「欲しいな…」
それは聞かせるためのつぶやきだった。
「何を、望んでおいでなのですかな? ケントニス皇子」
であるから、当然、周囲に侍る聞く耳と頭を持つ者達は私が望む問いかけを返す。
ここは王宮の一角、のプライベートエリア。
そこに集うのは私の派閥の大貴族…皇王から領地を預かる貴族達…である。
提示された新しい情報が記された羊皮紙にわやわやと集まり、内容を論じていても、それくらいをする目端は効く者達だ。
夏の社交シーズン。
彼等は週に一度、集まりそれぞれの領地の現状などの情報交換を行う。
別に参加が義務づけられている訳ではないが、アルケディウスの新規産業である『食』
まだ多くの者が手探りで情報と現物を集めている現状で、総責任者である第一皇子である私主催の会を断る者はそうは、いない。
「いや、気にするな。単なる独り言だ」
手を振って見せるが
「存じておりますよ。皇子」
にやけた笑いで、ドルガスタ伯爵 グラーデースがすり寄ってくる。
「あの娘でございましょう? 女、しかも子どもでありながら高い能力と知識を持ち、第三皇子のお気に入りという…」
「マリカ、でしたか? 黒髪の少女。話は少しですが聞いております」
グラーデースの言葉に頷いたのは情報通で名高いトランスヴァール伯爵だけではない。
「ガルフの店を幼いながらに指揮し、皇家の料理人達に指導もしているとか?」
「あの堅物で名高いザーフトラクが気に入って保護者を名乗り出ているとも聞きましたぞ」
諸侯たちも次々口を開く。
どうやら思う以上に目立ってきているようだ。
「マリカはライオットやザーフトラクだけではない、女達に皇王妃様、果ては皇王陛下にも気に入られ直々に精霊金貨を賜る程だ。
作る料理はどれも美味、しかも神の常識に囚われぬ知性で『新しい味』の根幹を支えている」
私は否定も肯定もせずにテーブルの上の書類を指さす。
「その図録と指示書もマリカ、その娘によって作られたもの。噂の麦酒を発見し世に出したのもそいつだ」
「ほお、それはそれは…」
興味なさげに振舞っていた他の大貴族達も目の色が明らかに変わってきた。
ギラギラと獲物を追い求める肉食獣のそれに。
今、大貴族達は領地を調べさせ、食料と呼ばれる産物が残っていないかどうかを調べている。
アルケディウス南部で、かつては肥沃な農耕地帯だったロンバルディア候領が大量の麦と引き換えに『新しい味』のレシピと製粉の為の機械一式を手に入れた事。
そして、領地で密かに麦酒醸造を行っていた一族を見つけたという情報は既に大貴族達の間でサクセスストーリーとして知れ渡っている。
自領にもそんな宝が埋まっていないかと、皆、必死なのだ。
「この図録と手引書はぜひ写させて頂きたいものだ。
先日我が領地で麦を納品しようとしたのですが、種類が揃っていない上に雑草が混ざっていると買いたたかれてしまいまして」
どこか悔し気なオイティン伯爵が麦の種類と納入方法の手引書を見て唇を噛む。
既に報告で、その辺の話も聞いている。
買いたたかれた、と本人は言うが、納入時に重さをはかり、雑草の量と大麦小麦の差を正確に説明して返却した分を引かれただけだから、文句も付けられまい。
「そのようなことがないように手引書を作成した、と言っていた。
印刷ギルドを紹介したので、そう遠くないうちに皆に行きわたるとは思うが、順に写させるがいい」
「ありがたいことですな」
昨日、ゲシュマック商会との会見があった。
事業のかじ取りをする私に店主の名代としてあの娘は買い取りの手引書と、主に買い取りたい野菜、植物の図録の作成、印刷配布を願い出て来たのだ。
実例を出し困っている事を伝え、明確な基準を目に見える形で示す手腕。
皇王陛下の宴の時から頭の良さは想像はできていたが、会見の申し込みから、手回し、準備、そして持て成しと説明に至るまで文句のつけようが無かった。
加えて昼餐として出された食事は新作のハンバーグ料理。
私の好物だ。
定番のエナの実のソースが私は好きだったが、牛乳で作ったというソースをかけた新作も驚く程、舌に合った。
甘いものが得意ではないという情報を聞き出してか、デザートはパータトとベーコンを混ぜ込んだパウンドケーキ。
砂糖の甘みは殆ど感じないのに、ふんわりと美味だった。
ここまで完璧に皇族との謁見対応ができる者は並の貴族にも何人いるだろうか?
驚くべき娘だと思う。
背後に第三皇子と第三皇子妃がいて、指導助言をしていたことを差し引いても。
美しい礼装でくるくると動き回る様。
流れる夜色の髪、夕闇の空の様な澄み切った迷いのない目で私を見つめる眼差し。
白くて細い指が差し出す、黄金の液体が注がれたクラス…。
「そうだ。貴公らも飲んでみるか? ルペア・カディナの葡萄酒では無い新しい酒を」
「ぜひに!」
皆、心のどこかで期待していたのだろう。
期待に目を輝かせる諸侯の前に私は、用意していたモノを運ばせる。
樽ごと運び込まれた麦酒と一緒に冷やされてたグラス。
冷たいグラスに注ぎ入れられた黄金色の麦酒は室内でさえ汗ばむ火の二月。
上品ぶった大貴族達の視線をも虜にする。
純白の泡で蓋をされたそれを、私は毒見代わりに一気に呷った。
ごくごくと、皆の羨望を受けながら喉に流し入れるビールの苦みと爽快さは格別で、
「ぷあーっ!」
行儀は悪いが、思わず幸せな吐息が零れる。
酒精が柔らかい多幸感を運ぶ。
あの娘が入れたものより味は悪いが、仕方あるまい。
「ここは宴席では無い。味見だ。グラスを受け取った者からどんどん味を見てみるがいい」
そう言ってみれば、怪しむ風もなく彼らはグラスが回った順、つまりは領地順からビールに口を付ける。
一口目はおそるおそる。
でも、味と香りを知った二口目からはもう一気に。
ほぼ全員が喉に美酒を注ぎ込み、あっという間にグラスは空になった。
「ケントニス皇子…」
もう一杯、飲みたい。
お代わりが欲しい。
と皆の顔に描いてあるが無視だ。
まだ王宮にも一樽しかないアルケディウス、もしかしたら世界唯一の『ビール』
もう残量は半分を切っている。
新酒ができるという秋の大祭頃まで無駄にはできない。
「正式な披露目は新酒ができるという秋の戦のあとの宴になるだろう。
その時はビールに合った料理を作らせる故楽しみにするがいい」
「その料理の組み立ても例の娘が?」
「秋の戦の指揮はトレランスだから、料理の仕切りはメリーディエーラであろうが、協力はするだろう。
あの娘は『新しい味』その料理全てに関わっているというからな」
「それはそれは…」
風が鳴るように貴族達が騒めく。
彼らの多くはまだ本格的な『新しい味』を楽しむ機会は無い。
女達が茶会で菓子を、またこういう機会につまみなどを食するのが精いっぱいだ。
市民街に行けば店があるが、下級貴族はともかく上位貴族は簡単には足を運べない。
運べない。
立場と何よりもプライドが邪魔をする。
ひょいひょいと下町に赴き、本店に通うというライオットは例外なのだ。
「つまりその娘を手に入れれば、ありとあらゆる『新しい味』が望みのまま? と」
ドルガスタ伯爵の言葉に幾人かが喉を鳴らす。
見えない舌なめずりが聞こえてきそうな程だ。
「『味』だけではない。最近、女達の間で流行しているハチミツを使った美髪液と花の香りの水、それの考案者もあの娘であると聞くぞ」
「そうらしいな。私は興味が無いがガルフの店から知識を買い取ったとアドラクィーレが自慢していた」
「やはり、そうでしたか…」
大貴族達の瞳がそれぞれに計算高く揺れ始める。
共通しているのは、ここにいない娘を見つめる酷薄な眼差し。
娘を直接は知らない彼らは、一切の躊躇も遠慮も慈悲も無くただ、獲物を狙う狩人の様にどうしたら手に入れられるかを考えている。
…頼もしいことだ。
「契約上、ガルフの店からあの娘を買い取ることも、取り上げる事もできぬ。
神殿に登録され準市民権を与えられ、皇王陛下直々に褒美を賜った娘。
あの知識と存在を一つの店が独占するものではないと一度父上にも進言したのだが…」
『別に独占している訳でなかろう?
広く『食』と『味』。知識を広めるが目的と店主も言っていた。
ライオットの保護下にあり、皇家には優先して流れても来る。今は店に置いておいても問題はない』
「そう言われては手出しも出来ぬ故な。
全く、あの娘と店。両方を手に入れる者が次代のアルケディウスを手に入れると言っても過言ではないというのに…どちらも先に見つけたというだけでライオットに先手を取られるとは」
「巷ではその娘、皇子の隠し子、という噂もまことしやかに囁かれているとか」
「時を見て養子縁組でもされるおつもりではないでしょうか?」
「別に、取り上げる必要はないのでは?」
「何?」
「ドルガスタ伯爵?」
「あの娘が、自分から店を出るように仕向ければ良いのです。
あの店が、自ら第三皇子の庇護を離れるようにすればいいのです。
その後、皇子が拾い上げて、それこそ養子縁組でも行い恩をきせてやればよろしいでしょう」
不満を吐き出した私の言葉を引き取ったのはドルガスタ伯爵だった。
大貴族の中では低位に位置するというのに、突き出た腹と胸を張り自慢げに笑う姿には妙な自信が見える。
「ほおっ…、何か策があるのか?」
「策、という訳ではございませんが、私は第三皇子には少々思う所がございまして。
かような価値を持つ子を第三皇子が我が物顔で抱えているのも、少々腹立たしく思っております」
薄ら笑いに頬を歪める伯爵の目にははっきりとした敵意が見えた。
ここにいるのは第一皇子の派閥と呼ばれる者達で、同じく大貴族の派閥を二分する第三皇子とその派閥の者達にあまり好意を持ってはいない。
だが、その中でも彼は確固たる信念を持って第三皇子を敵と見なしているのだと解る。
「噂に聞くガルフの店…今はゲシュマック商会ですか?
あの店についても、ちょっと気になり、調べを入れさせていたのです。
子どもを優遇し、集め、使う。と。
ですが、子どもの扱いについては私にも一家言がございまして…」
『子どもの扱い…』
諸侯達の付き合いも五百年を数える。
滑らかに、石が転がるような言葉が示す『意味』をこの場にいる全員が知っていた。
「上手く行けば第一皇子派閥にアルケディウスの未来を左右する『食』と未来と魔術師を齎す事も叶いましょう」
「そうなれば良いな」
「はい。どうぞお楽しみにお待ちくださいませ」
私がそう返すと伯爵はざらつくような声で、芝居がかったお辞儀をしてみせる。
彼の言葉に、見つめる諸侯も、そして私もそれ以上の返事を返しはしない。
ただ、それぞれがそれぞれの思惑を抱き、彼の言葉と笑みを見つめていた。
別に、私は意図があってあの娘が欲しいと、呟いた訳ではない。
ドルガスタ伯爵が逆恨みめいた思いを第三皇子に抱いていたことや、重なる投資の失敗で大貴族中の順位を落としていたこと、それを取り戻そうと焦っていたことを知っていた訳でもない。
まあ、せいぜい第三皇子やあの娘に嫌がらせでもしてくれれば。
そしてそれを助ける事で恩でも売れれば御の字だと思っていた。
まさか、あいつらが予想の斜め上を行く事態を巻き起こすとは。
この時の私は、本当に欠片も想像さえもしていなかった。
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