「面を上げるがいい。
国を変える小さき娘よ」
膝をつき礼を捧げていた私はそのどこか優しい声に顔を上げた。
(この方が皇王陛下…)
皇国、アルケディウス。
その頂点に立つ、皇王陛下の第一印象は『強い方』。と同時に『優しい方』という印象も受けた。
強い、と優しいはあまり同時に使う形容詞では無い事は承知している。
けれど、表情は柔らかく穏やか、でも目には強い意志の力を持つ
だから、本当に『強くて優しい方』という表現になってしまうのだ。
肩口までの白髪、というかシルバーブロンド。
年齢を経て白くなったのか、それども元から銀の髪だったのかは解らないけれど、髪から髭まで美しい銀を纏っていらっしゃる。
顎ひげと、立派な口ひげを蓄えていて、いかにも王様、という感じ。
そして皇子とよく似ている。
ライオット皇子が口ひげを生やしてあと10、いや20年、年齢を重ねたらこんな風になるんだろうなあ、と素直に納得できる感じだった。
と、いけないいけない。
一般市民の子どもが、面を上げろ、と言われても王様をじろじろ睨むなんて失礼に当たる。
私は、もう一度、頭を下げ、目を伏せた。
火の一月終わり 空の日。
皇国アルケディウス 王宮 会食の間。
開いた扉に、中にいた者達全員の視線が注がれた。
既に、三人の皇子とその妻はそれぞれに着席を終えている。
だから、入ってきたのは唯一残された空席の主。
今日の宴の主催者。
アルケディウス皇王陛下 シュヴェールヴァッフェ様と皇王妃 リディアトォーラ様しかいない。
お二人はゆっくりと進んでいく。
その途中で、ふと、気付いたのか私達の前に足を止める。
扉から程近くに立つ、私とガルフに気付いたのだろうか?
「商人ガルフ。そして料理人マリカよ。
今日は無理を言った。応じてくれた事に礼を言おう」
皇王陛下はそう、私達に声をかけて下さる。
皇王妃様はともかく皇王陛下は私とガルフの顔を知らない筈だけどな、と思ったのだけれども皇王妃様が隣にいらっしゃるし、何より王宮での宴だ。
知らない者が立ち入れる筈はなく、子どもが立ち入れる筈はもっとなく、一目で解ったのだろう、と結論付ける。
ちなみに今日のガルフは、アルケディウスの民族衣装に近い礼装を着ている。
チェルケスカ、というのだとか。白いシャツを着て、それに胸元がV字型に開いたコートのような服を羽織る。
良く見れば皇子様方も、皇王様も、デザインは違うが似た形の服。本当にアルケディウスの民族衣装なんだと思った。
あと、私も作って頂いたばかりの新しいドレスを着て来た。ティラトリーツェ様は最初の礼装の後、同じサイズで何着かまた服を発注して下さっていたらしい。
今回のは赤ベースでびっくりするくらい華やか。刺繍も凝っていて洗濯がとっても大変そう。
では、なく。こんな凄い服何着も貰えない、と言ったら
「皇王様に、昨日着た服と同じ服で謁見するなど許しません。皇王妃様は、その服で給仕している貴女を見ているのですよ」
と怒られた。
仕方ない、と言うには嬉しいのでありがたく頂くけど。
まあ、その辺はおいておいて。
「勿体なきお言葉でございます。
こちらこそ、皇王様に御拝謁の機会を賜り、お言葉を頂きましたこと、店と我らにとって末代までの誉でございます」
頭を下げるガルフの口調には、確かな敬慕の思いが宿っていた。
解らなくもない、というか解る。
この国生まれでは無い私でさえ、こうして直接、傍に配すると明らかに他の人とは違う品格を感じる。
言ってみれば、一般的な現代日本人が今上陛下に対して持つような感覚なのだろう。
「皇国に『食』という新しい産業を齎した店主。その凄腕は各所から聞き及んでいる。
お前達が蘇らせた『新しい食』は私自身、楽しんでいるぞ」
「ははっ…」
もう、ガルフは返答の言葉も見つけられない様子。
無理もない。
雲の上の存在である王様からこれだけはっきりとした褒め言葉を賜るなど、一介の商人には恐れ多すぎることだろう。
私だって、もし同じ立場だったら動けなくなる。
「今日の料理と新しく発見された『酒』も楽しみにしている。
後で話を聞かせて貰う故、暫し待て」
「はっ!」
深々としたお辞儀をするガルフに合せ、私も頭を下げた。
フッと小さく零れた笑みの音は第三皇子のそれによく似ている。
こんなところに親子を感じながら、私は遠ざかっていく足音を静かに聞いていた。
皇王様と、皇王妃様が席に着くと同時、立ってそれを待っていた皇子達が席に着く。
既に皿などはセッティングされているけれども、グラスや飲み物はまだ。
…つまり、私の出番だ。
「お嬢様」
「ありがとうございます」
給仕人らしい人に促され、私は立ち上がり、入り口横に運び込まれた樽の前に立つ。
木の樽に触れると少しひんやり。
頼んだ通り、ぎりぎりまで氷室に入れておいてくれたらしい。
ありがとう、ザーフトラク様。
横のテーブルに並べられたグラスを手に取り、大きく深呼吸。
私は注ぎ口から注意深く、ビールを注いだ。
樽用のコックから金色のラガー、ピルスナーが落ちてくると、声にならない歓声が聞こえてくるのが解る。
私はそれを丁寧に入れる。
最初は少し高めの所から泡を立てるように。
泡が落ちついたら今度はグラスの縁から、そっと注ぎ、最後に泡を盛り上げるように注ぎ込む。
三度注ぎ、という方法なのだと向こうのビール工場で教わった。
最初の一杯は毒見役であるライオット皇子に。
「どうぞ」
「ご苦労」
全員の注目が集まる中、皇子は立ち上がると、ビールに口をつけ、一気に飲み干した。
ごくごく、と喉が動き、金の液体が消えていく様に、見つめる兄皇子夫妻、皇王様と皇王妃様だけではない、周囲の使用人達の目も釘付けだ。
「ぷはあっ! っと失礼、素晴らしい美味でございました。
父上、どうぞお試しを。マリカ」
「はい」
二人分、注ぎ入れたグラスを銀色のトレイに乗せて、そっとテーブルの向かい側に運ぶ。
溢さないように、揺らさないように、泡を壊さないように、そっとそっと。
心臓がバクバクする。
なんだか、どうでもいいことが頭に浮かんでは消えていく。
どうしてこうなったのだろう、とか。
なんで私はこんなところにいるのだろうか? とか。
覚悟を決めて来た筈なのに。
細かい震えがカタカタとガラスのグラスを揺らしている。
溢しちゃいけない。
大事なエクトール様達の500年の歴史。
「緊張しているか? 娘」
「え?」
足と、心。
それだけではなく全身が動きを止めた。
突然の声にビックリした私に、肩口から振り返るように皇王様が笑いかける。
「緊張する必要はない。
落ち着いて、己の役目を果たすがいい」
震える私の手と身体に気付いたのだろう。
優しく柔らかい声が、私のトレイを見えない力でそっと支えて下さる。
「ありがとうございます。皇王陛下」
いい感じに力が抜けた。震えも止まった。
私は深くお辞儀をすると皇王陛下と皇王妃様の前に『新しい味』ビール。
黄金色のピルスナーを差し出したのだった。
皇王陛下と皇王妃様、そして皇子様方にピルスナーが行きわたると、皇王様が立ち上がりグラスを掲げた。
と同時に皇王妃様や皇子様立ち上がる。
配膳を終えて戻った下座から、私はそれを見つめた。
乾杯の仕草だと、なんとなく解る。
こっちの世界にも、宴の前の乾杯はあるんだな、と不思議に納得。
でも、次の瞬間、
「では。新しい『食』と『酒』。
そしてアルケディウスに祝福を。 エル・トゥルヴィゼクス!」
「エル・トゥルヴィゼクス」
「!」
無意識に心臓に手が伸びる。キュッと心臓が絞られるような気がした。
理由は解らないけれど、解る。
あの乾杯の言葉を聞いたからだろう。
さっきの言葉は、今、使われる言葉ではない。古い時代の精霊の言葉だ。
はっきりと聞こえた。
意味まで聞こえた。同時通訳みたいに。
「エル・トゥルヴィゼクウス」
と。
乾杯と同時に口をつけられ、グラスから喉に流れ落ちるピルスナー。
皆様の顔が、至福の色に染まっていく。
特に始めて飲む皇子様達の顔色はビックリするほどにはっきりとした興趣に輝いている。
「あら、冷たくて心地よいですね」
「昨日よりも美味しいのではなくって?」
誰も飲む手を止めない。一気に飲み干してしまう。
その辺で、私も我に返った。
「おい、娘!
「はい、なんでございましょうか?」
グラスを干し、真っ先に問いかけて来たのはメリーディエーラ様の隣の人物。
第二皇子トレランス様。
確か、酒に一家言お持ちとおっしゃっていたっけ?
「娘。本当にこれが、麦を材料に、我が国の民の手によって作られた酒だ、と申すのか?」
「はい。ロンバルディア候領の奥、エクトール荘領によって作られました、麦の酒。ビール、にございます」
「ありえぬ! ありえぬ味だ」
「トレランス様?」
詰責にも似た叫びが、放たれる。
私に向けて。
「酒、というのは神の畑にて育った葡萄が大いなる祝福と時間を経て変化するもの。
神の祝福なしで、これ程に鮮烈で、爽快な味わいを残す酒が生まれようとは…」
「確かに、トレランスの申す通りだ」
愕然とした声を上げる第二皇子の声に重なるように皇王陛下が空になったグラスを眇める。
「のど越し、キレ、爽やかさ、程よい苦み、泡のきめ細やかさ。どれをとっても驚きしかない。
麦から何をどうしたら、このような味が出来るのか?」
「酒造に、神の力は関係ございません。葡萄があれば、大聖都でなくても葡萄酒の醸造は可能でございますれば」
「マリカ!」
ティラトリーツェ様の強い視線が私を叩いた。
しまった。
話しかけられたとはいえ、許しも無いのに応えちゃた。
と、思ったのだけれども、後で考えればもしかしたら怒りの原因は別の所だったのかもしれない。
神批判に思われたのかも
「酒造に、神の力はない、と申すか…なるほどな」
でも、皇王陛下は逆に得心がいったとばかりに大きく頷く。
「確かに思い返せば五百年前、与えれた酒造免許は神殿ではなく、人に授けられたものであった…。何か、我らの知らぬ、もしくは忘れた法則があるようだな?」
「マリカ。説明できますか?」
皇王陛下の疑問を支えるように皇王妃様が、視線を差し向ける。
私はティラトリーツェ様を見た。少し口元を少し曲げつつも小さく頷くティラトリーツェ様。
一応午前中、ライオット皇子とティラトリーツェ様には酒造や発酵の基本について説明したけれど、ここでお二人が声を上げると、多分兄皇子様達が煩いのだ。
その為に、私は呼ばれたのだし異論はない。
「はい。お許しが叶いますならば」
「構わぬ。直答を許す。二杯目を注ぎ、この麦酒、ビールの製造工程を説明せよ」
皇王陛下のお言葉で腹も据わった。
「解りました。説明にも関わって参りますので、料理をつまみながらどうかお聞きいただければ幸いです」
「説明に料理が?」
私は給仕の方達に前菜とサラダ、パンを持ってきてもらうように頼んでから深呼吸。
二杯目のビールを皆様に注いでから
「では、僭越ながらご説明させて頂きます」
説明開始。
麦酒、ビール。パン、チーズ、ドレッシングのお酢に至るまで。
その製造工程、目の前の料理にも書かせぬ、発酵、その仕組みについてを。
昨日、疲れ落ちて更新し忘れてしまったので2話同時公開。
記念の話なのに情けない。
皇国 アルケディウス国王登場です。
不老不死ですが、不老不死時点での歳は62歳。
最年長のケントニス皇子は35歳で、今は年齢逆転していますが、20歳だったライオット皇子とは高校生と赤ちゃんくらい歳が離れてましたので、あんまり仲が良くは無かったです。
一方で恋愛結婚だった割に子どもができるのが遅く、その後すぐに亡くなった妻の色合いを映したライオット皇子を皇王陛下は、特に可愛がっていたというのは裏話。
いずれ、本編でも。
アルケディウスとマリカの未来にも少なからず関わる宴会は、後編に続きます。
あと、私的な話ですが今回で200話達成。
もうすぐ掲載から半年です。多分完結まで2年くらいかかりそうですが、できる限り毎日更新しつつ頑張りますので今後ともよろしくお願いします。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!