「逆子…しかも、全足位なんて…」
知識でしかないけれど、保育科学生時代に叩きこまれた妊娠出産の知識。
逆子、というのは胎位が逆になり通常頭から出て来る子が、違うところから出てくる事だ。
自然というのは上手くできていて、一番大きな頭から出てくる事でそれより小さな体は突っかからなくてすむ。
でも逆子の場合は、小さな身体が先に出てしまうので首などが子宮口に引っかかって出て来にくいのだ。
全足位、というのはその中でもかなり難しい。赤ちゃんが立ったように足から生まれて来ること。
向こうの世界なら即座に帝王切開コースの案件である。
時間をかければかけるほど、赤ちゃんの負担が大きくなり危険が高まる。
でも、中世で帝王切開なんて無理。
手を入れ、足首を持って引っ張ってみた。
ダメだ。身体が降りてこない。
どこか…多分、首のあたりが引っかかっている。
「コリーヌさん! 逆子の介助経験は?」
「ありません。どうしたら…」
「逆子?」
私達の会話を聞きつけて、ティラトリーツェ様が体を起こすが、小さな呻きと共にまた台に背を付ける。
「だ、大丈夫です。気持ちを落ち着かせて身体から、力を抜いて下さい。
ティラトリーツェ様!」
自分で言っても、気持ちは落ち着きとは正反対だ。
落ちつけ…狼狽するな。
ティラトリーツェ様が不安になる。
そして、考えろ、思い出せ…この場を乗り切るヒントがどこかに…。
息を呑みこむ。頭の中の前世、今世の記憶を必死で検索する。
眼の前に走馬燈のようにちらちらと何かが流れ、そしてある場所で止まった。
『先生。二人目は本当に大変だったんすよ。
逆子で、しかも出産直前まで解らなくって!!』
ずっと前、保護者からこの子は逆子で難産だった、と聞かされた雑談。
滅多にないことで、医師が…と苦笑交じりで聞いた話が、脳を駆け抜ける。
呻くティラトリーツェ様を見る。
一人目を産んだばかり、まだかなり口は大きく開いている。
迷っている暇はない。
大きく腕まくりして水にバシャンと手を突っ込んだ。
「ティラトリーツェ様、失礼します!!」
「マリカ様?」
濡れたその手のまま赤ちゃんの足を掴み、そのまま身体に沿って手を上げて行く。
つまりはティラトリーツェ様のあそこに手を突っ込む形だ。
以前、聞いたのは助産の医師が手を突っ込んで、赤ちゃんのひっかかりを外し掻き出すようにして助けたという話。
恥ずかしいし、苦しかったけれど、おかげで同じように全足位で生まれた子どもは助かったと、その人は言っていた。
絵面とかどうこうとか言ってられない。
赤ちゃんの命がかかっている。
それにここでは私の手が一番細くて小さい。
「あ、あああっ!」
それでも、圧迫感に悲鳴を上げたティラトリーツェ様が左右に身じろぎする。
「コリーヌさん、足が表に出たらすぐに引っ張り出して下さい!
ミーティラ様はティラトリーツェ様を支えつつ、下腹の一番固い所を押して!!
ティラトリーツェ様は、いきみ続けて下さい!!」
苦痛に仰ぐティラトリーツェ様に、聞こえたかどうかは解らない。
けれど、外から感じる圧力は、ミーティラ様とティラトリーツェ様の援護と私は信じて手を進めていく。
ぬるぬるとした産道を肘近くまで手が遡った時、赤ちゃんの首元に辿り着いた。
やっぱり子宮口に首が引っかかっている。
全開になっていた筈なのに、それでもやはり子宮脱出が難しかったのだろう。
私は赤ちゃんの首筋に手をかけ、締めつけている子宮口に指を差し込み渾身の力で押し広げた。
「うっ!」
「ミーティラ様! お腹を強く押して! ティラトリーツェ様! 全力でいきんで!!」
二つの力が上から押しかかり、スポン、とまるで音がするかのように引っ掛かりが抜けたのが感じられた。
私はそのまま手を頭の上に置いて、押し降ろすように子どもと一緒に手を引き抜いた。
幸い、手や足がそれ以上引っ掛かることなく、私の手は赤ちゃんと一緒に外の空気を掴む。
「赤ちゃんは!?」
首を横に振るコリーヌさんの腕の中で赤ちゃんは、呼吸を上げず顔を顰めたまま。
「貸して下さい!!」
まだ、諦めない。
私はコリーヌさんから赤ちゃんを半ば奪う様に預かると、まず口と鼻を一度に塞ぐように口を付けた。
「マリカ様!? 何を?」
出産に時間がかかった。
一刻も早く呼吸を確保しないといけないけれど、赤ちゃんの口や鼻に胎盤や羊水が詰まって呼吸が妨げられる時があるのだと前に何かの本かマンガで見た。
産婦人科とかだったら吸引器があるだろうけれどない以上はこれしかない。
人工呼吸のギャクバージョン。
そのまま大きく息を大きく吸い込んで口や鼻を塞いでいた物を吸い出す。
血の味が口の中に広がって来る。
床にそれを吐き出してもまだ、呼吸は無い。
産声という名の呼吸を開始させるために、あと思いつく事は一つだった。
赤ちゃんの呼吸の切り替えにはストレスが必要だという説があるという。
狭い産道を通って出て来るのも、必要な摂理。
祈るような思いで
「お願い! 泣いて!!」
赤ちゃんの足を掴み、頭を下にすると
バシーン!!
全力でそのお尻を叩いた。
と、瞬間、ブルッ、と赤ちゃんが身体を震わせ
「あっ!!」
おぎゃあ! おぎゃあ!!
泣いてくれた。
抱き直した赤ちゃんのしわくちゃな顔から、確かに泣き声、呼吸が聞こえる。
トクントクンと動く心臓の音も。
「良かった。本当に…良かった…」
私は赤ちゃんを抱いたままペタンと座り込んでしまった。
手が震えて…赤ちゃんを落とさないようにするのが精いっぱいだ。
「マリカ…。よくやりましたね…」
「皇王妃様…。すみません、私…腰が抜けて…。赤ちゃんの産湯…お願いできますか?」
「ええ…。とても可愛い女の子だわ」
私と皇王妃様がそんな会話をして赤ちゃんをお預けしている間、コリーヌさんとミーティラ様はティラトリーツェ様の後産と、臍帯処理をして下さっていたようだ。
私もお手伝いするべきなんだろうけれど、ダメだ…身体が動かない。
「マリカ…しっかりしなさい?」
「ミーティラ様…。あ、ティラトリーツェ様は?」
みっともなく震えてへたり込んでいた私を、ミーティラ様が助け起こして下さる。
「大丈夫です。お礼が言いたいと言っていますが…歩けますか?」
「は、はい…大丈夫です」
ふらふらと、よろめきながら、いつの間にか寝台に移っていたティラトリーツェ様の、ベッドサイドに私は膝をついた。
ほぼ転倒、足に力が入らない。
「マリカ…ありがとう。
貴女のおかげで、二人とも無事に生まれる事ができました」
「い、いいえ。すみません。
私、頭に血が上って考えてみたら、ティラトリーツェ様にもコリーヌ様にもかなり失礼を…」
助産婦の手から赤ちゃんを奪い取って、子どもが処理するとかありえない。
ましてや、あそこに手を突っ込むとか。
恥ずかしくて、申し訳なくて、顔が上げられない。
でも…。
「いいえ。私だけであったら少なくとも第二子は無事に産まれなかったでしょう。
子宮にかかった頭を外すことも、呼吸を取り戻させることもてきぬまま、死んでいくのを見守るしかなかったと思いますよ…」
「貴女が…いてくれて、良かった。
マリカ…本当に…ありがとう」
「ティラトリーツェ様…」
お二人の言葉は優しかった。
柔らかく、私の頭を撫でてくれるティラトリーツェ様の横に、ミーティラ様と皇王妃様が二人の赤ちゃんを寝かせたのが見える。
男の子と女の子。
可愛らしい双子だ。
安らかな呼吸音のデュエットに、私は改めて出産の成功と、命の尊さに涙する。
良かった。
本当に…良かった。
「外で、やきもきしているであろうライオットを入れてもいいかしら?」
「ええ、お願いします」
皇王妃様の許可を得てカツカツと、走るような足音と共に入ってきたライオット皇子は硬い表情をしている。
ベッドサイドを空ける為に後ずさった私のいた場所に、スッと立った皇子は二人の子。
そして、最愛の妻の前に顔を綻ばせた。
さっきまでの固い憂悶の表情が雪の舞い散る冬だとすれば、一気に雪が解けて花畑に変わったかのような温容だった。
「よく頑張ってくれたな。ティラトリーツェ」
「ええ、皆の…そしてマリカのおかげです」
抱いてやって下さいませ。
と穏やかな笑みで促す妻に頷いて、ライオット皇子は我が子を一番に抱きしめ祝福する。
「よくぞ、生まれて来た。我が息子よ…」
あまりにも眩しい風景に、目を細める。
愛する夫からの一番最初の祝福。
それこそが、ティラトリーツェ様が故郷ではなく、アルケディウスでの出産に拘った理由なのだから。
「そして、我が娘…。ああ、俺は果報者だ。
ただ一度の出産で息子と娘、その両方に恵まれたのだから…」
頬を摺り寄せる優しい笑みは、恍惚としていて、我が子が愛しいと、本当に幸せだと、雄弁に物語っている。
これ程までに愛され、望まれ、生まれて来た子はきっと、もしかしたら人が不老不死になってから初めてかも知れない。
当たり前なくらい当たり前で…でも、涙が出る程に奇跡的な光景だった。
「ほらほら、皇子。
お母さんはお疲れです。少し休ませてあげないといけませんよ。
そこで腰を抜かしている功労者を連れて、外に出ていて下さいませな」
と、そこで皇子はベッドサイドでへたり込んでいた私に気付いたようだ。
「解った」
私とティラトリーツェ様の顔を見比べながら、ひょいと、私を摘み、抱き上げる。
「わっ!」
「詳しい話は後で聞かせて貰う。今は乳母の言う通りゆっくり休め。
ティラトリーツェ」
「ええ、あなた。マリカのことをよろしくお願いします。
マリカがいなければ、この子達は二人揃って生まれては来れなかったのですから…」
ティラトリーツェ様のお休みを邪魔してはいけない。
後はもう、ミーティラ様も、コリーヌ様もいるから平気だろう。
「ティラトリーツェ様も、どうぞご無理はなさらないで下さいね」
私は皇子にだっこされたまま、静かに部屋を出た。
「何か、あったのか?」
「…あったと言えば、ありました。たくさん」
隠しきれないので私は諦めた口調で告白する。
ティラトリーツェ様の無事出産しか頭になかった私は、かなりやらかした自覚はある。
特に他国の重臣であるコリーヌ様と皇王妃様を前にしてのあれやこれやは、この後の追及が恐ろしいくらいだ。
「そうか…まあいい。
お前のおかげで我が子が無事に生まれた。そのことに変わりはないのだからな」
大きな手で私の髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜると、皇子は私を直ぐ近くに用意された『私の部屋』に運んで下さった。
「少し休め。もうじき朝になる。
後でセリーナに朝食を運ばせる。昨日からろくに飲み食いしていまい?」
「それは、ティラトリーツェ様も同じで…」
少し遠慮しようとも思った瞬間に大きなあくびが零れた。
「ほらみろ」
うん、身体は正直だ。
疲れと安堵で気が抜けたら、もう指先一つ、動かせない。
「ありがとうございます。
では、休ませて頂きますね」
今は、使っていないから誰もいない部屋のベッドに私をそっと降ろすと皇子は跪く。
え? 私に? なんで皇子が?
「偉大なる魔王姫。麗しの『精霊の貴人』」
「皇子?」
「我が子と妻の出産を守ってくれたことに心からの感謝を捧げる。
皇子としてではなく、一人の男として、父親として、人間として…。
この礼は我が一生をかけて返すと誓う」
神妙な顔で告げた皇子は、私がその意味を問い返す間もなく立ち上がりこつん、と私の額を指で押す。
「とにかく今は寝ろ。話は後だ」
ころんと、ベッドに転がった私の横の窓から差し込む光は淡い薄紫色。
朝の訪れと今日の晴天を知らせている。
それがとってもキレイで、眩しくて。
私には、新しい命の誕生を祝福しているように思えたのだった。
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