朝焼けの中、
微かな…音にするなら、シュンというような。
風が唸る不思議な音と共に、マリカ様達は転移陣から姿を消されました。
姿が見えなくなっても暫く手を振っていた子ども達も、やがて諦めた様にかくんと肩を落とし、城の中へと戻っていきます。
魔王城の保育士にして、主。
マリカ様は今日から暫く諸国を回る旅に出られるのだそうです。
「じゃあ、みんな。
少し、長く戻って来れないかもしれないけれど、身体に気を付けて待ってて。
必ず、絶対に、お土産をいっぱい持って帰って来るからね」
昨日一日、子ども達と力いっぱい遊び、話を聞き、美味しい料理を作り。
子ども達と全力でかかわっていって下さったマリカ様の愛情を皆様、理解はしている筈です。
でも…
「あらあら、ジャック様、リュウ様。
お寂しいのですか?」
私の足元にピタリ、と抱き付くように縋るお二人。
私はだっこしていたリグを下ろし、視線を合わせました。
揺蕩う瞳に浮かぶのは哀しさと寂しさ。
大好きで頼りにする保護者が去っていくのを見送ると寂しさ、と言うのは、多分どうしようも無いもの、なのでしょう。
私ですら、心の拠り所を失ったような虚無感があります。
「そうですね。マリカ様達のお留守はとても、とても寂しいですね」
ぎゅっと、お二人を抱きしめます。
でも、私にはいつまでもそんな思いに浸っている暇は無いのです。
私はマリカ様からこの城と、子ども達を託されているのですから。
「でも、お二人が寂しい顔をしておられるとマリカ様は悲しまれますよ」
私がそう語ると、お二人は眦を手で拭いて頷いて下さいました。
リグを抱き上げ歩き始めると、
「本当に、皇女もここで育ったんですね」
「ニムル様」
今の魔王城の子ども達の最年長にして新入り。
ニムル様が声をかけていらっしゃいました。
見送りの輪から離れて様子を伺う様に見ておられたニムル様。
「育った、と言うよりもマリカ様がこの場所をお作りになり、お育てになったのですわ」
「育てた?」
意味が解らないという様にきょとんとした顔をなさるニムル様には、まだ詳しい事は語ってはならないとフェイ様より命じられております。
私はニッコリと笑ってそこで話を終えるとお二人とリグを連れて城の中に戻りました。
マリカ様達の最長で二ケ月と伺っています。
その間、私達はいつも通り安全に生活しなければなりません。
「ちぇっ。いいなあ。アーサーとアレク」
夕食時ふと、そんな声が零れ聞こえました。
「クリス様…」
マリカ様が用意して下さった夕食のカラアゲを切り刻んでいるのはクリス様です。
今の魔王城の中で、ニムル様を除けば最年長。
島に残る子ども達のまとめ役をして下さっています。
「からあげ、そんなに切ったら美味しくなくなっちゃうよ?」
「いらないならちょうだい?」
「いらなくない! 食べる!」
おかずを狙う弟妹から素早く守ったカラアゲを呑み込んだクリス様は、はあ、と大きな息をつかれます。
「俺も早く外に出たいなあ。
マリカ姉やリオン兄達の手伝いがしたいのに…」
寂しいというより悔しそうなクリス様の気持ちは解らなくもありません。
クリス様とアーサー様は一つ違いで、同じ戦士を目指していることからライバルのような関係にあるのです。
酷く仲が悪い、と言う訳ではありませんが、一つ年上の三人、エリセ様、アーサー様、アレク様が外に出るようになってからは常に、自分も外に出たい。
とおっしゃっています。
魔王城の子ども達はあまり我が儘を言う事はありません。
それは、マリカ様の愛情と、フェイ様の厳しい忠言、加えて勇者アルフィリーガの転生であられるリオン様の信頼の賜物で
クリス様も解っているのです。
自分は敬愛する兄姉に信頼されて、魔王城の弟妹を任されているのだと。
ただ、それでも寂しくはお有りなのでしょう。
瞳にはやるせない苛立ち、悔しさ、そんなものが浮かんで見えます。
ですから、それが溢れ自分と周囲を傷つける前に
「お気持ちは解りますわ。
早く外に出てお手伝いしたいですよね」
私はクリス様のお気持ちに共感し頷きました。
受容と共感。
マリカ様から子ども達と対する時は忘れないようにして欲しい、と常日頃言われている事です。
「うん」
「ですが、クリス様がいなくなってしまわれたら魔王城の皆も、私も、マリカ様やリオン様もとても困ってしまいますわ。
クリス様は今、リオン様に代わるこの城の要。
クリス様がいらっしゃって皆を護って下さっているからこそ、マリカ様達やリオン様は安心してお仕事ができておられるのですもの」
「あ…うん」
褒められて、頼られて、嫌な気持ちになる者はあまりいない。
これもマリカ様の教えです。
子どもであってもそれは同じ。
いえ、子どもであるからこそ一人前の存在として認め、頼りにし、信じることで大きく成長するのだと。
マリカ様は本当に不思議なお方です。
どうして自らも子どもであるのに、あれ程までに人の心、子どもの思いに寄り添う事ができるのでしょうか?
まるで数多の人や子どもと接してきたかのよう…。
「大丈夫ですわ。
マリカ様達はクリス様の事もちゃんと考えておられます。
アーサー様達の様に学問を納め、自分の身の回りのことをしっかりとできるようになれば、きっと外に連れて行って下さいます。
以前、約束もして下さいましたでしょう?」
心配そうにオルドクスがクリス様に寄り添う頃には、クリス様の瞳は穏やかで落ちついたものに戻っていました。
「うん、そうだね。解った」
私はクリス様が苛立ちを収めてくれたことにホッとしました。
勿論、告げた事は嘘ではありませんし。
マリカ様もリオン様も、自分達の留守中、子ども達を支えるクリス様を心配しておいででしたから。
「…それに、外はそんなにいいものじゃない」
話が終わったと、思った私達の上に静かな声が降ります。
皆、声の方を向いていました。
「ニムル様…」
「外の世界は、特に子どもには辛いことがいっぱいだ。
この島にいた方が幸せだよ」
ニムル様の言葉は自分自身に言い聞かせるようで噛みしめるようで、それが真実だと知る私には、この方も外で辛い思いをなさってきたのだな、解りました。
なんと言葉をかけていいか、どう返したものかと思っていた時。
「ニムル兄ちゃん。そう言えば外から来たんだよね?
じゃあさ、じゃあさ。
外の話してくれない?」
「え?」
クリス様が輝く瞳でニムル様を見つめました。
まるで夜空に星を見つけたような眼差しで。
「リオン兄もマリカ姉も本当にあんまり話してくれないんだ。
外のこと。おれ、知りたい!」
「あ、ぼくも…」「ぼくも聞きたいな」
テーブルの向こうからも、こちらからも迫って来る純粋無垢な眼差し。
それを無視したり、無下にできる程にどうやらニムル様は冷たい人間ではないようです。
「…あ、じゃあ…夜とか…自由時間の時とかなら」
「やったああっ!」
飛び上がるような勢いで立ち上がったので、クリス様の周囲でガシャンと皿が大きな音をたてました。
しまった、と舌を出しながらも、クリス様はそのまま、ニムル様の方に近付き、しっかりと手を握ります。
「これから、よろしくね。ニムル兄ちゃん♪」
「あ、ああよろしく…」
今まで、どこかニムル様に、新しい、しかもマリカ様やリオン様よりも年上の『兄』との距離感を掴みかねていた子ども達は、この日、クリス様の行動をきっかけに打ち解け、新しい兄弟、兄としてニムル様に接するようになったのでした。
私は、なんとなく、ですがクリス様のお考えが解るような気がします。
ニムル様を兄として認める思いは勿論、あったのでしょうけれど、クリス様はおそらく、自分の代わりにニムル様に島を護って貰おうと考えておられるのではないでしょうか?
一緒に狩りに連れ出したり、弟妹の面倒を見て貰ったりする姿にそんな意図が見え隠れしていると感じます。
さりげなく、カマをかけて伺ったら、やはり
「この島に住んでる方が幸せだっていうなら、兄ちゃんに島を護って貰えばいいじゃん?
そしたらおれは、外に出られるし~」
だそうです。
仲良くなるにつれ、それだけではない信頼をクリス様はニムル様に抱いているようですが。
正直に言えばニムル様は、精霊術士としての活躍を期待されて外から来た人材ですから、クリス様の思う通りにはいかないような気がします。
でもクリス様とニムル様が仲良くなり、ニムル様が島と城になじまれるのなら。
それはそれで、いいことかもしれないな。
と思うのでした。
そうして、魔王城の日常は穏やかに賑やかに、過ぎていきます。
マリカ様達が不在でも、大きく変わることなく。
けれど毎日、小さく変化しながら。
クリス様は外の世界に憧れていらっしゃいますが、私はこの大事な平穏を、マリカ様が作り上げた大切な世界を護っていきたいと思うのです。
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