「いらぬ、帰れ!」
にべもなく、それこそ、私達に一瞥さえくれようとせず、彼は私にそう言い放った。
うーん、取り付くしまもない。
麦畑の魔性を倒して後、私はこの荘園の魔術師(不老不死者みたいなのでホントは精霊術士)オルジュさんに案内されて私達は麦畑のさらに奥。
森影の大きな舘にやってきていた。
シャトー、という言葉が頭に浮かぶ。
基本シャトーはフランスのワイン生産者のことを呼ぶのは承知しているから、麦酒には適応されないのは解っている。
ブルワリーっていうんだよね。ビール作りの蔵は。
でも、広大な畑を所有し、醸造、樽詰め、もしかしたら瓶詰とかまでしている外国の酒造、という意味でシャトーのイメージがぴったりくる舘だった。
館に来る途中の道すがら私は驚く。
まるでアーチの様に麦畑のまでの道の両側に植えられた植物。
これに私は覚えがある。
「うわー、ホップだ」
以前、ビール工場見学の時に見せて貰ったビール造りのみに適したハーブ。
ホップは発見以降、香りづけと防腐措置に欠かせないものであったときく。
「凄い。本当にガチのビール作りしているんだ」
まさか本当にあるとは思わなかった。
元々使ってたのかな? それとも後から見つけ出した?
「リードさん。昔の麦酒ってどんなものでしたか?」
「どんな、とは?」
「色が濃い目、とか香り、とか」
リードさんはフェイの能力とは違う意味で記憶力がいい。
特に食料品関係の素材などの記憶を500年を経た今でも持っているのだ。
少し考えて答えてくれる。
「色は濃い目。味は濃厚なものが多かったような気がしますね。
粗悪乱造もされていましたが良質なものは果物のような香りがして美味でしたよ」
ふむ、ということは上面発酵エールタイプかな?
その方が常温発酵、長期熟成が可能だって聞いてたし。
あ、私の知識の半分はマンガ。昔一世を風靡した菌マンガがありましてね。
一番好きなエピソードはクラフトビール回だったのです。次にワイン回。
ちなみに私は普通の日本人なので飲むのは基本ピルスナー。下面発酵のラガータイプだ。
まあ、今の私ではどっちであれ飲めないけれど。
と、そんなことを思ったり話しているうちに城壁の様に取り巻く壁と門を抜け、私達は館の前に立った。
「今、荘園領主様を呼んで来る。僕の一存では中に入れられないから」
「解りました。よろしくお願いします」
魔術師オルジュさんが入って程なく、一人の男性が出て来た。
走るように、肩をいからせて。
「貴様らが、ヴェッヒントリルが差し向けた商人か?」
若くはない、50代前半くらいに見えた。
限りなく白に近いシルバーブロンドは肩よりも短い五分刈り。濃い青の瞳は強い意思を感じさせる。
服装も貴族然とはしていない。シャツにスラックス。皮のブーツというより長靴は使い込まれた印象を与える。
「はい。左様でございます。王都で食料品を扱うガルフ商会の番頭リードと申します。
こちらはマリカ。商会の料理人にございます」
跪き礼を取ったリードさんの横で、私も頭を下げる。
フェイとリオンは少し下がった後ろで案内人さんと様子を見ててもらう。
ヴェッヒントリル様の名前が通用しない時には、第三皇子の名前が必要になる時もあるかもしれない。
商会の人間とは別扱いでいてもらったほうが、多分いい。
「いらぬ、帰れ!」
言ったのは自己紹介までで、その先の要件を一言も切り出す間もなく彼はそう言った。
「エクトール様。御領主の使いの方です。その態度は…」
宥めるようにオルジュさんが言ってくれるけれど
「知るか! どうせ麦を寄越せと言う話であろう?
最近王都で新しい食とかと銘打って、食物を食する事が流行っていると聞く。
流行に乗って踏み捨てていた麦を慌てて刈り取っているという話を聞いた。荘領の麦は目的があって育てているもの。
いくら金を摘まれようと決して売らぬし、譲らぬ。商人を差し向けても同じだ。帰れ!」
にべもなく、それこそ、私達に一瞥さえくれようとせず、彼は私にそう言い放った。
うーん、取り付くしまもない。
でも、誤解の元が『麦の買い取り』なら、なんとかなるかな?
「ご心配なく。大麦を買い取るような真似は致しません」
「なに?」
「こちらの荘園の畑、本当に見事なものでした。手入れされた畑、みっちりと実の詰まった麦。
正しく値千金の物と存じますが、これだけ素晴らしい麦を合わぬ粉にするのには勿体ないと存じております故」
頭を下げたまま告げた私に荘園主、エクトール様は目を向ける。
リードさんに軽くて目配せする。
ここから先は、少し任せてほしい、と。いう思いは伝わったようで。
諦めた様に頷き、一歩下がったリードさんに代わり私はエクトール様と目を合わせる。
「こちらで作られている麦酒は、上面発酵ですか? それとも下面発酵ですか?」
「貴様、何を言っている?」
「麦汁を発酵させて、麦酒を作る際、酵母…麦酒を作る元を液体の上面で育てるか? それとも地下に沈殿させているのか、とお伺いしています」
「!!!!」
一瞬でエクトール様の表情が変わった。
「何故、お前がそれを知っている!」
側に控えるオルジュさんも。エクトールさんを追いかけて来たらしい舘の人達も。
愕然とした顔で私を見る。
まあ、驚かれても無理はない。こんな子どもが多分、一族の秘伝に近い麦酒の作成方法を知っているとは思わないだろう。
「我が商会の目的は、エクトール様の蔵で作られているであろう麦酒の確認、そしてお許し頂けるならそれを買い取り世に出すことにございます」
「だから、何故貴様のような子どもが、我々がここで麦酒を作っている事を知っている、と聞いているのだ!」
蒼白な顔で私に詰め寄り私の首元を掴むエクトール様に、リオンは気色ばむように剣に手を当てるけれど私はそれを制してそのまま立ち上がった。
大人と子ども、身長差は相当だけれども、顔と目と心は負けないと合わせる。
「私共は王都に、世界に食を取り戻さんとする商会にございます。
食にまつわる情報は全力で収集しております。ヴェッヒントリル様より大麦の栽培の話を聞き推察いたしました。
こちらの皆様が500年の長きにわたり、世に不要とされた食を、麦酒を守り続けておられたことを」
「気付いた、というのか…。一滴たりとも蔵の外に出すことなく、ただ製法と技術を守り続けて来た我らに…」
「はい。技術とは一度途絶えてしまえば取り戻すのは難しいもの。伝えられて来た伝統をひたすらに守り続けて来たその姿勢に私達は心から敬意を表します」
細かい事情や想いまで理解できるとは思っていない。
ただ、かつて日本酒の酒蔵を訪ねた時、その蔵の人は昔ながらの製法を丁寧に説明してくれた後、言ったのだ。
「私達の役目は古くから伝えられた味という名の伝統と心を、より良い形で未来に繋ぐことだ」
と。
『無駄だ、不要だと、言い争った』
そう領主様は言っていた。
私の首元を掴む、ごつごつとした固い指先。
これは長い年月農作業を続けて来た人の手だ。
麦を育て、火を使い、熱をかけ発酵を見守って酒を、伝統を守り続けて来た働き者の手。
確かに不老不死の世界になって全ての不安が無くなって、酒も不要と思われた時期が多分あった。
神殿がお酒を造って独占している事から弾圧めいてたものもあったのかもしれない。
けれどきっとこの方達は、作り続けて来た。
酒造の人達に近い思いで。信念を持って。
「畑を守る、大地の精霊も言っていました。
皆様に、どうか努力に相応しき光を、と」
「大地の精霊…声を、聴いたのか?」
「ええ、とても美しく強い精霊でしたよ。皆さんを心から愛し、感謝していると言っていました」
「皆様の努力は無駄では無かった。いいえ、決して無駄にはなりません。
これから、世界を変えていくのですから」
進み出たフェイ、魔術師の言葉と共に、私の首元から手が離れた。
周囲から広がり聞こえる嗚咽は、きっと使用人さんや家人さんから?
見れば、オルジュさんも俯き、杖を持つ手を震わせ、泣いている。
そして、エクトール様も。
彼らの止めどない落涙を私は、恥ずかしいものだとは思わなかった。
むしろ稀なる程に輝かしいと私は感じ膝をついた。
「皆様の500年の信念に祝福を。叶うならその努力を外へ、そして世界へと広げるお手伝いをさせて下さいませ」
夏の太陽の下。
500年の空虚な時の終わりを告げる喜びの雨は、長く、長く降り続いていた。
『皇国の麦酒』は前後編で、周辺の話も少しあります。
ワイナリー、ブルワリー、ウイスキー所蔵所、日本酒の酒蔵
どこも数百年の歴史を持っているところは少なくありません。
人の心を酔わせるお酒という文化をプライドを持って守っている皆さんがいるので、それを描いていけたらなと思いました。
基本的な所は本式に沿いつつ、ファンタジーなのでちょっとご都合主義も。
次話はちょびっと飯テロです。
人の心を掴むには食事が一番。
よろしくお願いします。
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