私は北村真理香だった時代、特に宗教に関心を持ったことは無かった。
新年に初詣に行き、節句には子ども達と一緒にひな人形やこいのぼり作りをし、お盆にはお墓参りに行ってクリスマスにはクリスマスパーティをする。
そんな平々凡々な日本人だったから。
この世界に来て、精霊とか神とか、精霊神とかに接するようになっても
『神を拝し、祈り従わなくては!』
という気持ちになれないのはその辺が理由だと思う。
アーレリオス様とかラス様も敬意をもって接してはいるつもりではあるけれど、なんというか。
職場の上司感覚?
下手したら皇王陛下とかよりも気安いイメージだ。
それは、まあ、私個人の事で、実際のこの世界の人間にとってはまた違うのだろうけれど。
何が言いたいかって言えば
「『精霊神』様同士の関係ってホントにどうなってるんだろう?」
だ。少なくとも聖典を最初に読んで感じたギリシャ神話風の神々とは全然違う。
アーレリオス様とラス様が再会した時も思ったけれど。
『マリカの内に籠った時だって僕らがどれくらい心配したと思ってるんだ。引きこもりで頑固な所は何百年経っても変わらないんだから』
『引きこもりの何が悪い。
確実な安全が確保できないのに、うっかり外に出てマリカを傷つけられたり奪われたりしては本末転倒であろう?
そも、我ら全員が『神』に抗う事もできぬまま封じられたのだ。
私の事を引きこもりだと非難する権利は貴様らにもあるまい』
『それを言われれば痛いところではある。
貴様も孤立無援の中、良く持ちこたえたと褒めておこう』
まるで兄弟か家族か、気心の知れた友人同士のような、リオンとヴェートリッヒ皇子のような、
親し気な印象を受けるのだ。
『まあ、貴様らとマリカが来てくれて助かったのは事実だ。
礼は言っておく。ありがとう。助かった。
二度と会う事は無いと思っていたが、再会が叶ったのも嬉しい限りだ』
軽快で楽し気な軽口の応酬を楽しんでいたであろうラス様とアーレリオス様は、ピタリと動きを止める。
あれは、素直な謝意と思いを贈られて照れていると見た。
『ま、まあ……解ればいいんだよ。
一番力になったのは僕らじゃないし』
『そうだな。今回の手柄はほぼ、マリカのものだ』
へ? 私?
急に話の矛先がこちらに向いたのでびっくりしたけれど。
そういえば、助けて下さったお礼をちゃんと申し上げていなかった。
「改めまして、闇と眠りを司る尊きアーヴェントルクの『精霊神』様。
その節は危機から守り、助けて下さいましてありがとうございます」
『いや、こちらこそ我が国に来て、力を貸してくれたことに感謝する。
其方の力が無くば、私は『神』の軛と汚染により遠からず力を失うか、堕ちていただろう』
ナハトクルム、精霊の貴人。
真名を避けた会話はここに、ヴェートリッヒ皇子がいるからだ。
『一族の娘達が迷惑をかけたことも詫びよう。
長き年月の間、伝統の意味や理由が薄れ歪んでいくのは哀しい事だ。
かといって、我らがずっと側で手を引いていては子ども達の成長が無い。仕方のないことでもあるが』
深く息を吐くような仕草と共にナハトクルム様は
「だから、我が子よ」
「は、はい……。誉れ高き我らが祖。始まりの『七精霊』様」
視線を今まで、黙って様子の一部始終を見つめていたヴェートリッヒ皇子に言葉と思いを向ける。
「我らは、其方らを見守っている。
だが、この世界はお前達のもの。お前達人間が守り、導いていかねばならぬものなのだ。
それを心して今後も励むがいい」
さっきまでの軽い雰囲気はどこへやら。
震えがくるような強大な力と意思を感じさせつつも、優しく教え諭す『精霊神』に跪いていたヴェートリッヒ皇子は
「……お、怖れながら『精霊神』様!
全てを見通す、尊き御方にお伺いしたき儀がございます!」
意を決したような表情で、話しかけた。
『なんだ』
「無理を通し、聖域に参ったは、全てこの疑問を解きたいが為。
お教え下さい。僕には、この国の皇子として、貴方の血と力を引く『七精霊の子』として、人々を導く権利があるのでしょうか?」
「え?」
ヴェートリッヒ皇子が口にしたのは、私にとってはあまりにも意外な想いだった。
今迄ずっと、自信満々の表情を殆ど崩していなかった皇子は、全身を欹て自分が皇家の血を引いているのか、その答えを待っている。
本当に、さっきまでとは打って変わり、針の落ちる音さえ聞こえそうな静寂の中。
縋る様な眼差しで『精霊神』を見る『皇子』に
『迷うな。疑うな。
お前は間違いなく、我が血と力を授けしこの国の一子にして、唯一の『王子』
時代のアーヴェントルクを担う権利と義務を有する子である』
ナハトクルム様ははっきりと、祝福する。
「そう……ですか」
「……ヴェートリッヒ」
気遣う様に声をかけるリオンは、気付いたのだろう。
私も、なんとなく解った。
決して『嘘』を言わない『精霊神』の言葉の意味が。
皇子はこれを確かめたくて、無理を押して来たのだろう。
「ありがとうございます。お言葉と励ましを賜り、決心がつきました。
僕は今後、この国の『王子』、『精霊神様』の末裔。
『七精霊の子』として恥じない行いをし、国と民を守っていくと誓います」
『うむ、期待しておるぞ。ヴェートリッヒ』
『精霊神』からの確かな認知の祝福を得ながらも、ヴェートリッヒ皇子の表情は、晴れやかとは程遠い。
でも皇子が迷いを振り切ったのであれば、私達が言えること、かけられる声は他には無さそうだ。
『言っておくが、ヴェートリッヒ。
封印の軛は外れはしたが、私は当分の間、引きこもる。
積極的な守りを与えたり、姿を現すことはできぬだろう』
「どうしてです?」
『どうしたも、こうしたも。
見れば解るだろう? みっちりとしみ込んだこの『神』と『人』の呪いを。
神殿に籠っていた者は何とか送ってやれたが、元の私の役割は生を全うした子らの魂を導き、星の輪廻を廻す事。
それが封印によって叶わぬまま五百年。澱み行き場を失くして彷徨う者はアーヴェントルクだけのことではないのだ』
ナハトクルム様は周囲の暗闇を見やり、肩をすくめるように頭を廻した。
『彼等を全て『星』の元に導き、輪廻の輪を整えるのは私の第一の役割。
それが終わるまではこやつらのように遊び歩く訳にはいかぬ』
「遊び歩くこやつら」と名指しされた二匹の精霊獣は右と左にそっぽを向く。
『別に遊んでいるわけじゃないし』
『これも『あの方』から『星』の力を取り戻す重要な布石。
連携回路構築の為の作業だ』
お二人が来たからナハトクルム様も助かった、ということは解っている筈。
だから、小さく含み笑うと、それ以上は何もその件については言わなかった。
代わりに…
「マリカよ」
「はい。なんでしょうか?」
私を見据え告げる。
『今後、徐々にこの星の出生率は上がる。具体的には男女に子どもが宿る率が増えて来るだろう』
「本当ですか?」
『ああ、今まで行き場なく彷徨っていた魂が『星』に還り、浄化を受け生まれ変わって戻って来る。
数年の間に、生まれて来る子どもの数は少なくとも今の数倍、それ以上になる筈だ』
それは、わたしにとっては喜ばしい話だけれども、諸手を上げて歓迎はできない。
現在の出産、育成の環境が整っていない状況では生まれて来る子ども達が不幸になる可能性が高いから。
『故に、早急に子ども達の為が安心して、生まれ、生き、成長していける環境を作れ。
一朝一夕に全ての子を救う事はできなかろうが、少しずつでも変えていけ』
「御心のままに」
私は深く、頭を下げた。
ナハトクルム様は私の中に入っていた筈だから、私の思いも知っている筈だ。
世界の環境整備。
子ども達の生きる世界を取り戻す私の保育士としての夢を応援してくれているのだと思う。
『では、戻れ。愛し子達よ。
……そしてラスサデーニア、アーレリオス』
ポーンと、ナハトクルム様は何かを、お二人に向けて投げ渡す。
私には白い、光のボールに見えたそれはワンバウンドして、アーレリオス様の精霊獣。
その額の石にすう。と吸い込まれて行って……。
『おい! ナハト!』
『いいのかい? 本当に?』
何を渡されたのかは解らないけれど、お二人が目の色を変えたのが解った。
『さっきも言ったが私は当面、外に出るつもりは無い。
国の護りと、子ども達の導き。
『星』の澱んだ循環の再生。
お前達の力にはなかなかなれないだろう。
だから……いい。もっていけ』
その言葉と同時、周囲の空気が、ぐにゃりと揺れたような気がする。
ナハト様の姿も虚ろになって…聖域から出されるのだと解った。
『ヴェートリッヒ、マリカ、アルフィリーガ』
「精霊神様……」
『……二人と、子ども達を、頼んだぞ』
最後に私に届いた言葉と、思いはとても優しくて…。
見つめる瞳は寂しげで。
私は、私達は深く頭を下げた。
心からの、思いを込めて……。
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