魔王城に本格的な冬がやって来た。
外はびゅうびゅう、ごうごう。
城の中まで轟音が響く大風だ。
「すごい音だね~」
エリセが軽く耳を押さえている。
向こうで言う所の爆弾低気圧というやつかもしれない。
「これから急に寒くなってくると思うから、みんなちゃんと服、多めに着てね」
夕食を終えた夜。
お風呂上がりの年少組の着替えをさせながら、私は年長、年中組にも声をかける。
城の中は過ごしやすいけれど、季節の変わり目。
体調管理には気を付けた方がいいだろう。
「授乳は終わったんでしょ。ティーナもお風呂入ってきて。リグは私が見ているから」
私は、ティーナに声をかける。
今日は、男子が先に入り、年少組も入れ終わったので、次は最後の女の子組だ。
「マリカ様を差し置いて私がお風呂を頂くなど…」
ティーナは首を横に振るけれど、ここは押し通す。
「じゃあ、ミルカとエリセの面倒を見てあげてくれると嬉しいかな。ティーナは魔王城のお風呂に入るの初めてでしょ?」
そろそろリグも3カ月になって、以前ほど夜泣きもしなくなった。
ティーナもたまには、子どもから離れてゆっくりお風呂に入る時間があってもいいと思う。
「子ども達と一緒に、リグを見てるから、大丈夫。
ついでに新作ハチミツシャンプーも試してみて、凄く髪の毛が綺麗になるの」
お風呂に入れるようになってから、試行錯誤して作ったシャンプーと石鹸は私の自信作だ。
甘味にお砂糖が使えるようになったから、大胆にハチミツをシャンプーにしてみたら、驚くほどに髪の毛が綺麗になった。
しかもコンディショナーいらずの天然のリンスインシャンプー。
「ああ、だから、マリカ様の髪の毛は艶が美しくていらっしゃるのですね。
浴場まであるとは魔王城の生活は、本当に貴族以上ですこと」
金髪が綺麗なティーナだけど、産後ゆっくり入浴している暇は無かったので大分髪なども荒れてきている。
キレイに戻ると私も嬉しい。
「ミルカ、エリセ。ティーナにお風呂の使い方、教えてあげて」
「解りました」「ティーナお姉さん、一緒に入ろう?」
小さな二人に手を引かれれば流石のティーナも断り切れない様子。
「で、では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ゆっくり、いってらっしゃい」
リグを預かり、私は手を振って、ティーナを見送った。
小さな子達も
「りーぐ」「かわいいねー」
私の腕の中のリグをうっとりと嬉しそうに見ていた。
自分達より、小さい子を愛しいと思ってくれているのが解ってうれしい。
あと少しすれば首も座って、生活も落ちつく筈だ。
みんなで見守って育てていければと思う。
暫くしてティーナとエリセ、ミルカがお風呂から戻って来る。
「お帰りなさい。リグ、良い子だったよ」
「ありがとうございます。あんな大きくて見事な浴場、初めてでございました」
私は抱っこしていたリグをティーナに返す。
三人を待つうち、子ども達の殆どは寝てしまった。
リグもミルクを飲んで満腹したのだろう、すやすや夢の中だ。
「マリカ姉! きいてきいて! ティーナお姉さん。すごいの!」
「リグや、みんなが起きちゃうから静かにね…」
「あ、ごめん、ごめん」
「それで、すごい、ってなにが?」
お風呂から、戻ってきたエリセは、私に注意されて声を潜めながらも。紅く染まった顔をさらに上気させている。
大興奮、と言った風情だ。
「身体がすっごくきれいでね、ほそくてね。それなのに胸がおっきくてお湯に浮くんだよ!」
「エリセ様!」
ぶふっ!
ティーナは顔を真っ赤にして止めるけれど、私は思わず、吹きだしてしまった。
魔王城にいる大人はエルフィリーネだけだったし、彼女は精霊だ。お風呂になんて入らない。
大人の身体をちゃんと見たことが無かったから驚いたのだろう。
ましてパーフェクトボディのティーナだし。
服の上からでも解るボン、キュッ、ボンだ。
産後、スタイルが崩れる人は多いのに、あっという間に元に戻ってしまった。
凄い。
子どもは素直だなあ。ホント、素直だなあ。
ちなみに、ミルカも
「本当に、あのように綺麗な身体の大人に、私もなりたいと思いました」
と、うっとりした表情。
「ミルカお姉ちゃんはキレイな大人になれるのわかってるからいいじゃない」
「でも本当にあれほどキレイな身体になれるでしょうか?
胸はさほど大きくなれなかったような…」
「ミルカ様まで! ご覧になって下さい。マリカ様に笑われてしまったではないですか?」
ティーナは顔を真っ赤にした上、涙目だけど。
「ご、ご、ごめん。
別に、ティーナを笑っているわけじゃないんだよ。
ただ、私も見てみたかった…なあっ…って…」
「マリカ姉も、いっしょに入ったらいいよ、ぜったい、ビックリ!」
「エリセ様、本当にお止め下さい」
ダメだ、笑いが止まらない。
リグが起きちゃう。自重自重。
年長組や、リオン、フェイ、アルがいなくて良かったと思う。
きっと刺激が強すぎる。
「私も、大きくなったらティーナお姉さんみたいにキレイになりたいなあ」
「私などよりエリセ様も、ミルカ様も、マリカ様もきっとお美しくおなりですわ」
「ホント? 本当にキレイになれる?」
「ええ、間違いなく。ねえ、マリカ様」
自信満々という顔でティーナは頷く。
「うん、私も二人は絶対に美人になると思うよ」
ミルカは大人になるギフトで、美少女になるの保障されているし、エリセも整った容姿だ。
きっと金髪で、華やかなティーナとはタイプが違うけど、美人になると思う。
「マリカ姉は?」
「私は、どうかななあ?」
私も、今のところは、かなりの美少女だと思う。
黒い髪はストレート。ハチミツシャンプーのおかげでツヤツヤ。
目は紫水晶の色でキラキラしている。
ドレスを着て、黙っていればお姫様に見えると思う。
スタイルが良くなるかは…解らないけれど。
向こうにいた時は素地がいいので、美人になれたらいいなあ…とちょっと思う。
「絶対、お美しくおなりですわ。
持って生まれたものが、違いますもの」
「持って、って私は孤児だよ。ただ単に、運よく精霊の力を借りれて魔王城を預かっているだけで」
「運などではありません。マリカ様の気品や知性、精神は生来の貴族にもそういないと思いますもの」
「それはほめ過ぎ」
恥ずかしくなって立ち上がる。
とりあえず、逃げよう。
「私、お風呂に入って来る。
みんなも風邪ひかないうちに寝てね」
「ありがとうございます。リグも夜、だいぶ寝てくれるようになってきましたから。
マリカ様こそ、早めにお休みになって下さい。顔色があまりよろしくありませんわ。
毎夜、遅くまで起きておられるのでは?」
伺うようなティーナの言葉にエリセが声を乗せる。
「あ、私もそれ、しんぱい。
毎日、あさはやくおきてごはん作って、夜ねるのもおそいでしょ?」
「いろいろ、準備や勉強もあるからね。
でも、大丈夫。身体は丈夫だし、あんまり遅いとエルフィリーネに灯り消されちゃうし」
冬になって畑仕事とかはお休みになったけれど、一日子ども達は城にいるからデイリープログラムは考えないといけない。
紙で保育計画とか、児童表とか書かなきゃいけない向こうに比べればよっぽど気持ちは楽だけれど、他にも勉強しない事は山ほどあるのでつい、夜更かししちゃうのはまあ事実だ。
リオン達との勉強会を始める前に、女主人の部屋の本や執務室の本も読めるようになっておきたいし。
「本当に、無理はしないで下さいね」
ミルカまで心配そうに様子を伺う。心配性だなあ。
「保育士は身体が資本だから。けっこう丈夫なの」
笑って手を振る私に、三人も少し笑顔になる。
「では、私たちも部屋に戻ります。お休みなさいませ」
「おやすみなさい。姉様」「おやすみ」
「お休みなさい。良い夢を」
三人と一緒に部屋を出てお風呂に向かうことにする。
精霊に頼んで沸かして貰っているお風呂だから、早く入っちゃった方がいい。
「エルフィリーネ。お風呂に行ってくる。良く寝てるから大丈夫だと思うけど、子ども達の様子見てて」
空中に向かって声をかけると
「解りました。お任せください」
柔らかい声が届いた。
少しだけ寒い廊下を歩いてお風呂に向かう。
毎日お風呂に入って温まれるだけ、中世では有りえない位の贅沢だからこの時間は本当に嬉しい。
脱衣所で服を手早く脱ぎ、浴室に向かった。
身体を軽く洗って湯船につかる。
暖かいお湯が気持ちよくて、意識が溶けていきそうだ。
湯船のふちを枕にして暖かいお湯の中に身体を伸ばす。
小さなバスタブもいいけれど、大きなお風呂は気持ちいい。
「はあ、いい湯だなあ…」
冷えた身体が指先から広がっていく気がする。
至福の一時。
うーん、しあわせ…。
ふと、水に浮かぶ身体を見た。
成長してきたとはいえ、まだ九歳の身体に目だった凹凸は無い。
ティーナの水に浮かぶという胸は、今は遠い幻だ。
まあ、向こうでも決してスタイル良くなかったし、高望みはできないだろうと思う。
思っておく。
期待して届かないと、いろいろ辛いから。
「さて、そろそろ出ようかな…」
私は立ち上がり、湯船の端に足をかけようとした。
そこで、初めて自分の身体の変化に気付く。
「あ…れ…」
目の前が突然、ブラックアウトした。
足に力が入らず、後ろに倒れた身体が水面にぶつかり、バシャンと妙に遠くて大きな音を立てる。
あ、これヤバイやつだ。
と思ったけれど、本当に手も身体も動かない。
意識も思考も、一瞬ごとに黒塗りされていく。
背中から身体が、水に沈む。
「だ、だれか…」
とりあえず、溺死は避けたい、必死でもがいたけれど、身体が動かない。
苦しい、という感覚さえない。
全てが遠ざかっていく。
「た、助けて…、リ…オ…ン」
意識の最後で、私は必死に助けを求めた。
私を助けてくれる人、思い浮かんだ名前は一つだった。
完全に意識が消失する、直前。
ザパンと、大きな音がして、身体が、水から浮いたのは解った。
フッと身体が楽になる。
「おい、マリカ! しっかりしろ!!」
パチパチと頬を叩かれる痛みと、何かに包まれる感覚と声が聞こえたけれどブラックアウトは止まらなかった。
手足が熱いのに冷たい。
お風呂に入った直後なのになんで、とどうでもいいことを考えたのが最後だ。
「フェイ! エルフィリーネを呼べ。でなきゃティーナでもいい!! 急げ!!」
「解りました!」
意識が消える。遠ざかる。
でも、私はなんだか安心していた。
この腕の中なら、絶対、大丈夫だと…。
後で、この時の自分の状態に気付いて死ぬほど恥ずかしい思いをすることになるとは、思いもせず。
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