大企業・重原総合科学の半生

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第二十五話 振り返り振り返らされて 前編

公開日時: 2020年10月15日(木) 18:10
文字数:5,230

 穏やかな春の陽気が包む新社屋。


 社長室で、鍛造はテレビを見ていた。昼休みであるからそれ自体は特別ではない。


 食事は既に終わり、空になった仕出しの重箱が洗って机の隅に置いてある。軍隊時代の習慣で、そういう類は社長になっても自分で行う。


 目の前のブラウン管には自分の娘が写っている。


 いや、本来は実子ながら敢えて小都子とは籍入れしないまま鍛造の『養女』となった重原江奈。芸名は森場江奈。小都子は実母のままで、鍛造の遠縁の親戚とされていた。


 小都子の要求するまま、重原総合科学には降って湧いたように芸能部門が出来た。


 彼女が虎視眈々こしたんたんと図面を引き根回しに励んでいたのは、重役達の反応からも明らかだった。


 時代の波もある。


 旧社屋時代の白黒テレビはとうに売却されている。ただ、小都子が作ってくれた掛け布はそのまま新しいテレビに用いられた。


 かつては誰がテレビを……それも白黒を……ボーナスで買うかが社員のお気に入りの話題だった。


 今は、子供がテレビ漬けに……無論、カラーだ……なって困るという愚痴が社員のお気に入りの話題である。


 隔世の感とはこの事だろう。


 テレビを電気紙芝居などと軽く見ていた昔気質の人々も、オイルショックに先立つ一年前の凄惨な生放送にはかぶとを脱がざるを得なかった。


 厳しい冷え込みが続くその年の二月、長野県に所在するあさま山荘にクレーン車から吊り下げられた巨大な鉄球が叩きつけられた。それはベッドやクッションで補強された窓を叩き潰した。


 そうして生じた穴に装甲バンの放水器から高圧放水が放たれ、反対に山荘からは破壊を免れた窓から銃撃や鉄パイプ爆弾の投擲とうてきが行われた。


 過激派学生の最後の砦として、山荘の管理人の妻を人質に取りつつ交わされた『戦争』は、機動隊や警察が実行した決死の突入作戦により終焉となった。


 犯人は全員が逮捕され人質も無事解放された反面、民間人一名を含む三名の命が失われている。負傷者も決して少なくない。


 それらことごとくが、事件とは全く無関係なお茶の間に生放送された。東京オリンピックとは全く別次元でテレビの威力をまざまざと見せつけた事件でもあった。


 あさま山荘事件で逮捕された学生達の供述から、世の中を真剣に考えていたはずの彼らが仲間内で私刑を繰り返し我と自ら四分五裂していった事が明らかになった。世間は幻滅した。


 白け世代という言葉が象徴する享楽主義や刹那主義が次第に力を増し始め、芸能界が良くも悪くも若者の話題の中心になり始めている。


 小都子の発想はまさに正鵠せいこくを射たといえよう。


 そんな背景を踏まえつつ、重原総合科学の芸能部門はたった一人の少女に全てを賭けて始まった。


『お別れってどういうこと!? 説明してちょうだい今野さん!』


 真夜中の船着き場で、江奈が扮する二十代の……本人はまだ十代の末頃だが……女性が劇中の彼氏に詰め寄っている。『好きで四畳半』なる題名だったか。


 脚本そのものは、良くも悪くも標準的なメロドラマだ。芸能界そのものには興味ないので、食事中の賑わい程度につけている。毎日。


 今年……一九八十年に入り、重原SGが生まれた。SGとはサウンズグループの略である。近い内に子会社となる。五井銀行も了承している。


 蒲原江奈改め森場江奈は最初のアルバムからヒットを飛ばしていた。新しい話題にようやくにも重原総合科学は再度世間の注目を浴び、業績を持ち直している。


 そんな景気の良い話題とは裏腹に、鍛造は以前ほど食事や宴会を楽しめなくなっていた。嫌いになったのではなく胃腸が受けつけない。そろそろ後継者について真剣に考えねばならない時期だろう。


 社長室の内線電話が鳴り、鍛造はテレビのボリュームをリモコンで消してから受話器を取った。


「お昼中に申し訳ございません。社長、そろそろお時間でございます」


 江奈と同い年の女性が告げた。もう一人の娘、なのは社長室付秘書見習いとして高卒で入社している。


「分かった」


 受話器を戻して、鍛造は駐車場まで歩いた。意地でも運転手はつけず、愛車もロールスロイスのままだ。


 もっとも、これから自動車では容易に到着出来ない土地へ行く。


 羽田空港から稚内へ。実は、北海道へおもむくのは生まれて初めてだ。


 明日、天候研究所の落成式がある。愛車で長久保ビルの近くを通り過ぎ、建物の生死に感じ入った……あれほど市民に愛されたこのビルも、老朽化が進み取り壊しが発表されていた。


 鍛造は、天候研究所において目立ってはならない人間だ。さりながら、姿が見えないのもおかしい。それで、いうならモブキャラの一人として出席する事になった。ちなみに津本と沼橋は主賓である。


 津本は民間として異例の天候研究所の落成を祝福する。彼とてうわべは永田町が『ポーズ』で送った人間とみなされている。


 沼橋は、気象学に詳しい人間を大学から送り込むので当然ではある。しかし、マスコミには何ら取り上げられていない。


 空港で搭乗手続きを済ませ、ごくスムーズにジャンボ機に乗り込むと程なくして離陸が始まった。


 翼に広がる昼下がりの太平洋はまことに雄大で美しい。そのはるか南に浮かぶニューギニアでの日々も、もはやどこか遠い世界の日々に思えてきた。


「失礼致します。お菓子とお飲み物はいかがでしょうか?」


 飛行機の高度が安定してから、スチュワーデスがワゴンにジュースピッチャーとスナック菓子の小袋を乗せてやってきた。


「オレンジジュースと、お菓子をお願いします」

「かしこまりました」


 スチュワーデスはピッチャーから紙コップにオレンジジュースを注ぎ、鍛造に手渡してからスナック菓子の小袋を一つ出した。


「ありがとうございます」


 鍛造が礼を述べると、スチュワーデスは丁寧に会釈して次の客に移った。


 オレンジジュースを一口飲み、スナック菓子の袋を開けると六角形のクラッカーが入っていた。とある超大物歌手の結婚引退記念興行の合間に宣伝していたのを思い出す。パンとサーカス、大いに結構。


 当日の夕方、日没前に指定されたホテルに到着した。随員はなく、一人だ。


 予想通り、非常に寒い。厚着してきて正解だった。


 風邪など引かないように……そんなつぐみの台詞が聞こえてきそうでほろ苦い気分になった。


 フロントでチェックインを済ませ、鍵を受け取った部屋に入ってから普段着になるとさすがに開放的な気分になった。


 まずは喉を潤そう。ホテルの地下にあるバーへ入り、カウンターに着いた。


「マティーニ、ジンベースで」

「かしこまりました」


 マスターがミキシンググラスを出した。


「お久しぶりですね、社長」


 どこかで聞いたなまりのある日本語に思わず振り向かされた。


 どこかで見たことのある背の高い金髪の外国人が、もの柔らかい微笑をたたえつつ立っている。


「お忘れですか。パーカーですよ。パーカー・ロックジェラルドです」


 つぐみとはまた違う意味で……苦いというより辛い記憶を呼び覚まされた。


 もう三十歳前後ではあろうが、世間ではまだどこの国でも若造に毛を生やした程度の年恰好にすぎない。


 それでいて、顎に蓄えた短めのヒゲといい抜け目のなさそうな目尻といい、かつて東京オリンピックの時に印象づけられたあの少年らしいあどけなさはどこにも残っていない。


「昆布の取れ高でも取材に来たのかね」


 意識したわけではないにせよ、冗談めかそうとしてかえってそっけない口調になった。


「いいえ」

「シカゴニュースで五稜郭でも取材することになったのか?」

「それも違います。そもそも私はもうシカゴニュースの社員ではありません。あれからしばらくして退職しました。それからずっとフリーランスです」

「それはすごい。筋金入りだな」

「ありがとうございます。隣、いいですか?」

「一杯飲んだらすぐ引き上げるつもりだが、それでよければどうぞ」


 本来なら、一杯といわず何杯でも一人でアルコールを楽しみたかった。こうなっては仕方がない。


「恐れ入ります」


 パーカーは日本風のお辞儀をなめらかに披露しつつ隣に座った。


「私は、今回ここ稚内での天候研究所なる建物を取材に来ています」

「ほう、そうかね」


 何故パーカーはいちいち自分の行く先々につきまとうことになるのだろう。


 もっとも、そんなことを意識してしまうのは他ならぬ鍛造自身に責任があることなのだが。


「天候研究所って、日本ではちょっと変わっていますよね」

「どうして」

「何故って普通、天気の研究は日本では気象庁がやるものでしょう」

「まぁ確かにその通りだね。最近は流氷の観光ツアーなんかもあるらしいし、そういった科学熱のようなものが盛り上がってきたんじゃないのか」

「表向きはそうでしょうね。あ、すみません。スティンガーをください」

「かしこまりました」


 マスターが出来上がったばかりのマティーニを鍛造に出し終えたタイミングを見計らって、パーカーは注文した。


 スティンガーには毒針という意味もあるのは既に知っていた。


「表向きだか裏向きだか知らないが、どうせどこをどう突いても大した話にはならないと思うよ」


 鍛造は突き放すように言ってマティーニを一口口にした。


「どうしてそれがわかるんですか」


 パーカーはあくまで冷静に尋ねた。


「私自身、その研究所に鉄筋を納入しているから落成式に呼ばれている。言っておくが、落成式には招待客しか出入りできないからな」

「それは分かっています。あの研究所には防衛庁の職員が何度か出入りしているのを突き止めています。民間の気象研究データを防衛庁が利用するとはとても思えません」

「それは向こうさんの勝手だろう」

「でも、わざわざ 東京にいる職員が稚内まで来ているんですよ」

「だからそれは勝手だろう」

「お待たせしました」


 マスターが スティンガーをパーカーに出した。


「ありがとうございます」


 意識してかしないでか、パーカーもまた鍛造と同様に乾杯を持ちかけずに自分で飲んだ。


「父が殉職した話、東京オリンピックの時にしましたよね」

「ああ、そんな話もあったな」

「父のことを調べようとすればそのたびに、トラックではないにしても様々な圧力がかかりました。会社を辞めたのもそのせいです」

「それで?」

「フリーランスになって身を隠しながら取材を進めていく内に、父の死にある日本人の殺し屋が係わっている事が少し分かりました。その日本人は父が死ぬ直前に郵便局員になりすましています」

「そうかね」


 今さら戸原の手際を聞かされても仕様がない。鍛造はマティーニを飲み干した。


「失礼でなければ、スティンガーの分も私が払っておこうか」

「いいえ、私の方こそインタビュー料代わりにマティーニの料金をお支払いしたいぐらいです」

「無用な申し出だ。君のお父上については気の毒に思うが、私には何も分からない」

「父がテニスコートで話をしていた政治家の秘書は、津本さんという方ですよね」


 立ち上がりかかった鍛造の足が、その固有名詞のせいで止まらされた。


「良くは知らないが、それがどうしたんだ」

「津本さんはあなたが 参加するパーティーには約三十パーセントの確率で同席しています。それは、あなたに同席するところのある程度以上社会的地位の高い人間として一番高い確率です」


 その数字には、確かに思い当たる節がある。


「それから、津本さんは今でも赤手鞠という料亭をよく利用します。父が殉職した日を境に、半年ほど赤手鞠は店内改装を理由に休店していますね」

「ふむ」

「それに前後して、ソ連人のガリスキーという人間が死亡しています」

「だから何が言いたいのかね」


 苛立ちをどうにか抑えつつ、鍛造は話を切り捨てるタイミングを模索した。


「明日の落成式のあと、私は津本さんにこれまで取材した成果をまとめて質問します。あなたのことも尋ねます。ただ、あなたが今この場で父の殉職について知っていることを全て打ち明けてくださったら、私の名誉にかけて津本さんへの質問は一切取りやめます」

「ほう。何故」

「私はただ、父の殉職の真実を知りたいだけです。誰かを告発したり訴訟を起こしたりするつもりはありません」

「君の言い種だと、津本先生が私にとって都合の悪いことを知っているといわんばかりだね」

「それがお気に障ったというのなら謝ります。でも、今スキャンダルが起きたらお嬢さんの芸能活動にも差し障りが出るんじゃありませんか?」

「つまるところ、君の切り札は恐喝か」

「真実にたどり着くなら少々汚い手でも使います。もちろん、あなたが真実を述べてくださったのなら私は先ほど述べたとおりに約束を守ります」

「そうかね。では真実を今から述べよう。私は何も知らない」


 鍛造は口を閉じてパーカーに背を向けた。


「残念です……とても残念です。あなたは私の命の恩人だというのに」


 呟くように嘆くパーカーのセリフを意図的に頭から締め出しつつ、部屋に戻れたのを素直に喜んだ。


 それからは一歩も出る気がしなくなり、翌朝までずっと閉じこもった。津本と沼橋に警告を出しても良いが、下手に電話すると盗聴されているかも知れない。当日に、二人に直接メモを渡しておく事にした。

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