大企業・重原総合科学の半生

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昭和

第一話 夕陽に伸びた影

公開日時: 2020年10月7日(水) 18:10
文字数:3,623

 熱海にある、とある温泉宿の大宴会場では重原しげはら鉄鋼センターの社員数十名が飲めや歌えのドンチャン騒ぎを楽しんでいた。


 会場の奥にある、マイクスタンドを立てたステージの上には『昭和二十八年 十二月一日 祝 長久保ながくぼビル落成・資材提供完遂』と記された額がかけてあった。美麗にも紙で作った紅白の花に縁取りされている。


「社長っ! お疲れ様でございます! ささぁ、どうぞ!」


 社員の一人が酒で赤くなった顔を笑み崩し、芝居がかった動きでうやうやしく銚子と猪口を持ってきた。これを喜ばずして何を喜ぶといわんばかりだ。


 神奈川県の横浜市に建てられた『地域社会における戦後復興の象徴』に、ささやかな貢献を果たしたという満足感が一同の宴を盛り上げてもいた。


 既に酒も料理も出回っており、叫ぶ者、歌う者、踊る者までいる。女性の社員は一人もおらず、芸者もいない。それがかえって羽目の外し方に拍車をかけていた。


「おう、ありがとう!」


 社長の重原鍛造たんぞう自身も宴を楽しんでいるところだ。……いや、純粋に楽しんでいるだけかというとそうではない。


 重原鍛造。三十を若干過ぎたばかりながら、戦時中はニューギニア戦線で文字通り泥と草で露命を繋いだ。


 その血みどろから生還し、復員後は合法非合法を問わぬ手法で焼け野原から立ち上がった男である。


 二十四時間三百六十五日、熱気と冷気が同時に存在する男なのは贅肉のかけらも無い顎先から誰にでも理解出来た。


 重原鉄鋼センターは、元々横須賀にある焼け野原のバラックから出発した。


 バラックといえば聞こえは良いが掘っ立て小屋である。無論、鍛造が建てたのだ。


 長久保ビルの鉄筋入札に参加する頃には横浜で事務所付きの小さな工場を構えていた。中古の施設だったが鍛造からすれば掘り出し物だった。


 さておき、内心を毛ほども示さずに鍛造は同じような笑顔で返して猪口を受けた。


 部下が注ぎ終わるのを待ってから一息に干し、一度逆さにして飲み残しがないのを示してから部下に戻す。部下はそれを有り難く押し頂き、社長からの酒を受けた。


「ご馳走さまでございました! 社長からの一杯の為なら~例え火の中水の中~! エベレストでも登ります~!」


 その年の五月二九日、ニュージーランド人のヒラリーが、ガイドでチベット人のテンジンと共にエベレストを初めて征服して話題になった。


 それはともかく、調子に乗った社員は水泳の真似までして見せた。


「わははははは。ちょっと手洗いに行ってくるから、好きに騒いでくれ」


 そう断って、鍛造は、席を立った。


 昔から、三上と言う。妙案は、枕の上、乗り物の上、そして便器の上で浮かぶとされている。もっとも、鍛造が済ませに行くのは『小』の方だが。


 鍛造としては、彼等に次の業務を割り当てる責任から逃れる訳には行かなかった。


 重原鉄鋼センターはビルそのものを作ったのでは無い。ビルに関わる鉄筋全てを供給したのみである。


 なるほど、この仕事のお陰で会社は国内の鉄筋市場に抜きん出た立場になった。だからといって未来永劫に磐石ばんじゃくになったのではない。


 そもそも重原鉄鋼センターが生まれたのは朝鮮戦争の特需の最中であり、鉄は品薄を極めた。社長以下、あらゆる努力を尽くし鉄をかき集めて必死に生き延びていたのだ。


 皮肉なことに、朝鮮戦争が終わると在庫のだぶつきがどの会社でも問題になった。長久保ビルの鉄筋納入を巡り最後まで争ったライバル社は、二か月ほど前に倒産している。


 競争に破れただけが原因では無い。


 ぽっと出の戦争成金の多くは、帳簿では黒字なのに大量の在庫を処分する費用が賄えず、さらに、前の年の莫大な利潤に沿って要求された税金が工面出来なくなり倒産を余儀なくされていた。


 重原鉄鋼センターも、在庫の処分は緊急課題だった。今回は長久保ビルのお陰で一気に解決した。次もその機会が来るかどうかは自分自身の手腕にかかっている。


 用を足し終え、手を洗う内に新たな考えが浮かんだ。エベレスト征服……即ちスポーツ。


 これからはスポーツの時代になる。


 二度の世界大戦を経て冷戦が始まったものの、米ソは三回目を起こすほど馬鹿では無い。


 その代償行為に、スポーツが充てられる。運動の得意な人間が軍隊で活躍出来るのは自明の理であろう。


 だから、例えばオリンピック等で金メダルを沢山取った国は他所を牽制出来る。


 更には、自発的な交戦力を失った日本が世界に力を示す機会にもなる。科学技術といった知的産業だけでなく、まさに肉体的な力それ自体をも見せねばならない。


 即ち、次に投資の先が向かうのはスポーツ産業となる。国内でのプロスポーツといえば野球と相撲だが、それ以外にも復興が進むにつれ様々な競技が現れるだろう。幸い、政治家にも多少は顔が利く。


 ハンカチで丁寧に手をふき、鍛造は宴会場に戻った。


 三日後の夜。


 東京は品川にある料亭『赤手鞠』の一室で、鍛造は一人の男性と会食していた。


鮟鱇あんこうは肝が決め手ですね」


 鍛造の相手は、床の間を背に上機嫌で箸を動かした。目の前の鍋からは、湯気と共に利権の香りが漂っている。


「お気に召したのなら幸いです」


 当たり障り無く応じ、鍛造は白菜をつまんだ。苦味の混じった甘味を噛み締めながら、話を切り出す時機を推し量っている。


 相手は、鳥取県出身の日本自由党所属衆議院議員……の、次席秘書。即ち、津本 宗次郎。


 鍛造より多少年長だが、四十にはなっていない。背広の着こなしと箸の動かし方からして、さほど上流家庭の出身というのでも無さそうだ。背丈は鍛造より高いものの、長身と言う程でも無い。


「鮟鱇は、獲物を捕らえる為に、頭からぶら下がっている発光器官を光らせるそうで」


 はふはふと肝を飲み下してから、秘書は言った。


「ほう、博識でいらっしゃいますね」

「いやぁ、実家が漁師町だったもので、自然と魚に興味を持ったんですよ」

「それはそれは……。どこの町です?」

「境港です。もっとも、大陸に渡ってからは、殆ど帰っていませんが」


 そう言われて、鍛造はつい自分の境遇を思い返した。障子戸のすりガラス越しに刺す光が、ぼんやりと彼の左半身を照らしている。


 横浜で電器店を営んでいた実家は空襲で家族ごと消滅した。彼自身は独身だったが、結婚を控えた妹がいた。その婚約者もフィリピンで戦死した。


「まぁ、親戚の何人かは去年の大火事で亡くなりました」


 前の年……一九五二年、鳥取市で大火災が起き、まさに空襲並の被害が起こった事は鍛造も知っている。


「お気の毒に……。まだ復興もままならんでしょう」

「そうですね……朝鮮戦争も終わりましたし、鉄の値段が下がれば速さが増すと思いますよ。あ、いや、失礼」

「とんでもございません」


 間接的な被災者としての発言なのは理解出来るので、軽く手を上げて済ませた。


 とはいうものの、実のところ重原鉄鋼センターも復興需要に関わっている。当面、社員を食い繋がせる事は出来た。


 と、ここで津本は猪口を干した。すかさず鍛造は代わりを注ぎ、その後お流れを頂戴した。


「……それで、この度席を設けましたのは」


 鍛造は切り出した。


「国家計画としてのスポーツ事業です」

「それはまた、失礼ながら、意外な方向ですね。御社は鉄工業でしょう」

「いやいや、戦後日本の復興にはまず何より頑丈な肉体でしょう。となれば、各地に競技場を作る機運を盛り上げたいところです」

「つまり、競技場の新築に、御社の鉄筋を使う訳ですね?」


 鮟鱇の身をつつきながら、津本は言った。


「はい。つきましては、先生に、何卒よしなにと思いまして」

「一つ伺いたいのですが、何故僕にその話をするんです? せめて首席秘書が妥当でしょう」

「はい、本来ならそうです。しかし、ここは新進気鋭の津本様こそ適任かと。理由は、首席秘書様は……いささか、素行に難があるようで」

「初耳ですね」


 そこで鍛造は、豆腐を上手に箸ですくって皿に入れた。


 政治家の秘書は、いずれは自分も政治家になるつもりでいる。そこは年功序列、まず首席秘書が『暖簾分け』の優先権を持つ。


 建前ではそうなる。政治家を志望する人間が、必ずしも建前を重視しないのは分かりきった話だった。


「是非とも知りたいです」

「はい、勿論。ですが、その前に、一つ共同戦線構築といきませんか? こちらとしては、将来、スポーツ推進事業の際間接的に弊社の名前を出して頂けられれば結構です」

「お安いご用ですよ」


 言質げんちを取った鍛造は、背広の内ポケットから一枚の写真を出した。若い芸者と、中年の男性が寄り添って歩く白黒写真だ。背景は温泉街だった。


「ま、こう言う事です」


 津本は、箸を置き、まじまじと写真を見た。芸者は津本が仕える議員の愛人で、男性の方は首席秘書。


「……どうして、こんな写真を……」

「まぁ、いいじゃありませんか。事実は事実でしょう」


 言外に、やろうと思えば津本にも同じ手が使えると言う含みがあった。


「この写真……ネガごと買い取れますか?」

「ええ、共同戦線さえ作って下されば」


 津本は、黙って自分から銚子を手にした。鍛造は軽く笑って猪口を出した。

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