながら頑張ったと思います」
「うん、偉い偉い。本当にありがとう」
ぐったりとシュルーストラムの杖にもたれるフェイの頭を私は、魔王城の子ども達にするようになでくりなでくりする。
頑張ってくれた子を褒めるのは万国共通の子育て保育の重要事項だ。
「…そこまで子どもじゃありませんよ」
と言いながらもまんざらでない様子のフェイに微笑んでから、私は随員達に向かい合う。
「皆さん、最初からドタバタですみませんが、今の術については絶対、他言無用にお願いします。
特にアーヴェントルクでは一切の口外を禁止します。
あんまり言いたくはありませんが、漏れた場合は解雇もあると認識して下さい」
少し厳しいけれど、転移術の使える術士の存在は知られる訳にはいかないからね。
皆、王宮の仕事をする人たちだ。守秘義務の大切さは解ってくれている。
真剣な顔で頷いてくれた。
「フェイが頑張ってくれたので、余裕をもって国境まで来ることができました。
今日はゆっくり休んで明日からの旅に備えて下さい。
アーヴェントルク国内は特に険しい山が多いそうです。
安全に注意していきましょう」
一般の随員達がそれぞれに仕事に動き出してから、私は側近達に声をかけた。
「明日にはアーヴェントルクに入ります。
なので夕飯が終わったら、ちょっと集まって下さいね。情報共有と打ち合わせをしたいと思います。
ミュールズさん。入浴とかの身支度はその後で」
「…解りました。着替えやその他の準備を進めておきます」
何か言いたげだったけれども、ミュールズさんは呑み込んで頷いて下さる。
本当は随員とはいえ、皇女がこんなに親し気に話しかけるもんじゃない、とはよく言われているけれど。
まあ、そこはそれ。私だから。
「セリーナ、ノアール。ここは一般の宿だから調理設備は無いんですって。
アルから道具を借りてきて、準備をお願いします」
「はい」「かしこまりました」
「フェイはこれ食べて、ゆっくり休んで」
フェイに渡したのはとっておきのプラリネ。
「ありがとうございます」
甘いものを前にすると無敵の皇王の魔術師も年相応の子どもっぽく見えるのが可愛いと思った。
そして夕飯の後。
「アーヴェントルクは敵国だと思え。とお父様や皇王陛下からくれぐれも注意されています。
それで、皆で情報の共有と注意点について話し合っておきたいんです」
部屋の中央にあるテーブルに、預かってきたアーヴェントルクの情報が書かれた文書を並べていく。
『情報としては少し古いと思いますが無いよりはマシでしょう』
そう言ってアドラクィーレ様が渡して下さったものだ。
大きな間違いはないと思う。
アーヴェントルクは領地の約半分が険しい山岳地と森林地帯という森と鉱山の国だ。
不老不死以前から、農地は極めて少なく、肥沃とも言えない。
山間の草原で牧畜をしたり、僅かな耕地で小麦やパータトを育てたりしていたという。
私のイメージ的にはスイスとかフィンランドとかかなって感じている。
山岳地の鉱山からは金、銀、鉄などが産出される。
ごく稀にカレドナイトも発見されるということで。
この世界における鉱物資源の殆どがアーヴァントルクから産出される、今現在、七国で一番経済力のある国である。
逆に不老不死発生以前は農地に恵まれず、国全体があまり裕福とは言えなかった。
家族の生命を養う為に人々は出稼ぎに出たり、鉱山で命がけで働いたりした。
特に山岳地で生活している為、身体能力に優れた兵士達は各国で重宝されていたらしい。
現皇帝陛下の『傭兵皇帝』という二つ名はその辺から来ているのだろう。
今は遊びの戦以外、戦いらしい戦いも無いけれど、一人ひとりの戦士としての実力はかなり高いとのこと。
「護民兵や騎士階級はともかく、一般兵の質は向こうの方が高いな」
「連携などの練度も高いですしね。
前回の戦で勝てたのは、相手に油断があったのと、リオンの実力と采配。
あとこちらの兵士の気力が食事のおかげで高かったからだと思います」
さりげにリオンを褒めるあたりはフェイらしいけれど、
「前回と 同じで奇策をしかけた訳じゃない。
敵の戦力より常に多くの人員で、敵を確実に減らしていっただけだ」
とリオンは言う。
詳しくは聞いてないけど相手が油断している顔合わせの初戦にほぼ全戦力を投入。
リオンが前線に切り込んで他の将軍たちと連携し、ほぼ二部隊を壊滅させたのだという。
後は斥候などを巧みに使い、七日目まで本陣の襲撃は無いと思い込んでいたアーヴェントルクの裏をかいて三日目に本陣突入。
今回は精霊石の護衛をしていたアーヴェントルクの将軍を一対一の決闘で倒し、精霊石を手に入れた。
「表向きだけかもしれないけれど、第一皇子のヴェートリッヒ様は冷静でカリスマ性のある方に見えた。
敗北もしっかりと受け入れて、定石外れの攻撃も責めたりはなさらなかった」
皇帝陛下には正嫡の皇子が一人と、皇女が一人いる。
第一子がヴェートリッヒ様、第二子が『聖なる乙女』アンヌティーレ様。
皇帝陛下と皇妃様、そしてこの四人が『皇族』
妾腹には皇子が三人と皇女が一人。
皇子三人は完全な臣下であり、皇族としての待遇は最初から与えられていない。軍人や文官、神官としての職務を行っている。
皇女は『聖なる乙女』の資質能力があるので王宮で皇女として育てられたが、実際は姉皇女の侍女のような存在だったとアドラクィーレ様はおっしゃっていた。
『皇女として扱われたのは姉上の代理として一度だけ『聖なる乙女の舞』を舞った時と、結婚の時だけです。
正直アーヴェントルクには良い思い出は殆どありませんね』
アドラクィーレ様の談だから色々とバイアスはかかっていそうだけれど、話を聞く限り解りやすい悪役令嬢のようだ。
アンヌティーレ様は。
「大貴族は十五人。人数は少ないものの他の大まかなところはアルケディウスとほぼ同じようですね」
「『聖なる乙女』による税金半額減免が五百年続いているので国力は間違いなく七国一。
鉱石なども不老不死に関係ない必需品ですから、経済も揺らぐことなく安定している。
唯一の冬国。
ですが、世界中が無視できない力を持つ強国です。間違いなく」
例え、農作物に恵まれなくても鉄工業などに強いアーヴェントルクは『新しい食』の発展には無視できない国だ。
できれば仲良くしたいけれど、不安要素も大きい。
「とりあえず、私がすることは同じです。
依頼されたレシピを知らせ、産地の特色合わせた『食』のアドバイスをする。
ただ、その過程で私を取り込もうとする求婚者などが出てくる可能性もあります。
あるいは、アドラクィーレ様のご意見が正しければもっと直接的に私に危害を加えようとするとか」
本当はこんな心配杞憂で、プラーミァやエルディランドのように仲良くできればいいんだけれど。
アドラクィーレ様から、注意すべき毒物リストなんて渡されたら、気を抜く訳にはいかない。
基本的に自分達が食べるものは自分で作ろう。
「楽しい旅にできるように、皆さんも十分に注意して下さいね」
新しい国での、新しい旅の始まり。
私達は改めて気持ちを引き締めたのだった。
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