べりべりべりと変装が破れ、なのと同年代の女性が現れる。老けてはいるが間違い無い。
「森場……江奈……」
「あーっ、楽しかった。津本、良くやったわよ」
「恐れ入ります、会長」
「本社の社員達は皆死んだし、残ったのは蒲原さんだけね」
「死んだって……殺したんでしょう、あなた達が!」
「逆よ。あなただけ生かしておいたの。あなたは、社員としては私の血を継ぐ唯一の人間ですからね。私に忠誠を誓いなさい。そうしたら、エルンストもイザベラも助けて上げるわ」
「くっ……」
動作一つ。ロックジェラルドの腕時計のリューズを押す。それが出来ない。
「早くなさい、三人とも殺すわよ」
どうせ殺されるなら、せめて腕時計のリューズを押そう。何もしないよりましだ。
「仕方ない。ガリスキー、エルンストから殺しなさい」
「待て。腕時計を取り上げるのが先だ」
さすがに、元KGBだけあって見抜いている。
「そんなもの、少しでも動いたら傭兵が撃つでしょう」
「傭兵達は大勢いるな?」
ぎろっ、と、ガリスキーは江奈を見下した。
「だから何よ」
「どうせ誰かが撃つだろうと思い込んで、一瞬遅れる。それが命取りだ。それに、こいつの目……。侮れん」
そう言ってガリスキーは右肩に担いでいたエルンストの左手を取り、小指を捻って折った。割箸でもおるような容易さだった。
「ぐわあああぁぁぁ!」
気絶から覚めたエルンストは、悲鳴を上げて手足をばたつかせた。ガリスキーの腕は万力さながら、びくともしない。
「次はイザベラをやる」
「もう……。もう、いいわよ! 忠誠でも何でも、誓えばいいんでしょう!」
悔しさで泣き出しながらロックジェラルドの腕時計を外し、ガリスキーの足元に叩きつけた。
その弾みでリューズが押され、アンテナが伸びた。彼が言っていた通り、何か英語が漏れ聞こえた。
「ガリスキー……」
ただならぬ事態を察してか、江奈が聞いた。
「定時連絡期限まであと一分。任務終了コールが無ければ、ビルにセットした爆薬のスイッチを遠隔操作で入れるそうだ」
ガリスキーが通訳した。
「爆薬!?」
なのと、江奈が、思わず声を揃えた。
「津本!」
「か、会長、申し訳ありません、そこまでは……」
「おい、俺達、聞いてねえぞ!」
傭兵達も口々に喚き出す。
「なら、さっさと終了したって言いなさいよ!」
なのが、動揺を隠そうともせず言った。
「特別な符丁か何かがあるはずだ。それ無しでは失敗とみなされる」
腕時計が、また英語でどうこう言った。
「あと四十秒」
律儀にガリスキーは訳した。
「ガリスキー、腕時計をエルンストに返して! イザベラは気絶したままだし、知ってそうなのは彼だけよ!」
蒲原は、涙を払って言った。
「どうせハッタリよ! 無視しなさい! それより、蒲原! 最後のチャンスよ! 私に忠誠を誓いなさい! 誓え!」
「ガリスキー……。ハッタリなのは、核ミサイルの方なんでしょ」
土壇場で、蒲原は閃いた。
「あり得ん。俺がセットした」
「そうね。信管を抜き取った、爆発しないミサイルをね。エルンストから聞いた」
これこそハッタリだ。
「この期に及んで……。悪足掻きはやめなさい!」
なのが叫んだ。
ガリスキーはなのを無視して、エルンストをゆっくりと床に降ろした。そして、腕時計をエルンストの口の近くにそっと置いた。
「さっきまでのやり取りが、どっちみち筒抜けになっている。俺の夢も終わりだ」
諦念をにじませながら、ガリスキーはイザベラも降ろした。意外に丁寧な仕種だった。
「ミ、ミサイルはミサイルでしょ! もしハッタリでも、信管なら後でつけたっていいじゃない!」
「今頃、稚内のトンネル跡地には陸上自衛隊の連中が向かっている。それと意識していないだろうが、蒲原の閃きにやられた」
「閃き!? 何の!?」
ガリスキーは、黙って空に顔を向け顎をしゃくった。かすかだが、ヘリの爆音がする。
「あ、あれは……!?」
津本が、間抜けな奇声を上げた。
「最初から、腕時計の無線は入っていた。あんたら二人と、ついでに津本まで一ヶ所に集めれば油断して真相をべらべら打ち明けるだろう」
「だからって……でも核ミサイルは現に……」
「ああ、あるよ。確かに。だが、仮に海底で爆発しても被害は限定的だ。それより誰がどんな役割を果たしたかが重要なんだ。真実が、な。全部カタがついたからヘリが来た。ついでに言っとくと、ミサイルに信管は無い」
「このクソ会長、残りの金を今すぐ払え! スマホぐらい持ってるだろ!?」
苛立った傭兵達が、銃口を江奈に向けた。
「ひ、ひいいい」
「早くしろ!」
かたかた震える手で、江奈はスマホをつついた。
「お、お金は振り込んだわよ!」
「けっ。確かにな。あばよ」
傭兵の一人が自分のスマホで調べをつけると、他の傭兵達もうなづいた。
「ちょ、ちょっと、まだ仕事は終わって無いでしょ! エルンストもイザベラも、構わないから蒲原も殺しなさい!」
「てめえでやれや、ボケ」
傭兵の一人が銃を投げて寄越した。残りは一斉に武器を捨て、そろって屋上から出ていった。運が良ければ、一仕事終えた作業員として市民に紛れて逃げられるかも知れない。
「ガリスキー! ヘリがつく前に、三人を人質にするのよ!」
江奈が、銃には目もくれずに言った。
「お断りだ」
「何故!?」
「負け馬に乗る馬鹿はいないだろ」
そう言ってゆらりと動いた。
江奈は悲鳴すら上げられなかった。彼のごつい拳が江奈の首をへし折り、なのにも同じ運命を与えた。二人とも、不細工な人形のように倒れ、事切れた。
「わーっ! わーっ!」
津本は、ポケットからピストルを出し、闇雲に撃った。空に向かって弾丸が吸い込まれただけだった。
ガリスキーは傭兵が投げ与えた銃を……津本のピストルよりずっと大きく長い……拾い、安全装置を外した。
津本は泣きながら引き金を引いている。ついに弾丸を撃ち尽くし、背中を向けて逃げ出した。
ガリスキーは狙いを定め、引き金を引いた。続けて三発の薬莢が宙を舞い、全て津本の背中を引き裂いた。
「し……死んだの……?」
蒲原は、いつの間にかガリスキーを恐ろしくは思わなくなっていた。
「ああ」
再び銃に安全装置をかけ、ガリスキーはそれを捨てた。そして傭兵達と同様、階段を求めて背を向けた。
「待って!」
ガリスキーは、足を止めた。
「何だ?」
「どうして……私には何もしないの?」
わざわざ相手を刺激するのはナンセンスだ。それでも、知りたい事実はある。
「お前は、重原グループを導く人間になる」
気負い無く、彼は言った。
「その時、また、会う」
再び歩き出し、振り向かないまま階段に消えた。蒲原も、それ以上は引き留め無かった。
ヘリの爆音がはっきり聞こえ、その音でイザベラは目を覚ました。蒲原は我慢出来なくなって、大声で泣き叫びながら彼女に抱きついた。
それから一ヶ月。
身の安全がはっきりするまで、蒲原は在日アメリカ合衆国大使館に匿われた。
もっとも、その間会社について根掘り葉掘り聞かされ採血までされた。かと思えば身体能力テストだの知能検査だの、うんざりするほど調べられる日々が続いた。
二回ほど、エルンストとイザベラが見舞いに来てくれたのが救いだった。ついでながら自分のスマホも戻ってきた。
それから他言無用と言う主旨の書類にサインさせられ、ようやくにもどうにかこうにか大使館から出して貰えた。
不快な話ばかりでもない。
見返りという事で、重原総合病院の事務係長の席が蒲原に用意された。
本社に復帰したかったのだが、それはもう無い。物理的に存在しない。
耐震工事の失敗で重原総合科学本社ビルは倒壊し、多数の死者が出たのだ。そういう筋で関係各国はまとまった。
傭兵達は大半が捕まったが、国外追放で済んだ。木島達を殺したのは許せないとはいえ、その根っ子は滅んだ。
ガリスキーは行方不明のままだ。いずれにせよ、大使館での一ヶ月は世間がある程度落ち着くのに必要な時間でもあった。
今、蒲原は係長として病院の事務業務に邁進している。
殺された社員達にはいつか必ず報いる。ロックジェラルドにも。今は駄目だ。真相を述べても都市伝説で片付けられるのがオチだ。
しかし、数日前に自分のスマホに来たメールには大きな手応えとやり甲斐すら感じていた。
『今度は、樺太からトンネルを掘らないか? ガリスキー』
終わり
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