大聖都は確かに魔性の出現率が高い、と言われている。
畑や果樹園などは大地や植物の精霊の力が強く発揮されやすく、精霊を餌とする魔性にとっては良い餌場らしいからだ。
昨日聞いたマリカの魔性襲撃、昨夜討伐に出た騎士貴族達も予想外の敵の多さに驚いたという。
でも……
「な、なぜこんな所に、魔性がこんなに?」
僕は疑問を消すことができずにいた。
ここは大聖都の御膝元と言っていい程の近くだ。
本来であれば子どもを使いに出しても誰もが大丈夫、と思う程度の危険も無い場所の筈。
そこに、こんな天も地も埋め尽くすほどの魔性が現れるなんて。
「空に百……地にも同じくらい? こんな量の魔性が一度に表れるなんてありえないでしょう?」
ネアと、未だに荒い呼吸を繰り返すリオンを後ろに庇いながら呟く僕の足元にカランと音を立てて何かが転がった。
視線を下げるとそこには、蓋の開いた小瓶が……。
「なんですか? これは?」
「! 触るな! これは神官長様から、預かった大事なモノなんだ」
慌てた様子でエリクスは僕が拾いあげた小瓶をひったくる。
「神官長が? ……一体何を?
まさか、その小瓶に毒を持ち込んで、リオンに浴びせかけた水に混ぜたんじゃ……?」
自分で言っていて違う、とは解っている。
これはただの毒薬混入の症状では無い。
リオンの苦しみ方には既視感がある。
同じような様子を、確かに、どこかで見た。
「違う! そんなことはしない!
そいつと出かける事があったら、途中でこの小瓶を開けろ、と言われただけだ!」
「え?」
「何も、中身は入っていなかった。何かの間違いだ、きっと」
「貸して下さい!」
「わ、止めろ!」
彼から今度は僕が瓶をひったくり返す。
確かに液体も固体も入っていた形跡はない。
でも、確かに何かは入っていたような気がする。
感じるのだ。目の前の魔性達から漂う腐臭にも似た気配を。
「そもそも、僕はそいつに水をかけろ、と言われただけだ。
ネアでは水を飲ませられないかもしれない。その時はお前が水をかけろと……」
「!! ちょっと、待って下さい。
水を飲ませろ? 水をかけろと神官長が?」
僕はとっさにエリクスに詰め寄っていた。
首元を締め上げ、問いただす。
正直、この時、目の前の魔性など全く目に入ってはいなかったことを自覚している。
「あ、ああ。そうだ。
ただの水だから心配するな。とご自分が目の前で飲んでいらした。
僕らも舐めたが、美味しい水でしかな……。うわっ!」
エリクスを放り投げ、僕はリオンに駆け寄った。
思い出した。これは、以前、まだ僕らがゲシュマック商会の使用人だった頃。
仮登録と称して、神殿に行って怪しい葡萄酒を飲まされ、『神の欠片』を身体に入れられた時と同じ症状だ。
さっき、ネアが飲ませた水と、エリクスが身体にかけた水。
それに『神の欠片』が混入されていて、リオンの身体で過剰反応を起こしている?
「何をしているんだ! そんな役立たずは放っておいて、早くこっちへ来い!」
奇声を上げて近づいて来る鳥型魔性を切り払いながらエリクスは声を荒げる。
「この数の魔性が、しかも人を襲うなんてとんでもない事だぞ!
新年の大騒動を忘れたのか? 放っておいたら、礼大祭どころか、僕達だってただじゃすまない!」
エリクスの発言など無視したいが、今は悔しいが彼の言う通りだ。
この在りえない魔性の襲撃を乗り切らないといけない。
しかも、リオン抜きで。
ただ、この場を逃れる為だけなら転移術を使って大聖都まで戻ればいい。
けれど、それをやってしまえばエリクスとネアに、僕が転移術使いだとバレてしまう。
ネアはともかく、エリクスにバレたらそのまま大神殿にバレてしまう。
どんな騒動になるかは、考えたくも無い。
リオンの身体に入れられた『神の欠片』を早く取り去った方が、戦力の増強が望めると思うが、その為にはシュルーストラムの力を借りてかなり繊細な作業を要する。集中しないと難しい。
その為の時間を眼の前の魔性と……
「くそっ! 僕達に……近づくな!」
既に魔性との戦端を開いてしまったエリクスが与えてくれる筈も無かった。
「……少し、待って下さい。リオン。
ネア。その木の根元から動かないで。リオンの、様子を見ていて下さい!」
「わ、解りました」
僕は、聞こえているかどうかも解らない程に苦し気なリオンに声をかけ、ネアと一緒に後ろに下げるとシュルーストラムの杖と共に前に。
エリクスの隣に立った。
「! お前。杖持ちだったのか? いつも手ぶらだから下級魔術師だと思っていた」
「そんな話は今は、どうでもいいことです。とにかくこの場を切り抜けます。
僕が呪文で敵の態勢や、位置を崩しますから、エリクス殿はそこを狙って敵を倒して下さい。
奴らにどの程度の知性があるかは解りませんが、ある程度減れば、逃げるかもしれません」
「解った。時間を稼げば大聖都で気付いてくれるかもしれない。
僕の邪魔はするなよ! まずは眼前に特大の魔術をぶつけてやれ!」
エリクスの指示に、従う訳では無い。
従う訳では無いけれど、最初に特大術で敵を威嚇するのは定石だ。
「行きますよ……エイアル・シュートルデン!」
僕は、手持ちで今、一番相応しいと判断した魔術を解き放つ。
風魔法最大クラスの風速、疑似台風が空と、地。両方の魔性達を渦に飲み込んでいった。
「よし! いいぞ!」
「後は、適時、援護します。
敵が諦めるまで長丁場です。体力の配分に気を付けて!」
「そんなことは解っている! 黙って見ていろ!」
僕の指示を邪魔と思ったのだろうか、唇を歪めるとエリクスは剣を掲げ、
「やああっ!」
敵に向かって切り込んでいったのだった。
戦いの最中、僕は最初に出会い、僕を救ってくれた存在がリオンであったことに感謝していた。
背を預け、預けられる存在が彼で良かった、と。
「あまり、先行しないで下さい! 危険ですよ!」
「ちっ! そう思うなら援護を寄越せ! さっきの風の護りとか、足が速くなる呪文とか!」
「耐久度と制限時間も理解できない人に、そんな重ね掛けできる訳ないでしょう!」
偽勇者エリクスとの戦いは、どうにも噛み合わないと最初から解っていた。
以前のように自分の力を過信こそしていないけれど、敵の力、自分の力、そして僕の力を理解できていない彼の動きには無駄が多い。
勿論、リオンと唯の子どもを比べるのは酷だと解っているけれど。
「いいから、早く寄越せ! 三回目のがもう切れて! このままでは、押し切られる!」
「先行しないで、戦線の維持に専念して下さいよ!」
仕方なく、術を重ねかける。戦端が開かれておそらく半刻余り。
二人で既に十数匹の魔性を倒したが、まだ数は減った様子は見えない。
これは、相当の長期戦になる。
僕が覚悟を決め、この先の力配分を考えていた、その時だ。
エリクスが、一気に敵陣に飛び込んで行ったのは。
「! 何をするつもりなんですか!」
「ここで一気に包囲網に穴を開けて突破する。このままでは数に押されて……負ける!」
突破戦術は間違っている訳では無い。
だが
「突破って、リオンやネアを置いていくつもりなんですか!」
「ここで全員でやられるよりは、誰か一人でも場を逃れて、助けを呼んだ方がいいに決まっている!
数も減らした。お前ならこの場の維持位はできるだろう?」
エリクスは勇者らしからぬ、いや、逆に言うなら偽勇者らしいセリフを吐き捨てた。
普通ならこの場で逃がすのは、非戦闘員で在るネアであるべき。
と、同時に僕は思考を巡らせる。
別に悪い提案では無い。彼がいなければ僕らは転移術でこの場から逃れる事ができる。
後の事は適当に誤魔化せばいい。
「解りました。無事に突破して下さいよ!」
「よし、いいぞ!」
強化呪文を重ね掛け、一番薄い敵陣に向かって風魔法もかける。
上手くスキを突き、先陣に穴を開けられた。
後はそこをエリクスが駆け抜けるだけ。
……けれど
「……あっ!」
正にその瞬間、エリクスの足がもつれ、崩れるように身体ごと地面に転がった。
「エリクス殿!」
「か、身体が……動かない」
「何が……一体?」
『何をやっている!」
「シュルーストラム!」
『アルフィリーガならともかく、只人が連続戦闘と身体の不自然に強化に早々対応できる筈があるまい!』
「あ、あれは強化呪文の……かけすぎ?」
「ぐあああっ!」
「エリクス!」
そのまま倒れ伏した勇者を踏みつけにして、獣魔性達は僕達に迫って来る。
今まで、リオン以外に身体強化の術をかけたことが無かったから気付かなかった。
なんて後悔は後だ。
魔性の狙いは『精霊』の力。
それをこの場で一番多く持っているのは、間違いなく……。
「きゃあああ!!」
「ネア! リオン!」
僕の頭上を飛び越え、鳥型魔性が背後のリオンとネアに向かっていく。
とっさに転移術で木の下へ。
呪文を唱える間もなく、杖で一羽、いや一匹の魔性を叩き落す。
魔術師らしからぬ直接攻撃。
でも、僕にできたのはそこまでが限界だった。
恐怖と緊張からか、ネアが僕の到着と同時に意識を落とす。
彼女を抱き支え、真横で膝を抱え、呻き続けるリオンを見つめ、僕は必死に打開策を探す。
頭の中に詰め込んだ知識から。今迄の経験から。
だが、見つからない。
マリカが教えてくれたチェスでは無いけれど、盤面に動かせる駒が無い。
これは完全に詰みだ。
「ギシャアアア!!」
甲高い鳥型魔性の奇声が僕らの頭上に響いたその時!
「……煩い。黙れ」
「え?」
聞いたことのない声が響いた。
深くて重く、それでいて強靭な意思を称えた『王者』の『命令』。
それが、場に届いたと同時、信じられない事が起きた。
奇声を上げて、急降下。
僕達を間違いなく狙っていたであろう鳥型魔性が、刹那の間に姿を消したのだ。
まるで、空気中に溶けるかのように。
違う。
溶けて、『吸われた』のだのだと気が付いたのは、真横に立つ彼が手をさしのべたから。
彼の指先が、全身が不思議な力を宿していたから。
「……リオン?」
意識を失った少女を胸に抱きしめながら僕は問う。
そこに立っていたのは間違いなくリオンだ。
けれど彼は
「下がれ、そして跪け。虫けら共。
貴様らの王の御前であるぞ」
僕が全く知らない。
勇者でも、戦士でも無い。
『王』の顔でそこに立っていた。
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