大企業・重原総合科学の半生

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最終話 もう一方の端から 前編

公開日時: 2020年10月19日(月) 21:10
文字数:4,278

 まず、ガリスキーがなのの襟首を片手で掴んで後ろに放り投げた。


 ついで、近村が襟の裏から短く鋭い針を出して蒲原に飛びかかった。


 と同時に向こうの机で仕事をしていた秘書達の半分がなのを助け出し、もう半分はピストルを抜いた。


 イザベラが蒲原をかばいながら近村のみぞおちに拳を入れようとして、近村は針を持たない方の掌でガードし、反動を利用して後ろに一回転しながら下がった。


 ロックジェラルドは机を蹴倒し、エルンストは自分の座っていた椅子を近村以外の秘書達に投げつけた。


 最後に、窓が無いにもかかわらずドリルやハンマーがひっきりなしに壁を穿うがつ耳がおかしくなりそうな大きい音が始まった。


 エルンストの投げた椅子が着地する前に、ロックジェラルドは蒲原の腕を引いて出入口に向かった。


 それを阻もうと近村が立ち塞がったが、イザベラが今一度右の拳を突き入れた。


 近村は最小限で見切り、身体を半身に捻って左肘ではらった。と同時に右の蹴りを放つが、イザベラは左膝を立てて防いだ。


 その脇を、ロックジェラルドと蒲原は通り抜けた。と思う間も無く、彼はポケットから出したテープでドアをバツ字形に封印した。


 誰かが、向こうからドアをガチャガチャ押したり引いたりしている。テープはびくともしない。


「エルンストさんやイザベラさん、どうなっちゃうの?」

「心配ご無用、NATOでも選りすぐりのエージェントさ。それより、早く脱出しないと」


 ロックジェラルドは、腕時計を何やらつつき回した。細長いアンテナが五センチほど伸び、腕時計に向かって英語で喋りかけた。数秒待って、もう一度喋る。


「……駄目だ、電波が完全に遮断されてる。屋上に行かないと」

「お、屋上でどうするんですか? このまま会社を出ちゃいけないんですか?」

「工事の音が聞こえるだろ? これは、社内の人間を皆殺しにするのを、カモフラージュしているんだ」

「皆殺し!?」

「作業にあたっているのは、アメリカの軍需会社が雇った傭兵達さ。下手に出ようとしたらたちまちズドン。屋上までは工事のしようが無いから、それだけがチャンスだ」

「屋上でどうするんですか?」

「救援のヘリを呼ぶ。俺の腕時計に専用無線機があって、リューズを押しさえすれば良い。建物から出た状態でまでドンパチなんか出来やしないしな」

「そ……そんな……津本さんは!? 木島さんは!?」


 ロックジェラルドは、蒲原の両肩を強く掴んだ。


「今は俺達が生き延びる事を最優先するんだ。傭兵は情け容赦無い。俺達まで死んだら誰が真相を伝えるんだ!」

「だからって……」

「俺のひじいさんはな、アメリカ陸軍の憲兵だった。事故で死んだと聞かされていたが、たまたま機密期限の切れた書類が合衆国で公表されて、共産主義者のスパイを捕まえに行く途中だったのが分かった」

「そ、それがこの件に……」

「ひじいさんの息子、つまり俺のじいさんはジャーナリストになって、ひじいさんの死の真相を解き明かした。重原総合科学、いや重原鉄鋼センターの初代社長、重原鍛造が殺し屋を雇って実行したんだ」

「殺し屋!?」

「ひじいさんも共産主義者のスパイだったのさ。同志の大物スパイがアメリカに亡命するからって、自分のネットワークを店じまいしようとしていた。ひじいさんはそれを利用して私腹を肥やすつもりでいたんだ」


 ロックジェラルドの顔は、祖先の苦々しい所業に歪んでいた。


「米軍は皆知っててずっと黙ってた。じいさんは腹立ち紛れに鍛造の愛人にそれらをぶちまけた。愛人は鍛造の正妻に成り損なっていて、その復讐の為に鍛造との間に出来た私生児を利用して会社に食い込んだ」

「それでどうなったんですか?」

「その私生児は鍛造と昵懇じっこんな政治家と手を組んだ。そして、自分の実母を毒殺して、鍛造の実子に当たるなのと養子縁組を組んだ。会社を裏から操る為に。じいさんはフリーのジャーナリストさえ出来なくなって、惨めな貧乏人のまま死んだ」

「そ、そんな……」

「真実だ。真実こそ最大の武器なんだ。それを相手に渡すんじゃ無い!」


 ドアの向こう側から、ピストルを撃つ音が次々に聞こえ出した。


「エルンスト達の気持ちまで無駄にしないでくれ。俺を、ずっと慰めて励ましてくれたんだ」

「……分かりました。屋上に行きましょう」


 ロックジェラルドは、うなずいてエレベーターのボタンを押した。何の反応も無い。


「当たり前か……」

「非常階段は?」

「いや、奴等が見張っているのは間違いない」


 そう説明しながら、背広の内ポケットから小さな粘土の塊のようなものを出した。見た目は、昔風の筆箱に思える。


 それをエレベーターの扉に貼り付け、胸ポケットからボールペンを出して差し込んだ。


「下がってろよ」


 身体で蒲原をかばいながら、ロックジェラルドは腕時計のボタンを押した。工事の音に負けず劣らず大きな音がして、ドアは大きく歪み、隙間が出来た。


「良し」


 ロックジェラルドはエレベーターの前に立ち、ドアの隙間に両手をかけた。そのまま力づくで人が出入り出来る位に隙間を広げた。


「ハンカチはあるかい?」

「え、ええ」

「手に巻き付けるんだ。エレベーターのワイヤーを伝って一階に降りる。もっとも、俺が先に行ってもう一回ドアを壊さなきゃならんが。作業が済んだら続いてくれ」

「はい」


 ロックジェラルドは、自分のハンカチを両手に巻いてエレベーターのワイヤーに跳び移った。


 三十秒後、同じ爆発音が響いた。


 すぐにハンカチを出して、ロックジェラルドと同じようにワイヤーに掴まった。


 ドアの隙間は簡単に通れたが、問題はワイヤーだった。滑りを良くする為に油が塗ってあり、たちまち顔も衣服も真っ黒になる。


 二階から一階に降りるので、時間は大してかからなかったのが不幸中の幸いか。


「良し。傭兵どもは、外の見張りを残して上の階に行ったようだ」


 ロックジェラルドの顔もまた油まみれになっていた。普段なら互いに爆笑していたろう。


 彼が二階と同じようにドアをこじ開け始めた時、ワイヤーが不自然に揺れた。


「ロックジェラルドさん……!?」


 どうにか蒲原が通られそうになった時、頭上から生ぬるい風が吹いて来た。


 ロックジェラルドは蒲原を半ば突き飛ばすようにして一階に押し込んだ。


 その直後、エレベーターの箱が落下してロックジェラルドを瞬時に押し潰した。唯一、腕時計をつけた左手首だけが一階の床に突き出た格好で無事だった。


「ロッ……」


 喚いたり叫んだり出来たら、どれだけ贅沢だろう。悲鳴も苦悩も押し殺すしか無かった。


 しゃがんで腕時計を外し、自分の手首につけてから首をぐるっと巡らせた。


 窓は全て外から塞がれている。そして、床といわず壁といわず無数の弾痕がびっしりと……まるで小さな蟹の巣穴のように……室内を変わり果てた姿にしていた。


 死体こそ無いが、血だまりがそこかしこに出来ている。良く見ると、引きちぎれた手首だの目玉と一緒に転がっている眼鏡だのが幾つかあった。


 歯を食い縛り階段を目指した。惨状の割には呆気なく仕切りのドアを開けられた。屋上を目指すのみ。


 途中で敵に会ったらそれまでだ。しかし、何故か行き着ける確信があった。生存本能、否、使命感といった方が正しい。


 蒲原は、生まれて初めて損得勘定を超越した純粋な目的意識を持って歩いていた。特に悲壮ぶったり陶酔したりするつもりは無い。


 ロックジェラルドの遺した言葉、『真実』。まさに今、自分は『真実』と共にある。これに勝る心強さは無い。


 階段が四階にさしかかると、さすがに仲間の安否を確かめたい気持ちが強く湧いて来た。それは後でも解決出来る。わずかに足を止め、軽く目をつぶってから再び昇り始めた。


 そんな再現映像を、屋上にたどりついてから延々と見させられた。


 屋上は完全な吹きさらしでは無くなっていた。臨時にゴム製のドームがかけられ、風避けになると同時に日除けにもなっている。


 その下に長机とパイプ椅子が並べてあった。中央にある長机だけはパソコンと連動したプロジェクターが置かれている。


 そして、ドームの端にある巨大なスクリーンが『終』の一文字を写し出した。ドーム自体をぐるっと囲むように、作業員姿の傭兵が銃を持ってこちらを監視している。


 椅子の一つに、蒲原は無理矢理座らされていた。


「どうだい、感想は? 津本プロデュースってやつさ」


 白い歯を光らせて、津本は笑った。


「ヘドが出る。あなたこそ、蝿がたかりそうな人ね」


 こんな奴にびくびくしたら、ロックジェラルドに申し訳ない。


「おやおや、斬新だと思ったのになぁ」


 悪びれずに津本は言った。


「どうしてこんなひどい事をするの?」

「陳腐な質問だねぇ。社命だからだよ。おっと冗談、趣味だからだよ」


 本当にヘドが出そうになった。


「映画にさ、建設省政務次官の津本宗次郎っていたじゃ無い? あれ、俺のひじいさん。隠れた残酷趣味があったみたいだよ。宮取大学にこっそり連絡してさ、死体を切り刻んだり……」

「やかましい!」


 机をばしっと叩いた。作業員姿の傭兵達が、一斉に銃口を向ける。


「ま、蛍光灯は利用価値が無くなったんだ。外資導入を成功させようとしてネタでちらつかせたらさ、変に騒ぎが大きくなっちゃって」

「……」

「しまいにゃNATOまで出張ってやんの。おまけにさ、山下先生が自爆サカラレなんてしちゃったじゃ無い? もうメチャクチャだよ。だからぜーんぶリセット。やり直し」

「山下先生……?」


 ドーピング啓発漫画のデータ捏造疑惑がどう係わるのか、図らずも興味を持ってしまった。


「馬鹿が、病院の端末にデータを遺してる奴がいてさ。蛍光灯がバレかかったんだ。あいつ疑惑を自分ででっち上げて、その席で蛍光灯を暴露するつもりでいやがったんだよ。病院事業は続けるから無傷のまま残すけどな」

「どこをどう取ってもクズね、あなたは! あなただけじゃ無い。二代目社長も、何より森場も皆クズよ!」

「そんなにクズクズ言わなくていいでしょう」


 背後でそんな声がした。


 振り向くと、なのが階段を上がり切って屋上に入って来た。千島とガリスキーもいる。ガリスキーは、エルンストとイザベラを肩に担いでいた。


「イザベラさん! エルンストさん!」

「二人とも死んじゃいないわよ、安心なさい。でもねえ、近村達秘書団は皆殺しよ。ガリスキーのおかげで助かったわ」


 そのガリスキーは、良く見れば背広はずたずた、頬と額には切り傷、両手の甲は刺し傷だらけだった。


「千島さん! あなただって、恥ずかしく無いんですか!?」

「恥ずかしい……? 恥ずかしい、ねえ。くっくっく。あっはっは! 味わって見たいわね、そんな心境!」


 千島の声が突如甲高くなり、右手が自らの額にかかった。

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