フリュッスカイト最後の夜。
無事、晩餐会と送別会を終えた私は、部屋でホッと息を吐き出していた。
「終わった~。これで、フリュッスカイトでのお仕事は終了だ~」
「お疲れ様でございました。フリュッスカイトでも大活躍でしたね」
「ティラトリーツェ様が聞いたらまた、どうして貴女は? とため息をつかれる事請け合いですわ」
「ええ、マリカ様にお仕えするようになってから、毎日が驚きの連続です。本当に退屈する暇もございませんわ」
「止めて下さい。本当に。私は何にも悪い事はしていませんって」
「そうですね。悪い事は何もしておられません」
「ただ、公の求婚を断ったり、大嵐の中、飛び出して行ったりしただけですわね」
装飾品を外す手伝いをして、お茶を出してくれたミュールズさんとミーティラ様は、くすくすと顔を見合わせ笑っている。
嫌味、というか、あてこすり?
私にとってお二人はお母様の代わりの保護者のような存在だから、何を言われても仕方がないけれど、帰れば間違いなく、なんで騒動を巻き起こす! とお説教コース確定なことを思い出して気が重くなった。
「でも、今日の晩餐会も大盛況でございましたね」
「うん、なんとか喜んでもらえたみたいで良かった」
カマラの素直な賛辞が癒しだ。
晩餐会に出した料理はありがたくも喜んで貰えたようだ。
どのメニューもこの国の人達の口に合ったようで、美味しい笑顔で受け入れられたことにホッとする。
まあ、その分、晩餐会で大貴族達からのアプローチが多くなることは覚悟したのだけれど新君主たるメルクーリオ様がしっかりガードして下さったので、私の周囲は至って平和だった。
公子とソレイル様は大貴族対応で大忙し。でもちゃんと気を遣って下さって
「姫君、今日の御召し物は素晴らしいですわね」
「公主様、公子妃様も」
「そう呼ばれるのも、あと僅かですわね」
ほぼ付きっ切りで公主様と公子妃様が側にいてくれたのはありがたかった。
不心得者はお二人がシャットアウトしてくれたのだと思う。
挨拶を受けた大貴族はほとんど気持ちのいい方ばかりだったから。
「連れて来たお抱えの服飾商会の新作なのです。素晴らしい先進的なフリュッスカイトの服飾に彼女も色々と良い刺激を受けたようです」
「それは何よりですね」
「フェリーチェ様や、公主様達こそ、甘やかないい香りがして」
「早速、製油の蒸留を始めました。
私のは、秋咲のロッサを集めさせましたの。本当に少量しか採れませんでしたが、香りがぎゅっと凝縮されていて素晴らしい技術だと心から感動いたしましたの。
来年からは、私、少し暇になりますし、色々研究してみるつもりです」
「キトロンは料理に使った後、皮を捨てない様に言いつけました。食材を無駄にしないのもいいですわね。大事に使っていきますわ」
「フリュッスカイトの素晴らしい腕のガラス職人のおかげです。
少しずつ、たくさんの人に楽しんで貰えるようにしたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします」
お互いに、服や装飾品、香りを褒め合ったけれど、お世辞とか社交辞令では無い。
プリーツィエは滞在中、色々と刺激を受けたらしく、持ってきたドレスにフリュッスカイト風の先進的な工夫を加えてくれた。
リボンや色違いの布をたくさん使ったドレスは、比較的シンプルな服が多いアルケディウスに比べるとかなり華やかだ。
やりすぎるとくどくなると思うけれど、上手く使うと本当にステキ。
滞在期間中は、衣、食両方で有意義な情報や技術交換ができた。今後も良い関係を築いていきたいと心から思う。
「私もフリュッスカイト滞在中は貴重で、有意義な経験を沢山させていただきました」
カマラが嬉しそうに微笑む。彼女がこんな風に言うのは初めてだ。
「ああ、休憩や休み時間は全て訓練場で過ごして、鍛えていたそうですね。
ルイヴィル様が褒めていましたよ」
「はい。剣、槍、鎧騎士など、今まで相手をしたことがない人間と戦うのは勉強になりました。プリエラも能力が安定して来たようです。手だけではなく、足にも力を乗せられるようになってきたので、格闘家は向いているかもしれません」
プリエラにも焦らずにまずは身体を作るように、とルイヴィル様がアドバイスして下さったそうだ。ルイヴィル様は戦い一筋で妻帯もされていないという話だったけれど、本当に面倒見が良くて指導力もある。
彼に指揮されている軍だから、油断の無い今年の秋の戦は苦戦するかもしれない。リオンも参加しないし。
「何か学ぶところがあったのなら良かったです。戻ったら騎士試験です。頑張って下さいね」
「はい! 必ず合格して見せます!」
「マリカ様、お風呂の用意ができました。入浴してお休みになって下さい」
「ありがとう。……気が抜けたら、本当に眠くなってきました」
「色々とお疲れなのですわ。あと少し、頑張って下さい」
ノアールにはそう言われたけれど、私はどうやらお風呂で案の定、寝落ちしたらしい。
「もう、姫様は何度言ってもお風呂で寝てしまわれるのですから」
だから、これは夢の話だ。
多分。
『改めて、礼を言う。『聖なる乙女』いや、『精霊の貴人』』
「オーシェアーン……様?」
私は気付いた時、お城の最上階に立っていた。
傍らには水の『精霊神』オーシェアーン様がおられる。
『其方の作ったオリーヴァの塩漬けは美味だった。遠い、懐かしい良い味がした』
猫の姿ではなく、人型。『神』としての容をとっておられるという事はやっぱりこれは夢なのだろう。
『精霊神』様も食べ物食べるのかな? 美味しいと感じるのかな?
なら、今度ラス様達にも振舞って差し上げようと、どうでもいいことをちょっと思う。
『見るがいい。其方の力によって守られたヴェーネの街を』
手招きされるままに私は城の端に立ち、街を見つめる。
ヴェーネの、フリュッスカイトのクレツィーネ宮殿は海の側に立っているから、街がそして反対側を見れば海が一望できる。
薄紫の宵闇の中、灯りをともす人々の生きる街。
運河には灯りが映り、まるで星を散らした様だ。
『水は恵みも運ぶが、禍も齎す。
この地に私が街を築いたのは理由あっての事だが、子孫たちには苦労をかける』
「苦労だなんて、多分思っていませんよ」
『そう、思ってくれるか?』
「はい。フリュッスカイトの皆様は、水の国を、ヴェーネを本当に誇りにおもっていると解っていますから」
美しい、水の都。
故郷に、少なくとも私が会った皆さんは、みんなこの国を、この街を愛していると思う。
『そう思って貰えるのならありがたい。……マリカ』
「はい、なんでしょう?」
『精霊神』オーシェアーン様と目が合った。
その海の輝きを写したような紺碧の瞳は、真摯で、何か言いたげに見えたけれどその先を紡ぐことなく私を写している。
『いや、何でもない。
『聖なる乙女』『精霊の貴人』に祝福を。全ての水が其方達と共にあるように……』
「!」
静かに微笑んだオーシェアーン様は私の左手を取り、リオンとエルーシュウィンがくれた蒼い婚約指輪に口づける。と同時、夜だというのに虹を纏った水色の光が周囲に弾ける。
と同時、指輪の星飾りに吸い込まれ消えて行った。
「今の、は?」
『私からの礼、そして詫びだ。後で魔術師にでも渡すがいい』
「詫び? 何のです?」
『……遠き、我らが弟妹よ。其方達の幸せを心から願っている』
遠ざかって溶けていく意識の中で、私はヴェーネのさざ波と水の『精霊神』の祝福を確かに聞く。
それは祈るように、願うように、優しく、温かく心地いいものだった。
窓から差し込む朝の光に目を細める。
目覚めた私はベッドの中。
二匹の精霊獣が、私の左右で可愛らしい寝息を立てている事に気が付いた。
さっきのは夢。でもきっとただの夢では無かったのだろう。
その証拠が私の指で煌めいている。
私達を見守る優しさに包まれて、私はフリュッスカイト、最後の朝を迎えたのだった。
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