水の国フリュッスカイトの首都ヴェーネは海の側に在る。
とは聞いていた。
干潟のような土地に不思議な力で土台が作られ、その上に街が築かれている。
橋や歩く通路も在るけれど、多くの人がゴンドラなど船を使っている。とも。
でも……
「うわー、すご~~い!」
見ると聞くとでは大違い。
私はこの異世界四つ目、大聖都を入れると五つ目だけれど。
水の国 フリュッスカイトの首都。その美しさに目を驚いた。
白を基調にした美しい街が文字通り、水の上に立っている。
水の中からにょっきりと家が生えていると言おうか。
そしてどの家も色鮮やかなのだ。
屋根は殆どの家がオレンジ色の瓦屋根っぽいのだけれど、壁の色は白やクリーム色をメインにして赤だったり黄色だったり、オレンジだったり、水色だったりして可愛い。
それが運河に移って揺れる様はまるで夢を見ているようだ。
で、運河を行き交う小舟がいっぱい。向こうの世界で言うゴンドラ。
私達が今、乗っているのも少し大きめなゴンドラで、ヴェーネの街に入って直ぐに馬車から降ろされて移った。
「ヴェーネの街は大きな馬車が入れるようにはできていないんです。荷物は別に船で運びますので」
フェリーツェさんに促されて私達は装飾の利いたゴンドラに移動した。
音も無くスーッと船は水の上を、進んで行く。
まるで滑るように。
私達の船を見て橋の上やゴンドラの上から手を振ってくれる人もいる。
「ヴェーネへようこそ! 『聖なる乙女』!」
「平和の使者。希望の姫!」
今までは馬車の中から手を振っていただけだから、ここまではっきりと歓迎の声とか聞こえなかった。できるだけにこやかに手を振って見せる。
「大人気ですわね。皇女様」
「私自身は全然大した人間じゃないんですけれどね。
噂が先行して広まっている感じでなんだかむず痒いです」
「ご謙遜を」
私達の船に並行して行くのはフェリーチェさん達。
王宮まで案内してくれるという。
普通の商人が着るにはかなり見事なドレス。
この後、公主様との謁見があると思うと当然かもしれないけれど。
……多分、もう本気で隠す気ないな。この人。
緩やかな運河を進んで行くと大きな建物が見えた。
純白に見えるけれど、アラベスク風の文様が精緻に刻み込まれている。
「裏口もありますけれど、城の正門は運河側なのです。
ようこそ。クレツィーネ宮殿へ」
艀にゴンドラが横付けになる。
リオンにエスコートして貰って石畳を踏むと、白いアーチの連なる回廊が見えた。
その回廊を進んだ真ん中あたり。
大きな白い扉があった。
美しい装飾が施された金属の扉の上には紋章っぽいものが飾られてある。
特別な通路。フェリーツェさんが言う『正門』なんだろう多分。
「お帰りなさいませ。そしてようこそ『聖なる乙女』」
私達が門の前に立つと見張りをしていた兵士さん達が私達に向けて膝をつく。
後ろに「ようこそ『聖なる乙女』」とついたので「お帰りなさい」が私に向けられたものではないことは解る。
斜め前に立ち私を振り返るフェリーチェさんは、少し困ったように肩を竦めて私達を見た。
さっきまでの商人の顔ではなく、威厳に満ちた王族の眼差しで。
「あら、あまり驚かれませんのね」
「薄々、そうじゃないかな、と思っておりましたので。
公子妃 フェルトレイシア様」
「流石の洞察力ですわね。お見それしました」
やっぱりそうだったか。
フリュッスカイトは先代が既にお亡くなりになっていて、公主様と配偶者である公爵様。
後は公子様と公子妃様しか王族はいないのだという。
公主様がお産みなった子どもは後三人いらっしゃるけれど傍流として継承権を与えられていないそう。随分、きっぱりしてるな。公主様。
「では、改めてようこそ。マリカ様。
フリュッスカイト王宮 クレツィーネ宮殿へ」
公子妃様のお言葉に扉が開き、中に光が差し込むと同時、私は眩しさに思わず目を閉じた。
ちょっとビックリ、一段一段が、金ピカピカ。
周囲も少し輝きは落ちているけれど、精緻な装飾の施された壁に金箔が貼ってある。
金色の階段だ。
「金の薄板を貼ってあるだけです。気にせずどうぞ中へ」
気にするなって言われても金を踏みつけて歩くのはちょっと怖い。
滑りそうだし。
それなりに急な階段を真っ直ぐ、三階分くらい上がると、広い回廊についた。
神像とかは無いけれど、精霊を描いたようなフレスコ画があちらこちらに填め込んであってまるで美術館のよう。
凄いな。今までの国ではあんまり『絵画』って見たことなかったけれど、フリュッスカイトには油絵があるんだ。画家さんとかもいるのかな?
「こちらですわ」
先を歩くフェリーチェさん、いや公子妃フェルトレイシア様が、その回廊の中央、大きな扉の前に立った。
その後ろに私が立つと同時に、
「アルケディウス皇女 マリカ様をお連れ致しました」
扉がゆっくりと開く。
王座の間、とかかな、と思ったらそこは広間だった。
大っていうには小さいかもだけれど結構な広さのある広間の左右には豪奢なドレスを身に纏った男女がズラリ。
大貴族達かな。
どちらかというとシンプルなデザインが多いアルケディウスのドレスと違って、本当に中世の貴族の服! って感じで皆、ハイセンスで刺繍や飾り、装飾品も豪奢な服を着ている。
この建物も含めて、やっぱりフリュッスカイトはイタリアイメージだ。
芸術の都? そう言えば、プリーツィエもフリュッスカイトにドレスの流行や服飾品関連はどうしても敵わないって言ってたっけ。
当然知らない人ばかり。
私が知っているのは最奥にある一段高い場所に立つお二人だけだ。
公主ナターティア様と配偶者のペンテノール様。
「エルトゥルヴィゼクス。フリュッスカイトへ。マリカ皇女。
いかがですか? フリュッスカイトは?」
親し気に笑いながら壇を下り、私の前に立つ公主様に、私は静かに腰をかがめお辞儀をする。
「エルトゥルヴィゼクス。
フリュッスカイトを統べる麗しの公主 ナターティア様。
この度はお招き頂きありがとうございましました。
美しい海と運河、街に王宮と目が眩む思いでございます」
膝は折らない。私はアルケディウスの名を背負う皇女だから。
対等な立場の存在として、顔を上げて。
「それは良かった。私、新年より、この日が来るのをずっと待ち続けておりましたの。
隣国でありながらなかなか『新しい食』の情報が届かない日々は本当にもどかしくて。
送った調理研修生もまだまだ帰国は遠い様子。
今回はお忙しくなるかもしれませんが、ぜひ、姫君の『神』と『精霊』に祝福されたお知恵をフリュッスカイトにお授け頂ければ嬉しく思います」
親しく、優しく。
我が子よりもずっと下の少女にも敬意の籠った言葉を忘れずに。
満面の笑顔で受け入れの挨拶を終えた公主様は、それで……と早速本題。
この国でのスケジュールを私に告げる。
「マリカ様には早速で申し訳ないのですが、この後、できれば用意が出来次第、厨房にいらして頂けませんか?
マリカ様を歓迎する晩餐会と舞踏会は明日の予定なのですがそこに『新しい味』を出したいのです」
大貴族達の多くが『新しい味』に半信半疑だから、味あわせてあげたいとおっしゃるのなら拒否する理由は無い。
「かしこまりました。献立はお任せ頂いていいでしょうか?」
「構いません。小麦、卵、牛乳、豚肉、鶏肉、エナなど新年に聞いた基本的な材料は揃えてありますし、必要な物があれば用意させます」
「では、絞って手を加えていない、オリーヴァの生油を」
薄く、周囲が騒めいた。
あ、もしかしたらアレかな。
新年の時にアドラクィーレ様が言ってた。
オリーヴァの油は髪油。それを食べるのか?
と。
本場であるからこそそういう印象が強いのかもしれない。
「解りました。頭の固い貴族達に『新しい味』の真価を見せてやって下さいまし。
……フェルトレイシア!」
くすくすと笑うナターティア様は顔を上げると私の横に控えていた公子妃様に顎をしゃくる。
「はい。公主様」
「お前は滞在期間中、マリカ様のお側でお手伝いをなさい。
食材の準備やその他、渉外交渉と準備は得意分野でしょう?」
「かしこまりました。お任せ下さいませ」
「フェルトレイシア様?」
「宜しくお願い致しますね。マリカ様?」
公主様からの命令を、あっさりと快諾した公子妃様がニッコリ、私に笑みかける。笑みかける。
一見優雅な貴婦人の微笑に見えるけれど、私には解る。というか解った。
これは商人の笑みだ。
ガルフとかよりギルド長とかに近い、私を子どもと油断して、甘く見てくれない。
儲けの匂いを見逃さない笑み。
この人が、私の側に着くの? 滞在の間ずっと?
こうして私の水の国 フリュッスカイトの二週間は、どうしようもない胸騒ぎと共に始まったのだった。
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