目の前の机に向かい、貧相な椅子に座りながら不機嫌に茶をすすった男……手島 民雄は、戦時中に兵士の訓練方法を研究していた。
ぼさぼさの白髪の下に分厚いロイド眼鏡があり、細い目が湯呑みを睨んでいる。無精髭だらけの顎は小さく、薄汚れた白衣のせいでか首だけが浮かんでいるように見える。
それら一切が、奥にある達磨型ストーブのせいか変に遠近法めいて写った。
「手土産も無いのか」
鍛造を立たせたまま、手島は言った。
「先生、時間は金では買えませんよ。つまらない粗品で先生のお時間を無駄にするより、仕事の話をしようじゃありませんか」
この考えには自信があった。
先日、面会の約束を取り付ける際に電話をしたら秘書もいないまま手島本人が出た。
予算が足りないせいでもある。学者が予算を獲得するには論文以外にない。手島は筋肉量を増大させるホルモンについて論文を発表していた。
結果は散々だった。戦時中、軍国主義に同調していた学者の戯言と一笑に付され握り潰された。彼の人柄のせいで誰も検証しようとしない。
偏屈な人間嫌いが自業自得となっていて、恐らくは本人だけが知らないままだろう。
鍛造としては、この手の学者は余り得意ではないし好意も持てない。出来れば生涯かかわりたくない。それもこれも会社のためだ。
「ふんっ。まぁ、聞くだけ聞こう」
「我が社は、この先スポーツ事業に手を伸ばすつもりでいます。それで、こちらから研究費を出す一方そちら様の技術を取り入れたいのです」
「そんな事は、もっと大きな大学に頼めば良かろう。第一、鉄筋屋がスポーツをいじってどうするんだ」
「鉄筋屋が鉄筋を売ってさえいればいい時代は終わったんですよ。今はまだ、技術を蓄積する段階ですが、ゆくゆくは総合的な科学技術を備えた会社にするつもりです」
それは混じり気のない本音だ。経営者として、常に明確な経営方針を立てるのは至極もっともである。
もっとも、個人的にささやかな夢想もあった。国民と競技場を結び付け、いざという時は集合場所としたい。
競技場の地下には、例えば防空壕を作っておく。第二次大戦の先勝国が、争って核兵器の製造と実験を繰り返しているのにつけても捨てておけなかった。
「それは何年後だ。いつ実現させるんだ」
「手島先生さえその気なら、十年後には」
十年。研究の世界では際立って非常識な長さでは無い。ビジネスの世界では長い。
一つの会社の平均寿命は約五年とされている。ちなみに重原鉄鋼センターは、出来てから六年ほど立っている。
「詳しく話を聞こう。立ってないで、座れ」
ここでようやく、手島のさし向かいに座った。部屋の主と似たり寄ったりのボロ椅子ながら。
「最近、我が国でもスポーツの熱が盛り上がっています。地方のあちこちに運動場を作るようになりますよ」
「それで?」
できの悪い学生をいびるような表情で、手島は椅子に座り直した。
「しかし、運動の仕方や要領は単なる根性主義では掴めません。今から合理的・能率的な方式を始めて、十年後にようやく成果が出るくらいです。宮取大学様と弊社が手を組みさえすれば、世界水準での力を発揮出来るはずです」
「狙いはオリンピックか」
そういう類には目敏く反応するのが、手島という男の知性だ。
「さすが先生、話が早い」
「うちにはどう関わるんだ」
「さしあたり年間百万円を提供しましょう」
サラリーマンの年収の十倍近い数字である。そう聞くと高く感じる。研究の世界ではそれほど驚く金額でも無かった。鍛造としては、今出せるぎりぎりだ。
「ウチの研究員でもそっちに貸すのか?」
「はい、ですが別な会社に就職して貰います」
「それだけじゃ無いだろう」
「その通りです。これらの件全て、私と先生の間だけの話で……」
大学への正式な寄付は、マスコミで発表でもすれば多少の知名度を得られる。そして、危機感を覚えた大手の建設会社や財界の類が横から取り上げる。
研究費としての百万円は破格とまでは言わないが、個人的に受ける百万円なら破格だろう。
研究をするのは大前提として、その叩き台は手島が派遣した研究員がもたらす。つまり、産業スパイだ。
もし捕まっても、手島には打撃にならない。知らぬ存ぜぬで全て切り捨てれば良い。
「まぁ、茶でもどうだ?」
話が飲み込めた手島は唇を曲げて笑いながら後ろを向いた。髪の薄い後頭部に、何故か銃弾を打ち込まれて頭を吹き飛ばされた兵士の遺体を思い出した。
無論そんなことに気付くはずもなく、手島は戸棚から湯呑みをもう一つ出した。
「ありがとうございます」
もう少ししたら、手島の方から茶菓子を持って足労するはずだ。それを思うと、縁の欠けた湯呑みでぬるくまずい茶を飲むのは安い手間というものだった。
明けて、一九五四年。
正月早々、皇居の二重橋で参賀者が将棋倒しになり一六人が亡くなった。
重原鉄鋼センターは三が日を休み、四日から仕事始めになった。
出勤した社員達を大会議室に集め、鍛造はステージの演壇から年頭の訓示を述べた。
本来は、型通りに祝辞を述べる。今回は、皇居の事故を意識して『おはようございます』で済ませた。
それを社員が唱和してから、おもむろに口を開いた。
「今月二日に、皇居で不幸な事故が起こり多数の命が失われたのは記憶に新しい。皇宮警察と警視庁と、どちらに責任があるかは分からない。しかし、現に事故は起きた」
言葉を切って、鍛造は、しばし戦場を思い返した。
外では雪がちらつきかけており、時折り強く吹きつける風が鍛造以下を襲おうとしては窓ガラスに跳ね返されている。
ニューギニアは赤道に近く、焼けつくような暑さにスコール、そして行けども行けどもジャングルが続いた。
そんな場所に十九歳で二等兵として渡って以来、敗戦まで暮らした。
戦後、復員してから更に数年たって自分達が『戦略的な価値を失った地域』に取り残されていたのを知った。
マッカーサー将軍が実行した『カートホイール作戦』により、ニューギニアにおける日本軍の補給網は完全に破綻していたのだ。
そして一九四四年には主戦場がサイパンやフィリピンへと移り、ニューギニアには骨と皮になり果てマラリアや赤痢に罹患した兵士達が遺された。
まさに戦死の為の戦死であり、兵士達は……戦闘は別個として……日々を食糧の調達に明け暮れねばならなかった。鍛造も無論例外ではなかった。
司令官の安達 二十三は敗戦から二年して責任を感じ自決している。しかし、安達以下の将兵をそんな窮地に追い込んだ連中はほぼ全員がのうのうと生き永らえていた。
「我々は、二つの教訓を得た。一つは、良くも悪くも大勢の人々の勢いは簡単には止められない事。もう一つは、あらかじめ悪い勢いを避ける為の責任を明確にしておく事だ。言うまでもなく、当社においては私が一番大きな責任を追う。社員諸君も、各々が職務に相応しい責任を果たして欲しい。以上、解散」
お辞儀をしてから社員達が会議室を出ていく中、一人の社員が演壇に近づいた。電話番に置いておいた人間なのは、鍛造も察しがついた。
「社長、お客様がお見えです」
演壇を見上げるように、彼は言った。
「誰だ?」
「アメリカ陸軍の憲兵で、ロックジェラルド少尉と仰る方です」
米軍に目をつけられる覚えは無いが、門前払いにもできない。逆に、なにか人脈を繋げられれば大きな商機になるかもしれず、良くも悪くも分岐点になる可能性は十分にあった。
「社長室に通せ。すぐ行く」
「はい、かしこまりました」
波乱の幕開けになりそうだった。
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