国境沿いの森に魔性出現。
お父様の口から発せられたその報告に室内が騒めいた。
「何故、そのような所に魔性が?
いや、それ以前に何故それが解った?」
「……あ!」
私も一瞬そう思ったのだけれど、皇王陛下の声に逆に冷静になって思い出した。
「ゲシュマック商会です。今、確か国境沿いの森でカエラ糖の採取をしている筈!」
「そうだ。カエラ糖の採取場所近辺に魔性が現れ、人間を襲っているとゲシュマック商会の魔術師が知らせてきた」
「ゲシュマック商会には転移術持ちの魔術師がいるのか?」
皇王陛下が顔を顰めた。
ヤバい。
魔術師は正式に貴族や商人などが抱えた場合、非常時などの人数把握の為報告義務がある。
別に何ができると報告する義務はないが、転移術使いはその性質から警戒される。
存在する事、術を使える事そのものが危険と判断されるからだ。
現時点で確認されていた二人の転移術使いは皇王の魔術師と王宮魔術師だけだったからいいけれど、三人目がいると知られると怪しまれるかも。
「そんなことを言っている場合ではありません。皇王陛下。
お父様。魔術師が緊急で伝えてきたということはゲシュマック商会の者に被害が出ている? ということではないのですか?」
「ああ、突然の襲撃に護衛の一人が負傷。
現在、工場の中に皆で隠れているということらしい。
救援を求めている」
「……皇王陛下。カエラ糖の採取は国の事業でございます。
今回はフリュッスカイトからの技能研修生も同行している筈です。
魔術師の能力についてはさておき、まずは救援をさしむけなくては」
私の意図を察してお父様は話を進めてくれた。
まだ何か言いたげな皇王陛下を文官長が制してくれる。
「……そうだな。ライオット。
フェイとリオン。その他実力のあり、信頼できる騎士を大至急差し向けよ。
転移術を使える魔術師の存在はあまり吹聴することではない。
口が堅い者をな」
「かしこまりました。……マリカ。お前も来い」
「何故だ? マリカにはまだ用がある。兵の派遣などはお前の裁量で出来る筈だ。
連れ出すは許さん」
「! ……解りました」
お父様の口元が何か言いたげに歪み、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだのが解った。
背中を見送る胸の中に暗い熱が生まれちりつく。
この思いを言語化するなら一つしかない。
嫌な予感。だ。
「皇王陛下……。お父様は私に何かやらせたいことがあったのでは?」
一応皇王陛下に抗議してみるけれど、アルケディウス最高権力者の眼差しは厳しい。
「さっきも言ったが、魔性の襲撃程度であるのならライオットの裁量で収まる。
それで収まらぬ事態であり、其方の力を必要とするのなら、私の前ではっきりと告げるべきだ。
お前達が、私達にまだ全てを語っていないことは解っているからな。
大祭の精霊の時のように」
ぎくっ!
皮肉めいた眼差しに背筋に冷たいものが走った。
皇王陛下は勿論信頼していて、私としてはかなりな所まで明かしているつもりだけれど確かにまだ隠し事はいっぱいある。
私が知っている事も、私が知らない事も。確かに。
「とりあえず、向こうの件についてはライオットに任せておけ。
こちらはまだ確認しておかねばならぬことが多い。各国の王室内の様子や力区分などはなかなか伝わってこないからな。
新年の参賀までに把握しておきたい」
「……はい」
皇王陛下にそう言われると、何の権力や役職を持つわけでもない皇女には逆らう権利はない。私はテーブルと書類に向かい直す。
再び質疑応答が続く体感、半刻の後、今度はさっきよりも勢いよく扉が開いた。
「マリカ!」
「お父様!?」
「……最悪に近い事態だ。直ぐに来い!」
「どうしたんですか? いいから、早く」
「待て。ライオット」
さっきと同じ。いや、むしろ厳しさを増した皇王陛下の声が、私の手を引き、連れ出そうとするお父様を制する。
「最悪に近い事態とはどういうことだ?
何故、魔性の襲撃にマリカの力を必要とする?」
「それは……」
「新年、大聖都を襲った魔性の襲撃のように『聖なる乙女』の加護を必要とするほどの大群なのか? それであるのなら多少不安は残るが、人員を増やせばいい。
マリカが必要ならその理由を、私の前ではっきりと述べるのだ」
この国、最高権力者の『命令』には例え、皇子であっても逆らうことはできない。
唇を噛みしめながら、悔し気に第三皇子は口にした。
「魔性は既に撃退しております。
ですが襲撃において、ゲシュマック商会の人間が一人、負傷いたしました。
不老不死を得ていない子どもであり、出血が止まらず意識もない。
動かすことさえ危険な重体でございます。マリカもつ治癒の力がもはや唯一の望みかと……」
「お父様。ゲシュマック商会の怪我人ってグランだったんですか?」
私の質問にお父様は黙って首を縦に動かす。
ゲシュマック商会には私の知る限り、六人の不老不死を得ていない『子ども』が雇われている。ガルフの片腕として統括的な手伝いをしているアルの他に、五人。
今はもっと増えているかもしれないけれど、店が国王陛下によりゲシュマック商会の名を賜る前から働いている子が四人いて今、彼らはアルに続く幹部メンバーになっている。
本店のマネージャーを任されているジェイド、魔術師となったニムル。小売店の店長を預かるイアン、そして護衛部門を受けもつグラン。
「山奥だが、万が一の盗賊や獣の襲撃に備え、グランとニムルを含む護衛部門数名が作業員と共に滞在していた。
彼らは魔性の襲撃を想定しておらず、突然の奇襲に作業員と共に工場に避難。
その過程でグランが負傷したらしい。血止めの応急処置は施したが意識が戻らない。
お前の力が必要だ」
「皇王陛下……」
私は縋る様に皇王陛下を見つめた。
この状況で私が行かないという選択肢はあり得ない。
安静にしていれば怪我が治る不老不死者と違って、子どもは少しの傷が命に、死に直結するのだ。
「そういう事情なら許可する。新年の襲撃の時、其方は勇者の転生を救助したことがあったからな」
「ありがとうございます。お父様、急ぎましょう」
駆け出そうとした私の足は、けれど直ぐに制止を余儀なくされた。
皇王陛下の言葉によって。
「だが、条件がある」
「条件?」
「私も行く。私の前で、其方の治癒の技を見せて貰おう」
「え?」
お父様の顔から血の気が引いた。
多分、私と同じく。
「そ、それは……」
「山奥ですし、戦いが終わったばかりの所ですし、皇王陛下が足を運ぶような場所ではありません。後で報告しますから、どうか待っていて下さいませんか」
「私がいては困るのか? 私に見せられない事をするつもりなのか?」
「「!!」」
「お前は以前、エリクス殿を助けた時、あれは特別な力ではなく技術だと言っていた。
技術であるというのなら見せても問題はあるまい。
今は不老不死世で大きな需要は無いが、傷の手当、応急処置に関する『精霊の知識』があるのなら把握しておいたほうが良いだろうからな」
技術で無いのなら……。
皇王陛下の言葉は一つ一つ正論で逆らえない。
何より、時間が……ない。
「お父様」
「……確かに今は、一刻を争う。
解りました。父上。
子どもの命がかかっているので緊急を要します。護衛はおいて、タートザッヘのみを連れておいで下さい。
フェイが外で待っています」
「うむ」
「急ぐぞ。マリカ!」
「はい!!!」
そして、最終的に私は皇王陛下にお見せすることになってしまったのだ。
私の本当の『能力』の一つ。
治癒の能力を。
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