麦の刈りいれも終わり夕食を終え、お風呂に入り。
私はホッと一息を付いていた。
「やっぱり、魔王城のお風呂はいいなあ。
疲れが取れる気がする」
「本当に、最高の贅沢ですわね」
「皆で入れるのが楽しいんだよ」
独り言のつもりだったけれど、優しいティーナとエリセは頷いてくれる。
そうだね。
向こうでは誰かと一緒にお風呂、なんてまずない。
一回だけお母様と入ったことがあるだけだ。
裸の付き合い、という言葉が向こうにはあったけれど、一緒にお風呂に入るということは自分の全てを曝け出すということだからよっぽど信用できる人じゃないと。
まあ、魔王城の住人になら、大丈夫だけど。
皆で背中を流しっこしたり、髪を洗うのを手伝ったりして、ワイキャイ楽しく入った。
麦の穂の欠片とかが残っていたのが取れてスッキリする。
「私ばかり楽させて頂いたようで申し訳ありません。
でも皇子妃様や皇子はともかく、皇王陛下や皇王妃様の前に顔を晒す勇気はなくて……。
私のような者が皇王陛下に拝した事は殆どありませんでしたが」
「解るから気にしないで。それに、楽なんかしてないから。
魔王城に運び込んだ麦穂を干したり纏めたり、一人でむしろ大変だったでしょ?」
「エルフィリーネ様がお力をお貸し下さいましたのでそこまで大変ではありませんでしたわ」
「私もがんばった!」
「うん、エリセもいっぱい術を使ってくれたね。本当に助かったよ」
因みにセリーナはファミーちゃんとネアちゃんを先に入れて既に寝室に戻っている。
私達も夜更かしするつもりは無かったんだけど、刈りいれのこととか、子ども達の成長の様子とか。
お店の精霊術士としてやってて困ることは無いか、とか。
ティーナやエリセと話していたらけっこう遅くなってしまったのだ。
ちょっと反省。
「では私は、城下に参ります。
カマラ様の所で休ませて頂きますので」
頭を下げたのはノアールだ。
城下町の来客用の館には不老不死だから魔王城に入れないカマラがいる。
一人にならない様に優しいノアールは気を遣ってくれているのだ。
「いつもごめんね
フェイが転移術で送ってくれるって言ってたから。
多分書庫で本を読んで待っていると思う。連れて行って貰って」
「ありがとうございます。夜道は少し怖いのでお言葉に甘えます。
ではお休みなさいませ」
「お休みなさい」
ノアールが先に行ったのを確かめて、私はティーナとエリセに向かい合う。
「明日からまた外国、フリュッスカイトなの。
暫く戻ってこれないから、留守をお願い」
「はい。精一杯勤めさせて頂きます」
「がんばるから、元気にかえってきてね」
泣き出しそうになりながらも気丈な笑みを見せてくれるエリセを、私はぎゅう、と抱しめた。ティーナの目にもうっすら涙が浮かんでいる。
何度もやっていることなのに慣れない。
私も泣きたくなっちゃうのをぐっとこらえて微笑みかける。
約束する。
「勿論、必ず元気に帰って来るからね。
フリュッスカイトは化粧品とか、石鹸とか有名なんだって。いっぱいお土産勝って来るよ」
「うん、たのしみにまってるから」
「ご無事のお帰りを心よりお待ちしています」
私の留守を守ってくれる二人の頑張りにはとても足りないけれど、本当にステキなお土産をいっぱい探して買って来ようと心に決めたのだ。
二人を部屋に見送った後、私は、こっそり階段を上がり、二階のバルコニーに出た。
火の月、夏ももう終わり、だからだろうか。
気温は高いけれど、夜風がふわりと涼を運んでくれる。
「気持ちいい……」
眼下に広がるのは墨を流したような真っ黒な闇。
城の外はシンと静まり返っている。
遠すぎるせいだろうか? 虫の羽音も蝉の鳴き声も聞こえない。
あ、どっちも似たような虫がこの世界にもいるみたいで、アルケディウスの貴族街では見かけないけれど魔王城ではたまに音を耳にする事が在る。
初めて聞いた時には驚いたっけ。
そして遠くにぽつんと一つだけ輝くオレンジ色の光。
あれはきっとカマラ達の家。
向こうの世界で
『灯りは魔法 人が灯す命の証』
なんて歌があった気がするけれど、本当にこの島には城とカマラ達以外に人はいないのだと実感させられる。
最盛期、精霊国時代はもっとたくさんの灯りが灯っていたのだろうか?
私が『精霊の貴人』になってこの国に人が生きる世界を取り戻せたら、もっとたくさんの灯りが灯るのだろうか?
「何してるんだ? マリカ」
「!」
考えに耽っていた私はかけられた声に慌てて振り返る。
そこにいたのは、リオンだ。
とっさにネグリジェの襟元を立てた。
今更、パジャマや夜着を見られて困る仲じゃないけれど、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「明日からまた馬車に揺られての長旅が始まるんだ。
ゆっくり休まないと体調を崩すぞ」
「それは、リオン達も一緒でしょ。私よりも馬に乗ったり揺れる馬車に乗ったりして大変なんだから早く寝ないと」
「お前が寝たら寝る。心配するな」
肩にぱさり、と柔らかいマントがかかる。
風邪をひかない様に持ってきてくれたのだろうか?
こういう気遣いがさらりとできるあたり、リオンは勇者で王子様だなって思う。
「……ねえ、リオン」
「なんだ?」
「キス、してくれる?」
「え?」
「明日から、また皇女と騎士でしょ。
婚約者でも人前で触れたり、キスしたりなんてきっと、できないから」
「…………いいのか?」
リオンがごくりと、唾を飲み込んだのが解った。
私はこくり、小さく首を前に傾け、目を閉じた。
顎に触れる感触と目の上にかかる影を感じた瞬間、温かく柔らかい感触が口をふさいだ。
頭の中にピリピリと見えない電流のような何かが奔る。
眠っていた全身が目覚める様で気持ちいい。
背中がピンとエビぞりになる。そんな私の緊張と身体をリオンの手が支えてくれていた。
(あ……)
目を閉じているのに、リオンがきっと浮かべているであろう照れの混じった表情まで解る感じ。
(今、私とリオン、繋がってる……)
私と言う意識がリオンと混じりあい蕩けるような感覚は癖になる。
ただ、唇を触れ合わせているだけなのに、前よりも刺激的に感じるのは気のせいだろうか?
いつまでもこうしていたかったけれど、程なくリオンの手が離され、スッと身体が引かれた。
「ありがとう……マリカ」
「? なあにリオン?」
真剣な眼差しで私を見て、お礼を言うリオンに首を傾げる。
私がただ、そうしたかったから頼んだだけだったのに、何故リオンがお礼を言うのだろう。
「……いや、何でもない。元気が出た。
マリカの成分が不足してたんだ」
「なにそれ。私は栄養素?」
「俺にとってはな。もう生活に必須なんだ」
「そう? なら、いつでも言って。
栄養補給にマリカビンZ、なんてね?」
「? どういう意味だ?」
「気にしないで。向こうの世界のお約束ってやつだから」
笑うリオンに冗談と私も笑い声を重ねるけど、本当はなんとなく解っていた。
感じている。
彼の言葉は冗談じゃなく、魔王城に帰ってくることや私と触れ合う事が、本当に生きる上で必要なのだと。
リオンと本当にキスはしたかった。
でも前の時と違って今回のはリオンが愛しい気持ちから、だけじゃない。
私の内側の何か。
……言葉にするなら本能のようなものが、私にそうしろと告げていたのだ。
そうしないとリオンを失うかもしれない。と。
だからそうした。それだけなのだ。
なんだか、悔しいけれど。
私とリオンの間に無機質に踏み入られたようでもやもやするけれど。
「本当に戻って寝よう。
明日の出発は早いんだ。魔王城でまた食事を作っていくつもりならもっと早く起きるんだろ」
「流石リオン。私の行動パターン理解してる♪」
「長い付き合いだからな。行くぞ」
照れた頬を隠す様に向けられたリオンの背中を見つめ、思う。
私はリオンが好き。大好き。
婚約者としていつか、結婚できればうれしいと思う。
その気持ちは変わらないし、誰に強制されたものでもない事は確信できる。
でも……。
それとは別にリオンを守りたい。守らなくてはという意志がある。
私の中に、私自身の思い以上の何かで生まれてくる『意志』は本当に『私』のものなのだろうか?
大事な事に気付いたと思うと直ぐに曖昧になってしまう私の記憶。
そこに、第三者の意思と手。
……多分、エルフィリーネの……が介入しているのはもう明らかだ。
(どうして?)(私とリオンに何があるの?)
不安が胸に湧き出てくる。縋るように肩にかかったマントの端を握りしめ引き寄せる。
「どうした? 戻ろう」
「うん、今行く」
今は気付かないフリをして先を歩むリオンの後を追った。
何より大切なのはリオンが側にいてくれる事。
その環境を守る事。
私のものであろうが、そうでなかろうが、そうしたいという思いに変わりはないのだから。
明日から、また暫く魔王城には戻れなくなる。
旅の間に何かを見つけられたらいいな。思い出せたらいいな。
思いながら私は寝台に戻り目を閉じた。
この願いとリオンを思う気持ちは消えない様に、と願いながら。
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